記念館の展示・建物 ― 常設展
展示(3)「商業デザイナー」
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「商業デザイナー」1954年、21歳の伊丹十三は、銀座にある商業デザインの事務所で働くようになります。天性のデザイン・センスを認められ、山口瞳が編集者を務めていた雑誌『知性』からの依頼も舞い込みます。「私に与えられる仕事は、主に、車内吊りポスターと、目次のデザインであった。ジェームズ・ディーンや石原慎太郎の年であった」(伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』より)。そして、この山口瞳との出会いが、数年後にエッセイストとしてデビューするきっかけをつくることにもなります。
 61年に刊行された『伊丹万作全集』の明朝体によるタイトル文字は伊丹十三が描いています。伊丹十三記念館の文字は、実はこのレタリングをもとにデザインしています。また、本好きの伊丹十三は単行本の装幀もこなし、敬愛する作家・子母澤寛や映画監督・山本嘉次郎の本では、装画も自分で描く、凝りに凝ったものを手がけました。『ヨーロッパ退屈日記』『女たちよ!』『再び女たちよ!』などの自分の本も、表紙の絵を描き、自らデザインしています。
 映画監督になってからも、デザイナーとしてのセンスやこだわりは、ポスターやパンフレット、映画のタイトル文字、登場する小道具にいたるまで、いかんなく発揮されました。

『伊丹万作全集』

 1961年、『伊丹万作全集』(筑摩書房)刊行。志賀直哉、伊藤大輔など錚々たる面々が監修した父の全集に、すでに俳優デビューしていた伊丹十三(当時は一三)は得意のレタリングで参加し、題字を担当。
 映画監督の山本嘉次郎は、自著『たべあるき地図東京横浜鎌倉』の題字について「伊丹十三さんの題字を得て、私は狂喜した。伊丹十三さんの明朝体は、日本一である。いや世界一である」と評しています。

『伊丹万作全集』

『アートシアター』

 外国映画を配給上映する日本アート・シアター・ギルド(ATG)が発行していた映画雑誌『アートシアター』のタイトル文字・表紙デザインを担当。第12号(1963年5月25日発行)では、伊丹十三が仲間と作った短編映画『ゴムデッポウ』が紹介されました。映画ファンにはおなじみのATGのロゴマークも伊丹十三によるものです。

『アートシアター』