丹十三(本名・池内義弘)は、1933年(昭和8年)5月15日、映画監督伊丹万作(本名・池内義豊)、キミの長男として京都市に生まれました。2歳のときには「殿様の赤ちゃん」役として父の映画に出演、“映画デビュー”を果たします。幼い頃から絵を描くのが大好きで、大人も驚くほど達者な絵を残しています。中学校時代の観察日記を読めば、その文章力にも並々ならぬ才能を感じられます。
展示されている野菜の静物画をご覧ください。この絵は小学校1年生のときに描いたもの。ちょっと驚きですよね? 左隅の「池内岳彦」のサインにもご注目ください。親から日常的に呼ばれていたのは「義弘」の本名ではなく、「岳彦」の名前だったんです。
池内家では、男子の名前に「義」の一字を入れるのが代々の習わしでした。しかし父・ 万作はそれを受け継ぐつもりはなく、いったんは岳彦と命名しようとしたものの、祖父・義行の強い意向が働いて、戸籍上は「義弘」と名付けられることになったそうです。でもふだんは「タケヒコ」「タケチャン」と呼ばれ続けました。その通称は、幼年時代にとどまらず、親しい間柄では生涯にわたって使われていたそうです。
記念館の展示・建物