内田樹氏講演会 伊丹十三と「戦後精神」(7)
2011年11月29日 / 松山市総合コミニュティセンター キャメリアホール
講演者 : 内田樹氏(神戸女学院大学名誉教授 / 『内田樹の研究室』)
ご案内 : 宮本信子館長
僕は、今回、この講演のために何冊かのエッセイ、とくに『ヨーロッパ退屈日記』を付箋を貼りながら繰り返し読みました。その中の、国民倫理にかかわる箇所に全部付箋を貼ったら、とんでもない箇所になりました。昔読んでいたときには一体何を読んでいたんだろうと反省しました。
ですから、伊丹十三が受けてきたさまざまな誤解、あるいはレッテル貼り、過小評価とは送り手である彼の側の問題というよりはむしろ、彼が発信しようとしていたきわめてシンプルなメッセージを受け止めることをわれわれ自身が拒否していることの結果ではないかと思います。
もちろん、「日本人よ何とかしろ!」ということを道学者めいて上から目線で怒鳴り散らすような、偉そうな人たちはたくさんいます、でも、そういう説教をたれる人たちの生き方を僕たちがロールモデルにするということはありません。
僕が伊丹十三に感じる一番大きな魅力は、意外に思われるかも知れませんが、彼の「勇気」です。彼は孤立することを恐れていない。さらに言えば、理解されないということを恐れていない。
実際に、非常に多くの敵と伊丹十三は闘った。たとえば、暴力団との闘いにおいては、彼は実際に重傷を負いました。これを一映画監督が遭遇した不幸なエピソードというふうにおそらく日本のほとんどのメディアは総括したがっていると思います。でも、これは違いますよね、やはり。彼は絶対に踏み込んではいけないエリアに踏み込んだ。宗教とかヤクザとか闇社会とかとか。そういうところにまっすぐ踏み込む市民というのは、ふつうはいないわけですよね。怖いから。それだけのリスクを冒すような話じゃないと思っている。そういうところのコントロールは「プロ」に任せておけばいいと思っている。でも、伊丹さんという人は、そういうことに対して、恐れてはいけないと思っている。日本社会をまともなものにしようと思ったら、ふつうの市民が勇気を持たなきゃいけないと考える。
その勇気というのは、蛮勇ではありません。もちろん、権力があるとか、情報があるとか、あるいは有力な筋にコネクションがあるとかいうことではない。逆です。「孤立して、誰も支援がないというところでも、なすべき仕事は果たさなければならない」という覚悟のことです。僕はここに武士的なエートスに近いものを感じるんです。
あまりにご本人が洒脱で、そして、ある種の韜晦(とうかい)癖もあったということもあって、彼の気質の根本のところにある、禁欲的で、謙抑的で、朴訥な気構えはうまく伝えっていないのではないかという気がします。
だからこそ、今、文章を書いてる人も、映像を作ってる人も、芝居をやっている人も、伊丹十三を前にすると、自分自身にあれだけの勇気があるのか自己点検すると、つい恥じ入ってしまう。それを「威圧感」と言うのは違うと思うんです。でも、あの端正なたたずまいが、孤立を恐れずにすっくと立っている姿が、われわれの舌を凍えさせて、彼について語ることを妨げているんじゃないか、そういう気がします。
ですから、僕は、日本人が伊丹十三について、のびのびと、的確に語れるようになるということが、われわれの知的な、あるいは情緒的な成熟の賭け金であるという気がするんです。われわれが十分に知性的、感性的に成熟しない限り、伊丹十三が成し遂げようとしていたことはわからない。個別的な作品の良否について語ることはできるでしょうけれども、その全部を通じて日本人に向かって何を告げようとしていたのかっていうことはわからない。それをわれわれがきちんと受け止めて、われわれ自身のことばに置き換えていく作業は、しばらくは困難であろうという気がいたします。
僕は、大江健三郎の小説を介して彼の名前を知ったときから、実際に彼の書いたものを読んだ20代のときからずっと、伊丹十三に惹かれてきました。ほかのさまざまなクリエイターや作家については、「ここが好きです」、「こういう影響を受けました」ということがある程度言えるんですが、伊丹十三に関してはずっと言えなかったし、今もうまく言えません。
「憧れている」のは確かです。でも、どこにどう「憧れている」のかは、よく分からない。それは、英語ができて、国際的なスターとしてハリウッドに進出したからとか、スパゲッティの食べ方を教えてくれたから、スポーツカーの運転の仕方を教えてくれたからとか、そういうレベルのことではない。そのたたずまいそのものの中に非常に純粋なものがある。高貴なものがある。そういう気がします。
たぶん今の日本人が一番評価できないのは、人間の高貴さだと思います。「ノーブルである」という形容詞を僕たちはもうほとんど使いません。現代日本人が人を誉めるときに絶対に使わないような形容詞を持つ人物を、われわれはどうやって形容したらいいのか。
伊丹十三という人を見ると、僕は、「ノブレスの受難」というものを感じます。「デリカシーの受難」とか「善良なるものの受難」という言葉は僕らにもすぐに理解できます。それを主題にした物語もたくさんあります。われわれはそれには慣れています。でも、「高貴な魂を持った人の受難」というのは、われわれは見慣れていない。少なくとも、現実生活において、高貴な人物がその魂の高貴さゆえに受難するなどという話は、ほとんど見聞きすることがありません。だから、そういった事例から何かを学ぼうという意欲も僕たちはもう持っていない。でも、その、われわれが今失いつつある人間的なある種の範例を、この人は体現していたのではないかと思います。
今、この年になってきて、40年間にわたってその著作を愛し、映画を見てきた人について、改めて、この人のどこに惹かれたのかといえば、それは一言で言えば、「孤立することを恐れない」ということだったと思います。
でも、彼が孤立を恐れないでいられたのは、彼の勇気を支え、担保していたものは、実はごく一般的な価値であったからです。何も特殊なモラルや、例外的な人間的純良さを当てにしていたわけではない。「人間は自己を律する規範を持たねばならぬ」、「人間は自分の弱さを許してはならない」、そういう当たり前のことを当たり前に実践していた。
僕は「境界を守る人」という言い方をするんですが、われわれの世界が人間的世界として成立するためには、人間的世界とその外側にある「非人間的な領域」を切り分けている境界線を守る人がいる。そういう人がいなければならない。
「非人間的な領域」からは、人間を汚し、損ない、傷つけるものが侵入してきます。それは邪悪なもの、暴力的なものという場合もありますし、あるいは、村上春樹が描く「リトル・ピープル」のようなせこい悪意や、見苦しい弱さというかたちを取るときもある。さまざまな形象をまとって、非人間的なものはわれわれの世界に入り込んでくる。それを境界線の向こうに押し戻す。誰かがその仕事を引き受けなければならない。
弱さとか、憎しみとか、嫉妬とかは、人間的なものだというふうにみなさんは思ってるかもしれません。でも、僕はそれは違うと思う。これは、人間世界に侵入してきた「非人間的なもの」と人間的なものが出会って出来たアマルガムのようなものだと僕は思っています。そういう中間的な合成物を通じて、「非人間的なもの」は人間たちの世界に侵襲してうる。邪悪さや嫉妬や暴力や怠惰、あるいは自己憐憫、自己規律の弱さ、そういったものは、そこを通じて「非人間的なもの」が滲入してくる回路なんです。
だから、いろんな姿をした人たちが、いろいろな名前を名乗って、境界線で歩哨の役をしている。僕は「歩哨(センチネル)」と読んでいますけれど、門番と呼んでもいい。サリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』のように「キャッチャー」と呼んでもいい。
「ライ麦畑のキャッチャー」はライ麦畑で遊んでいる子供たちの誰かが間違えて崖から落ちないように、崖っぷちで待ちかまえていて、子供が走ってきたら、ぱっとキャッチして、元に戻してあげる。「そういうキャッチャーのような人間に私はなりたい」とホールデン・コーフィールド君は言うわけですが、そのキャッチャーもまた歩哨の一種だと思います。
人間的な社会は自然的に存在するものではありません。人間たちの不断の、真剣な努力があってはじめて、かろうじて成立している。「境界を守る人」たちは、そこに立って、人間社会を崩壊させかねない要素の侵入を食い止めています。でも、それは孤独な仕事なんです。そもそも誰かに依頼されて始めた仕事ではない。誰に命じられるわけでもなく、ひとりで思いついて、ひとりでやっている。その仕事のたいせつさは余人には理解されないし、だから尊敬されることもない。彼らが現に救っている人たちでさえ、自分が境界線の守り手たちのおかげで、安穏と生きていられることを知らない。
そういうかたちで人間的秩序を守ってる人間に対しては、われわれは、少なくとも、ときどきはその背中に向かって手を合わせるぐらいのことはしてもいいんじゃないでしょうか。
今の日本社会からは、「境界線を守る人」がしだいに減っています。もちろん、今でも必死になって崩壊しかけた戦線を守っている人はいます。その人たちの無言の、無償の働きがあるおかげで、われわれの社会はそれでもまだ秩序を保っているし、それなりに住むに堪える場所であり得ています。でも、このあとも、境界線を守る人を一定数、安定的に供給してゆかないと、この状況はもう長くは続かない。境界を守る人の数が減るにつれて、われわれの世界には、非人間的なものがどんどん日常生活の中にまで侵入してくる。
それらがあまりに日常的なかたちを取っているので、見た目は分かりにくいでしょうけども、たとえば、ネットに渦巻く呪いの言葉、政治を語る言説にあふれている攻撃性、他人に対する嫉妬や羨望。そういうものがごく日常的で、ごく人間的な感情でもあるかのような仮装をまとって、日常世界を侵犯している。
ですから、村上春樹が『1Q84』で書いていることと、伊丹十三が『ヨーロッパ退屈日記』で書いていることとは、実は、本質的には同じことじゃないかという気がするんです。人間が住んでいる人間的な世界を人間が守るためには、誰かが境界線に立って、侵入してくるものを押しとどめなければいけない。その仕事は「私がやります」と言って立ち上がる人間にしかできない。誰も求めないし、誰も命じない、誰も理解しないし、誰も感謝しない。それでもいいと思った人が引き受けるしかない。伊丹十三は、そういう仕事を引き受けた稀有な人のひとりではないかと思います。
だいぶ説教臭い話になりました。1000人の人を前にしてお話しする機会なんてなかなか与えられないので、言いたいことを言わせていただきました。わかりにくい話だったかも知れませんが、僕が今話したことは、「ほんとうにそう思っていること」をお話ししたのです。
ここにいる方々の中にも、「境界線を守る」ことを自らの仕事として引き受けて、黙々と働いていらっしゃる方がおられると思います。おそらく、評価されることも、社会的な支援を受けることもないでしょうけれども、どうぞ、その仕事をがんばってやり遂げてください。そして、この仕事には、伊丹十三という誇るべき先駆者がいるということを、記憶しておきましょう。
どうもご静聴ありがとうございました。
(拍手)
―終演―