984年、51歳になった伊丹十三は、映画「お葬式」を発表します(同年のキネマ旬報第1位)。映画公開の後に行われたインタビューでは、これまで自分が様々に取り組んできたことはすべて、映画監督になるための準備、用意だったのだ、と答えています。これまでご覧になってきた十二の顔は、すべてこの十三番目の映画監督のための助走だったのだ、というのです。なるほど。
以後、日本人とは何か、日本人社会を支えている構造とはどういうものか、といった大きな重たいテーマを、周到で緻密な取材、練り上げられた脚本、つねに映画的であろうとする大胆な画面構成、考え抜かれたキャスティング、ゆるがせにしない細心の演出によって、誰にでも楽しめ、見終わったあと少し賢くなったような気分にもさせてくれる特別な物語につくりあげたのです。
日本映画ではかつてなかったタイプの知的エンターテイメント映画は、毎回驚くほどの動員を記録し、伊丹映画の公開は、その都度社会現象となっていきました。数々の名優を送りだし、流行語にもなった伊丹映画には、伊丹十三の人生のすべてが詰まっています
綺麗すぎる台本
10作品分の台本。台本の装丁も監督が考え、印刷も凝ったものが多かったため、スタッフからは「もったいなくて逆に使いにくい」という言葉も聞こえたほどでした。 |
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映画制作資料
シナリオ執筆、撮影はもちろんのこと、伊丹十三はすべての工程に深く携わって「映画らしい映画」を追求し、全十作品を世に送り出しました。絵コンテ、書き込みのある撮影台本、衣裳・小道具など、丁寧に保管されていた制作資料から、名シーンの素となったあれこれをご覧ください。 |
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記念館の展示・建物