伊丹十三賞 ― 第6回受賞記念トークショー採録

リリー・フランキー × 周防正行 トークショー
テーマ「いかにしてリリー・フランキーになったのか」(6)

2014年11月12日/松山市総合コミュニティセンター キャメリアホール
登壇者:リリー・フランキー氏(イラストレーター、作家、俳優など)
     周防正行氏(映画監督)
ご案内:宮本信子館長

周防 ちょっと話飛んじゃった。
受験をする――それは、本当に美術の道に進みたいのかどうかは別にして、とにかく「東京に行く」っていうことで。でも、リリーさんの話を聞いてると、よく一発で……現役合格なんですよね?

リリー そうなんですよね。クジ運がいいんですよ、ぼく結構。
周防 でもクジ引くわけじゃないですよね?
大学入試で、武蔵野美術大学で。誰でも入れるっていうような大学じゃない。

リリー 「欲がない」っていうのが良かったのかもしれないですよね、なんか。
周防 ああ。試験科目って何があったんですか?
リリー 国語、英語、デッサン、デザインですかね。
周防 試験受けたときに、手ごたえっていうか……
リリー 受験したときに「オレ、受かるな」って思いましたね。
周防 英語とか国語とかもちゃんと受験勉強したんですか?
リリー 英語と国語は、「あんまりわかんない問題が無かったな」っていうのと、あとデッサンとデザインは隣の人を見たときに、「この人たちは絶対に受からねぇな」と思いました。
周防 (笑)今も文章とかも書かれますけど、国語っていうのはそれなりに学校時代から……
リリー 国語よかったのかなぁ?
周防 作文とか書くの好きでした?
リリー 学校の作文は嫌いでしたね。でも学級新聞とか作るのは好きでした。
周防 ああ、なるほどね……。
リリー 友だちが生徒会長に立候補するみたいなことになったら、いろんなパターンの広告を考えたり、アジビラまいたり、禁じられているところにポスターを貼ったりとか。そういうことで創作をするのが好きだった。
周防 創作が好きなんですね……。
それで、現役合格して東京へ出てきて。受験で東京に出るのが「初めての東京」だったんですか?

リリー そうです。
周防 どんな感じでした?
リリー 初めて東京に来て、一番最初に新宿で降りたんですけど。だから東京に到着して3時間以内っていうことですかね、アルタの前で声かけられて。「6,000円でこのチケット買えば、1年間映画がただで観られるよ」って。
周防 あ!ありましたね!
リリー っていうのを買わされて、着いた3時間で詐欺にあってるんですよね(場内笑)。
周防 はいはいはいはい、ありました。その詐欺。
リリー ありましたよね?
周防 ありました!
リリー 「この券持ってると、どの映画館でも全部入れるよ」って。「え〜!6,000円高いけどそれはいい」と思ったんですよ。これはね、みうらじゅんさんも同じ詐欺に遭ってたらしいですよ(場内笑)。
周防 そういうのありましたねぇ……。
で、それが最初の東京の強烈な……

リリー そう。そして大学時代もそんなに……何にもしてないんですよね。友だちとバンドやったりしてるぐらいで、ほんで無駄に留年してるし……。

講演会の様子

周防 いわゆる部活みたいなのは、もうやってないんですか?
リリー スタジオがただで使えるから「軽音楽同好会」みたいな。軽音楽って言ってもポール・モーリアみたいな音楽やってるわけじゃないんですけど。
周防 (笑)はい。
リリー なんか、スタジオが借りれるからサークルに入ってるみたいな。
周防 じゃあもう、本当に変わらないんですね、子どもの頃から。音楽と絵。それはやっぱり「自分を表現する」っていうことなんですかね?
リリー ああ、そうなんですよね。よく学芸会とかやってました、脚本書いて。
周防 すごいですよね。だから役者っていうか監督的なことにも、きっと表現する世界だから共通してるんでしょうね。「何かを表現するためにいろんなものがある」っていう感じなんですかね?
リリー そうなんですよね。そして、今は道具がいいですからね。オレ写真も撮りますけど、やっぱカメラが良くなってくれれば、オレの技術を補ってくれるじゃないですか?
周防 (笑)はい。
リリー 絵の具がよくなってくれるとね、まぁよくなりますから……。
周防 で、武蔵野美術大学の専攻は?
リリー ぼく、舞台美術専攻してたんです。
周防 舞台美術。
リリー オペラとか、ああいうもの。
周防 受験するときに、「どの学部を受けよう」っていう、あ「学科」ですか?っていうのはどういうふうに決めたんですか?
リリー 美大なんかどこ受けたところで、絶対そんな職があるとは思ってなかったんですよね。
周防 うん。
リリー だから舞台美術。まぁ映画とか好きだったからじゃないですかね。舞台美術を専攻してたんですけど。
周防 舞台美術っていう選択が、ぼくにとっては面白いと言うか……
リリー 意外とテレビ局行くと、美術さんの部長とかに、オレの後輩とかがなってますね。
周防 ああ〜そうですか。
で、この頃から「絵でお金を稼ぐ」っていうことが始まるわけですよね、大学生の時から。バイトでそういう話がくる。

リリー それこそ一番最初にイラストでお金もらったのは、「大学生がその当時の文化人の顔を描いて、いろいろ紹介する書籍が出る」っていうので。タモリさんだったり、伸坊さんだったり、伊丹さんだったり、野田秀樹さんだったり――そういう人たちの似顔絵を最初に描いて、1カット2,000円なんですけど。「え、これで2,000円もらえるの?オレ、一生この仕事がいい」と思ったんですよ。
周防 描いてること自体は楽しかったですか?
リリー ていうよりも、もう「自分の描いた絵でお金がもらえる」っていうことに興奮してるんじゃないですか?初めてパチンコで換金したときの興奮と一緒でした(場内笑)。
でも、なんか結局、大学時代も自分が何をしたいのかわからないんですよ。で、何をしたいのかわからないまま卒業するっていう。

周防 留年されてるんですよね?
リリー 留年してるんですけど、留年しながら考えても結局何がしたいのかわからなかったのは、今でも一貫してるんですけど。
周防 (笑)今も何したいかわかってない。
リリー 何したいかわかんない。何か表現はしたいけど、それは「1個の職業ではなくなってる」っていうんですか?
周防 なるほど。
リリー でもどこかで、ほんと子どもの頃から、「オレはいつか大人になったら映画を撮りたいな」とか思ってるうちに、『お葬式』を伊丹さんが撮ったのが51歳で。自分が10代とか二十歳くらいのときにそれを知ってるから、なんか今の首相みたいに「先送り」してるんですよね。「まだあと30年あるぞ。オレが映画を撮るまでには」とか思ってるうちに51歳になっちゃって。「これは大変だぞ」と思って、ちょっと焦り始めてるんですよ、今。
映画に出させてもらったときに、最初は「いつか自分が映画を撮るときのために」と思って、「そうかここはカメラを50ミリにするのか」とか、「この監督は、ここでこういうこと言うのか」って思うんですけど、どんどん出る方でやってるうちに、監督がどれだけしんどい仕事かってわかってくると、「これオレ、映画監督やるの無理なんじゃね?」みたいな感じになってきたんですよ(場内笑)。

周防 (笑)
リリー 誰よりも早く起きなきゃいけないとか、そして誰よりも遅く帰んなきゃいけないじゃないですか。
周防 うん。
――でも、ぼくは助監督を5年やったんですね。リリーさんのお父さんが小説の中で言ってる「何でも5年やってみろ」っていうのに、「オレも当てはまったな」って思うんですけど。ぼく、助監督を5年やって……

リリー しかも周防監督は、助監督時代はかなり強烈な監督の助監督ですから、相当現場は辛かったんじゃないですか?
周防 って言われるんですけど。ま、振り返れば楽しいですよね。
やってるときは辛かったですよ。スキンヘッドになって、軍服みたいなの着て、冬の川のところで横たわって、中国大陸で死んだ日本兵の役とか(笑)。そういうのも助監督しながらやってたんで、それは辛かったんですけど。
で、監督見てても辛そうなわけですよ。ぼくは高橋伴明さんとか、若松孝二さんとか、井筒和幸さんとか、――井筒さんは楽しそうだったですけどね――若松さんとか高橋さんとか結構辛そうにやってらっしゃって。ぼく、監督やったときに「辛かったらやだな」と思ってたんですよね。「辛かったら辞めよう」って。
――ぜんぜん。楽しいですよ。眠れなくても楽しいですよ。早起きしたって楽しいですよ、これは。

講演会の様子

リリー へぇ……
周防 ま、1本目だけでしたけど(場内笑)。
リリー (笑)あ、でも確かに『変態家族 兄貴の嫁さん』(周防監督のデビュー作)は、楽しく撮らないと気持ちが落ちていく感じですかね。
周防 いや、もうほんとあんなに楽しい日々はなかった。
5日間で撮ってるんですけど、ほとんど寝てないんですけど、「今日もぼくのために晴れてる」って思って。

リリー かなり、「どんぎまり」ですね(場内笑)。
周防 もう、すっごい楽しかったです。だからぜひ。辛そうに見えてますけど、やってる本人楽しいと思います。
リリー へぇ〜……
周防 で、そうやって何がやりたいのかわかってない、「ただ何か表現したい」っていう……
リリー でも、これから先やりたいことがひとつ、ずっとこの10年あって。
オレ10年くらい前から、「下着デザイナーになりたい」ってずっと言ってるんですよ。女性ものなんですけど。

周防 はい、はい。
リリー で、下着のデザインしたいし、最終的にパリに住んで、パリのメゾンの中で下着デザイナーとしてやっていきたいから。でもパリのメゾンに入るには、やっぱゲイの方が有利じゃないですか。だから下着デザイン始める前に、ゲイになる練習をしてみてるんですけど(場内笑)。
周防 (笑)用意周到なのかどうかよくわからない。
リリー そうなんですよね。「だったらデザイン画を描け」って話なんですけど、そこじゃないんです。最終地点メゾンに入るためには、やっぱりゲイになっといた方がいい(場内笑)。
周防 (笑)
――大学時代に(話を)戻しますが。

リリー あ、そうですか(場内笑)。
周防 何がやりたいのか――要するに「表現」ですよね。「何かを作りたいんだ」っていうのがわかった。
リリー そうですね。
周防 でも、就職試験を受けられますよね。これさっきちょっと話が途中になっちゃったんですけど、就職試験を受けられて、これは違うと……
リリー 音楽のプロダクションに入ろうと思ったんですよね。ぼく自身も、お祭りで演奏する事務所みたいなのに入っていて。
で、プロダクションに入って、ミュージシャンの人たちを育てたりしてみたいなっていう。もし仕事で何かをやるんであればっていう。
でも、面接官の人がくだらないこと言うので、やめたんですよね。

周防 面接の時に、ビートルズの曲名を書いたら……
リリー ビートルズの曲で普通に有名な『愛こそはすべて(All you need is love)』っていう、世界中でビートルズが同時発信した曲なんですけど。「その曲好き」って言ったら、面接官が「なんでこんな曲好きなの?このタイトル、クサくない?」って言ったんですよ。「いや、この曲知ってます?」って言ったら、「知らない」って言うから。「聞いたほうがいいですよ。有名なバンドですから」って言って(場内笑)。
周防 (笑)
リリー 「こんなやつと働けない」って普通思うじゃないですか。だって音楽プロダクションで面接してるんですよ?曲知らなくてもいいけど、ビートルズくらい知ってたほうがいいですよね?
それまでのストロークで、ずーっと「いや、いま音楽っていうのはさぁ」っていうクソつまらない話を我慢して聞いてるわけじゃないですか、こっちも。最終的に「ビートルズも知らないやつの話だったんだ」と。「先に言えよ『ビートルズ知らない』って。来ないんだから」っていう(場内笑)。

周防 (笑)なるほど。
リリー っていうので、就職はもうやめました。
周防 その1個だけですか?受けたのは。
リリー 1個だけです。
周防 ぼく、就職試験受けたことないんですよ。
リリー そっちの方がいいですよ。あんなん出て来ますよ、だって。しかも、ものすごい変な色のメガネかけてる「いかにも業界人」みたいな人でした(場内笑)。
周防 (笑)で、その会社を受けるのをやめる、入るのをやめるんじゃなくて、就職自体をもうやめちゃうんですか?
リリー もともと就職するつもりなかったですからね。
周防 で、卒業しました。
リリー でも、ぼくが就職試験を受けた時には、ほんとに世の中バブルで。
周防 はいはい。
リリー みんながシャーリングのボディコン着て扇子振り回してた時代なんで、どんなキノコでもシダ類でも就職できたんですよ(場内笑)。
周防 (笑)
リリー だからオレの周りのクルクルパーのやつらでも、みんな、内定3つも4つも貰ってて。
だから逆に運が良かったのは、「働いてない」っていう人がぼくしかいなかったんですよ。周りの人はみんな就職してる。オレは、電気も止まってる部屋に住んでる。でも友だちは「女と車でスパゲッティ食いに行った」みたいな。もうオレにとっては、ハリウッドセレブのスキャンダル誌読んでるみたいな感じじゃないですか(場内笑)。

周防 (笑)うん。
リリー だから「あいつ仕事無いらしい。何もしてないらしいよ」みたいなので、何か紹介されてちょっとイラストの仕事もらったり、みたいなのがあったんですかね。
周防 じゃあ、ほんとうに友だちの紹介のアルバイトとかで食い繋いでいくっていう生活?
リリー でも、やっぱり絵じゃ食えないですから。絵の連載もずーっとやってましたけど、結局食えないから、やっぱアルバイトしますよね。
周防 その頃の生活を今振り返ってみると、どんな生活なんですか?
リリー う〜ん……電気ない、水道ない、ガスない。
周防 すごい。
リリー ま、当然電話もないじゃないですか。そうなってくると、もう考えることが限られてくるんですよ。「お腹がすいた」ってことが、一番集中できることなんですよ。
周防 ああ……うん。
リリー で、なんかトイレに行くにも、近所のお寺の公衆便所まで、トイレットペーパー持って歩く生活するわけじゃないですか。
周防 トイレットペーパーは持参(笑)
リリー 水道も何回も自分でこじ開けてたら、最終的にもう蛇口ごと持っていかれたんですよ、水道局に(場内笑)。最初は、針金で留めて帰るんですけど。
結局、電気とかガスはなんとかなるんですけど、水キツイんですよね。もう、うんこもしすぎて、トイレがホテルのバターみたいにギリッギリまで入ってるんですよ、なんかこう、もう(場内笑)。

周防 (笑)
リリー 「これ以上、ここにうんこしたらオレは人でなくなる」と思って(場内笑)、ちょっと歩いて九品仏ってお寺まで行くようにしてたんですけど。
周防 はいはいはい。
リリー それが、もう結構いい歳ですよ、25、6ですかねぇ。
やっぱり、人間ほんとにお腹が減ると、浅ましくなっていくんですよね。友だち呼んだって、「どうせたかられる」と思って来てくれないし。バンドのメンバーは、オレに貸したギター売られたりとかして、もう会ってもくれなくなったりするじゃないですか。

周防 うんうん。
リリー 結局、卒業してちょっと付き合ってたみたいな娘に、友だちに10円とか借りて電話する。「ちょっと話がある。会いたい」みたいな。大学の時にずっと付き合ってた娘だったりするんですけど。
で、その娘がオレんち来て、ずーっとめずらしそうに見てるんですよ。たぶん電気もガスも水道もないから。
そんで、その娘はもう働いてるわけじゃないですか。で、オレはもう「ほか弁」買ってもらいたいだけなんですよ、なんか(場内笑)。

周防 (笑)

講演会の様子

リリー 「ほか弁」買ってもらって食うことしか考えてないから、性欲もないから、せっかく家まで来てくれたのにケツを触る甲斐性さえないわけですよ。
で、「ほか弁」食べたら「じゃあ駅まで送ろうか」みたいな感じになって。今でも憶えてますけど、オレ、黄色いチェックのシャツを着てたんですけど、その娘が「じゃあ」って言って、駅に帰るときにオレの胸ポケットに2,000円、すっと入れてくれたんですよ。

周防 はい。
リリー 「うわぁ〜情けないな」って思うと思うじゃないですか?オレ、全然思わなくって、「ラッキー」って思ったんですよね(場内笑)。
周防 へぇ〜。
リリー お金が無いのが一番いけないことは、この感覚になることなんだっていう(笑)。
周防 それは、今振り返ってですか?その当時は思わないんですか?
リリー 思わないです。「超ラッキー」と思いました(場内笑)。
周防 じゃあ、そういう生活に自己嫌悪っていうか、「オレ、何やってんだ」みたいなことはなかった?
リリー でも逆に、将来に全然不安がないんですよね。「これ以上悪くなるオレが想像できない」っていう(場内笑)。
周防 ああ。かなり「リリー・フランキー」ですね、それね、きっと。そういう状態は。
そこで、それこそ自己嫌悪で「なんとかしなきゃ」っていうのが、ドラマの普通の筋道ですけど。

リリー 無いなぁ。ずる賢くなってますから。
オレ、その時サラ金で8枚くらいカード持ってたんですよ。もう最後のサラ金とかは、「紹介屋」っていう、ほんとにあこぎなところが紹介してくれたところに断られて。ヤクザみたいな紹介屋に謝られたことがあるくらい、もうどうにもなんないくらいで。
で、オレの後輩がいて――そのまま弟子になるやつなんですけど――オレがバイトから歩いて帰ってたら、表参道にその「えのもと」ってやつが道に座ってて。「どうしたの?」って言ったら、「お腹がすきました」って言うから。オレもお腹がすいてるのにそいつ家に連れて帰ったら、そのまま10年いたんですけど(場内笑)。
でも、えのもとは本当に絵も下手だけど、「イラストレーターになりたい」っていう、ものすごい確固たる信念があるんですよ。でも、絵がとんでもなく下手なんですよ(場内笑)。たぶん、スティヴィー・ワンダーの方が上手いですね、あいつの絵だったら(場内笑)。

周防 (笑)
リリー なんだけど、「イラストレーターになりたい」っていう強い信念は、なんかオレみたいに「何していいのかわかんない」っていうやつからすれば、ちょっと羨ましいなって思ってて。
でも、「お前はアレだけど、戸籍ぐらいはあるんだろ」って。「ハイ」って言うから、「弟子にこんなこと言うのは、なんなんだけど。自由ヶ丘の駅前に、オレの経験の中で一番審査がゆるいサラ金があるから。お前はただ『無職だ』と言って、親の電話番号さえ言えば15万貸してくれると思うから、行ってきてくんないか?」って。
そうしたら、えのもとは職業欄に「イラストレーター」って書いちゃったんですよ。昔のサラ金の人は粋なもんだなと思うのは、「どこで、どういう仕事をされてるんですか?」って。「仕事はありません。まだしたことはありません」って言うと、そのサラ金の人がずーっと見て、申し込み用紙を裏にひっくり返して、「そこに私の似顔絵を描いてください」って(場内笑)。
えのもと、その人の似顔絵を一生懸命書いたんですよ。それで15万円貸してもらってきたんですよ。そして、オレのところに来て、「初めてギャラ貰っちゃいました。イラストレーターで」って言って(場内笑)。

周防 (笑)
リリー 家賃が払えなくなったところで、その15万円で今度は2万5千円のアパートに2人で引っ越したんですかね。
周防 その生活がずっと続いてたら今ここにいないわけで。その生活が変わる何かがあったんですか?
リリー でも、徐々にじゃないですかね。おやじが「別にプータローでもいいから5年やってみろ」って言って。ほんとに5年くらいやってると、ちょっと飽きてきて「働こうかな」って思うようになってくるんですよ。
周防 ああ。じゃあその働く気になった時、要は「仕事があって働く気になった」のか、「働く気になったら仕事が入ってきた」?
リリー う〜ん。オレ、働かない人に「働きなさい」って言うのって、ちょっとなかなか、それ難しいなと思うのは、なんで働かないかっていうのは、気力がないんですよね。
周防 はい。
リリー 気力がないし、電話するお金もないんですよ。電話が止まってるとか。だから、一概に「頑張れ」みたいなことでは解決しないっていうか。でもやっぱその、なんすかね……なんか「働かなきゃいけないな」って思って。
そんなのに毛が生えたような生活の中で、30歳でおふくろ東京に呼ぶんですけど。癌になって。

周防 はい。
リリー 単純におふくろと一緒に住みだしてから、ものすごい仕事がモリモリできました。簡単なことだったんですね、たぶん。朝起きたらご飯があるとか、洗濯がしてあるとか、出かけやすいとか、あんまり遊んでると怒られるとか。
周防 なるほど、日常生活のリズムが……
リリー だから、その頃が一番描いてましたね。連載45本ぐらいやってました、ぼく。
周防 ええ!?
リリー しかも、週刊誌も隔週もやってますから、1日3本くらいコラム書いてました。
周防 でもそれは、確かにリリーさんの仕事が認められる、リリーさんを必要とする人がいたからきた仕事のわけですよね?
リリー なんか、生産力も上がってきたんだと思います。気分的には「ツイードに肘パッチのあたったジャケットを着てる新聞記者」みたいな(場内笑)。「ハイ次っ!」みたいな感じでしたもん。
周防 へぇ〜。

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