伊丹十三賞 ― 第7回受賞記念トークイベント採録

第7回「伊丹十三賞」受賞記念
新井敏記氏 トークイベント(1)

2015年11月10日/伊丹十三記念館 カフェ・タンポポ
登壇者:新井敏記氏 (第7回伊丹十三賞受賞者/編集者、ノンフィクション作家、
     スイッチ・パブリッシング代表)
     松家仁之氏 (聞き手/小説家、編集者)
ご案内:宮本信子館長

【館長挨拶】

こんばんは。
私ね、夢だったんです。ここで、本当にこの限られた空間で「何かできないか」と、ずっと思っていまして。
今回、伊丹十三賞の受賞をなさった方が新井敏記さん。「本」です。編集とか出版とか。十代から雑誌を作ってもう三十何年。素晴らしい『SWITCH』とか、いろんなことをしていらっしゃる方です。
ちょうど「本」ということで、講演していただくなら、大きな広い空間じゃなくて、こういう限られたところで、深いお話・おもしろいお話、そういうお話をぜひ伺いたいなと思って。今日、初めてなんです。記念館で、カフェでするの。
しかもほら、桂の樹がございますね、中庭に。今ちょうどあの葉っぱ、すごくキャラメルの匂いがするんです。「(ガラス越しに)どうぞ皆さん」と言っても……(場内笑)。後ほど、(会場入口を)開けた時に、パッと感じられるかもしれません。素晴らしいキャラメルの匂い、甘い香りがいたします。しかも夕暮れ時で、だんだんライトアップされて……。これが私の夢でしたので、今日は本当に嬉しいです。50名の皆さま、おめでとうございます!ありがとうございます!

講演会の様子

(場内拍手)

では、早速新井さんと、それから今日の聞き手は松家仁之さんとおっしゃって、記念館を立ち上げる時に、ものすごくお世話になりました。新潮社『芸術新潮』の編集長をなさって。今、記念館にはなくてはならない本当に信頼する方。松家さん、新井さんとで、「本」についてどんなお話が伺えるのかと思って、私楽しみにしております。では早速お呼び致したいと思います。
新井さん、松家さん、どうぞ!

(場内拍手)

宮本館長降壇

松家 どうも皆さんこんばんは、松家仁之と申します。
新井 新井と申します。

松家・新井 よろしくお願い致します。

(場内拍手)

松家 今日は綿密に打ち合わせをしていないので、対談は成り行きなんですけれども。よろしくお願いします。
新井 よろしくお願いします。
松家 新井敏記さんは、私よりちょっと先輩の編集者です。「スイッチ・パブリッシング」という出版社を経営していて、今年で設立30周年。その設立30周年の年に伊丹十三賞を受賞することになって、僕自身にとってもじつに嬉しい受賞だったんですけど――(新井さんに向かって)本当におめでとうございます。
新井 ありがとうございます。
松家 昨日、松山にいらして、じっくり時間をかけて伊丹十三記念館をご覧になったと思うんですが、感想をぜひうかがいたいです。
新井 僕は初めてだったんですが、なんともいえない居心地の良さというか。サイズとしてはそんなに大きくないし、決して威圧的でもない。まるで自分の家に帰ってきたような感じだし。ヨーロッパなんかにある路地裏の小さな美術館で、陽だまりの中でずっと過ごすようなイメージを思い浮かべていたんです。テーマ別の展示の仕方がすごくコンパクトで、その分集中力を高めるし、思わず説明の文章をじっくり読んじゃうんですよね。
松家 とにかく新井さん、一か所に立ち止まると、ずっとそこから動かないんですよ。ずいぶん時間をかけてご覧になってましたよね。
新井 そう。なにか自分自身の過去と対面しているような気さえしました。美術館にはいって、これだけ集中して展示と文字とを追えるのはめったにないです。ほとんどの美術館は飽きちゃうんですよね。1、2時間いると、飽きちゃうし、どっと疲れが出る。でも、この記念館は疲れないんですよ。展示されているひとつひとつのものに、明快なビジョンがあって、見る者の集中力が高まるようになっている。
伊丹さんがイラストレーションを描いている『漫画讀本』の車内吊りポスターも展示されていてびっくりしました。僕が雑誌編集をやるようになった、いちばん古い原点というか。それはこの『漫画讀本』という雑誌で、いろいろ薫陶を受けたんですよね。1954年の創刊。僕も1954年生まれなんですが。

松家 (本を持ち上げながら)ちょっと後ろの方には見えにくいかもしれませんが、僕が編集した本(『伊丹十三の本』新潮社、2005年)。売店でも売っていますけど(笑)。
――(同書内の、伊丹十三がデザインした『漫画讀本』の車内吊りポスターの画像が掲載されているページを示しながら)伊丹さんがまだ20代、エッセイストとしてデビューする前に、イラストレーターでありグラフィックデザイナーであった時代の、ごくごく初期の仕事なんですね。『漫画讀本』というのは、1954年に文藝春秋から創刊された雑誌なんです。電車に乗ると天井から吊り下げられているポスターがありますよね、中吊りポスターというんですが、それを任されて描いた。ほとんど伊丹さんのイラストレーションだけで構成されています。『漫画讀本』を少年・新井敏記は見ていたわけですね。

講演会の様子

新井 中吊りは、いかにも伊丹さんらしい秀逸なイラストレーションで、これは本当にセンスが良くてモダンな感じなんです。今日ここにいらしているみなさんで、『漫画讀本』を読んでいた方っていらっしゃいます?
(会場内にはいらっしゃらない)
――そうですか。こういうアメリカ的な、洒脱な見せ方もするいっぽうで、僕が一番楽しみにしてたのは、中に「ピンナップ」が入っていたんですよ。

松家 僕は知らないんですよ、残念ながら(笑)。
新井 ピンナップがあって。つまりですね、女性のセミヌードがあったんですよ。
松家 当時としてはかなり刺激的なものでした?
新井 画期的でしたよ。今はもう無くなってしまったんですが、「日劇ミュージックホール」の、いわゆるストリップをちょっとモダンにしたショーがあって、そのレポートが載っていたりした。僕はそれをひそかに親父の本棚から抜きだしては、近所の仲間たちと見てたんです(笑)。
松家 新井さんはまだ小学生ですよね?
新井 小学生です。
松家 かなり悪い小学生だ(場内笑)。
新井 それを見てドキドキするというのが、最初の雑誌体験だったんです。
僕の家は東京で映画館をやっていたんですね。親父がいろんな映画の本や『漫画讀本』みたいな不思議な雑誌をたくさん持っていて、書斎の棚から1冊抜き出して見ては……ということをやってました。だんだんそれを近所の知り合いにも振る舞って(場内笑)。発売日からほどなくすると、近所の悪い先輩たちが「あれを持ってこい」と言ってくる(場内笑)。棚から抜いてはまた戻すというのを繰り返すのが、僕にとって雑誌とのつきあいの第一歩でした。
その中に、ピンナップ風のものもあれば、漫画もあった。「ブロンディ」みたいな漫画もあれば、「意地悪爺さん」もあった。殿山泰司さんや東海林さだおさんのエッセイも最初からあった。そういう本や雑誌が身近にあって、1960年代の、今でも通用するような雑誌編集の手腕を、僕は見ていたんだな、という記憶がありありと甦ったんです。伊丹さんの描いた『漫画讀本』のポスターを見ているうちに、いろんなことがフラッシュバックして、思わずじーっと見て、動けなくなってしまって。自分の過去にタイムスリップするようでした。
常設展示がすごく秀逸だなと思うのは、伊丹さんの仕事や作品の流れと、伊丹さんの人生の流れと、伊丹さんの生きた時代が見えてきて、僕自身の人生の流れにもそれがすーっと入って重なってくるんですよ。だから、ちょっと不思議な時間だった。記念館を一周するのは、さほど時間がかかったわけじゃないのかもしれないんだけど、なんともいえない重層的に迫ってくる印象があって。

松家 いや、ご覧になっている時間は長かったですよ、すごく。
新井 展示を見ることは本を読むような経験でした、僕にとっては。伊丹さんの持っているセンスの核にあるものを、初めて知ったような気がしました。と同時に、この建物そのものも伊丹さんの世界にふさわしい。センスがぴったり符合するというか。本当にいいなと思いましたね。
僕は伊丹十三賞に選ばれたことをとても感謝しています。こうして記念館に来られたこともほんとうに嬉しかったですね。これまで何度も松山には来ているんですけど、こういう形であらたな刺戟を受けて、「何かまた違うことをやりたいな」と思ったんですよ。そういう意味でも、すごく宝物のような時間でした。

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