伊丹十三賞 ― 第6回受賞記念トークショー採録

リリー・フランキー × 周防正行 トークショー
テーマ「いかにしてリリー・フランキーになったのか」(3)

2014年11月12日/松山市総合コミュニティセンター キャメリアホール
登壇者:リリー・フランキー氏(イラストレーター、作家、俳優など)
     周防正行氏(映画監督)
ご案内:宮本信子館長

周防 皆さんもちょっと考えて欲しいんですけど、一番最初の記憶――この世に生まれてきていろいろなことはあったと思うんですけど――「最初の記憶」って何ですか?
リリー ぼく、それ『東京タワー』※にも書いたんですけど、たぶん3つになってるか、なってないかくらいだと思うんですけど……。
酔っぱらった父親が足で玄関――昔の玄関って、ガラスが入ってるような、桟が入ってる木の戸――で、それをうちの父親が足で踏み割って入ってきて。そして寝ていたぼくに、良かれと思ったんでしょうけど、たぶん飲み屋でお土産にした焼き鳥があって、その焼き鳥が油紙みたいなのに入ってて、それをポケットから出して「食え」って言って食わされてた。っていうのがオレの一番古い記憶だと思います。
それを、ばあちゃんとおふくろが助けに来たっていう(場内笑)。

周防 (笑)そのときの、「味の記憶」っていうのはないんですか?
リリー なんかあるんですよ、その肉の冷たさとか。
周防 ああ……。
リリー ほっぺをタレがこう垂れていってる感じとか(場内笑)。
周防 へぇ……。
リリー 「ここは下手に動くと、さらに事が深刻になるぞ」みたいな、子どもながらにいろいろ考えてることとか……。
周防 すごいな、それ。いや、ぼくそんな記憶ないな。へぇ……。
リリー でも、それは本にも書いたんですけど、父親と暮らしていたのが3つまでなんで、上書きされてないから、そこが「一番新しい記憶」として残ってるんだと思います。
周防 もちろんそれは、「後付けの記憶」ではないわけですよね?写真が残ってるわけでもないし。
リリー はい。
周防 あ、でもお母さんからその話を聞いたってことはあるんですか?
リリー 聞いてないですね。自分の記憶として、これは確実に残ってるんですけど。
周防 「3歳の時に、玄関蹴破って入ってきた父親に、焼き鳥を口の中にねじ込められる」っていう……その家庭環境っていうか家族が想像を絶しますけど。
まず区切って小学校に上がるまでくらいの感じで、自分にとっての、その当時の「家族の記憶」っていうのはどうなんですか?

リリー 家族っていうか、母親と二人でいろんなところを転々としながら暮らしているので。いわゆる家族っていう感覚が、もう「母親がいるところが自分の家」っていう感じで。実家っていう感覚も、ほぼなかったんですよね。
周防 それはあれですか、お父さまと……
リリー 別居してて。最終的に、最後まで離婚せず、別居したまま母親は亡くなってるんですけども。
ぼくそのあと炭坑町に住んでたので、小学生の頃、5時くらいになると炭坑が終わって5時半とか6時に友だちの家に行くと、みんなご飯食べてるんですよ。で「食べていきなさい」って言われると、お父さんお母さん、オレの友だち、そいつの姉ちゃんとかがいて。食卓を囲みながら『ヤン坊マー坊天気予報』とかを見てると(場内笑)、「うわ!テレビで見た家族みたい、これ」みたいな。なんかすごい客観的っていうんですか、そういう家族の風景が……

周防 炭坑って筑豊ですよね?町の記憶としては……最初お生まれになったのは?
リリー 小倉っていう、北九州市の街です。でも最近はフィルムコミッションで、いつも北九州市とか小倉で映画撮ってるじゃないですか。
周防 はい。北九州のフィルムコミッションはすごく優秀です。
リリー ねぇ。
周防 わたしもお世話になりました。
リリー 「よく円滑に撮影が進んでるな」と思うんですけど(場内笑)。
周防 (笑)いや、すばらしいフィルムコミッションなんですよ。
リリー なんか、さすがにやっぱそういう町だから、撮影の許す度合いもかなり甘いらしくて、デパートの横で爆破とかやってますもんね(場内笑)。
周防 (笑)
リリー 最近、北九州市にいっぱい映画の人とかドラマの人とか行ってるから、なんか小倉のホステスがどんどん俳優ずれしてきて(場内笑)
周防 (笑)実際に、お子さんの頃の「小倉」と「筑豊」の記憶、町の記憶として、わりに客観的に比べられるっていうか、憶えているものですか?
リリー そうですね。
筑豊は炭坑が閉山になってなかったですから。閉山になる境目くらいですからね。夕方とかになるとサイレンが鳴って、「ただ今から発破を仕掛けます」ってダイナマイトをドーンってやって、町中がドカーンって揺れるんですよ。そして次の日、石炭掘っていく。で、町中トロッコが走ってて。そういうところですから。
小倉は、子どもながらに随分都会に見えましたね。デパートもあるし。

周防 ぼくなんかは、筑豊でそういう話を聞くと『青春の門』ていう……
リリー はい。
周防 五木寛之さんの小説がありますけど。
リリー そうですね、舞台としては同じなんですけど。
ぼく、五木寛之さんと対談させていただいたときに、「同じ筑豊のことを書いてても随分違う」って五木さんがおっしゃってて。「一番違うなと思ったのが、マスターベーションの描写が違う」って五木さんがおっしゃって(場内笑)。

周防 (笑)ええと、お母さんとお二人で過ごされていたと。だけど、それぞれ父方母方のおばあさんとの生活っていうのも『東京タワー』なんか見ると書いてあるんですけども。そのおばあさんとの接し方っていうのはどんな感じだったんですか?
リリー ばあちゃんは、そうですね。父方母方どっちにしても、ばあちゃんといっしょにいることが多いんですけど。母方のばあちゃん魚屋で、リアカーで魚引いて町中まわってる。
周防 筑豊の。
リリー 筑豊のおばあちゃん。で、小倉のばあちゃんはずっとひとりで住んでる。小倉のばあちゃんは6人子ども生んで、筑豊のばあちゃんは9人子ども生んで、「なんで、ばあちゃんは二人ともひとりで住んでんのかな?」って。ずっと子どもながらに思ってたことですけど、うん。
周防 『東京タワー』という小説は、ほとんど自伝的なものだと聞いてますが、そこに、まだ小学校上がるか上がらないかの頃に、かなり心に深く突き刺さるんじゃないかな?と思うようなことを聞かされていますよね、おばあちゃんから。
小倉のおばあちゃんですか?「生みの親より育ての親だな」っていうふうに……

リリー ああ、言ってましたね。
周防 おばあさんのところに遊びに行ってるときに、どういうシチュエーションで、そういう言葉を聞いてしまったんですか?
リリー ばあちゃんと親戚のおばちゃんみたいな人が話してて、なんかそんなようなことを言ってたんですよね。
周防 もうそれは、忘れたいことなんですか?それとも、ずっと残ってしまったこと?
リリー ずーっとなんか憶えてましたね。しばらくそのことが気になってたんだと思うんですけど、子どもながらに。もう途中から、どうでもよくなってきてるっていうのはあるんですけど。
周防 皆さんも、子どものころのことを思い出すと、「わたしは本当にこの家の子どもなんだろうか」って考えたことがある人って多いと思うんですよ。
逆に憧れのように、「わたしは本当はもっと違うところの家の子なのに、不幸にしてここにいるんだ」とかね。また逆もあるでしょうけど。

リリー オレ、思いましたね。ばあちゃん魚屋だったんで、今にしてみればすごく旨い魚食わしてもらってるんですよ、晩御飯に。でもやっぱ子どもだから、煮魚に興味さほどないじゃないですか?
周防 (笑)
リリー 「なんでオレは肉屋の子どもに生まれなかったんだろうな」って思いました(場内笑)。
周防 (笑)なるほど。 小学校入るまでの自分っていうのは、性格としてどんな子どもだったって思いますか?
リリー 小学校入る前と入ってからが随分変わったような気がしますね。
小学校に入るまでは、小倉の家を出て一番最初に学生食堂の寮みたいなとこ――母親が住み込んでるところ――に母親と一緒にいて。その後もそんなような生活だったので、子どもながらに「ちょっと心細い」っていうか。たぶん母親も心細い生活をしてたので。
幼稚園バスが迎えに来るんですけど、とにかく幼稚園に行きたくないんですよ。で、無理やり母親に幼稚園バスに乗せられて、幼稚園の前にバスが着いて降りた瞬間に、走って家まで帰ってたんですよ(場内笑)。

周防 (笑)

講演会の様子

リリー とにかくもう、学校や家には帰りたくないみたいな。そう「尾崎っぽい」感じだったんですけど(場内笑)。その話をナンシー関さんに話したら、「それはねぇ『15の夜』じゃなくて『5の夜』だね」って言ってたんですけど(場内笑)。もう5歳から、なんかあったんでしょうね。
でも引っ越して、結局筑豊の母親の実家で、おばあちゃんと一緒に同居するようになるんですけど。そしたらなんか、たぶんそっちの方が肌に合ったんでしょうね、都会よりも。

周防 それは小学生になって……
リリー 幼稚園の年長さんから引っ越したんですけど。なんか肌に合ったみたいで、すごく活発な子どもになりました。
周防 筑豊が合ったっていうのは、具体的に言うと何が合ったんだと思います?
リリー 「人」だったんじゃないんですかね。なにかこう、炭坑の人たちがすごくあったかい人たちだったっていうのもあったし。うん、そうですね。
だから本当に「活発な」というか。小学校の時の同級生は、今のぼくの仕事を見て、「ずーっと同じことやってるね」って言うんですよ。絵描いて、そして壁新聞みたいなのを作って、文章を書いて、みんなで劇とかをやったりとか、音楽会みたいなことをやったりとか。

周防 逆に言うとぼくらはリリーさんの子どもの頃を知らないから、子どもの頃から、今とほんとに似たような遊び方っていうことなんですね。
リリー そうですね、はい。
周防 「町の記憶」って、皆さんの中にもあると思うんですけど。
今、お話をここまで聞いただけでもね、夜中に玄関蹴破って焼き鳥食わせる父親がいて、その父親と別れて母親との生活が始まって。まず小倉での生活があって、そして筑豊へ行って……。かなりもうディープな感じがするんですが。
その時に――さっき、みんなで一緒にご飯食べてて『ヤン坊マー坊天気予報』を見て、「ああこれが家族だ」って思ったっていう――やっぱり「淋しい」とか、「自分に欠落してる何か」とか、そういう「淋しい思い」っていうのはあったんですか?

リリー う〜ん。でもそれは母親もばあちゃんもそうだった――周りの友だちの家とか、ぼくの年代でひとりっ子ってすごい少なくて――だから「あそこはひとりっ子で、出戻りで息子連れて来てるから、なんとかうちで飯食わせてから帰そう」とか「泊めよう」とか……
周防 ああ……
リリー なんか、周りの人がそう思わせないようにしてくれてたんでしょうね。だから、おふくろが夜働きに出ててもばあちゃんはいるし、家でひとりってことはあんまりなかったんです。
周防 ああ。かえって都会の鍵っ子とかと違って、わりに、人に接する時間が長かったんですね。
リリー そうですね。 そして、ばあちゃんが絶対時代劇を見たがるので、ぼく野球が見れないから、ノートに――子どもの頃はすごく締切に厳格だったんですよね――漫画の連載をしてたんですけど(場内笑)、「今日はここまで描かないとオレは寝ない」っていうのを決めて、毎日やってましたから。
周防 へぇ〜その漫画は誰かに読ませてたんですか?
リリー 読ませてました、母親に。 で、うちの母親と隣の床屋さんの奥さんが一番好きなオレの作品があって。近所の人の顔を――「プラ粘土」っていう5色粘土があるんですけど、それをすごく細かく、これくらい(親指と人差し指で輪を作って)細密で――その人そっくりに作るんです、粘土で。
周防 うんうん。
リリー 粘土でそっくりに作ってあられのカンカンに並べて、「床屋のおじちゃん」とか書いてる。そして、そのおじちゃんから想像したそのおじちゃんのチンチンを空想で作っていくんです(場内笑)。これが全部、対になってるんです。で、それをこうやって(手のひらにのせて)見せると、うちのオカンとか床屋のおばあちゃんが、「なんで、床屋のおじちゃんこんな形と思ったと?」みたいなこと聞かれるんですけど、説明するんですよ(場内笑)。
周防 (笑)
リリー その頃から、抽象と具象とを追及してたんでしょうね(場内笑)。
今日も、伊丹さんの作品見ても思いましたけど、子どもの頃の作品いっぱい残ってるじゃないですか。

周防 はい、はい。
リリー やっぱほら、「作る人」も天才だけど「残す人」も天才だと思うんですよ。
周防 うん、うん。
リリー 天才を作る家っていうのは、それを残すっていう。
その粘土の作品とか、もうオカン捨ててるんですよ、なんか(場内笑)。絶対「リリー・フランキー記念館」ができたら、あの粘土の作品メインなんですよ(場内笑)。あんなに時間かけて作ったのないですから、オレ。町の人18人くらい作ってましたからね(場内笑)。

周防 (笑)。話聞いてると、その頃から「リリー・フランキー」ですね、ほんとに。
リリー だから「ずっと同じことしてるね」って言われるんですけどね。
周防 そうなんですね。だから「いかにしてリリー・フランキーになったのか」って、「生まれた時からリリー・フランキーだった」みたい(場内笑)。
リリー 嫌な子どもですよ。
周防 (笑)で、そういう遊びをしてて、学校の成績なんていうのはどうだったんですか?
リリー 成績は悪くもなく良くもなく、みたいな。でも、全然その面影はないでしょうけど、運動のできる子どもでした。小1から高3まで、かけっこで2番になったこと1回もないです。
周防 わ!すごいですね。小学生の時は、運動っていっても遊びで走り回るとか?
リリー それとか、柔道習いながら野球をやって……
周防 あ、柔道もやってらっしゃったんですか?
リリー はい。
周防 あと、面白いなっていうか、小説を読んでて思ったのが、「生き物を飼う」っていう……
リリー やっぱどこかであれなんですかね。 でも、田舎はだいたい生き物飼ってるんですよね、なんか。
周防 あ、そうなんですか。
リリー はい。なんか拾ってきちゃあ家で飼うっていうか。
で、ぼくがしょっちゅう拾ってくるんですけど。犬が――いつも、ばあちゃんの家のガレージにいるんですけど――ばあちゃんの家が坂の上にあって、ぼくが坂を上がって帰ってくると、犬が気づいてバーって走ってきて、鎖でピーンってなるんですよ。鉄の鎖でピーンってなる。

周防 (笑)
リリー コロっていう犬だったんですけど。「コロがかわいそうだ」って言って、おふくろが電線が入ったパンストを何本かで編んで、伸縮性の、ストレッチ素材のコロの鎖みたいなのを作って。そしたらピーンってなっても、ちょっと伸びるじゃないですか。なんだけど、パンストの履く部分のところを上(コロの首のあたり)で留めてるから、なんかコサージュみたいにホワーってなってるんですよ(場内笑)。コロは、歩いてる人に「コサージュつけてる犬」って笑われてたんですよ、ずっと(場内笑)。
周防 (笑)
リリー 動物は常に飼ってますね。
周防 どんな種類を?
リリー 犬、うさぎ、鳥、昆虫でもなんでも、海のものでもなんでも。
周防 世話もちゃんとご自身で?
リリー ちゃんと見きれてないんですよね、いつも。
周防 それは、だいたい拾ってくるんですか?
リリー いつも拾ってきてますね。
周防 それについてお母さんは、「飼えない」とか「捨ててこい」とか、そういうことは言わなかった人ですか?
リリー うーん、そうですね。
ぼく、高校に入ってから越境入学して大分県の高校に行ってるんで、夏休みくらいしか家にいないのに、それなのに犬拾ってくるんですよ。で、友だちの前野君って人が「絶対に拾うな」って。「飼えないんだから。家にいないんだから」って言うんですけど、「じゃあ、おまえんちで飼って」って言って、前野君ちで飼ってもらったりしてたんです。それから17年間(笑)。

周防 (笑)そういう少年時代のことで、ぼく、小説の中でほんとにハラハラしながら読んだのが、「トロッコで遊んでひどい目に遭う」っていう。あれも、ずっと心にトラウマとして残りそうなエピソードなんですけど。
リリー そうですね。
石炭を採掘した後、木の箱状のトロッコが、町じゅうカラカラカラって通ってるんです。最後に、石炭を集める蟻地獄みたいな――でっかい、もうほんとにここのホールぐらいあるような――ところに、ガガガガガって。トロッコがどん突きに着くと、載せてる箱がガタンって傾くようになって、ザラザラって(こぼれる)。その蟻地獄の一番凹んでるところが、ガッガッガッって石炭を削ってるとこっていうんですか。
で、そのトロッコに乗って、「どれだけギリまで乗ってられるか」みたいな。かなりやばいゲームじゃないですか、それ。

講演会の様子

周防 それって何歳ぐらいの時ですか?
リリー 7歳ぐらいです。
周防 7歳!?
リリー はい(笑)。そういうのに乗って、逃げ遅れた岡別府君は蟻地獄の直前まで行きましたけどね。それを見つけた炭坑の人が止めてくれたからよかったですけど。
周防 それ、かなり冒険に対する恐怖心ていうか、そういうのが芽生えると思うんですけど。危険な遊びっていうのは、その後どうだったんですか?
リリー でも、岡別府がミンチにされる直前を見たので。みんな、グーでおじさんとかに殴られると怖さがわかってきて、もうやらなくなるっていうんですか?
周防 ああ……。危険な遊びはそれが最高ですか?
リリー どうなんですかね。
でも、なんかそういう度が超えたイタズラをしてたので、怒った大人に本気で殴られることがよくあるんですよ。町にも、炭坑が閉山して仕事が無い人たち――酒屋で「角打ち」って言って、酒屋の前でベロベロに酔っぱらってる人たち――がいっぱいいましたからね。

周防 そういう町で、比べるものもやっぱりないから、それが「当たり前の世界」っていうことなんですかね?
リリー そこで人格形成……。
都会にいるときに、それはやっぱりおばあちゃんでもそうでしたけど、自分の父親とかおばあちゃんでも、なんかどっかで「この大人、差別体質持ってるな」とかって感じることがあったんですけど。
炭坑町にいるときは、ほぼ炭坑の子どもなんですよ。炭坑の子どもじゃなければ商店の子どもで。「一番金持ってる」って、子どもたちの中で言われてる子どもの家が、学校の先生と国鉄の職員でしたから。そんなね、大差ないわけじゃないですか。

周防 ぼく、国鉄職員の息子なんです。
リリー それ、もう同級生だったら「ブルジョワジー」って呼んでますよ、たぶん(場内笑)。
周防 (笑)
リリー 松尾スズキさんも福岡の国鉄ですよね、お父さん。
周防 ああ、そうですか。 いろいろ名前が――さっきもナンシー関さんとか、松尾スズキさんとか――出てね。
それでここにリリー・フランキーさんがいて。「ふざけてるよな」っていう感じしますよね(場内笑)。

リリー ねぇ(笑)。
周防 (笑)
リリー 時々「リリー・フランキーです」っていうと、「なんとお呼びすればいいですか?」って。最初から「リリー」って呼ぶのは、なんかなれなれしいなと思って、「フランキーさん」って呼ぶ人いるんですけど、どっちとも「名前・名前」なんですよね(場内笑)。
周防 (笑)
リリー 松尾スズキは「名字・名字」ですけど(場内笑)。
ぼくと松尾さんと映画監督の青山真治さんとは、ほぼ地元が近いんですよね、北九州の中で。

周防 あ、青山真治さんも小倉?
リリー 門司っていうとこなんですけど。青山さんが1個下で、松尾さんが1個上なんですけども。意外とこの3人を見ると、「九州男児」って、みんなが思ってたイメージじゃないなっていう(場内笑)。
周防 (笑)なるほど。
リリー 東京の人とかが思う「九州男児」って、みんな東京に来るときは「浴衣着て下駄履いて、犬1匹連れてくる」と思ってる人多いんですけど(場内笑)、そんな人いないですよ、あんまり(笑)。意外とナイーブな感じ。
周防 でも、ぼくも福岡で生まれ育った友人がいるんですけど、「福岡愛」っていうのはすごいですね。「博多愛」っていうんですか?
リリー ああ〜。でもそうなっていくんでしょうね。
ぼくもどっちかっていうと――それはすべての若者が思う事なのかもしれないけど――どこかで地元への「近親憎悪」っていうんですか?「ここにいてはいけない」とかっていう、その気持ちから田舎を出て行くんだけど。
でも離れて――室生犀星の歌じゃないですけど――ちょっと離れたとこから故郷を思うと、やっぱり良さがわかってくるんですよね。
伊丹十三賞の先輩のタモリさん(第2回伊丹十三賞受賞)とか、井上陽水さんとか福岡の人ですけど。あの偏屈な二人が、飲んでると、とにかく地元の愛を話し出すときに、「これもう抗えねぇな。この人たちがこうなるんじゃあ」と思うんですけどね。

周防 ああ、なるほど……。
お母さんと二人のおばあちゃん、そして近所の大人たち。そういう中でいて、お父さんと会うようなことっていうのはなかったんですか?

リリー 小学生のときは、「夏休みだけ父親のところに行け」って言われてたんで、はい。
周防 「焼き鳥事件」以来、父親の思い出で自分の中に今でも残ってることっていうのは、どういうものがありますか?
リリー その類の思い出しかないんですよね。
「動物園に連れてってくれる」って言って、競馬場に連れていかれたこととか(場内笑)。あと、飲み屋に連れてかれて、ずーっとクラブとか連れ回されて。

周防 それ、いくつぐらい?
リリー 7〜8歳とかなんですかね(場内笑)。
周防 (笑)
リリー クラブでゲロ吐いて怒られた、とか。そら吐きますよね。子どもが夜の1時まで、ずっとクラブのお姉さんの横にいるわけですからね(場内笑)。そういうのばっかですね。
周防 「あ、自分の父親はかっこいいな」と思ったりとかは?
リリー でも「いやだな」と思ったこともないんですよ。
周防 ああ、そうなんですか。へぇ……。
リリー うちの父親も、昔は絵を描いたり字を書いたりしてたらしく、なんかそういうものが残ってて。
周防 もともとデザインていうか、絵を描くことだったり、何かものをデザインすることは好きだった?
リリー そうだったんだと思います、はい。やたらなんか石像の絵が家にありましたから。
周防 そういう遺伝的なものというか、DNAっていうんですか。それは感じる……?
リリー おじいちゃんもデザイナーだったらしいんですよね。じいちゃんは生まれた時から死んでるし、おやじとも一緒にいたことは、ほぼ3つまでしかないんですけど。そうですね、なんか遺伝するんですかね?
周防 不在のっていうか、普段はいない父親で、お母さんと二人で生活してる中で、他の友だちのお父さんだったり、他の働いてる大人を見て、「こういう人が父親だったらいいな」とか、そんなことは思ったことあります?
リリー う〜ん。でもなんか、「家族を知らないから、家族に憧れがおきるんじゃないか」みたいなことを、よくテレビで平べったい文化人の人が喋ってるときに、「現場はそうじゃねぇぞ」ってオレはいつも思うんですけど(場内笑)。
周防 ああ〜。
リリー もう、元から知らないから憧れも薄いんだと思うんですよ。元の愛情を知ってて、その生活の中にいた人が欠落を知るんであって、オレみたいに、端からおふくろと動物としか一緒に暮したことがないと、いわゆる「家族の風景」に、ことさら憧れを抱くっていうことは、オレは無かったんだと思うんですよね。
周防 ぼくは、小説読んでて好きなエピソードの一つで、前野君のお父さんにもらった腕時計っていう……
リリー はい、今でも持ってます。
周防 ね、それがすばらしいなと思うんで。 小説読んでない方もいらっしゃると思うんで、ちょっとお話をしていただけますか?
リリー その前野君って、今でも仲良い――今、自衛隊なんですけど。
周防 あ!まだ自衛隊にいらっしゃるんですね。
リリー 自衛隊なんですけど、自衛隊55歳で定年ですから、あと4年間です。
周防 小説には、あれですよね。自衛隊行って免許取って……
リリー そうです。 うちの地元の人って、「自衛隊は車の免許取りに行くもんだ」と思ってるんで(場内笑)。ま、定年まで今いますから(笑)。
ぼくが小学校から中学に上がるときに、前野君のお父さんは炭坑で働いてたんですけど、炭坑が閉山になってるから、もうお金ないはずなんですよ。いわゆる「炭住」っていう炭坑の人たちが住んでいるところに住んでいて。そのお父さんは、夕方になったら絶対家にいて晩酌して。で、また朝出かけて行く。
中学に上がるときに、その前野君――息子とまったく同じ時計を、二人にくれたんですよ。「これからもヒロユキと仲良くしてやってくれ」って。子どもながらに「かっこいい大人だな」と思ったんです。だって「自分の子どもと同じものをあげる」ってすごくないですか?

周防 すごいですよね。
リリー その時計は今でも大事に持ってるんですけどね。前野君は、「どこにいったかわかんない」って言ってましたけど(場内笑)。
周防 (笑)それは、友だちのお父さんだったから残ったんですよね。

※ リリー・フランキーさんのご著書『東京タワー ―オカンとぼくと、時々、オトン―』(2005年/扶桑社)。
2006年には本屋大賞を受賞し、220万部を超えるベストセラーになりました。

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