池上彰氏講演会 テーマ「伝えるということ」(7)
2013年10月1日 / 松山市総合コミニュティセンター キャメリアホール
講演者 : 池上彰氏(ジャーナリスト、東京工業大学教授)
ご案内 : 宮本信子館長
そして今、私は、東京工業大学で学生たちにいろんなことを教えています。東京工業大学の、リベラルアーツセンターというところに所属をしている教授です。最近、いろいろな大学で「リベラルアーツ」ということが言われるようになりました。「リベラルアーツ」とは何か。要するに、「教養」なんですね。教養を、きちんと学生に教えることが大切だと言われるようになりました。
かつて、大学の1・2年時には教養課程があり、3年で初めて専門課程に進んでいました。ところが、大学教育の自由化が進み、それぞれの大学が自由にカリキュラムを組めるようになったところ、「早く専門的なことを勉強したい」という学生のニーズに応じて、大学が教養課程をどんどんなくしてしまったんですね。「すぐに即戦力になるから良いだろう」と思われていました。
しかし、しばらくして企業の側から、「最近の卒業生は、どうも社会のことが良くわかっていない。常識を身につけていないんじゃないか」という声が出てくるようになりました。ちょうどその頃、オウム真理教の事件が起きたんです。東工大の卒業生も含めた、いわゆる理科系のエリートたちが、次々にオウム真理教に入っていました。どうして、エリートたちがあの宗教に惹かれてしまったのでしょうか。本当の意味でのきちんとした教養がなかったからなのではないかという反省があり、今になってもう一度、「教養をもっと身につけてもらおう」「リベラルアーツというものを身につけてもらおう」という動きに変わりつつあるんです。
では、「リベラルアーツ教育」とはどういうものなのでしょうか。昨年、他の先生たちとアメリカに視察に行きました。ハーバード大学の近くのウェルズリー女子大学(ヒラリー・クリントンやオルブライト元国務長官を輩出した名門女子大学)で、学生にどんなことを勉強しているのかを聞いてみました。経済学を勉強している学生に、「経営学も勉強するのかな?」と聞いたら、「経済学は学びますが、経営学は学ばないんです」と言うんです。「日本なら学ぶけれど、どうして?」と聞いたら、「世の中がどのように動いているかを知ることは、社会に出たらとても必要なことです。だから、経済学は教養として必要なんです。でも、経営学は役に立ち過ぎるんです。役に立ち過ぎるようなことは、大学では教えないんです」と答えました。たまげちゃいましてね!
「大学でこそ、本当に役に立つことを教えなきゃいけないだろう」と思っていたら、そうではないんです。「役に立ちすぎることは教えない」と言うんですよ。どうしても経営学をやりたかったら、経済学の基礎を学んた後に大学院へ行けばいい。ビジネススクールに行って勉強すればいい。つまり、「すぐ役に立つことは教えない」という考え方です。
工業系で全米トップの大学であるマサチューセッツ工科大学にも行きまして、教育の話を聞いたところ、やはり、「社会に出てすぐに役に立つ学問は教えない」と言うんですね。 どうしてかというと、特に先端的な科学技術、あるいは情報技術の分野では、それまでの知識は5年も経つと古くなってしまい、役に立たなくなるということなんです。だから、大学で最先端の知識を教えても、大学を出て5年経つと役に立たなくなってしまう。「どんどん科学が進んで行っても、常にそこについていける。あるいは、さらに新しい知識をきちんと身につけ、自らいろんなことを開発していく。そういう力をつけることこそが、大学に必要なことなんです。すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなるから教えないんです」ということでした。
「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」これは、かつて慶應義塾大学の塾長であった小泉信三の言葉でもあるんですね。「すぐ役に立つことは、すぐ役に立たなくなる」。だから、「すぐ役に立たないようなことを教えれば、生涯ずーっと役に立つ」。こういう考え方が、今の「リベラルアーツ」という考え方になってきています。
(客席に向かって)講演会にいらっしゃるということは、皆さん方も、向上心、向学心、勉強したいという情熱を持った方々ばかりですよね。「勉強したいんだ」という思いがおありでしょう? そういうときに、とりあえず目先の勉強をするのもこれはこれで大事なんですけれど、生涯にわたって自分の身につく、あるいは、糧になるような勉強をしていくことが一番大事なのではないかと思います。
そういう幅広い教養を付けると、「全体」が見えてきます。世の中の全体が見えてくれば、その全体の中で、今から説明しようとすることがどのような位置にあるのか、あるいは、歴史の流れの中でどこに位置するのかがわかるわけですよね。これまでさまざまなことがあった歴史をきちんと知っていれば、今起きていることがわかります。今起きていることは、さあ、どんなことなのか――
このところ景気が急によくなってきている、ということがあります。その一方で、「バブル」というものは30年に一度起きるという、歴史が示していることもあります。大きなバブルは、だいたい30年毎に起きるんです。どうして30年毎なのだと思いますか? 1980年代後半にバブルがあり、その後はじけましたね。土地の値段も株価も下がり、大変多くの人が痛い目に遭いました。バブルがはじけて痛い目に遭うと、みんな骨身に沁みていますから、しばらくバブルのようなことは起きません。ところが30年も経つと、バブルで痛い目に遭った人たちが経済の中心から退場し、そんなことなんか知らない人たちによって、経済の中心が占められるようになります。そうすると、「昔バブルというのがあったらしい」ということは知っていても、バブルがどんなものなのかは知らないまま、また同じようなバブルが起きる。だから、30年毎にバブルは繰り返すということなんです。
有名な言葉があります。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」。愚かな者は自分の経験からしか学ぶことができないが、賢者は自分が経験していないことであっても歴史を学ぶことによって人生を切り開いていくことができる、まさに、「歴史を知る」ということですよね。
このところ、アベノミクスで世の中は湧き立っています。今のところ、いい調子で景気がよくなっています。でも、あのバブルがはじけてから間もなく30年を迎えようとしています。今はいいでしょう。でも、浮かれすぎてバブルになってしまって、やがてバブルがはじけたらどうなるのかな…ということは、今の経済界の中心の若者たちは知らないんですね。でも、歴史を学べば、あるいは、バブルがはじけて痛い目に遭った世代の人たちがきちんと伝えていけば、日本がまた針路を間違えずに済むのではないかと思います。生きていく上で、常に勉強し続けること、これが実はとっても大事なことだと思うんですね。
私の父親は、88歳の米寿のお祝いの後、間もなくして亡くなりました。本が好きな男で、米寿を過ぎて急に体が弱って寝たきりになったある日、新聞を見て「岩波書店の広辞苑の第4版が出たらしい。これを買ってきてくれ」と言うんです。広辞苑というと、本当に分厚い国語辞典ですよね。「寝たきりになってもまだ読む意欲があるのか。たまには親孝行するか」と、広辞苑の第4版を買って渡しました。すると、寝たきりになっているにも関わらず、枕元で広辞苑を開いて読み始めるんですよ。たまげましたね。国語辞典というのは、わからない言葉が出てきた時に引くものだと思っていたら、国語辞典を読む人間がいるんだと。驚きました。
それと同時に、「こんな状態になっても、知識欲っていうのはあるんだな。常に新しい知識を吸収し、人は死ぬまで成長し続けることができるんだな」ということを、父親のその姿を見て学びました。
間もなくして、父親は亡くなりました。今、岩波書店から広辞苑の第6版が出ていますが、私にとっての宝物は、第4版です。「たとえ死の床にあっても、学び続ける」。こういうことが、実は大切なことなのではないかと思います。
こうやって皆さんの顔をみると、まだまだ残された時間がたくさんある方々ばかりです。あるいは、いくつになっても始めるのに遅いことはないんです。せっかくここへいらっしゃったわけですから、今後も常に、自ら学び続ける姿を見せましょう。それによって、お子さん、あるいはお孫さんもまた、学ぶようになるということです。おせんべいを食べながらテレビのバラエティ番組を見て、アハハって笑いながら、「勉強しろ!」と言っても、子どもが勉強するわけがありません。親が勉強している姿を見て、子どもも勉強するようになるということです。自ら学び続けることで、子どもの教育にプラスになると同時に、自分も成長することができます。これからも、いくらでも成長することができます。
幅広い知識があれば、その中で起きてくるさまざまな出来事を、きちんと歴史に位置付けて、わかりやすく説明することができます。人に物事を伝えるということは、そういう幅広い教養に裏付けられて自分の思いを伝えていくということです。
また、いろんなことを知ることによって、人間のさまざまな失敗も知ることができます。弱い者の立場、いろんな人のことがわかってきます。その結果、何か物事を相手に伝えようとすると、「相手がどんな人なのか」という、相手に対する思いやり、あるいは相手に対する想像力と言ってもいいかもしれませんね、そういうものが身についてきます。そうすると、わかりやすい伝え方ができてくると、私は思います。
8時35分に話を終えてくれということでしたが、ついついしゃべりすぎて1分オーバーしてしまいました。生放送だったら、プツンと放送が切れているところですね(場内笑)。
伊丹十三さんは、「常に新しいことに挑戦をし続けてきた人」なのだと思います。そして今日、宮本信子さんに伊丹十三記念館を案内していただきました。その言葉の端々から、「宮本さんは、今も本当に伊丹さんのことが好きなんだなぁ」と、受け止めることができました。ごちそうさまでございました。こういう夫婦関係、あるいは人間関係って、本当に素敵だなぁと思います。人は新しいことに挑戦し続ける限り、年を取ることはありません。是非皆さまも、伊丹十三のように常に新しいことに挑戦をし、宮本信子のように愛情を持って進んでいただければと思います。長い時間、ありがとうございました。
(拍手)
― 終演 ―