内田樹氏講演会 伊丹十三と「戦後精神」(6)
2011年11月29日 / 松山市総合コミニュティセンター キャメリアホール
講演者 : 内田樹氏(神戸女学院大学名誉教授 / 『内田樹の研究室』)
ご案内 : 宮本信子館長
この世代を代表する知識人として、僕はさきほど吉本隆明、江藤淳の名を挙げました。ここに伊丹十三を加えて一つのグループに入れて論じた人は、これまでにたぶんいなかったと思います。でも、僕はこの三人はひとつのカテゴリーに入れることができると思う。彼らの共通点は「誰もやらないなら、オレがやる」です。それも、何をやるかというと、「日本をまともな国にする」という仕事です。
「この国を、そこに住む人間が誇るに足るような国にする」。それは決して経済成長して、国民ひとりあたり所得を増やすということではないし、もちろん軍事力を増強することでもありません。「人間の質を高めていく」ことです。言葉が抽象的にすぎますけども、「人間かくあるべし」「人間、こういうことをしてはいけない」ということについて、厳しく、徹底的に、執拗な、呵責ない批判を加えていく。そういう仕事をしたという点で、この三人には深いところで共通点があるように僕には思われます。
『ヨーロッパ退屈日記』の行間のそこここに、数頁に一度くらいの頻度で、日本のすばらしいところについて言及した文章がある。日本の食文化についての言及の場合もあるし、日本の着物のことについてのこともあるし、日本人の美意識についてのこともありますし、あるいは廉潔さですとか、潔さ、高貴さ、あるいは優しさ、長幼の序ですとか、そういった、かなり古めかしい倫理について言及している箇所が思いがけなく多い。ほとんどの方は多分、「アル・デンテ」とか「ジャギュア」とか、そちらの方の文章に引っ張られてお読みになったんじゃないかと思います。非常におしゃれなことが書いてある。でも、これはカタログ的なもの、旅自慢的なことが書いてあるわけじゃない。その行間に、「ヨーロッパの文化の中の、何を称えているのか」を読まなければならない。
『ヨーロッパ退屈日記』を通じて伊丹十三が高く評価しているのは、ひとつは、ヨーロッパ人の自国の文化に対する誇りです。自分の国の美しいものに対して全身で守ろうとする気概、これを繰り返し称えている。
それは第一には、「クラフトマンシップ(職人芸)」というかたちで示される。これがこの本ではいちばん多いですね。すばらしい鞄や靴やカメラや洋服を作る、腕のよいアルチザンたちの仕事の質に対して、伊丹十三は素直な敬意を示します。この職人たちの仕事の質を担保しているのは、社会全体の「質の高いものに対する敬意」ですね。社会そのもののうちに、質の高い手仕事に対する敬意が根づいている。そして、そのような技芸を守り抜こうという高い職業意識を持った人々がいる。そのようなクラフトマンシップと、それを守っている文化に対する伊丹十三の真率な敬意、それは行間にあらわれている。
高度消費文化の中で現れてきたカタログ的情報は、商品をもっぱら記号としてとらえました。自分の流行感度の高さとか、エッジの立ったセンスの良さを誇示するために人々は血眼になって商品を選択する。でも、『ヨーロッパ退屈日記』における「もの」の紹介は、そうではありません。伊丹十三が評価するのは、自分たちが国民的に共有している文化、父祖から伝えられてきた伝統的な技芸に対する忠誠心と敬意です。そういうものに触れると伊丹十三の筆は震えるわけです。そして、それが必ず返す刀のように「なぜ、日本人はこれができないんだ」といううめきに近い言葉で出てくる。
そこで、最初に僕が振ったテーマに戻ります。「なぜ伊丹十三についての包括的な、全体的な論というものが成り立たないのか?」
エッセイについてであったり、あるいはデッサンについてであったり、映画作品についてであったり、タイポグラフィについてであったり、個別的な彼の仕事に関しては、きちんとした批評の言葉が存在します。彼の仕事がきわめて質の高いものであり、それまでの常識を打ち破った大胆なものであるということは、繰り返し言及されています。でも、その全てに通底している、伊丹十三の根本的な趨向性というか志向性、「伊丹十三はどこに向かおうとしているのか」ということについて問うた人はあまりいない。でも、僕は彼がめざしていたのは、思いがけなく素朴なもののような気がするんです。「日本の伝統的なものの中の、質の高いものに対して繰り返し敬意を表する」ということ。それではないかと思います。
日本に限らず世界のどの社会についても、そこで「人々が守ろうとしているもの」、父祖から受け継いできた伝承や技芸に対する配慮と敬意。そういうものを政治や市場に委ねない決意。それは自分たちの共同体の「宝」なのだから、無言で引き継いでいかなければならない。そういう強い志を僕は伊丹十三の文章から感じます。
だから、彼が最も深く憎むものというのは、惰弱さ、自己規律のなさ、欲望や怠慢や無能にずるずると譲歩してしまう人間的弱さではないかと思います。とくに「貧乏くささ」。「貧乏くさい」というのは「貧乏」とは違います。「貧乏」というのは端的にひとつの状態ですが、「貧乏くさい」というのは、その状態をごまかそう、それを隠蔽しようとして、まるで貧乏ではないかのようにふるまうのだが、その「貧乏を隠そうとする作為」のひとつひとつがかえって貧しさを露呈してしまう。そういうありさまを言います。それこそが戦後日本人の最悪の部分だと伊丹十三は思っている。それについて書かれた箇所は無数にあるわけですが、とりあえず代表的なところを一つだけ選んでみます。
「わたくしは、過去に、随分貧乏してきたから、貧乏というものは嫌いである。貧乏そのものは何とも思わないが、貧困に由来するもの、つまり『貧ゆえの』という感じがやり切れない。
地下鉄なぞという愚劣なものには、一生乗りたくない。国電もいやだ。タクシーさえも大嫌いである。折り畳式の蝙蝠(こうもり)傘、和式便所の蓋、電話の呼び出し、熱海へ一泊旅行に出かけた隣の小母さんから、小田原かまぼこの御土産を貰うこと、プラスチックの麻雀牌、こういうもの一切がわたくしは大嫌いだ。(…)
靴を磨くための、天鵞絨のきれなんかポケットにしのばせている。折り畳みブラシなんか持っている。そうして会社の退け時なぞ、チャッチャッと馴れ切った手つきで、器用に靴を磨くのである。
犬というとスピッツを飼う。
弗(ドル)入れ、というのか。鞣し革を二つ折りにして、真中にクリップをつけたやつ、あれを持っている。(…)
車を持っていない筈だのに、あるいは、ダットサンに乗ってる筈だったのに、どういうわけか、ベンツのマークのネクタイ留めをしている。」(142-147頁)
こういったありようを総称して、伊丹十三は「ミドル・クラス」と呼ぶことを提案しています。
「ミドル・クラスとは、即ち中流家庭である。小金がありながら、趣味低俗である。本当の贅沢を知らないという点では、われわれ、その日暮らしの貧乏人に劣るのである。犠牲を払わずに贅沢をしようとするから、贅沢の処理が何とも中流でミミッチクなってしまう。」(145頁)
貧しいことは恥ずかしくない。恥ずかしいのは貧しいことを隠そうとすることである。言葉を換えれば、敗戦国民であることは恥ずかしいことではない。恥ずかしいのは敗戦国民であることを隠そうとすることである、ということになります。敗戦国であり、それゆえ国防についても外交についても安全保障についても主権国家としてのフリーハンドを持たない日本が、にもかかわらず英米仏露中と対等の独立国・主権国家であるような顔をするから、「何ともミミッチクなってしまう」。伊丹十三はそう言いたかったのではないでしょうか。
今、2011年のこの時点に、もし伊丹十三氏が生きていたら、日本の現況に対してどんなコメントをするだろう、と僕は時々考えます。今日も考えました。たとえば、先の大阪ダブル選挙の帰結について、「伊丹さんコメントしてください」って聞いてみた場合に、どんなことを彼は語るだろう…たぶん、吐き捨てるように「貧乏くさい選択だね」というコメントを下しただろうと思います。
人間が、自分自身の弱さや非力、無能を認めること、それは必要なことなんです。そこからしか始まらない。でも、そこに安住してしまって、そのポジションから、「私はこんなに苦しんでいる」とか「私はこんなに差別されている」とか「私はこんなに弱い」ということをアピールして、「誰か悪いやつがいるに違いない」、「何とかしてくれ」と泣訴するのは恥ずかしい。だが、「社会を何とか変えて欲しい」というコメントを有権者たちが平然と口にし、それをメディアが無批判に流す。ここはあなたたちの自分の国ではないのか。ひどい国だと思うなら、自分で何とかしようとするのが国民ではないのか。「私はこのひどい社会の、ひどいルールのせいで、ひどい目に遭っている。誰か、私に代って何とかして欲しい」というのは大人の市民の言いぐさではあるまい。たぶん、伊丹さんならそう言うと思います。「一体、男の誇りはどこにあるのか。男ならやせ我慢で押し通すべきではないか。忍の一字、これがダンディズムというものではないか。」(148頁)と言うのではないでしょうか。
今ご存命であれば、「日本人はここまで誇りをなくしたのか」と深いため息をつくだろうと僕は想像します。なぜ、伊丹十三の論が立てられないのかというと、それが大きな理由であるような気がします。
つまり、日本人全体が、日本列島の一億三千万人全体が劣化してるから。今の日本は、社会システムとしても、そこに住んでいる人間たちの質そのものも、ゆっくり地盤が沈下するように劣化している。そして、そのことについての痛覚がない。「何とかしなければいけない、もう少し日本人は自分たちの持っている中の、限りある資源の中の残されたものをもう一度磨き上げて、そこを足場にしてもう一回踏ん張んなきゃいけない」というような言葉を誰も口にしない。みんなぼんやり口を開けて、自分自身の非力さ、社会的な無能、あるいは幼児性、そういうことを看板に掲げている。自分はこんなに非力です、こんなに幼児的です、こんなに社会的に訓練されていません、仕事もできません。そういうことを前面に押し出して、「なんで私はこんなになってしまったのでしょう。誰か、何とかしてください。ひどいじゃないですか、こんな目に遭わせて。」そういう語り口をする人々が現におり、それを誰も「おかしい」と言わない。弱者の泣訴をそのまま「正義の訴え」としてメディアは報道する。黙って、やせ我慢で、苦難に耐えて、社会を支える仕事をしている人間をメディアは組織的に無視する。泣き声を上げる人間の言葉だけが報道される。
今の日本では、幼児的である人間に向かって「君は幼児的だ」って言うことは批判として成立しないんです。「子供でなんで悪い!」と言う言葉が通る社会になっている。
戦後ずっとそうなんです。60年代から伊丹十三はそういう流れに気づいていた。そして、それをなんとか食い止めようとした。伊丹さんが、エッセイやテレビ番組やCMや雑誌や映画つくりなどさまざまな活動を通じてしようとしていたのは「日本人全体を教化する」という企てではなかったかと思うのです。
エッセイのいくつかをお読みになれば気がつくと思うんですけど、伊丹十三の文章はまっすぐ読者に向かって「みなさん」と呼びかけていますね。主題はさまざまで、場合によっては、ずいぶん趣味的なことであることもあります。でも、自分の言いたいことを読者は必ずや理解できるはずであるという前提で書かれている。読者の知性に対する敬意が前提されている。日本人なら私の言いたいことがわかってくれるはずだという祈りのようなものが込められている。
『ヨーロッパ退屈日記』に貫流しているメッセージは、「日本人よ、誇れるものは誇り、恥ずべきことは恥じよ」という、ごくまっとうなものだと僕は思います。でも、今の日本には、この「まっとうな戦中派の大人」から告げられる言葉を受け止める素地が存在しない。だから、伊丹十三についての論が立てられない。
僕たちの社会全体が、知性的にも感性的にも倫理的にもゆっくり劣化している。だから、彼の文章を読んでいても、この社会的趨勢そのものに対する批判を読み込むことがあまりに苦痛なので、それは読まない。その代わりに、伊丹十三の趣味のよさであるとか、批評の切れ味といったところを、あたかも完成度の高い美術品のように玩味しようとする。でも、行間から染み出してくるメッセージはそのような審美的なレベルのものではないと僕は思います。もっとずっと実存的に、われわれが襟を正し、膝を揃えて座ることを求めているように僕には思われます。