946年9月、伊丹十三が中学校1年生のとき、父・万作が亡くなります。享年46歳。「父は私が三歳の頃結核に斃れ、以来、敗戦直後、死ぬまで病床にあった。父の最大の心残りは、息子の私であったろうと、今にして思う」(伊丹十三『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』より)
父の形見として残されたものに、蓄音機がありました。高校生になり父の故郷である松山へ転居する際にも、それは大切に持ち運ばれました。やがてピアノのある下宿で一人暮らしを始めた頃には、蓄音機でバッハやモーツァルトなどクラシック音楽のレコードをかけることや、古今東西の文学など本を読むことが何よりの愉しみになってゆきます。伊丹十三の下宿は音楽と文学に惹かれる友人たちの溜まり場になりました。友人たちの中には、のちにノーベル文学賞を受賞する大江健三郎の姿もありました。
高校を卒業し、上京してデザイナーとして働き始めた頃、ふと思い立ってヴァイオリンを習い始めます。ギターも弾きこなした伊丹十三にとって、楽器の演奏は欠かすことのできない人生の習慣でした。
「楽器とはその人の終生の友である。決して裏切ることのない友である」(伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』より)
クラシックから落語まで
湯河原の自宅にあったレコードコレクションの一部。クラシック、ジャズを中心に、ロックや落語のレコードも所有していました。 |
|
教本が最高の教師
カール・フレッシュの『ヴァイオリン奏法』。伊丹十三は著書の中で、この教本を通じて論理的な考え方を学んだと述べています。 |
|
記念館の展示・建物