伊丹十三賞 ― 第7回受賞記念トークイベント採録

第7回「伊丹十三賞」受賞記念
新井敏記氏 トークイベント(6)

2015年11月10日/伊丹十三記念館 カフェ・タンポポ
登壇者:新井敏記氏 (第7回伊丹十三賞受賞者/編集者、ノンフィクション作家、
     スイッチ・パブリッシング代表)
     松家仁之氏 (聞き手/小説家、編集者)
ご案内:宮本信子館長

松家 自分で編集をして、社長をやりながら仕事を回していく時って、「今後どうしていくか」は常に考えなきゃいけないこととしてあるじゃないですか。今後どうしていこうかというのは、結構考えますか? 毎日のように。
新井 今後というよりは、明日どうするかという(場内笑)。
「生き生き」で言えば、僕、取次にケンカを……売ったわけじゃないんですよ。僕は別に望んでやったわけじゃないけど、呼び出されたんです。「取次を敵に回すんだな」と。その時、僕、生き生きしているんですよね(場内笑)。
あの時、取次のかなり偉い人に呼ばれたんですが、僕ごときに重役が会ってくれるなんてこれまで無かったんですよ。
いつも本の発売日の1週間くらい前に、僕たちは「見本出し」といって、見本を持って取次に行くんです。献上するように「この本をお願いします」と渡す。それで受付け担当の若い人がそれを見て、「いいでしょう」と。たとえば雑誌『SWITCH』でタモリさんの特集号を出すとしたら、過去のデータを調べて、これだけ売れていると。「取次としてはこの部数を預かります」というチェックを受けるんです。そういう制度の中でずーっとやってきたわけですから、僕ごときが重役に会うなんて、ありえなかったわけですね。
それが、今回呼び出されたわけですよ。そして1時間ぐらいずっと怒られっぱなし(場内笑)。そんなときこそ僕はね、なんか生き生きとしてくる瞬間なんです(場内笑)。だって、こんなのめったにない経験じゃないですか(場内笑)。
すごく生き生きとしているんですけど、自分の会社に戻ってくれば、「明日どうするか」は大問題なんですよ(場内笑)。やっぱり、経営者として社員もいるわけですし、社員には家族もいるから。生き生きとした経験をどう明日に繋げるかというのは、ものすごく大事な次のステップなんです。

松家 村上さんの本の販売方法についての第一報が載ったのは日本経済新聞でしたね。新井さんはその記事がミスリードだったとご不満でしたが、一か所喜んだ場所があったんですよね。
新井 (笑)
松家 「スイッチ・パブリッシングという“中堅出版社が”」と(場内笑)。
新井 だって、今まで小さな出版社だったのが、格上げされたわけですよ。「中堅」と書かれたら、「へえ! 俺の会社、中堅なんだ」と。何十行ぐらいつづいた嫌な文章の中で、わずか一箇所、「中堅出版社」――この五文字が唯一の救いでした(場内笑)。
松家 (笑)でも25人なんですよ、アルバイト入れて。普通の企業の数から考えると、すごく少なく感じられるかもしれませんけど、大手出版社を除けば、2〜3人でやっている出版社がいちばん多いんじゃないか。2〜3人でやっている出版社は、もちろん書店回りから編集から全部やるわけですけど。それからすると、25人のスイッチ・パブリッシングが「中堅出版社」というのはある意味正しい。それくらいの規模の業界なんですよ、出版界って。
新井 大手の日経さんに、「中堅」というある種お墨付きをいただくということは、まんざら悪いことでもないから、これから名刺に「中堅出版社」という肩書きを入れてもいいかもしれない(場内笑)。いやほんとうに、設立30年目にして、画期的というか面白い出来事を経験しました。
僕、この伊丹十三賞をいただいて、やっぱり何か「闘ってこいよ」と言われたような気がしたんです(場内笑)。30周年ということも奇妙な符合だし。賞をいただいて、ここから何かあらたなスタートをしなさいと――後ろをポンッと押された感じがしています。それもまた泥船で漕がなきゃいけない(場内笑)、ちょっと明日はわからない状態なのは同じですが、でも楽しいですね。

松家 新井さんがかなり活字にできないことを話して、僕だけ良い子でいられないので、一つだけ活字にならない話をしますと、『考える人』という雑誌を創刊する時に、企画書を持って取次に説明に行ったんですよ。「こういう雑誌をこれから作るので、扱いをよろしくお願いします」と。そうしたら、企画書を読むなり、「これ売れませんよ。まぁ7,000部出発かな。でも7,000部出発の雑誌というのは、だいたい次の号を出したら6,000部、5,000部、4,000部と間違いなく減っていくので、続けられないと思うんだよね。あっという間に休刊だよ。こういう雑誌を作りたい時は、もっと事前に相談してくれなきゃ」と言うんです。
それで家庭菜園の雑誌をドンとテーブルの上において、「この雑誌は、事前にさんざん我々と相談した結果できた雑誌なんだよ。だから売れてる。こういうふうに作ってくれなきゃ」と言われました。もう、はらわたが煮えくり返って(場内笑)。それでもう、ますます「絶対成功させてやる」というふうに思ったから、ある意味で取次の担当者には感謝していますけど(場内笑)。だから新井さんに、その取次問題を聞いた時に、すごく握手したいくらいの……ね? そういうところがあるんですよね。

新井 ほんとうに。
松家 でも、それもやっぱり取次を悪者にしても実はしょうがなくて。実は取次の大株主には大手出版社が入っているんです。印刷会社も出版社も取次も、みんなお互いに株を持ち合っている、そういう業界なんですね。だからお互いに不満を持ちつつ、決定的に「こうしろ」とは言えないような、しがらみの構造になっているわけです。
さらに遡ると、大手取次会社の原型は戦前にまで遡るんです。戦時中は出版統制が行われたんですね。出版社の数も一気にしぼられて、小さい出版社はどんどん看板をおろした。用紙の手配も自由にならない。もちろん自由な出版活動は制限されました。そのような出版界を束ねる組織は当然、GHQによって解体されるんですけど、戦後、あらたに出版業界を流通をふくめて再編する時には、その解体されたものがまたガラガラポンと復活したわけで、なかで本や雑誌を扱っている人たちはほとんど重なっていたんです。だから戦時体制を影のように残して、大手取次が再編されたといっても過言ではない。大手二社だけで、たぶん今80%ぐらいのシェアなんですよ。完全な独占状態と言っていい。他に5社ぐらいおおきな取次があるんですけど、トーハン、日販の力が圧倒的なんです。でもそれは、トーハン、日販が悪者というんではなくて、出版界全体がそういう道を選択してきた。出版社もそれを望んだ。だから、僕が取次の人間だったら『考える人』の編集長に同じことを言ったかもしれない。さんざん売れない雑誌、売れない本ばっかり回されてきたら、うんざりするじゃないですか。「もっとマシなもの作れよ」と言いたい気持ちになるのもわかる。
だから、新井さんも僕も、大手取次に入っていたら(場内笑)、恨まれるようなことを言っていたかもしれない。そういうこともいちおう言っておかないといけない(場内笑)。ちょっと良い子すぎますかね(場内笑)?

新井 (笑)

講演会の様子

松家 ただ僕は、「出版不況、出版不況」とみんな言うんですけど、そういう時こそ最大のチャンスだと思うんですよ。
実は、1960年代〜70年代の高度経済成長とともに、出版界はたいへんな勢いで成長したんですね。でも60年代のその成長の突端の売上部数とか刊行点数に比べたら、今の方が何倍もの数なんです。本を読む裾野ははるかに広がっている。
だからやっぱり出版界は内輪でお互いワーワー文句や不平を言っているんじゃなくて、これだけ裾野が広がった中で、それぞれの役割をもう一回考えなおして、「流通をこう変えてみましょうか」とか、「書店さんとのやりとりも、こういうふうに変えてみましょうか」「出す本や雑誌のことをよく考え直してみよう」とか、新しい取り組みができるいいチャンスじゃないか。そういう面白い時代にいるんだ、というふうに僕は考えるようにしているんです。そこに、こういう「突破する人」がポンッと出てくると、それがきっかけになって動き始めることだってあると思うんですね。面白いところに差し掛かっているんじゃないかなというふうに僕は思っています。

新井 そうですね。今日は皆さん時代の証言者になっていただいて(場内笑)。僕が来年どうなるか、松家さんが来年どうなるか……すごく楽しみだと思う。
たぶん、少しずつ変わっていく、というのが前提なんです。
というのは、村上さんの本であたらしい試みをやったことによって、紀伊國屋書店に「自分たちもこれをやりたい」と、ほかの出版社も手を挙げているんですよ。そうすると、少しずつ少しずつ本当に変わっていく兆しが見えてくる……明治維新までいかないかもしれないけど(笑)。なんかね、ちょっと変わるような気がして。
それに大手流通の人たちのなかにも「今のシステムじゃだめだ」と思う人だって当然いるでしょう。だから、自分たちの既得権益をどう守るかではなくて、「出版」というものが、もう一回新しく生まれ変わる、来たるべき文化として語られるべきものだと思うんです。
ネット書店だって敵ではない。すごく便利だし、有効なところもある。実際に紀伊國屋書店もネットをやっているわけですから。そこのところもふくめて考えてあらたな裾野を生み出してほしいな、というふうに切に願いますよね。
ですから、(客席に向かって)皆さんの役割は雑誌をたくさん買うこと(場内笑)、本をたくさん買うことを、ぜひお願いしておこうと(場内笑)。

松家 一つだけ、ちょっと自慢話みたいになっちゃいますが。
この『伊丹十三の本』を出したあたりで記念館の話も始まって、僕も伊丹モードまっしぐらになったんですね。その時に、「文春文庫」に入っていた伊丹さんの文庫が品切れだったんです、どれも。それを「新潮文庫」で出し直したらどうだろうと思ったわけです。しかも文春文庫って、矢吹申彦さんが文庫用にイラストレーション描いていて、これはこれで素晴らしい文庫だったんですけど、考えてみたら伊丹さんが単行本で出した時の、伊丹さんが自分で装幀した形では出ていなかったので、「これを全部、伊丹さんの自分の装幀に戻して、もう一回新潮文庫で出したらどうだろう」と思ったんですよ。
文春文庫にお願いをして、新潮文庫で復刊したら、これがとてもよく売れた(場内笑)。増刷につぐ増刷だったんです。映画監督の伊丹十三も知らないような若い書店主がやっている渋谷のある本屋さんが、「伊丹さんの文庫はすごく売れるので、こうやって並べています」とその書店の特等席に並べているのを見せてくれて説明してくれたり。「『伊丹十三フェア』をやりたいと思っているので、そのときには手伝ってください」と言われたりするぐらいなんです。伊丹十三という人をこれまで知らなかった20代の人たちが、面白がって読んでいるらしい。
だから本というと、ついつい新しいものを次々出して読者を探すということばっかりやっているところがあるんですけど、本当に良いものは、時代が変わっても読者が代わっても伝わるんだというのが、やっぱり伊丹さんの文庫を出し直して、わかったことなんですよ。
CDだって、古い名作を次々出し直して「紙ジャケット」にもしたりして、つい同じものを買ったりするじゃないですか。だからやっぱり内容がすごく大事なんであって、新しいものも、もちろん出さなくちゃいけない役割もあると思うんですけど、本当に良いもの、クラシックと言えるようなものを、きちんともう一回、今の読者に届けるような工夫を、出版社はすることによって、また新しい読者を発掘できるんじゃないか。そういうことを、伊丹さんの力を借りて実感できたんですよね。

新井 だから僕、今後は仕事に悩んだらこの記念館に来ます(場内笑)。
――昨日、すごく特別に、ふだんは非公開の収蔵庫を歩かせていただいた。

講演会の様子

松家 今日、皆さんが御覧になった展示室の反対側に、おおきな収蔵庫があるんですよ。収蔵庫というと、なんか倉庫みたいに思われると思うんですけど、たとえば伊丹さんの自宅であった時もある、『お葬式』の舞台になった湯河原の家があるんですけど、そこのリビング・ダイニングが完全に再現されて、その書棚もそのまま再現されて作られていたりもする収蔵庫なんです。それを年に2回とか3回、公開しているんでしたっけ?
玉置 (伊丹十三記念館・館長代行) 一般の人には1回です。5月に。
松家 5月だそうです。
新井 それは抽選なんですか?
玉置 はい。
新井 今日来ていただいたようなラッキーな方は、応募すれば可能性がある。
玉置 御覧になったことのある方もいらっしゃるかもしれないですね。
新井 そうですか。
松家 この収蔵庫は、もしご覧になってなかったとしたら、ぜひ今度の5月に応募していただくと、「ああ、これは来てよかった」と思うくらい、もういろんなものが見られます。
玉置 会員になっていただくと、もっとチャンスが増える(場内笑)。
松家 (笑)会員になってくださいね。
新井 会員になるためには、どうすればいいんですか?
玉置 年会費をおさめていただいて(笑)。
松家 ウェブサイトをよくチェックしてください(場内笑)。会員になれると?
玉置 また別に2回チャンスが。
松家 年に2回もあるそうです、チャンスが。
やっぱり、こういう記念館って「どうやって維持していくか」ということもすごく大事なことなので。伊丹十三賞というものも、それを盛り上げるということも含めてやっているんですね。僕もいろいろ知恵を使いたいと思っているんですけど、でもやっぱりこうやって来てくださる方々が支えるというのは、基本中の基本なので。
(お客様に向けて)ぜひみなさん、会員に(場内笑)。もしよろしかったら、ぜひなっていただきたいなと思います。

新井 はい、ぜひ。
僕、展示も時間をかけて観たんですけど、実は一番ジーッと観ていたのは、2階の収蔵庫の本棚とか、どんな本を読んでいたのかということでした。創作の秘密というか。一番大事な伊丹さんの「想い」みたいなものが、静かにヒタヒタと寄せてくるんですよ。それを感じ取るだけでもすごく宝物のような感じがしました。それを観て、また展示にもどると、また別な想いが湧いてくる。そんな興奮をクールダウンするために、この回廊がある。なんだ、いつまでたっても帰れないなあ、みたいな(場内笑)。すごく楽しかったです。

松家 びっくりしたのは、伊丹さんは、あっという間に海外でも評価が高くなって、ハリウッドからもいろんな声がかかってきたわけですね。その当時はまだメールはなくてFAXでやりとりしていたんですけど。そういう、ありとあらゆるやりとりが、捨てられずに全部取ってあったんですよ。
新井 へぇ。
松家 ものすごくびっくりしたんですけど。
たとえば、伊丹さんの映画のタイトル・ロゴがありますよね。あれは、伊丹さんにアイデアのベースがあって、それをデザイナーに発注して最終的な仕上げをするんですけれど。伊丹さんは「明朝体を書かせたら日本一だ」という自負があった方ですから、相当またそれにも注文がつくんですよ。今だったら、完全な分業体制で日本映画って作られているので、どういうデザインかは任せるしかない。伊丹さんは任せきりにしないから、そのタイトルのやりとりだけでも膨大なFAXが残っています。それも全部保存されているんですよ。
だからこの伊丹十三記念館は、展示の材料については、まったく心配はないんです。まだまだ猛烈な材料が収蔵庫にある。嬉しい悲鳴というぐらいの宝の山が収蔵庫に眠っているわけです。それが観られるようになっていますので。ぜひ会員に(会場笑)。

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伊丹十三賞