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記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2026.10.05 二人の背景

かれこれ2年以上前になりますが、こんなことがありました。

ある休日、所用のため家路を急いでいたときのことです。
駅からの道を小走りに四つ辻を通過しようとすると、私の進路と交差する道に高齢の男性が倒れているのが視界に入りました。30~40メートルほど離れていたでしょうか。

倒れている、というよりは「転倒して起き上がろうとしているのに起き上がれない」という様子でした。そばにシルバーカー(座れるお買い物カート)があることから、歩行にご不自由がある方なのだろうと察せられました。

一緒にいる奥様らしき方はお元気そうだから、余計なお世話かも。
でも奥様一人で助け起こすのは無理だよね。
帰りたいけど寝覚めの悪い思いはしたくない、手伝いに行こう。
あれ、奥様は助ける気が全然なさそう。
ずっと腕組みして立ってるだけなの、なんでだろ。

駆け寄る間に不穏な空気をじわじわ感じ取りつつ「大丈夫ですか~」と声をかけると、二人が同時に口を開きました。

「大丈夫ですッッ!!」(奥様)
「大丈夫じゃないッッ!!」(おじいさん)

あのう、妙に険悪な雰囲気だなって気付いてましたけど......
二人ともにキレられる私の立場って......

私とは逆側から駆けつけたミドル女性と力を合わせておじいさんを助け起こし、シルバーカーに座らせる間も、奥様は不機嫌丸出しで腕組みをしたままでした。
「ホラ! あなたはまたそうやって人に迷惑をかける!」
「いつもそうなんだから!」
「やってもらって当たり前だと思ってるんでしょう!」
おじいさんは言い返さないのか言い返せないのか、ムスッと押し黙るばかり。

「色々間違ってる、と思うけど、何にも言えないな」と思いました。
おそらく、この出来事の背景には、50年にもわたる二人だけのあれこれが分厚く積み重なっていたのでしょう。そんな背景も老朽化して脆くなっていたのかフとした拍子にドカンと決壊、「ケガがなくてよかった」も「助けてくれてありがとう」も生まれようがない状況になっていた、そこへたまたま通りかかった私が何かを言ってもね、と。

帰宅を急ぐ気は消え失せて、ノロノロ歩きの残りの道々、「あの二人だからこそ至った今日なんだな」と考えていました。
「とんでもないドラマを垣間見てしまった」「よくできた映画に巻き込まれたかのようだ」という気分でした。

さて、翻って映画ではどうか――

ある夫婦を映画に登場させるとなりますと、いい俳優を男女ひとりずつキャスティングしたからといって成立するものではありません。
「ウン十年のあれこれ」がありそうに見える、いかにも夫婦に見える二人を組み合わせる必要があります。(もちろん、シナリオや演出、俳優の演技によるところも大ですが。)

有名な映画で言いますと、小津安二郎監督の『東京物語』の笠智衆さんと東山千栄子さんが一番の好例でしょうか。「実年齢では笠さんのほうが14歳も年下だったの!?」とビックリするところまでが一連の流れ、ということでも有名ですね。

伊丹映画にも夫婦の関係性や歴史を感じさせる二人組がたくさん登場して、映画の中の世界を豊かにしています。何組かご紹介してみましょう。


トップバッターは監督デビュー作『お葬式』(1984)冒頭の奥村公延さん&菅井きんさん。

20261005_1.jpg「120まで生きにゃいかんでよ、若い妾でも持ってなあ」
「ああ、ああ、どうぞ好きなようにやってちょうだい」

『マルサの女』(1987)、税務調査で申告漏れを指摘される柳谷寛さん&杉山とく子さん。小さな食料品店を営んでいます。

20261005_2.jpg演技とたたずまい、お店の様子から
必死に暮らしてきたことが伝わってきます。

同じく『マルサの女』。出演シーンは極短ですが、ベンガルさん&畠山明子さんもナイスカップル。

20261005_3.jpg投げ与えられた夜逃げ資金の札束をダメ夫より早く
拾い上げて離さない妻。泣きじゃくってるのに強い(笑)。

『静かな生活』(1995)の岡村喬生さん&宮本館長は、絵本の登場人物のようでいてメルヘンすぎない夫婦です。

20261005_4.jpg声楽家の岡村さんが演じるのは、主人公の兄・イーヨーの作曲の先生。
伊丹監督は『お葬式』の時から岡村さんを出演候補に挙げていたんだそうですよ。

贅沢なキャスティングは伊丹映画のお楽しみのひとつですが、さらに踏み込んで「組み合わせ」にも注目していただくと、味わいがより深まると思います。

あの道端のご夫婦、仲良くしているといいなぁ......という祈りをこめて、今回の記念館便りをお納めいたします。

学芸員 : 中野

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2026.09.28 料理人は片づけながら仕事をする

もう10年近く食洗器がある生活をして参りましたが、ここ1ヶ月ほど、家の食洗器の調子が悪く、食器や調理道具を手洗いしています。「食洗器が無い生活なんて考えられない!」と思っていらっしゃる方も多いかと思いますが、これが意外にも、無いならないでどうということもなく、何ならメリットすらあることもわかって参りました。

食洗器の場合は洗い物を一定数ためる必要がありますが、手洗いになってからというもの、料理中にも発生した洗い物を片っ端からどんどん洗っていき、水切り籠にも容量があるため、洗った食器は即拭いて、即しまうという「流れ」ができ、想定外に以前よりスムーズに台所仕事ができるようになっている気がしております。

さて、伊丹さんはカレーを作れば、カレーと同時に、『ピカピカに磨き上った台所』も完成していたそうです。このエピソードは伊丹さんの著書『女たちよ!』の「料理人は片づけながら仕事をする」というエッセイに書かれているものです。伊丹さんは料理をするときは、料理をしながら台所を「片っ端から常に片づけ」ていたそうです。何なら、料理をはじめたきっかけは周りに「本当の料理人は常に片づけながら仕事をする、ということを見せてやろう」と考えたからなのだそうです。

この度の食洗器の故障で、この伊丹さんのエッセイにより共感するようになりました。

みなさんも、このエッセイを読み終える頃には、台所を「片づけるために」料理をしたくなることと思いますので是非読んでみてください。


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『女たちよ!』新潮社 737円(税込)


「私が料理を始めた動機というのは、ごく愚劣なものなのです。まあお聞き下さい。
 二年ばかり前、私ども夫婦は半年ばかりロンドンで暮した。ハムステッドにフラットを借りて自炊して暮した。ここの家主というのがフランス料理の大家で、自分の作った料理をひとに食べさせるのがなによりも好きという独り者のうえに、うちの奥さんがそれに輪をかけた料理気違いです。
 それゆえ、私が居間でもってソファーにふんぞりかえって子母澤寛氏の「味覚極楽」なんぞを繙いていると(中略)このドメスティックな二人組は台所で盛んにラルースの「フランス料理大全」なんかをひっくりかえしたり、なにやら討議したり、一人が用ありげに台所から出てきたり、また別の一人がしばらく買い物に出かけたり、そうこうしているうちに、なにやら刻む音、なにやら煮立つ音とともに、予測のつかぬ香ばしい匂いなども漂いはじめ、台所の中の動きがただならぬ具合いにあわただしくなったと思うと、ファンファーレの音高く(もちろん、これは料理人の心の中で鳴り渡っているのだが)本日のスペシャル・メニュー! がしずしずと現われる、という仕掛けの毎日を私は送っていたのです。
(中略)
 このような結構な毎日ではあったが、私には気に食わぬことが一つあった。すなわち、彼らが料理した後の台所は散らかり放題に散らかって、足の踏み場もないのである。
 あらゆる鍋、皿、ボウル、スプーン、包丁、布巾、調味料、野菜の切れ端、使い残しの肉、卵の殻、そういうものどもが、死屍累々という塩梅で台所のあらゆる空間をおおいつくすのであって、どうもこれは気に食わない。仕方がないから、そうだ!身をもって範を垂れよう。本当の料理人は常に片づけながら仕事をする、ということを見せてやろう。
 こうして私は生まれて初めて包丁を持ったのであります。忘れもしない、私はまずカレー・ライスを作ったね。料理の本を読むと、いやあ、便利なものですな、これは。「まず玉葱を紙のように薄く切り、これを大量のバターを使ってとろ火で炒める。狐色に色づいた時玉葱を引きあげ、紙の上に並べて油を切る。二、三分もすると玉葱はパリパリになりますから、これをスプーンの底ですりつぶして粉にする。この玉葱の粉がカレー粉の色と香りの基調になるのでございます」なんぞということが書いてある。なるほどやってみると、その通りになっていく。鶏のぶつ切りを炒め、じゃがいも、人参を炒め、チリー・パウダー、塩を少少、カレー粉を次次に加え、同時に鶏のスープを仕込み、炒めたものにスープを加え、玉葱の粉を一緒に煮込んでいく。いやはや、面白いのなんの。トマトを布巾で絞る、これが酸味。マンゴ・チャトニの瓶詰のドロドロの部分で甘味をつけ、最後にライムを一絞りしぼって味を引きしめる、なんて、まあただで教わるのが勿体ないようなことがすっかり書いてあって、その通りやるとその通りのものができる。これは驚きましたねえ。
 傍ら私はどんどん物を片づけましたよ。それが目的なんだからね。要するに、片っ端から常に片づければそれでいいのさ。汚れ物というものは加速度的に増えるから、一旦溜り始めるともういけない。追いつけなくなってしまう。
 ま、そういうわけで、私の料理の第一日目には今まで食べた最良のチキン・カレーとピカピカに磨き上った台所が同時にできあがったわけで、目出度き事限りなし。そうして物事は初めが大事だ。初めに身についた習性というものは、なかなか抜けるもんではないのでして、今でも女房は台所が汚れてくると私の料理を所望するのです。
(『女たちよ!』より「料理人は片づけながら仕事をする」)



スタッフ川又

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2026.09.21 第18回伊丹十三賞 贈呈式を開催いたしました [2]

先週に引き続きまして、贈呈式の模様をお伝えします。

選考委員・酒井順子さんからの祝辞、選考委員・周防正行さんからの正賞(盾)の贈呈の次は宮本館長からの副賞(賞金)の贈呈が行われました。

そして今回の受賞者・岸本佐知子さんからの受賞者スピーチへ続きます。

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副賞(賞金)贈呈 宮本信子館長

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【※】

受賞者・岸本佐知子さんのスピーチ

 

本日はこのようなお天気の中、お越しくださいまして本当にありがとうございます。

私は本当に人より秀でた才能ってほとんどない者なんですけど、ひとつだけ、これは絶対人に負けないということがありまして、それは、ここぞという時に雨を降らせる才能です(場内笑)。

聞くところによると、関東は災害級の大雨ということで本当に申し訳なく思っているんですけれども(場内笑)、ただ、晴れがましさと雨量は正比例するので、これは天からの祝福ではないかと、そのように嬉しく思っております。

この度は伊丹十三賞という素晴らしい賞をいただくことができて、本当に嬉しく思っております。選考委員の皆様、そして館長の宮本信子様、そして関係者の皆様、お集りの皆様、本当にありがとうございます。

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【伊丹さんの面白さは、目から鱗が落ちるような斬新なもの】

 

伊丹十三さんというと、十代二十代の頃の私にとっては、ふとこう目をあげるといろんなところで面白いことをやってらっしゃる――そういう特別な方でいらっしゃいました。
映画、テレビ、文筆、デザイン、雑誌、やることなすこと全て面白くて、しかもその面白さというのが、いままで誰もやったことがないような、「こんな角度の面白さがあったんだな」と目から鱗が落ちるような斬新なものでした。

 

例えば映画は、面白いのはもちろん、ある特殊な業界の裏事情になんか詳しくなっちゃう、そんなわくわく感がありました。それからエッセイも、砕けているのにだれてない、気障っぽいけど嫌味じゃない、毒を吐いてもどこか上品。文章ってこんなふうに書けるんだと、本当に驚きがありました。

 

そして翻訳です。先ほど酒井さんに仰っていただきましたが、伊丹さんはウイリアム・サローヤンの『パパ・ユーア クレイジー』という本を訳されたんですけれども、それを始めて読んだときは本当にぶったまげました。普通にこなれた日本語訳にする時は、主語とか人称代名詞を適当に省いて滑らかにするものなんですけど、伊丹さんはそれを一切なさらなかった。「僕の母と僕の妹が帰ってきて、僕の母が僕に言った」――そんなふうに訳されるんです。でも、あとがきを読んでわかったんですけれども、これにはちゃんと理由があって、「西洋の人間は自我が確立された人々であるから、なるべく主語とか人称代名詞を省かないようにして訳した」というふうに仰っていたんですね。それも本当に衝撃で、まねをするのは危険なんですけれども、こんなやり方があるのかと目から鱗が落ちました。

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【伊丹さんは、若い私たちに未知の素敵な世界の存在を教えてくれるかっこいい大人の代名詞のような方】

伊丹さんは「mononcle(モノンクル)」という雑誌を作られたんですけれども、まさに、伊丹さんは私のおじさん、若い私たちに未知の素敵な世界の存在を教えてくれる、そんなかっこいい大人の代名詞のような方でした。

それだからこそ、受賞の知らせをいただいたときに、とっても嬉しかったんですけれども、何かの間違いじゃないだろうか、もしかして今こうやって立ってるのも全部夢なんじゃないかと疑っているようなところがあります。

私は極端に呑み込みの悪い性質でして、なんでもかみ砕いてかみ砕いて、やっと理解できるタイプの人間です。なので、子供の頃に腑に落ちなかったり、理解できなかったりしたこと、例えば、「視界の中に自分の鼻が入ってくるのがなんか気になる」とか、「ちょんまげってものすごく異常な髪型じゃないか」とか(場内笑)、そういうことをいまだに乗り越え切れてなくて、そういうのを子供のころから順番に順番に考えていって、いまやっと頭の中身が10歳ぐらいの感じなんですね。

けれども、このような素敵な大人の伊丹さんの名前を冠した賞をいただいたので、これからはもうちょっとスピードアップして、80歳ぐらいまでには成人したいなと思っております(場内笑)。80歳までに20本歯を残そうという「8020運動」というのがあるんですけれども、私は「80歳までに20歳になる」(場内笑)、これを私の8020運動として精進していこうと思っております。

【恩人おふたりに感謝を】

最後になりますけれども、この場を借りて、私の恩人おふたりに感謝を捧げたいと思います。

おひとりは、私の翻訳の師匠の中田耕治先生です。中田先生は私に翻訳のいろはをたたきこんでくれた、本当に恩人なんですけれども、それはそれはおっかない先生でして、先生の授業はまさに虎の穴のようでした。

ですが、生徒思いの先生でもあって、時々謎めいたアドバイスのようなものをくださるんですね。私もいろんなことを教えていただいたんですけれど、そのひとつが「翻訳だけやってちゃだめだぞ。書く仕事もやりなさい」というものだったんですね。

その時は何を言われているのかわからなくて。でも、今になって思うと、私は本当に文章を書くのが苦手で、今までに150回ぐらいやめたいと思ってきたんですけれども、ずっと昔に先生に言われたその一言が楔のようにひっかかって、ぎりぎり辞めずにこられたんです。そのおかげで今こうしてここに立っていられるわけでして。今頃先生は天国で「そらみたことか」とガッツポーズをきめてらっしゃるのではないかと思います。

0921-4.jpg【※】

もうひとりは、私のエッセイのスタイルを作ってくださった恩人なんですけれども、実は私はその人にお会いしたことがなくて、お顔も名前も、どこのどなたかも存じ上げません。

私がエッセイを書き始めた最初というのは、『翻訳の世界』という、翻訳専門の学習雑誌でした。とってもまじめな学習雑誌です。最初は、「翻訳ちょっといい話」みたいなことを書くつもりだったんですけど、依頼してくれた編集者が高校の仲良しだったせいで、ついつい甘えが出て、夜寝る寝床の中で一人しりとりが止まらないとか(場内笑)、ロールシャッハ・テストが全部骨盤に見えるとか、そんなことばっかり書いていました(場内笑)。

そうやって何回か連載してもまったく反響がなくて、だんだん心細くなって、やっぱり、「翻訳ちょっといい話」を書いたほうがいいのかな......みたいに思っていた矢先に、編集部に一本、苦情の電話が入ったそうなんです(場内笑)。その方は「おたくの雑誌に連載している岸本という奴のページ、あそこだけ全然ためにならないからなんとかしてくれ」というものです。それを聞いた時私はなぜか「わかった、もう一生ためになることなんて書いてやらない」と決意し(場内笑)、それからますます翻訳の「ほ」の字も出てこない、今みたいなものを書くようになってしまいました。

でもそのおかげでここに立つことができたので、名前も顔もわからない、今どうしてらっしゃるかもわからないその方に、心からの感謝をさせていただきたいと思います(場内笑)。

ありがとうございました(場内拍手)。

宮本信子館長のご挨拶

本日は、お忙しいところ贈呈式にいらしていただきまして、誠にありがとうございます。
岸本さん、おめでとうございます!

私、岸本さんの翻訳なさった『ダンシング・ガールズ』、拝読いたしました。これを読んだときに、一気に、本当にその世界に引き込まれました。引き込まれたと同時に、私は映像が浮かんできまして、なんと私が監督をして映画を撮っているような、そんな錯覚――とんでもない感覚になったのです。

こんなことはもう初めてでして。岸本さん、本当に不思議な感覚と錯覚で......私は監督までしてしまいました(場内笑)。本当に、ありがとうございました!(場内拍手)

では、乾杯をいたしたいと思います。岸本さんのますますのご活躍をお祈りして、そしてみなさまのご健康と身体健全、そして商売繁盛を重ねてお祈りしまして、乾杯をいたします!

カンパーイ!!(場内拍手)

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【※】左から、周防正行さん、宮本信子館長、岸本佐知子さん、
酒井順子さん、南伸坊さん



そして毎年恒例の全体写真は、金屏風の前で撮影しました。ご出席者が集まってパチリ!皆さま本当にいいお顔です!

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【※】

岸本さんが仰ったように当日東京は雨模様でしたが、会場内は晴れ晴れとした楽しい雰囲気に包まれ、笑顔の絶えない式典となりました。

改めまして岸本佐知子さん、選考委員の皆様、ご来場くださった皆様、関係者の皆様、本当にありがとうございました。

今後とも伊丹十三賞、そして伊丹十三記念館を、どうぞよろしくお願いいたします。

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【※】の写真は、撮影:池田晶紀さん(株式会社ゆかい)、
撮影協力:株式会社ほぼ日のみなさんです。

スタッフ:山岡

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2026.09.14 第18回伊丹十三賞 贈呈式を開催いたしました [1]

ニュースや記念館のInstagramでご覧くださった方もいらっしゃると思いますが、去る9月7日(月)に第18回伊丹十三賞の贈呈式を、東京・国際文化会館で開催いたしました。

 

贈呈式当日、関東は前の晩からの大雨の予報のため電車が止まったり、バスにも遅れが出たりと心配な状況でしたが、お足元の悪い中でもたくさんのお客様がご来場くださいました。

贈呈式につきましては、今週、来週と2回の記念館便りに分けてレポートいたします。

 

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第18回伊丹十三賞をご受賞くださった、翻訳家としてご活躍中の岸本佐知子さんのプロフィールや賞の概要はこちらをご覧ください。

 

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贈呈式は、進行役を務める玉置泰館長代行の挨拶に始まり、この度の受賞者・岸本さんと、授賞理由が紹介されました。

 

授賞理由は「現実世界をひょいと裏返してみせるような、翻訳とエッセイのオリジナルな仕事に対して」です。

 

続いて選考委員の3名と宮本信子館長の紹介があり、選考委員の酒井順子さんから祝辞が贈られました。

 

祝辞 選考委員・酒井順子さん

 

岸本佐知子さん、この度は伊丹十三賞ご受賞おめでとうございます。

本当に伊丹十三賞にぴったりなご受賞者ということで、すごく嬉しく思っております。

選考委員を代表して一言ご挨拶をさせていただきます。

 

s-_DSC5422.jpg【※】

 

翻訳書であれエッセイであれ、"岸本佐知子"という名前が本の表紙にあると「あ、これはもう間違いなし」っていうふうに思う感覚っていうのは、本好きの方だったら誰でも持っているものと思います。

 

つい最近もミランダ・ジュライの本が出ましたけれども、岸本さんは全てご自身で本を選んで翻訳されているというふうに伺ったことがあります。

その岸本さんの目にかなった作家たち、他にもルシア・ベルリンとかリディア・デイヴィスとか沢山の方がいらっしゃいますけれども、そういう多くの作家を岸本さんのおかげで私は知ることが出来ましたし、全く知らなかった作家でも岸本さんが良いと思われるのであれば絶対に面白いだろうと思いますし、読めば本当に面白いという海外文学の豊かさと奇妙さみたいなものを教えていただきました。

 

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エッセイも唯一無二の存在感で、エッセイってよく「これなら私にも書ける」って思われがちなんですけど、岸本さんのエッセイは「こういうエッセイを書きたい」って思う人はいると思うんですけれども、「書ける」って思う人はいないと思うんですよね。

 

(書籍を持って)こちらの『あれは何だったんだろう』は、雑誌「ちくま」に連載されたもので、さっき伺ったら20年以上連載が続いているそうです。

その中で4冊目になるんですけれども、雫がゆっくりと一滴ずつ垂れるかのように本が出てくる、そのタイミングを私たちはすごく楽しみにしております。

 

岸本さんのエッセイを読んでいると、日常のことを書かれているんですけれども、ある瞬間にふとドライブがかかって、何かエッセイの枠というものをぶち壊していくっていう。その様がなんか可笑しいを通り越して怖くなってきます。(場内笑)

翻訳と比べると、自分で考えて書くエッセイはすごく辛いし苦しいって、よくエッセイに書いていらっしゃいますけれども、あと子供のころから作文が苦手だったとも書いておられます。

もし本当にそうなのだとすると、苦手な気持ちの中から垂れてくる、にがりのような汁がですね(場内笑)、文章を固めていくっていうのかな、というふうに私は思っています。

 

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伊丹十三さんもまた翻訳を手掛けていらっしゃって、エッセイの名手としても知られています。

やはり、そこには何かを壊していく力があるように思うんですね。

はじめての著書である『ヨーロッパ退屈日記』、やっぱりそこにも、それまでの随筆にはなかった文体と内容というのがあって、随筆の枠というものをぶち壊していった。当時の若者の心を鷲掴みにした本でした。

そういう本が、日本において随筆をエッセイに変えたっていうふうに言われております。

翻訳でも非常に挑戦的な試みをされていますし、こういう"壊す力"みたいなものが岸本さんと共通しているのかなと思っております。

 

そんなことで、伊丹十三賞にふさわしい受賞者を選ぶことが出来て、心より嬉しく思っております。

これからも岸本さんに新しい世界を見せていただければ嬉しく思います。

本日は誠におめでとうございました。(場内拍手)

 

 

正賞(盾)贈呈 選考委員・周防正行さん

 

 

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本日は、祝辞と正賞である盾の贈呈までご紹介をさせていただきましたが、いかがでしたでしょうか。

岸本さんはもちろん、ご来場のお客様もとても和やかな雰囲気で酒井さんの祝辞を聞いておられ、声をあげて笑っていらっしゃる方もたくさんおられました。

エッセイストの酒井さんならではの、岸本さんの文章の魅力をふんだんに感じられる祝辞で、私も会場で写真を撮っている手を止めて聞き入ってしまいました。特に、岸本さんのエッセイについて「ある瞬間にふとドライブがかかって、何かエッセイの枠というものをぶち壊していく」とおっしゃられたところで、自分が勝手に抱いていた「エッセイだけどちょっとSFっぽいな、面白いな」という印象と重なるところがあり、印象的でした。

 

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来週の記念館便りでは、宮本館長の副賞の贈呈から、いよいよ受賞者・岸本佐知子さんのスピーチまでお届けさせていただきます。

来週もお楽しみに!

 

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【※】の写真は、撮影:池田晶紀さん(株式会社ゆかい)、

撮影協力:株式会社ほぼ日のみなさんです。

 

学芸員:橘

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2026.09.07 料理のお手本

9月になりました。


まだまだ30℃超えの日が続いている松山も、朝晩の気温は体感より低くなってきているようです。お盆を過ぎた頃だったでしょうか、お風呂場の鏡がどうも曇りがちだと気付きました。
入浴のたび「伊丹エッセイで言えば『満員電車からはみ出してる』ってやつだね」と鏡を拭っては、秋の訪れを感じています。

 たとえば、一台の電車が、真夏のある日30人で満員になったとします。その同じ電車が、真冬になると、厚着をした人々のためにたった10人で満員になってしまった――もちろんこんな極端なことが現実に起こるわけはありませんが、飽和状態におよぼす温度の影響は、ほぼこれに近いものと考えていただきたい。
 摂氏30度の空気1立方メートルを飽和するに必要な水蒸気の量は、約30グラムでありますが、同じ1立方メートルの空気が、摂氏10度の場合、わずか10グラムの水蒸気によって飽和状態に達してしまう。
 (中略)先ほどの満員電車の例で申しますなら、夏には乗れていたはずの乗客が、冬になると20人はみだすということになる。

「冬ニナルトドウシテイキガ白クナルノ?」
『問いつめられたパパとママの本』(中央公論社、1968年)より

20260907_1.jpgはみだした水蒸気は気体であることをやめるほかなく、
たとえば細かい水滴になる。これを「凝結」という。
と続きます。

季節のごあいさつが長くなってしまいました。
せっかくですから、この時季の松山名物をご紹介しましょうか。

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「松山長なす」といって、8月のはじめ頃から出回る、長~いナスです。
30cm近くありますが、短いほうです。
松山っ子の中には、夏秋のナスの長さを誇らしく思っている人もいるくらいです。
1970年代の稲作転換対策で栽培が盛んになったのだそうです。

「切らないと調理できないんだから、長いまま食べるわけじゃないんだから、こんなに長くなくてもいいのでは...」と思うんですけどね、季節のものだし、加熱するとトロリと甘くておいしいし、買わずにはいられません。

産直のような特別なお店でなくとも、今の季節はどのスーパーでも山積みになっていますので、ご遠方からご来館くださる方、ナスがお好きでしたらぜひお試しいただきたいです。
近年は、さらに長くてひとまわり太い「ふわとろ長なす」「甘とろ長なす」という品種もよく作られていますから、食べ比べなんていかがでしょう。

――と、いうふうに、愛媛産の旬の野菜や魚を意識的に取り入れて日々の食事をぼちぼちとこしらえていますが、実は、恥ずかしながら、全くといっていいほど自炊ができなくなった時期があって、けっこう長く続きました。

再開のきっかけになったのは、辻嘉一さんの『料理のお手本』(中公文庫、1979年)。

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懐石料理の"辻留さん"としてしばしば伊丹エッセイに登場する辻嘉一さんにはご著書が多数ありまして、何か一冊、と古本で購入したものです。

この本の中で、辻さんが繰り返しお書きになっていたのが

「日本のご家庭では料理を甘辛くしすぎる、とくに砂糖を使いすぎ」
「旬のもの、新鮮なもの即ち近くでとれたものを選びましょう」
「そういうものには天然の甘みが十分にある」
「余計な味付けをしない、外面の細工も不要」

といったようなことで、料理の根本を諄々と説かれるうちに「それなら私にもできる」「四季折々、地物の野菜もお魚も松山にはたくさんあるもんな」と思えたんですね。

「一流の懐石料理の料理人の本、難しいことが書いてあるんだろうなぁ。まあいいや、お料理できない間は勉強だ」と手に取った本で、コロッと実践復帰できたわけです。まさに料理のお手本。

伊丹十三のエッセイには、様々な書物や書き手の名前が登場します。
ちょっとでも気になったものを"読書の数珠繋ぎ"的にたどってみると、思いもかけない扉を発見できるかもしれません。

さ、今夜は松山の長いナスを焼くとしましょうか。
お醬油も何もかけないで焼きナスを食べるのがマイブームであります。

学芸員 : 中野

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