伊丹十三賞 ― 第1回受賞記念講演会 採録

「糸井重里氏によるトークショー」(1)

2009年10月14日 / 松山市総合コミニュティセンター キャメリアホール
講演者 : 糸井重里氏(コピーライター / 『ほぼ日刊イトイ新聞』編集長)
聞き手 : 松家仁之氏(新潮社『考える人』、『芸術新潮』編集長)

【はじめに】
松家 みなさんこんばんは。
(場内「こんばんは」)
糸井 こんばんは。
(場内「こんばんは」)
松家 実はですね、ちょっと前からこの控えのところにいたんですけれども、糸井さんと「すごい静かだね」って…ちょっとびっくりしてたんです。
(場内笑い)
松家 そしたら玉置(伊丹十三記念館館長代行)さんが、「松山の人はそういうところがあります」っておっしゃるんですが、そうなんでしょうか?
(場内静まる)
糸井 …ぃえーーー!!!
(場内笑い)
松家 今日は、実は、最初にみなさんにおうかがいしたいことがあって、正直に答えていただきたいんですけど、質問はふたつあります。
ひとつ目は、「伊丹十三記念館にいらしたことがある方」ちょっと手をあげてください…わ、すごいですね。はい、ありがとうございます。
次の質問、「『ほぼ日刊イトイ新聞』(以下『ほぼ日』)をネット上でご覧になったことがある方」…あ、すごいですね! ほぼ同数の感じですね。7割から8割ぐらいの方がご覧になってるんですね。
いや、それが分かってないと、どの程度糸井さんの『ほぼ日』の話をしたらいいとか、伊丹十三記念館の話をどの程度したらいいのかっていうのが分からなかったので、最初にうかがいました。(お客様に)ありがとうございます。

講演会の様子

【伊丹十三記念館を訪問して】
松家 糸井さんが伊丹十三記念館を訪ねる特集が『ほぼ日』で始まったんですけど、実際にいらっしゃってどんな感じを受けましたか? 
糸井 うぉ、最初からこんな質問がくるとは思わなかった(笑)。
あのー…ぼくは……ちょっと、ある時代から、何かともうひとつお金のことを考えるようになったんですよ。
夢を語ったり、楽しさを語るってことはたえずしていたいし、そういう人たちといつもいたりしたいんですね。だから、伊丹十三記念館についても、あるいは、伊丹さんの仕事関係についても、みんなが語ることは全部、ぼくも楽しいんですけど、たとえば伊丹十三記念館に立ったときに、うれしい感じがまずあって、「ああ、ひとりの人が生きてきて何かを表現してきたっていうことが、こんなふうに、ある意味讃えられてる」っていう気がしましたね。
ですから、そこを、まずは「ああ、うれしいことだなぁ」というかたちで見ていて、それから、そこで見ていること自体も、この受賞みたいなことがなかったらなかったわけですから、縁の続き方みたいなものを感じて、っていうところはあるんですけど、その喜びを感じると同時に、あの…
「建っちゃうんだー!」って。

松家 「建っちゃうんだ」(笑)…はい。
糸井 うん、個人のお話じゃないですか。で、チャチャっとすませちゃったものじゃないわけですよ。あれだけのことをやった人に対して十分な敬意を払って、そして、毎日そこの面倒を見てる人がいて、そもそも建つまではあの場所には何もなかったはずですから、それが、「高かったろうなぁ」と思うんですよ。
松家 (笑)
糸井 いや、笑われるかもしれませんが、つまり、あの…「誰が大学にやってると思うんだ!」みたいなドラマのセリフあったじゃないですか、昔。「誰がメシ食わしてると思うんだ!」っていう親父のセリフ? あれが自分が親父になってから、ずいぶん感じるようになって、「いやぁ、高かったろうなぁ」と。
「みんなが協力しあわなかったら、これはできなかったろうなぁ」と。
おおよそのお話は後でおうかがいしましたけど、そこの、そのコストについて、それがなかったらできっこないわけで。
それが今の自分っていうのをよくあらわしているなと思いますけどね。

松家 それは糸井さんの関心のどういう部分に触れてきたんでしょう?
糸井 いや、「実行するということ」のすごみですよね。そりゃもう、学生が同人雑誌作るときであろうが、イベントをやるときであろうが、お金の話を抜きにやれたら、こんな楽なことないんですよ。あるいは、誰かに出してもらおうっていうことを相談してる人たちもいっぱいいるんですよ。学生新聞をやってる学生さんが広告を取りに行きましただとか。ぼく自身も広告屋でしたけど。
でも、誰かが出さなきゃ、(お金は)ないわけで。輪転機も回りだしてないっていうところがあって、そこのリアリズムみたいなものに思いを馳せるっていうこと自体、若いときには「そんなこと考えてたらいいものができない」って思ってたんだけど、でも、実現させる力っていうのも表現のうちのひとつなんだっていうことが、やっぱり、年々、分かるようになってきて。
だから、あの伊丹十三記念館を観たときに、ひとつは、そこにいらっしゃらなかった宮本(信子)さんが見えましたし、伊丹さんの相手にしていたお客さんの、無数の「投げ銭」といいますか、そんなものも見えましたし、同時に、あの…言いづらいんですけど、やっぱり、建築の中村好文さんの、いらっしゃらないけど、顔が見えるみたいな状態に、まず建物がパーン!と見えますよね…

松家 今日は中村さんもいらっしゃってるみたいですね…
糸井 そうなんですよ、言いづらいんですよね。どこにいるか分かんないことにして、そのままやりましょう(笑)。
松家 糸井さんがいまおっしゃったことのポイントっていうのは、あとでまたじっくりお話をうかがいますが、やっぱり『ほぼ日』を始めて以降の経営者としての立場からも、伊丹記念館は「高かったろうなあ」という感想が出てきたんじゃないかと…
糸井 (笑)
松家 私がはじめて糸井さんにお目にかかったのが、80年代前半なんですね。その頃は乃木坂に、すごく洒落た、こぢんまりしたいい事務所があって、当時はスタッフをふたりぐらい使ってらっしゃいましたか?
糸井 そうですね。
松家 2、3人…
糸井 いちばん多くいても3、4人ですよね。
松家 ですよね。ところがこの前『ほぼ日』の事務所にちょっとお邪魔したら、40何人もスタッフがいらっしゃるんでびっくりしたんです。40何人、ですよね?
糸井 うん、もうちょっとで50人になりそう、っていうところ。
松家 もう、ほんとにびっくりして。やっぱり、経営者としていろんなことがちゃんとできていないと、こういう規模のものっていうのは続かないだろうなって思ったんです。そのあたりの話も、後でちょっとおうかがいできればと思っています。
糸井 はい。

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