記念館の展示・建物 ― 企画展
企画展 「おじさんのススメ シェアの達人・伊丹十三から若い人たちへ

おじさんのススメ シェアの達人・伊丹十三から若い人たちへ

おじさんと話したあとは

なんだか世界が違ったふうに見えてくる

時めてのエッセイ『ヨーロッパ退屈日記』以来、面白くてためになる情報を鋭い観察眼で見出し、発信し続けた伊丹十三。国内外の文化に通じ、物識りで本格派の俳優として注目され、ドキュメンタリーや広告にも起用されました。

「私は役に立つことをいろいろと知っている。そうしてその役に立つことを普及もしている。がしかし、これらはすべて人から教わったことばかりだ」とは、初期エッセイにおける本人の弁。
当世風に言えば見聞のシェアということになりますが、素晴らしいと称えるだけでなく、根本を学んで伝え、不見識ゆえの誤りは厳しく批判し、身近な事柄ほど大切なテーマとして扱う姿勢と、分かりやすく楽しめるよう工夫を凝らした表現があったからこそ、彼の目利きぶりは今も支持されています。

二児の父となり精神分析に傾倒した伊丹十三は、話し言葉だけで心の問題について語るという斬新な方針のもと、雑誌『モノンクル』を創刊。〝ボクのおじさん〟を意味するタイトルには「大人になるまで苦しんだ者として、精神分析的な物の見方を若い人たちにぜひ学んでもらいたい。あらゆる人間関係がもう少し楽になるから」との思いが込められています。教えたがりでおすすめ上手な彼自身のような雑誌でした。
やがて五十代にして映画監督デビューすると、知的エンターテインメント作品を次々に発表して、多くの観客を頷かせました。

この展覧会では、伊丹十三が生涯を通して人々にすすめたものと、その手法をご紹介いたします。よりよく伝えることを追求した人物の軌跡をお楽しみいただけましたら幸いです。
そして、現代を生きる若い人たちにとってのおじさんがたくさん出現し、みんなのおじさんたらんとした伊丹十三の遺志が末永く継承されていくことを心より祈念しております。

没後20年。インターネットが日本の隅々まで普及し、私たちがいいものを求める手段、発信する手段は大きく様変わりしました。もし、今、伊丹十三が生きていたなら、どんな情報を、どんなやり方でみなさんとシェアしているでしょうか。

食 酒 お洒落

 26歳で俳優になり、ハリウッド映画にキャスティングされて海外生活を経験した伊丹十三は、帰国後まもなく『ヨーロッパ退屈日記』を発表、エッセイストとしても活躍するようになります。
 60年代の日本人にはまだなじみのなかった西洋文化を紹介しながらも、知識を並べ立てるだけでなく、翻って日本文化を考察する定見、異国での非日常に身を置いて日本人としての日常を見つめ直す生活感覚、読者に語りかけてくるような文体、ユーモラスな線画、緻密なデッサンが融合した、新鮮な見聞録でした。

食 酒 お洒落

主な展示品:エッセイ・挿絵原画、広告・雑誌記事、CM 制作資料など

 スパゲッティの正しい調理法を綴ってさえ「日本人が真似の天才であるというのなら、根本精神をあやまたずに盗め!」と厳格な文化論を語ることができる伊丹十三は本格派で個性的な生活者という独特の存在感で注目され、ドキュメンタリーや広告にも起用されました。
 60~70年代のエッセイ・イラスト・雑誌記事を中心に、伊丹十三が普及に努めた「食・酒・お洒落の真髄」をご覧いただきます。

スペシャル映像

画面の向こうから伊丹十三が古い松山弁で語りかけ、タルトを勧める演出で話題となった一六タルトのテレビCM。1979 年から愛媛県内限定で放映されたCM シリーズの傑作選に松山弁と“ 標準語訳” の字幕をつけ、多くの方にお楽しみいただけるように編集いたしました。

デザイン

 伊丹十三の多彩なキャリアを支えたのは、言語表現と両輪をなした視覚的表現の力。
 幼い頃からの画才を商業デザイナー時代にさらに磨いた伊丹十三は、俳優になってからも広告や書籍の装幀や題字レタリングを依頼されました。自著の装幀においても、その才はいかんなく発揮されています。広告ポスターや雑誌の目次・表紙の展示で愉快な造形力をご紹介します。

デザイン

主な展示品:ポスター、雑誌の表紙・目次など

「若い人」たちへ

 宮本信子と結婚し、二児の父になると、生活の変化につれて表現者としてのテーマも変化し、日本人の子育てや教育への提言が多くなっていった70年代。「男女とは、親子とは、大人とは、自分とは何か」という自身の心の問題に分け入った伊丹十三が出会ったのは、精神分析の理論でした。「親や社会に押しつけられたこしらえものの自我」に気付き、幼少期から感じていた世界との不調和が解けた伊丹十三は、大人になる困難に直面している人たちにこれを勧めようと精神分析をテーマとする雑誌『モノンクル』(フランス語で“ ボクのおじさん” の意)を創刊。

若い人たちへ

主な展示品:エッセイ原稿、雑誌記事、雑誌『モノンクル』をはじめとする精神分析関連の資料など

 若い人にも精神分析を分かりやすく学んでほしいという思いから、「おじさん」とおしゃべりするように読める雑誌を構想し、テレビやエッセイで培ってきた「話し言葉」で雑誌を丸ごと作るという、テーマも手法も画期的な雑誌が誕生しました。

自作の宣伝

 51歳で映画監督デビューしてからの伊丹十三がもっとも人々に勧めたかったものは、何といっても自身の監督作でしょう。独自の視点で見つけ出した日本社会の問題をテーマに、誰にでも楽しめるエンターテインメント作品を全力で作りあげたら「たくさんの人に観て欲しい!」と宣伝もガンバルのが伊丹十三。映画がヒットすれば次の作品の資金になり、またお客さんを楽しませることもできます。

自作の宣伝

主な展示品:直筆メモ、絵コンテ、ちらし・ポスター・パンフレットなど

 インパクトのあるタイトルを考え、特報映像に出演し、ポスターデザインにちらし裏面の作品解説も執筆、懇切丁寧なプレス資料を作成して多数の取材を受け、パンフレットの編集まで監督自ら凝りに凝る。観客を映画館に呼び込むため、それまでのキャリアで身に付けた表現力をおしみなく注ぎ込みました。