伊丹十三賞 ― 第1回受賞記念講演会 採録

「糸井重里氏によるトークショー」(5)

2009年10月14日 / 松山市総合コミニュティセンター キャメリアホール
講演者 : 糸井重里氏(コピーライター / 『ほぼ日刊イトイ新聞』編集長)
聞き手 : 松家仁之氏(新潮社『考える人』、『芸術新潮』編集長)

【バブル崩壊】
糸井 その後にバブル崩壊が来たんです。
いろんな時代が変わっていくときに、自分では、ぼくの中に時代が含まれてると思ってたんですよ。
もともと自分はない人間ですから、「オレが考えてることは時代が考えてることじゃないか」ぐらいに思ってないと、やっぱり、そのー、何だろ、うーん、惑わされちゃうんですよね。いろんなネタにね。
でも、それが実は、時代じゃなくって、「いきものとして普通に考えること」っていうのがいちばんの答えだったんですけどね。後になって考えればね。
そうやってるうちに、疾走感はなくなるんですよ、まず。ぼく以外の人もそうだったんです。
つまり、みんながもう1回おんなじレースのスタートラインに立って、全然風も何も来ないところでその都度「ヨーイドン」ってやりましょう、っていう時代になっちゃったんですよ。
で、広告の役割とかなんかも、この辺は話せばちょっと長くなっちゃうんで、だいぶ端折りますけど、次々来る仕事がぼくを走らせてたんだとすると、来るはずだった仕事の3回に1回は来ない仕事になる、とか、あるいは、「この仕事やるのかな」と思ってたら、「君もやってもいいかもね」なんて仕事の仕方になったり。
それは、ひとつは、ぼくが年取ったっていうこともあるかもしれない。つまり、もっと若い人にイキのいいのがいるからっていう頼み方もあったかもしれない。
でも、その当時はそういうこと以上に、ひとりの人間が考えることよりも、組織の力のほうが強くなってたんですよ。

講演会の様子

【組織の時代になっていた】
糸井 もう、今さらドラッカー(ピーター・ドラッカー:社会生態学者)じゃないですけど、まっったく組織の時代になった…なってたんですよ。で、ぼくは、組織と組んでたんですね、途中から。知らず知らずに、代理店と組んでたんですよ。
代理店の組織とぼくで、総合的に、いろんなことを、昔ながらに、ある種のリーダーシップを持たなきゃならないっていう仕事はしてたんですけど、組織がなかったらやれない仕事になってたんですよ、とっくに。だから、勝ったり負けたりの中にもう巻き込まれてたんですよ。
昔は、勝ち負け関係なく、大きい小さい関係なく、仕事してればよかったんですけど、大きい仕事ばっかりになる。そうすると、勝ったり負けたりになる。で、背広着た人たちが、20人30人、その家族も含めたら100人の単位の人たちが、勝つか負けるかを待ってるっていう状態の中で、「さぁ、糸井さんどうしましょうね」ってなことばっかりになったんですよ。
そんなにぼくが何か分かってるはずがなくて、「どうしましょうかね」って言われたって、ニセ宗教のふりしてね、「右」とか「左」とか言ってるわけにいかないんで、いやぁ、結構、本気で苦労して考えたんですけど、それを考えたところで、今度は、それをジャッジする人が、西武流通グループの時代の堤さんじゃなくて、もっと、全然違うところでジャッジするようになりましたから。
「さてそれで売上はどのぐらい上がるのか」とか「こちらで反対してる専務に何て言えばいいんだ」とか、みたいなことの細かい要素がものすごく増えてくるんですよ。
そうすると、組織どころじゃなくて、ぼくひとりではどうにもなんないっていうことになって、でも、一所懸命考えるっていう癖はついてましたから、いいかげんなことはしないですんだんですが…勝ったり負けたりでも、充分メシは食っていけるんですけど、「これ、このままいくと、このまま年取ってったときには、なんか、ただの煙たいジジイになるな」と思ったんですよ。
それなりのチームの、いわばストライカーの役でぼくがいて、まだ虚名が多少残ってるわけですから、大事には扱われるんですけど、まぁあの、「大事に扱われてる」ってとこには根拠は何もないですから、裏側では粗末に扱われてるってことでもあるんです。
つまり、「もう糸井じゃないね」っていう声が、「オレは聞こえてないけど絶対あるはずだ」と思ったんです。そういう恐怖心を感じることができる年になったんですよね。
もう40いくつで、厄年とかを越えましたから。42、3歳のときそんなことを考えてて、「このまま波風立てないで、まだ“先生”みたいに言われてるのを利用してそのままいる、っていうのが、いちばん危ないことだぞ」って思って、で、少〜し、その目で生きるようになったら、まぁ、自分がもう腐ってたって思ったんですよね。

松家 あ、そこまで思ってたんですか。
糸井 思った。
たとえば電通なら電通に行って、いい電通のチームと仕事すると、20人で会議するでしょ? 「この問題どうするか」って。そうすると、その20人の会議で若いヤツも年寄りも含めて、その20人全員ちゃんとしたこと言えるんですよ。
その5年前には、そういう会議に出てても、ほとんどが寝ててもいい人ばっかりだったんですよ。で、会議そのものが、ぼくが何か言うのを待ってるだけだったんですよ。で、それはもう、なんか、勢いのある人に任せるってことですよね。
でも、どっかから、その、組織の時代っていうのを、ちゃんと動かせるようになって、どこのチームもじゃないのは分かってますけど、電通の優れたチームみたいのと組むと、大学出て4、5年ぐらいのヤツらが、ギョっとするようなことを言うんですよ。
で、それは、そいつが考えたことじゃなくて、インターネットで知ったことだって知ったんですよね。
たとえば、鉄道関係の仕事をしてるときに、昔から無条件に鉄道好きな人いるじゃないですか。で、「その人たちっていうのは、なんで無条件に鉄道が好きなのか、何か分かる方法ないかなぁ」ってぼくが言うじゃない。あるいは、「年に1回旅行した人たちが、鉄道で旅行したことを何か書いてる文章とか、図書館に行って探しまくったらどうなるんだろうね」ってなことを、夢物語として言うと、次の会議のときに、「こないだ糸井さんが言ってたのに足りるかどうかちょっと分かんないんですけど、こんなんどうですかね」って、こんな厚い資料をくれるわけですよ。それはまだ、パソコン通信の時代なんですけどね、インターネットというより。
で、「…それ、あなた作ったの?」ってギョっとしたんですよね。
「ぼくひとりで、ま、きみたち100人よりぼくひとりがいいアイディア出すよ」なんてことを言ってる時代は、もうほんとに終わるんだな、と思って。「向こうが拍手してくれたとしてもオレはやめた!」と思って。これはもう、嘘になると思った。
さまざまなデータを取るにしても、昔は代理店のほうにいいデータがあったんですよ。で、スポンサーっていうかクライアントっていうか、広告主が、「こうしたいんだけど」「ああしたいんだけど」って言ったときに、「こういうデータに照らし合わせて考えたらこうなります、ああなります」ってことを、代理店がそのデータを元に説得できたはずなんです。
でも、そのくらいの時期から、いいデータはスポンサーのほうに集まるようになってきたんですよ。お金のかけ方も、もう全然違うわけです。で、代理店は、スポンサーの言ってることを「なるほど!」っていう時代になっちゃった。
で、そうなってきてるんだなぁ、っていうときに、「もうオレは腐っていたなぁ」…
つまり、まぁ、そんなに大事にされてたわけじゃないけど、やっぱり、小さくチヤホヤされてますから。「遊ぼうぜ」って言ったら、パっと集まってくれる人は集まるし、もう徹夜でモノポリーとかばっかしやってましたからね。
あのー、『寝床』って落語がありますけど、旦那がね、下手な浄瑠璃をやるのに人を集めるっていう。「あれはオレじゃないか?」っていう気持ちが…「そうじゃない」って言ってくれる人がいるのは分かるんだけど、ぼくの中にはあって、で、「直さなきゃ」と。で、昔は、なんか、なんでもこう、1円にもなんない材料費でものが作れたよなぁ、っていうことを思って…

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