伊丹十三賞 ― 第5回受賞記念講演会 採録

池上彰氏講演会 テーマ「伝えるということ」(2)

2013年10月1日 / 松山市総合コミニュティセンター キャメリアホール
講演者 : 池上彰氏(ジャーナリスト、東京工業大学教授)
ご案内 : 宮本信子館長

 実は私、講演会をお受けしていないんですね。こうやって皆さんの前で喋るのが恥ずかしいということと、原稿にいつも追われているということもありまして、なかなか講演会はお受けしていないんです。ところがなんと、伊丹十三賞を受賞すると、もれなく講演会がついてくるということがわかりまして(場内笑)。でも、伊丹十三記念館に行くことができるし、憧れの宮本信子さんにもお会いできるということで、やって来たというわけです。

 さらに言いますと、こういう賞というのは、私は気恥ずかしくて、事前の打診の段階で断っていたんですね。伊丹十三賞についても、「受けていただけますか?」という話があった時に、「ちょちょちょ…ちょっと待ってください!」と、びっくり仰天して、いつも私の相談相手になってくれている出版社の編集者に、「実はこういう話があるんだけど、どうしようか」と話しました。すると、「あの伊丹十三さんの名前がついている賞を受賞しないなんてとんでもないです。必ず受けなさい」と怒られまして、お受けすることになりました。

 伊丹さんと言えば、本当に多才な方ですよね。テレビマン、映画監督、CM作家…さらにはエッセイストでもあり、デザイナーでもあります。絵の才能も素晴らしいですよね。本当に多才な、ありとあらゆる能力を持っていらっしゃる。そういう方の名前がついている賞を受賞するなんて、本当に恐れ多いことだなぁと思っています。でも、一旦こうやって受賞することになりますとね、私も活字の世界、あるいはテレビの世界にも出ていますので、「もっともっとちゃんと頑張れよ」という励ましをいただいたのかなと思って、お受けすることにしたというわけであります。

 授賞理由は、テレビ東京の選挙報道特番(『池上彰の総選挙ライブ』)です。残念ながら、こちらはテレビ東京系列がネットしていないので、その特番をご存じない方も多いかもしれません。伊丹十三賞を受賞しますと、副賞100万円がもらえるということで、すぐテレビ東京のスタッフに「どうしようか」と相談をいたしました。そうしたら、「それはWFPに寄附するものでしょう」と言われたんです。WFP(国連世界食糧計画)は、世界の難民の人たちに食糧を支援するという国際組織です。以前テレビの番組で、WFPの人にお世話になって、あちこちの難民キャンプを取材したことがありました。今回の選挙報道特番も、私一人が作ったわけではありません。テレビ局のスタッフと一緒に作って受賞したものですから、みんなの総意として、お世話になった人に少しでもお役に立てればと思い、WFPに100万円を全てお渡ししました。それも、伊丹十三賞の贈呈式の日にWFPの人に来ていただいて、そのまま右から左へお渡しをするという形をとりました。(沸き起こる場内の拍手に対して)え〜、いやいやいいんですよ! ここで拍手すると、自慢してるみたいになるので、やめて下さいね(笑)。

 実は先週も、ヨルダンのシリア難民キャンプに行ってきたばかりです。出発前に、「ヨルダンのシリア難民キャンプに行きます」と何人かの人にメールをしたんですね。するとすぐに、「シリアのような危険な場所に行くのは大変心配です」と返事がきました。ちゃんとヨルダンに行くと書いたのに、なぜかみんなシリアに行くと勘違いしているんですね。人に物事を伝えるということが、いかに難しいことなのかということを痛感いたしました。いつも人々に物事を伝える仕事をしていますが、本当に伝えるということは難しいんですね。

講演会の様子

 また、ヨルダンに行く前にテレビの特番の収録をしていた時のことです。特番を収録していた隣のスタジオで、「嵐」が収録をしていました。そこで、私と打合せをしていたある出版社の編集者に、「今『嵐』が来ているんですよね」と言ったら、「えぇ『台風』ですよねぇ」と言われて、一瞬「あれ?」と思いました(場内笑)。嵐といえば台風しか思い出さない方が大勢いるわけですよね。総選挙といえばAKBしか思い出さない人もいるわけです。「人に誤解が無いように物事を伝えるということは、難しいことなのかな」と思いながら、ヨルダンから日本に戻ってきました。

 ヨルダンの難民キャンプは、去年の11月にも行きました。皆さん「難民キャンプ」というと、どうしても「キャンプ」というイメージにひっぱられて、テントがずらりと並んでいる映像を思い浮かべるんですね。確かに去年の11月の段階では、大勢の難民がシリアから逃げてきていました。住む場所もないので、とりあえずヨルダン政府が砂漠の中にキャンプの場所を提供し、そこにUNHCR(国連難民高等弁務官事務所、かつて緒方貞子さんがトップだった国際組織)が、テントをズラーッと並べて、まさに「キャンプ」でした。ところが今回行きましたら、もうテントではとても生活できないというわけで、コンテナを利用した仮設住宅に姿を変えていました。仮設住宅が並び、テントは、ほとんど姿を消していました。「難民キャンプ」という名前だから、私たちはテントを思い浮かべるかもしれないけれども、そうではないんです。難民生活が長引いてきますと、テントが仮設住宅になります。

 ヨルダンには60年前から「パレスチナ難民キャンプ」もあります。60年にもなりますと、シリア難民キャンプのような仮設住宅ではなく、コンクリート製の建物が立ち並ぶ、まさに普通の町になります。これをいまだに「難民キャンプ」と呼んでいるものですから、みんながテントに生活しているというイメージが出てくるということですね。常に難民キャンプというのは大きく変わってきているんです。

 驚いたことがあります。去年の11月、難民の人たちは、とにかくテントに暮らすのがやっとという状態でした。その後、難民キャンプがものすごく広がり、ヨルダン国内で5番目に人口が多い町に変わってしまったんです。難民キャンプの中心には舗装された目抜き通りができ、通りの両側には難民の人たちが作った商店が立ち並んでいました。飲食店も600店でき、その通りは「シャンゼリゼ通り」と呼ばれるようになっていました(場内笑)。その通りと交差する道路に、またお店ができつつあり、ここは「五番街」と呼ばれるようになったということなんですね。

 「難民キャンプ」だったはずが、難民の人たちが自ら商売を始めている。それをUNHCRは黙認しているんですね。どうして黙認しているのかというと、「難民の人たちはとにかく援助を受けていればいい」という形ですと、いつまでたっても援助を待つだけで、どんどん依存心が高まっていってしまうからなんです。商売を始めるのを黙認し、「自分たちの生活費は自分たちで稼ぐ」ということにすると、そこから自立心が生まれてくるんですね。これ、とっても大事なことだと思います。

 さらに言いますと、それぞれの難民の人たちが住んでいる地区ごとに、地区のリーダーを選んで、住民自治というのを始めるようにしているんですね。「自分たちのことは自分たちで決める」という形で、難民キャンプをみんなで維持してもらおうということになっているんです。

 また、難民キャンプの維持運営というのは、人間性への洞察力が必要なんだなぁと思ったことがありました。去年の11月の段階では、みんなテント生活でした。所詮仮住まいですから、「どうせ自分はここからすぐいなくなるんだから」と誰もが思います。結果的に、テントの外にゴミをポイポイ捨てて、テントの周りがゴミの山でした。ところが、コンテナを渡して、「ここがあなたのマイホームですよ」と言った途端、人々は周りの掃除を始め、自分で花壇を作り、あるいは手製の噴水を作ったりするんですね。「ここが自分たちのマイホームなんだ。ここにある程度長い間住むんだ」となった途端、人々は向上心を持ち、少しでも住環境を良くしようという風に動くんです。

 「難民はかわいそうだから」と、ただ援助するという時代ではありません。難民も一人の人間としてきちんと自立してもらうためには、どのような援助が必要なのかを考えているということです。「世界が大きく変わりつつある。そういうことをきちんと伝えていきたい」と思いながら日本に戻ってきました。

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