丹十三には、テレビや雑誌の仕事で精力的に日本全国をめぐり、ときには海外へも出かけ、さらには歴史や心の中にまで分け入って、行く先々で発見した日本人の姿を自らの言葉で語り、綴り、伝えることに没頭した頃がありました。1970年代から1980年代にかけてのことです。
日本の歴史風土のもとで生きてきた人間が生身から発するある種の凄味は、伊丹十三を大いに刺激しました。そして、人々のいとなみに「日本人とは何者か」を見出す面白さに目覚めた伊丹十三は、駆り立てられるようにまた次の旅に出かけていったのです。
1984年、51歳にして映画『お葬式』で監督デビュー。
儀式、食、お金、愛、暴力、死――それらを前にしたとき、日本人はどのように振る舞い、どのようなドラマを生むのか? 遺作となった1997年の『マルタイの女』まで、十本の監督作品のどれもが日本人をテーマとすることになりました。
この企画展では、独自の日本人論を鍛えあげていった伊丹十三の「旅」をご紹介いたします。
鑑賞者を伊丹十三流の「硬派で愉快な」旅へといざなうような展示…ご旅行でご来館くださるお客様はもちろん、愛媛県内にお住まいのお客様にも、伊丹十三とともに旅するような気分でめぐっていただける展示を目指しております。
「日本人の今」を旅する
1970年秋に放送が始まった『遠くへ行きたい』。同時録音の面白さを追求するなどの自由で画期的な手法に注目していた伊丹十三は、ひそかに出演を願っていたそうです。はたして、1971年にオファーを受けて4月11日に初出演をとげると、企画段階から積極的に参加し、カメラの前に立てば行く先々で日本人のいとなみをいきいきとリポートして出演を重ねました。 |
『遠くへ行きたい』第114回「旅のイロハのイ」(1972年12月17日放送) |
その他、当コーナーでご覧いただける展示品
『遠くへ行きたい』直筆メモ・宮本常一『私の日本地図』 / 雑誌『JJ』「おしゃべりな旅人」切り抜きページ 他
「日本人の歴史」を旅する 史伝『天皇の世紀』。ドラマ版で岩倉具視を演じていた伊丹十三は、ドキュメンタリー版ではレポーターとして大奮闘。台本ナシの徹底的現場主義を一大方針としたこの番組の中で、斬新な方法で視聴者を歴史の世界にいざない、「日本人がいかに歴史から学ばないか、文化の"檻"を認識できないか」を論じました。 |
番組で、伊丹十三が常に携えていたという原作の本。 |
その他、当コーナーでご覧いただける展示品
『天皇の世紀』直筆ナレーション原稿・書籍『天皇の世紀』・色紙「どの花もそれぞれの願いがあって咲く」 / 『古代への旅』番組案内・直筆ナレーション原稿・古代人の食べものに関する直筆メモ 他
旅路より
1969年結婚、1972年長男誕生、1975年次男誕生。映画やテレビの仕事で遠く離れると、募る家族への思いを旅先からの手紙にしたためました。 |
おおきな文字とやさしい文章で激励のことばをかける。 |
その他、当コーナーでご覧いただける展示品
ナイロビから妻への手紙 / アメリカから長男へのはがき / はがきスライド 他
伊丹映画が世界を旅する
伊丹十三の映画の中にはいつも日本人の姿がありました。「文化の檻の中にいることに気付かない日本人の前に、鏡を差し出すような映画が作りたい」「僕の生涯のテーマは異文化体験」と作られた伊丹映画は、日米経済摩擦の当事者というだけではない日本人の物語を「西部劇風」「バディフィルム風」の容れ物に入れて示し、海外でも高く評価されました。 |
ハワイ映画祭(1990年)ポスター |
その他、当コーナーでご覧いただける展示品
カンヌ映画祭特集雑誌・写真 / シカゴ映画祭・写真 / アメリカ公開版『お葬式』ポスター・アメリカ公開版『タンポポ』ポスター・ハワイ映画祭(1990年)ポスター 他
併設小企画
伊丹十三の父、伊丹万作(本名・池内義豊)もまた、有名な映画監督にして脚本家、文筆家でありました。伊丹十三は形見の品を大切に保管し、父が終生愛した松山に記念館を設立しようと計画していました。その予定地だった場所に、現在当館が建っています。 |
芭蕉俳句の手描きかるた |
その他、当コーナーでご覧いただける展示品
『無法松の一生』『天下太平記』などの直筆シナリオ / 写真資料 / 日記 / 妻への手描き帯 / 年表 他
記念館の展示・建物