伊丹十三賞 ― 第1回受賞記念講演会 採録

「糸井重里氏によるトークショー」(6)

2009年10月14日 / 松山市総合コミニュティセンター キャメリアホール
講演者 : 糸井重里氏(コピーライター / 『ほぼ日刊イトイ新聞』編集長)
聞き手 : 松家仁之氏(新潮社『考える人』、『芸術新潮』編集長)

【木村くんと釣り】
糸井 その頃に、木村拓哉くんと知り合ったんです。
ただ、あの子はSMAPで19、20歳ぐらいのときでフルに動いてましたから、忙しさはとんでもなかったですけど、2時まで踊りの練習してからいったんうちに帰って、釣竿用意して、買ったばっかりのちっちゃいスポーツカーで芦ノ湖に行って釣りをする、みたいなことを言うわけですよ。
徹夜ですよね。あんだけ忙しい中でそれをしてる。ぼくはいずれ釣りをしたいと思ってたんで、「何それ!?」って思って、「もう、オレ、今する!」って言い出したの。
木村くんが言ってることっていうのが、街の普通のアクティブな男の子がやることは全部やりたいんですよね、彼は。芸能人としてじゃなくって、ほんとに、渋谷を歩いてるカッコいい男の子がやってることっていうのを、だいたいフルに回転してやってるわけです。
それ聞いてるだけで面白かったんで、意味もなく会ったりしては話をしてると、「糸井さん何やってんの? 忙しいの?」って。で、「オレこういうこと今やっててさ」って言うと、「へえ」とか言って、コマーシャルの企画とか考えてると、「こういうのどうかな」って、言うんですよ。
それが、アシスタント程度の子が言うレベルよりずっと上なんですよ。なんかやっぱりね、「つかんでる」ものがある。
「この子は面白いなぁ」と思って、「こいつのやることって全部見てみたい」ぐらいになって、誘われたら何でも行こうと思って。
これは年の人にしか分かんないですけど、『イージー・ライダー』っていう映画の中に、ピーター・フォンダっていう、ヒッピーみたいな人がバイクに乗って、その後ろに飲んだくれの弁護士が乗っかって、今までのスクエアな暮らしからヒッピーの後ろにオートバイに乗せられて、「ひゃっほう!」って言って騒ぐシーンがあるんですけど、あのジャック・ニコルソンの役にぼくはなっちゃったんですよ。で、ヒッピー以上に「何だこの面白さは」と。
ちょうど、バブル崩壊以後の時代が変わってるっていうところに、そういうことがあって。「あ、ますますオレはダメになってる」と思って。
で、木村くんがいようがいるまいが釣りをし始めたんですが、釣りって、1から10まで全部自分ひとりでやらなければできない遊びなんです。
友達連れてくってときには、友達の分まで全部セットして、寝ないで車で迎えに行って、一緒に行って、手助けしながら、夜までひとりで立ってやって、帰ってきて、で、ヘタだったら釣れなくて、誰も助けてくれなくて…っていうようなことを、釣りでやってるうちに、ひとりでもできることっていうのが、ものすごく取り返せるようになってきたんです。
オレにアシスタントがいたり、「代わりに電話しときましょうか」って人がいたりすることで、自分が失ってた手足だとか、汗の部分だとかが、釣りをしたら全部取り返せるような気がした。
それで1年半ぐらい釣りをして…あの、仕事してなくはないんですけど、なにせ釣りを優先させていまして、カミさんが途中から付き合ってくれるようになったんで、まぁ、ぎゃあぎゃあ言いながら釣りやってて、で、ぼくとしては戦略があって、「この釣りやってる期間っていうのは、オレは、学校に行きなおしてるつもり」だった、と。
ですから、外国語ひとつ覚えるっていうようなレベルじゃなくって、一般のビジネスマンが「MBA(経営学修士)に行きたいんですよね」ってのと同じで、「ひとりで倒れない体を作りたいんですよね」っていうのが、そのときのぼくの、ま、遊びながらですけど、隠れた目標で、それをやりながら横目で見ていたのが、インターネットです。

講演会の様子

【97年、49歳でMacを買う】
松家 そして、49歳で初めてMacを買ったわけですね…
糸井 ま、「時が来た」っていう感じで。
任天堂の社長になっちゃった岩田さんとは親しくなってましたから、「こういうようなことをやるっていう方法はあるのかなぁ」って言ったら、「みっつぐらい選択肢があると思うんですけど、糸井さんがおやりになるんだったら、何でも手伝いますよ」って言ってくれて、で、「よーし、そのうち」と思って、いつになるんだか分かんないから誕生日にしてしまえと思って、1997年の11月10日にパソコンを買いに行った、と。

松家 97年ですか…
糸井 うん、の、11月10日に、ほんとにパソコンを買いに行って、持って帰ってきた。ってとこから『ほぼ日』の…『ほぼ日』みたいなことをやるつもりで、ぼくはパソコンを買いに行ってますから。
その前にあれですね、松家さんとの関係みたいなことで言うと、ぼくはぼくで、広告では生かせないけども面白いことを考えてるんですよ、いつも。
…あ、これ、変な言い方ですね、つまり、人って何か面白いこと考えてるじゃないですか。「梨を剥く新しい方法を考えたぞ」とか、「実はあいつはヅラだぞ」とかさ。なんかいろんなこと絶えず考えてるじゃないですか。
で、1年にいっぺん、年賀状に、長い文章の年賀状を出してたんですよね。

松家 楽しみでした。
糸井 そうですか、ありがとうございます。
頼まれて書く原稿っていうのは、頼まれたことしか書けないから、たまには自分で考えたこと書きたくて年賀状出してたんですけど、「楽しみだ」って言ってくれる人がずいぶんいたんですよ。で、「あんなことオレしょっちゅう考えてんのにもったいないなぁ」と思って、「オレはこれから友達にだけしゃべるわ」って言ってたんですよね。
で、会社に遊びに来てくれた友達にああいうことばっかりしゃべってたら、「原稿書きたいんだけど」って頼むわけにいかないけど、こういうことならいくらでもあるんじゃないかと思って、そういうのを書く場所を自分で作るしかないな、と思ったのが、インターネットとの出会いの、いちばん嬉しかった部分なんですね。
ですから、書きたいこといつでも書けるんだっていう場所を作ろうっていうのが、漠然と思ってたコンピューター導入のスタートですね。

松家 『ほぼ日』がスタートしてしばらくの話っていうのは実はすごく面白くて、今日、ほんとはここでうかがいたい気持ちもあるんですけど、時間が限られているので、もし、みなさんがお読みになってないとしたら、ぜひ、おすすめしたい本があります。講談社文庫で『ほぼ日刊イトイ新聞の本』っていうタイトルの本があるんですね。
そこに、『ほぼ日』がスタートして、もう日々徹夜で、どれだけ大変な思いをしてあれをスタートしたかっていうことが、すごく具体的に、こと細かに書かれてます。ぜひ、それを読んでいただければと思うんですけど、ですから、その中間は端折って…
今、『ほぼ日』は1日に140万のアクセスがあるぐらいの、もうほんとにこういう世界では圧倒的な人気を誇るサイトになっています。「言いまつがい」みたいなコンテンツもあれば、ハラマキも売るし、なかでもいちばん人気があるのは「ほぼ日手帳」。これは去年何十万冊も売れたんですよね?

糸井 20万…あ、オレ数字のこと聞かれると急に分かんなくなっちゃうんですけど…
松家 (笑)とにかくすごかったですよね。
ぼくのまわりにも何人もいて、私も去年から使いはじめたんですけど。

糸井 ありがとうございます。

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