

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。
2025.09.15 直筆原稿
9月も半ばに入ってまいりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。連日暑いのは変わりませんが、ふと朝の空気がすっきりとしていたり、雲の形や空の色がどこか秋めいてきているのを感じております。季節の変わり目ですので、皆さま体調に気を付けてお過ごしください。
先日ご来館くださった方で2時間ほど展示をじっくりご覧くださったお客様がいらっしゃいまして、その方はエッセイがお好きでご来館くださったそうで、「生原稿や原画が見れて本当に嬉しいです。読むところがたくさんあってじっくり見ちゃいました」とお話しくださいました。
記念館では、エッセイの直筆原稿・イラスト原画をはじめ、CMの草案や、編集長をつとめていた雑誌「モノンクル」の原稿、映画の台本や絵コンテ、様々な伊丹さんの直筆で書かれたものを展示しております。ご来館くださったことのある方は、資料の数の多さに驚かれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。かく言う私も、初めて記念館に訪れたときには直筆原稿の多さに驚いたものでした。
さて、本日の記念館便りでは、そんな伊丹さんの直筆原稿についてご紹介させていただきます。
伊丹さんが書いた直筆原稿を見るときにぜひご注目いただきたいのは、一般的な400字詰めの原稿用紙を裏返して使用しているというところです。
企画展示室に展示中の『フランス料理を私と』の原稿の一部
写真では分かりにくいのですが、よく見るとうっすらと裏面のマスが透けて見えます
そして、さらに特徴的なのは裏返した原稿用紙の上半分に文字を書いているというところです。透けているマスを利用して文字数も揃えてあります。下半分は全く使わないのかと思えばそういうこともなく、文章の付け足しや修正などを行っているのです。市販されている原稿用紙ですが、自分の使いやすいように工夫して原稿を書く伊丹さんの自由な発想が分かっていただけるかと思います。
以前、収蔵庫ツアーにご参加くださったお客様から、「腹ばいで原稿を書くから、上半分だけに書くのかもしれないですね」という見解をお聞きしました。確かに、伊丹さんは腹ばいで原稿を書いておりましたので、このような使用スタイルになったのかもしれません。
伊丹さんはこのように独特な原稿の書き方をされておりましたので、用紙の上半分に書くことの出来るオリジナルの原稿用紙を作成し、1984年ごろからはこちらの原稿用紙を愛用していました。
「七 料理通」のコーナーより『タンポポ』直筆台本原稿
オリジナルの原稿用紙を使用しております
オリジナルの原稿用紙には上下に猫のイラストもあしらわれています
ちなみにエッセイの挿絵に使用されたイラスト原画も、原稿用紙の裏に描いているものがございます。こちらも普段から使用していたからこそ、原稿用紙が使用されることも多かったのでしょう。
『女たちよ!』に収録されている「ヨメタタキ」のイラスト原画
原稿用紙のマスが透けているのが分かりやすいです
伊丹さんが書いた原稿を見ていて思うのは、最近は文字を書く機会が随分と減ったなということです。仕事では日常的にスケジュール帳を使用しておりますが、それ以外ですと人との連絡やスケジュール管理、日記もスマートフォン一台で完結しており、文字を書く機会が随分と減りました。今こうして綴っている記念館便りもパソコンで書いておりますので、伊丹さんのように長い原稿を手書きしたのは高校生までです。
これだけたくさんの文章を手書きするのにどれくらいの時間がかかったのか、そんなことを想像しながら見てみるのも面白いかもしれません。
伊丹さんの書く文字は、2Bの鉛筆を愛用していたので色が濃く、でも一文字の大きさは小さめで、少し丸みを帯びたやわらかい文字が特徴的なことが分かります。初めて原稿を見た時は、伊丹さんの書く文章の内容や監督をしている時のイメージとあまり結びつかなかったのですが、少しずつ人となりを知っていくと、このあたたかみのある文字が素敵だなと思います。筆跡をゆっくりご覧いただけますのも、直筆原稿の魅力ですので、実際にご覧になる時にはぜひ一文字一文字じっくりとご覧ください。
学芸員:橘
2025.09.08 伊丹十三とインターネット
たえまなく、めざましく進歩し続けること=「日進月歩」。この言葉を私が覚えたのは昭和だったか平成だったか。
時は流れて令和の今、ICTやAIの急速な発展には「"歩"の字で表現できる域を超えている! あまりにも速い! 一年ひと昔!!」と感じられ、もうついていける気がしません。
少し前、「伊丹万作」「俳句」でGoogle検索をしたことがありました。
最近、検索結果の先頭に「AIによる概要」というものが表示されるようになりましたね。便利に感じることも、煩わしく感じることもあるアレですが――
「いや、そうじゃなくて。芭蕉の俳句を使って万作が手作りしたカルタのことじゃなくて。万作が詠んだ俳句のことを聞いているんですけど」「伊丹万作全集の巻数とかページ番号とか表題とか、それを教えて欲しいわけ。本をめくって探す時間を省略したいんですっ」とパソコン画面に向かって文句をたれ、ワードを増やして検索を続行するうち、ハタ、と気付きました。
「ん? そもそも、インターネット上に"芭蕉カルタ"の情報があって要約の元になっているのは、私が企画展ページや記念館便りにあれこれ書いたり、解説をつけて展示に出したりしているからなのでは......源流は、私?」ということに。その途端、心に芽生えた恐怖心と重圧たるや。
これまでも注意を払ってきたつもりではありますけれども、なおいっそう、責任をもって・正確を期しつつ・楽しんでいただけて・なるべくためになる、そんな情報の提供に努めてまいります。
さて、「インターネットと伊丹十三といえば」というお話になりますが、パソコンやインターネットが一般にはそれほど普及していなかった1990年代半ば、伊丹映画はいち早くホームページを設けて、映画が作られていく過程を発信していました。伊丹監督が大好きなメイキング・ビデオと同じことを、即座に、そして分量や尺(時間)を気にせずに発信し、封切り前に楽しんでもらえる、とくれば、それはもう飛びついたでありましょう。
伊丹十三が愛用したノートパソコンのひとつ、
PowerBook 5300ce。アップル派だったんですね。
『静かな生活』(1995年)では撮影日記の掲載やシナリオの公開を行い、『スーパーの女』(1996年)では動画も用いるようになり、さらには本番撮影を生中継。これは世界的にも前例のない試みでした。しかも、前田米造さんのカメラが撮影している映像(=映画本編で使用される映像)までもがこの生中継中リアルタイムで流れたというのですから、映画界においては二重の大事件であったはずです。
「自分で中継をみられないのが残念だったね」とは伊丹さんらしい一言。
ところで、生中継について考えるたびに心配になることがひとつ。それは、「スタッフやキャストのみなさんは『生中継なんかされたら仕事しづらいなぁ』と戸惑ったのではないかしら」ということです。
これについて伊丹監督曰く「長年かけてチームワークを培ってきたわれわれだからできる」映画作りの現場なのだから、「『おれたちの仕事ぶりを見てみろ!』と、世界に向かって胸を張ることができたわけですよ」。
なるほど、誇りがあれば怖くない。
何かにつけて怖気づいてしまう私は、まだまだ修行が足りぬようです。
朝夕は少し涼しくなってきました。今年の秋は「修行の秋」でまいることにいたしましょう。
こちらが例の、伊丹万作が手作りした"芭蕉カルタ"です。
―名月や 池をめぐりて 夜もすがら―
2025年の中秋の名月は10月6日だそうですよ!
文中のイタリック体は「ENGLISH NETWORK」1996年7月号より
学芸員:中野
2025.09.01 伊丹十三記念館の前庭の現在
6月に工事をおこない、新たな姿に生まれ変わった記念館の前庭ですが、先月もその様子を記念館便りにてご報告させていただきまして、それから更に1ヶ月が経過しました。現在のお姿がこちらです。
ちなみに1ヶ月前の様子がこちら。
ちなみにその1か月前、植え付け直後の7月初旬の様子がこちら。
過酷な夏を、青々と元気に乗り越えた様子がご覧いただけるかと思います。
そして、ここ数日でフェンス沿いに植えられた斑入りヤブランには花が咲きはじめました。
縁起が良いと評判の植物、『万年青(オモト)』も元気です。
何故みんなこんなに元気かと言いますと、スタッフが毎日かかさず水遣りをしているからです。
そのおかげで、前庭以外の木々も全員元気です。
まだまだ暑い日は続くかと思いますが、9月に入り若干過ごしやすくもなってくるかと思いますので、是非ご来館をご検討ください。その折には前庭もチェックしてみてください。
スタッフ:川又
2025.08.25 テレビCMの日
記念館便りをご覧の皆さま、こんにちは。
8月も残すところあと1週間となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
さて今週木曜日の8月28日は「テレビCMの日」なのだそうです。
1953年8月28日、この日に放送開始となった民放テレビで初のテレビCMが流れました。これを受けて、のちに8月28日が「テレビCMの日」として制定されたそうです。
ご存知の方も多いと思いますが、伊丹さんはCM作家としての"顔"も持っていました。
松下電器(現:パナソニック)の冷蔵庫、西友、味の素マヨネーズ、ツムラの入浴剤、宝酒造のタカラCANチューハイ、そして四国名菓一六タルトなどなど――伊丹さんならではのアイデアを盛り込んだ数々のCM作品があります。
常設展示室「十二 CM作家」コーナーでは、そのいくつかを実際の映像でご覧いただけます。「もんたかや」で始まる、おなじみの一六タルトのCMもお楽しみいただけますよ。
同コーナーにはナショナル冷蔵庫のCMの制作メモや一六タルトのCM直筆原稿など、伊丹さんが書いたCMの原稿やメモなども展示しています。実際の映像と見比べると、CMが作られた過程や制作の工夫などが想像できて面白いかもしれませんね。
【常設展示室「十二 CM作家」コーナー】
【CMの直筆原稿やメモを展示】
CM映像をご覧になった方から「見たことある!」「懐かしい」というお声をよく聞きます。何十年も前に放映されたCMにも関わらず多くの方が覚えておられるということは、それだけ印象深いCMだったのですね。
加えて「CM映像をみたら一六タルトを買って帰りたくなりました」という方もおられるという、今もなお、CMとしての効果も絶大のようです。
ご来館の際はぜひお見逃しなく!
伊丹さんが携わったCMは、記念館ショップで販売中のDVD「13の顔を持つ男」でもそのいくつかをご覧いただけます。
ご興味のある方はぜひどうぞ! (オンラインショップはこちら)
【DVD「13の顔を持つ男」(税込3,300円)】
スタッフ:山岡
2025.08.18 夏ニナルトドウシテ暑イノ?
毎日茹だるような暑さが続いておりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
記念館では暑さに負けないよう、休憩を適宜はさみながら、日々水やりに取り組んでおります。そのおかげか、中庭の桂をはじめ、植物は元気に青々と茂っています。
昨年冬に松山市から引越しをして、通勤の際に電車を利用しているのですが、自宅から最寄駅まで歩く時間と、到着駅から記念館まで自転車を漕ぐ時間が、もう暑くて暑くて――始業前から尋常じゃない汗をかきつつ出勤しております。歩きの時間と自転車を漕ぐ時間はどちらも10分間に満たないのですが、これが意外にもしんどいもので、毎日体力を削られているのを感じます。
通勤を快適にするため、最近流行りのネッククーラーと呼ばれる、首に装着することで体温を下げるアイテムも試しましたが、自宅から最寄り駅までの徒歩10分でぬるくなってしまうため、記念館着くころにはただの首飾りになってしまいます。母曰く、「2500円くらいする良いやつを買ったらもちが全然違う」(私が持っているのはその半額以下のもの)とのことなのですが、「結局、大きめの保冷材が一番もつのでは?!」と思ってしまい、最近は保冷剤をタオルで包んでそのまま首にあてながら出勤しております。
さて、素朴な疑問ではありますが、夏というものはどうして暑いのか。こちらについては伊丹さんの『問いつめられたパパとママの本』の「夏ニナルトドウシテ暑イノ?」にて詳しく解説されておりますので、こちらをご覧ください。
夏が暑いのは、ひとつは日が長いせいであり、いまひとつは、太陽が真上から照りつけるせいであります。
じゃあ、日が長いと、どうして暑いのよ、なんていわないでおくれよ。同じ条件で物を熱するとするなら、十分間熱するより、十五分間熱するほうがよけい熱くなるだろうじゃないの。夏が暑い理由の第一は、だから、日が長いということであった。
では、次に真上から照らすと、なぜ暑いのか、というなら、たとえば懐中電燈を想像していただきたい。
懐中電燈の光を床に当てるとき、まっすぐ床に当てれば、小さいけれども強く明るい光の円ができるだろう。しかるに、それを斜めに当ててみようか。さっきより、ずっと床の近くから照らしても、照らす場所は広くなるかもしれぬが、明るさはずっと希薄になってしまうのが観察されるに違いないのであります。
つまりこの、垂直に照らすということなのだ、太陽がカンカン照るということは。
夏になると、太陽が真上から照らすから(その証拠に、夏の真昼の影は、小さく足元にまつわりついている)、したがって光や熱が強く当たり、冬になると、太陽が斜めに当たるから(その証拠に、冬の日は、真昼でも長く伸びている)、したがって地面を熱する力は弱くなる。
と、まあ、右のような二つの理由で夏は暑いわけだが、万全を期すためには、いま少し補わなければならぬことがある。
すなわち、もし右のような理由で夏が暑いとするなら、一番日が長く、かつ太陽が一番真上にから照らす夏至の日が、一年で一番暑くなければなるまいが、事実はそうではない。夏至の日は、梅雨の真最中で、曇や雨の日が多く、年によっては梅雨寒といわれるくらい涼しいこともあるのは皆さまご承知のとおりだが、これはなぜか。
別の例で説明しよう。同様なことが、一日のうちにも起こるのをあなたはご存じのはずである。
理屈からいうなら、一日のうちで一番暑いのは正午のはずであるはずだろう。太陽が一番真上から照らすのですから、太陽の光は正午が一番強い。
にもかかわらず、気温が一番高いのは二時ごろ、というように少しずれておりますね、これはなぜか。
地面というものは、太陽から熱をもらう一方、絶えず宇宙に向かって熱を発散しているわけですが、これを、収入と支払い、というふうに考えてみようか。
夜の間は日が照らないから、つまり収入はゼロであって、支払う一手。完全に冷えきったところで、サテ日が昇ったとしよう。
支払いは依然として多いが、収入は少しずつ確実に増えてゆき、ついに、収入が一致することになり(つまり、宇宙へ失う熱と、太陽からもらう熱が同じになり)、それからあとは、稼ぐに追いつく貧乏なし、収入が支払いを凌駕したのですから、貯金は増える一方だ。すなわち、どんどん、熱がたまってくる。
やがて、一番収入の多い正午を通りすぎ、これをピークとして収入は減り始めるが、しかし減り始めたとはいえ、いまだ依然として収入は支払いより多いから、貯金はまだまだ増える。ただ、その増えかたが次第に衰えてゆくわけですな。
そうして、ついに再び収入が下降して、支払いと一致する時期がやってまいります。貯金の額は、ここで最高に達するが、ここから先は収入が支払いを次第に下回って、つまり赤字がだんだん大きくなり、次の日の朝まで貯金で食いつながねばならん、ということになるわけですね。
つまり、一番収入が多い時期と、貯金が一番多い時期とは必ずしも一致するものではない、ということがおわかりいただけたかと思う。
収入が一番多かったのは、つまり日射が一番強かったのは正午であったが、貯金、すなわち、気温が最高になったのは、収入が下降して、支払いと一致する二時ごろであった。
こういうふうに収入と支払いのバランスによって、収入が最高の時と、貯金の額が最高の時とが少しずれる。
こういう現象が、つまり一日のうちでは、正午と二時、ということになって現れるし、一年の間では、夏至、つまり六月末と八月というふうになって現れることになるのであります。
ということが理屈ではわかっていても、まあ今日の暑さはどうだ。真夏の太陽が頭のてっぺんから、気の遠くなるほどガンガン照りつけて、ヘッ、あれが収入が次第に減りつつある姿かよ。われながら信じがたく思われる次第であった。
(『問いつめられたパパとママの本』より「夏ニナルトドウシテ暑イノ?」)
以上、夏になると暑くなる理由がお分かりいただけたことと思います。最近は最高気温が40度を越えるところもあり、大変暑さが厳しいですが、最後の伊丹さんのぼやきからも分かるように、エッセイが書かれた1960年代の夏も随分と厳しかったようですね。
記念館にいて、特に暑さが厳しいと思う瞬間は、(水やりや草引きなど外での作業中はもちろんですが)真昼間の一番暑い時間帯に蝉が鳴かなくなるときです。
蝉が鳴く気温はおよそ25度~33度の間とされておりますため、34度以上になるともう鳴かないらしいのですね。最高気温が34度を越える日は、午前中は元気な蝉たちも、一日で一番暑い12時過ぎから14時ごろ、長いと15時ごろまではピタリと鳴かなくなります。それまでにぎやかだったのに、急に蝉の声が聞こえなくなるので「ああ、今日も34度を越えたのか...」と暑さが厳しいことを悟る日々です。
8月後半に入ったばかりでまだまだ暑い日が続きます。皆さまも熱中症にはくれぐれもお気をつけて、何卒ご自愛ください。
学芸員:橘

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