「糸井重里氏によるトークショー」(7)
2009年10月14日 / 松山市総合コミニュティセンター キャメリアホール
講演者 : 糸井重里氏(コピーライター / 『ほぼ日刊イトイ新聞』編集長)
聞き手 : 松家仁之氏(新潮社『考える人』、『芸術新潮』編集長)
【「考える」ことがコンテンツ】
松家 『ほぼ日』ではすごくいろんなことをなさっている。それぞれみんな、「糸井さんがなさることだなぁ」っていうのは、全部、分かるんですけど、糸井さんの中では、ああいういろんなコンテンツというものを、どういうふうに考えて、生み出してらっしゃるのか、あるいは、スタッフとの間で、どういうやりとりがあってああいうものが実現していくのかっていうのを、ちょっとうかがいたいな、って思うんですけど…
糸井 まず前提として、人がものを考えるっていうことは、文章にするために考えるわけじゃないんですね。
これが非常に重要なんですけど、「オレは文章を書くぞ!」って考える人が、今まではほとんどだったと思うんです。で、文章を書く人だけが考えてる人に見えたんです。
あ、『考える人』って雑誌がありますね!(笑)
松家 (笑)ありがとうございます。
糸井 でも、たとえば、お菓子屋さんだったら、「今度どういうお菓子を作ろうか」っていうのも、「考える」っていうことですね。大工さんが「うわぁ、難問だぞ!」なんて言いながら、ある家を建築してる、なんてのも「考える」ですよね。
で、大工さんが考えた結果って、「家」にしか表れないじゃなですか。なのに、文章になってないことってのは、「考える」として記録されてないと思われてたんですよ。
でも、「考える」ってことは、料理の中にこめられたり、あるいは、歌の中にこめられたり、家の中にこめられたり、お菓子の中にこめられたり、踊りの中にこめられたり、考えたり思ったりするってことがこめられる容れ物っていうのは、ほんっとにさまざまなんですね。
ですから、今日も、たとえば「ここ静かですね」って言ったときに、ぼくが思いっきり「ぃえーーー!!!」って言ったけど、また静かだった(笑)。
あれ、考えて「ぃえーーー!!!」って言ったわけですよね。ですから、あの「ぃえーーー!!!」は、ぼくにとっての「コンテンツ」なんですよ。
「コンテンツ」ってことばの翻訳として、ぼくは「演し物」(だしもの)っていう言い方を考えたんです。「コンテンツ」ってのは、「内容」とか「目次」って訳されちゃうんですけど、「演し物」って考えるといいと思うんです。
考えることの、こんなにいろんな種類がある面白さを文章だけにとどめておくっていったら、人間が生きることのほとんどが、なんか、つまんなくなっちゃうと思うんですね。
で、『ほぼ日』っていう場所ができたら、「全部やっていいんだ」ってことになったんですよ。
ですから、「ハラマキというかたちのコンテンツ」なんですよ、あれ。今こうやってしゃべってることが、何かに載るのも、それも「コンテンツ」。あるいは、新しいサービスを考えましたっていうのも「コンテンツ」。
だから、ぼくらは、全部「出し物を考える人」として毎日の仕事をしてるんだ、っていうふうに考えると、お菓子の企画を考えようが、ハラマキを作ろうが、手帳をもっとよくしていこうが、全部、「考える」ってことなんだよね。
それが、ぼくらの仕事だし、ごはんを食べてくタネなんですよ。だから、「考え業」であることは、まったく、昔から変わってないんですね。
昔と違うのは、「こんなハラマキのこと考えたんだけど、誰か作ってくれないかな」って言ってたのが昔のぼくの仕事だったんですよ。工場も知らなければ編み方も知らないけど、「なんか、今までのラクダのハラマキだとダサいから、もっとちゃんと、しめつけないで、ゆるまないで、洗えて、お腹に当たる部分が木綿でできてて、で、ダメんなんなくて、あったかい、そういうハラマキが、デザインがいいのができたらオレはするけどな」っていうのを、ハラマキの会社から頼まれた場合には、ぼくはそう言ってたでしょう。
で、「あ、糸井さんいいアイディアをありがとう」って、その会社が作るでしょう。だけど、今はそんな会社を探してるよりも、工場探したほうが、ぼくらの仕事としては、やれるんですね。
ですから、実行するっていうことも、やっぱ「クリエイティブ」で、開発とかアイディアって言われてる部分…今までぼくがコピーライターとかプランナーとかプロデューサーとして考えてきた部分っていうのが1の部分だとすると、それを、売る、っていうことの前に、作る、っていうことも、「考える」ができる。
だから、「こーんな厚さのものを綴じる方法っていうのは無理ですよ」って言われたときに、どのくらい無理なのかっていうのを、専門家と長ーい時間かけて一緒にやって実験してくっていうのも、ぼくらがお金を出してやることができる。
今までは、ぼくは、そのお金を出すつもりがなかった会社にいたわけですよ。
だけど、そのお金を出してもいい、で、全部失敗してもオレのせい、なんですよ。
ですから、「いちばん損したらいくらだろう」ってことばっかり、ぼくはいつも考えながら生きてるんですよ。
で、そこの2番の部分で、ものになんなかったものもいくつかないことはないと思うんですけど、だいたいはものになりそうになったら実験始めますから、小さく。んで、2番の部分のクリエイティブがあって、で、3番に、それを、どういう人にどんな方法で届けるか…あの、「売るか」じゃなくって、「どんな人に届けるか」って発想で。それを、流通させる道を、今度はまた「考える」。
全部それは、それぞれ独立した仕事をひとつの会社でやってこう、ってのが『ほぼ日』のやり方なんですよ。
今までだったらアイディアのとこだけ出して、「印税いくらですか?」ってのがぼくの仕事だったんですね。
そういう仕事も『ほぼ日』を始めてからないわけじゃないんです。たとえば、自分たちが夜食として食べたかったカップラーメンを作ろう、っていうので頼まれた機会に「おっ、それはいいな!」と思って作ったのがあって、「サルのおせっかい」っていうカップラーメン。
それは、作ってくれるのは日清食品で、売ってくれるのはセブンイレブンとかそういうところですよね。セブンイレブンと日清食品がいっしょになって、ぼくらが考えたことをやった。で、宣伝をぼくらが『ほぼ日』でやった、っていうことなんですけど、これは1個(売れるごとに)何円かもらえるんですよ。これは、とっても高いんです。
ああいう量産の消耗品は、消費してく品物ですから、のちにいろんなラーメン屋さんの、たとえば、麺屋武蔵のカップラーメンとかできたときには、たぶん、うちよりちょっと安かった、何十銭かもしれない。
でも、「考えた」人っていうのは、そこだけの仕事、なんですよ。衛生面の責任もなければ、作るのに間に合うとか間に合わないとかもなければ、売れ残っちゃったってことも悩まなくて、「売れたかな売れなかったかな~」って言って何円かもらえばいいんですよ。ですから、まぁ、いわば、10万個売れたら何十万円ですよ。
仕事ってそういうもんなんですよ。で、責任のない人は仕事になんないですよ。
その、「考えた」がなかったら、そのラーメンもなかった。でも、責任を持ってるか持ってないかがいちばん重要な部分で、それが社会に対しての影響も与えるし…「考えた」だけならねぇ、池の鯉だって考えてるかもしれないですよね。黙ってるけどね。
っていうようなことを、自分が…さっき「経営者」って言われ方しましたけど、ぼくとしては「経営者」って自覚はあんまりないんですけど、自分が損したり得したりっていう立場をジャッジできる人間になったときに、そこまで含めて、「今までは考えなくてよかったんだ」と。
だから、「松家さん」っていう歯みがきの会社があったときに、「こういう歯みがきがあったら絶対売れるのにな」とか、「松家さんが作った歯みがきはこういうふうに言って売ったら売れるのにな」とかっていうのを言ってたときと今とでは、全然、その、かかってる重さが違って、責任もあったり不安もあるんだけど、何て言うんだろう、真剣さが違うんですよね。
で、実は面白いんですよ。
その、最初に一六タルトを考えたのは誰か知りませんけど、どっかの外部のデザイナーがね、「名前は一六タルト、中にちょっと柚子のあんこを入れて、こうやって巻いてみてはいかがでしょうか」なんて言ってきても…「はいありがとうございましたー」ですよね。
でも、「オレはこれを売ろうと思うんだよ」って言って、最初に1個売れた人の気持ちって、とんでもないと思うんですよね。
で、ほんとは、今って、みんながそういうことに近いことをできる時代になったんですよ。
つまり、生産手段って、昔は資本家のものだったけど、生産手段は昔にくらべたら圧倒的に安くなって、たとえば「読み物」っていうコンテンツを人に伝えるために生産手段は何かっていったら、パソコン1台ですよね。
昔は印刷会社がなければいけなかったし、植字工が必要だったんですよ。グーテンベルクの時代だったら、そこまで行きますよね。それが生産手段タダですよ、ほとんど。そしたら、「おやりなさい」ってことですよね。
あるいは、組織の時代ですから、チームを組んで、ちょっとずつチームの力をつけていけば、「ここまでこんなことができますよ」みたいなことを、ぼくらが1ミリずつ伸ばしてきたっていうのが、始めてから今までに、試しながら経験しながら、伸ばしてきた、育ててきたことの、大きい内容ですね。
松家 『ほぼ日』ではすごくいろんなことをなさっている。それぞれみんな、「糸井さんがなさることだなぁ」っていうのは、全部、分かるんですけど、糸井さんの中では、ああいういろんなコンテンツというものを、どういうふうに考えて、生み出してらっしゃるのか、あるいは、スタッフとの間で、どういうやりとりがあってああいうものが実現していくのかっていうのを、ちょっとうかがいたいな、って思うんですけど…
糸井 まず前提として、人がものを考えるっていうことは、文章にするために考えるわけじゃないんですね。
これが非常に重要なんですけど、「オレは文章を書くぞ!」って考える人が、今まではほとんどだったと思うんです。で、文章を書く人だけが考えてる人に見えたんです。
あ、『考える人』って雑誌がありますね!(笑)
松家 (笑)ありがとうございます。
糸井 でも、たとえば、お菓子屋さんだったら、「今度どういうお菓子を作ろうか」っていうのも、「考える」っていうことですね。大工さんが「うわぁ、難問だぞ!」なんて言いながら、ある家を建築してる、なんてのも「考える」ですよね。
で、大工さんが考えた結果って、「家」にしか表れないじゃなですか。なのに、文章になってないことってのは、「考える」として記録されてないと思われてたんですよ。
でも、「考える」ってことは、料理の中にこめられたり、あるいは、歌の中にこめられたり、家の中にこめられたり、お菓子の中にこめられたり、踊りの中にこめられたり、考えたり思ったりするってことがこめられる容れ物っていうのは、ほんっとにさまざまなんですね。
ですから、今日も、たとえば「ここ静かですね」って言ったときに、ぼくが思いっきり「ぃえーーー!!!」って言ったけど、また静かだった(笑)。
あれ、考えて「ぃえーーー!!!」って言ったわけですよね。ですから、あの「ぃえーーー!!!」は、ぼくにとっての「コンテンツ」なんですよ。
「コンテンツ」ってことばの翻訳として、ぼくは「演し物」(だしもの)っていう言い方を考えたんです。「コンテンツ」ってのは、「内容」とか「目次」って訳されちゃうんですけど、「演し物」って考えるといいと思うんです。
考えることの、こんなにいろんな種類がある面白さを文章だけにとどめておくっていったら、人間が生きることのほとんどが、なんか、つまんなくなっちゃうと思うんですね。
で、『ほぼ日』っていう場所ができたら、「全部やっていいんだ」ってことになったんですよ。
ですから、「ハラマキというかたちのコンテンツ」なんですよ、あれ。今こうやってしゃべってることが、何かに載るのも、それも「コンテンツ」。あるいは、新しいサービスを考えましたっていうのも「コンテンツ」。
だから、ぼくらは、全部「出し物を考える人」として毎日の仕事をしてるんだ、っていうふうに考えると、お菓子の企画を考えようが、ハラマキを作ろうが、手帳をもっとよくしていこうが、全部、「考える」ってことなんだよね。
それが、ぼくらの仕事だし、ごはんを食べてくタネなんですよ。だから、「考え業」であることは、まったく、昔から変わってないんですね。
昔と違うのは、「こんなハラマキのこと考えたんだけど、誰か作ってくれないかな」って言ってたのが昔のぼくの仕事だったんですよ。工場も知らなければ編み方も知らないけど、「なんか、今までのラクダのハラマキだとダサいから、もっとちゃんと、しめつけないで、ゆるまないで、洗えて、お腹に当たる部分が木綿でできてて、で、ダメんなんなくて、あったかい、そういうハラマキが、デザインがいいのができたらオレはするけどな」っていうのを、ハラマキの会社から頼まれた場合には、ぼくはそう言ってたでしょう。
で、「あ、糸井さんいいアイディアをありがとう」って、その会社が作るでしょう。だけど、今はそんな会社を探してるよりも、工場探したほうが、ぼくらの仕事としては、やれるんですね。
ですから、実行するっていうことも、やっぱ「クリエイティブ」で、開発とかアイディアって言われてる部分…今までぼくがコピーライターとかプランナーとかプロデューサーとして考えてきた部分っていうのが1の部分だとすると、それを、売る、っていうことの前に、作る、っていうことも、「考える」ができる。
だから、「こーんな厚さのものを綴じる方法っていうのは無理ですよ」って言われたときに、どのくらい無理なのかっていうのを、専門家と長ーい時間かけて一緒にやって実験してくっていうのも、ぼくらがお金を出してやることができる。
今までは、ぼくは、そのお金を出すつもりがなかった会社にいたわけですよ。
だけど、そのお金を出してもいい、で、全部失敗してもオレのせい、なんですよ。
ですから、「いちばん損したらいくらだろう」ってことばっかり、ぼくはいつも考えながら生きてるんですよ。
で、そこの2番の部分で、ものになんなかったものもいくつかないことはないと思うんですけど、だいたいはものになりそうになったら実験始めますから、小さく。んで、2番の部分のクリエイティブがあって、で、3番に、それを、どういう人にどんな方法で届けるか…あの、「売るか」じゃなくって、「どんな人に届けるか」って発想で。それを、流通させる道を、今度はまた「考える」。
全部それは、それぞれ独立した仕事をひとつの会社でやってこう、ってのが『ほぼ日』のやり方なんですよ。
今までだったらアイディアのとこだけ出して、「印税いくらですか?」ってのがぼくの仕事だったんですね。
そういう仕事も『ほぼ日』を始めてからないわけじゃないんです。たとえば、自分たちが夜食として食べたかったカップラーメンを作ろう、っていうので頼まれた機会に「おっ、それはいいな!」と思って作ったのがあって、「サルのおせっかい」っていうカップラーメン。
それは、作ってくれるのは日清食品で、売ってくれるのはセブンイレブンとかそういうところですよね。セブンイレブンと日清食品がいっしょになって、ぼくらが考えたことをやった。で、宣伝をぼくらが『ほぼ日』でやった、っていうことなんですけど、これは1個(売れるごとに)何円かもらえるんですよ。これは、とっても高いんです。
ああいう量産の消耗品は、消費してく品物ですから、のちにいろんなラーメン屋さんの、たとえば、麺屋武蔵のカップラーメンとかできたときには、たぶん、うちよりちょっと安かった、何十銭かもしれない。
でも、「考えた」人っていうのは、そこだけの仕事、なんですよ。衛生面の責任もなければ、作るのに間に合うとか間に合わないとかもなければ、売れ残っちゃったってことも悩まなくて、「売れたかな売れなかったかな~」って言って何円かもらえばいいんですよ。ですから、まぁ、いわば、10万個売れたら何十万円ですよ。
仕事ってそういうもんなんですよ。で、責任のない人は仕事になんないですよ。
その、「考えた」がなかったら、そのラーメンもなかった。でも、責任を持ってるか持ってないかがいちばん重要な部分で、それが社会に対しての影響も与えるし…「考えた」だけならねぇ、池の鯉だって考えてるかもしれないですよね。黙ってるけどね。
っていうようなことを、自分が…さっき「経営者」って言われ方しましたけど、ぼくとしては「経営者」って自覚はあんまりないんですけど、自分が損したり得したりっていう立場をジャッジできる人間になったときに、そこまで含めて、「今までは考えなくてよかったんだ」と。
だから、「松家さん」っていう歯みがきの会社があったときに、「こういう歯みがきがあったら絶対売れるのにな」とか、「松家さんが作った歯みがきはこういうふうに言って売ったら売れるのにな」とかっていうのを言ってたときと今とでは、全然、その、かかってる重さが違って、責任もあったり不安もあるんだけど、何て言うんだろう、真剣さが違うんですよね。
で、実は面白いんですよ。
その、最初に一六タルトを考えたのは誰か知りませんけど、どっかの外部のデザイナーがね、「名前は一六タルト、中にちょっと柚子のあんこを入れて、こうやって巻いてみてはいかがでしょうか」なんて言ってきても…「はいありがとうございましたー」ですよね。
でも、「オレはこれを売ろうと思うんだよ」って言って、最初に1個売れた人の気持ちって、とんでもないと思うんですよね。
で、ほんとは、今って、みんながそういうことに近いことをできる時代になったんですよ。
つまり、生産手段って、昔は資本家のものだったけど、生産手段は昔にくらべたら圧倒的に安くなって、たとえば「読み物」っていうコンテンツを人に伝えるために生産手段は何かっていったら、パソコン1台ですよね。
昔は印刷会社がなければいけなかったし、植字工が必要だったんですよ。グーテンベルクの時代だったら、そこまで行きますよね。それが生産手段タダですよ、ほとんど。そしたら、「おやりなさい」ってことですよね。
あるいは、組織の時代ですから、チームを組んで、ちょっとずつチームの力をつけていけば、「ここまでこんなことができますよ」みたいなことを、ぼくらが1ミリずつ伸ばしてきたっていうのが、始めてから今までに、試しながら経験しながら、伸ばしてきた、育ててきたことの、大きい内容ですね。
【ふたたび「ここにいることがうれしい」】
松家 今、糸井さんがおっしゃったように、インターネットっていう手段が出てくることによって、昔だったら資本金がないような若い人が、いろんなビジネスをネット上で始めてますよね。
そんなにいっぱい見てるわけじゃないんですけど、でもなんかやっぱり、明らかに糸井さんの『ほぼ日』の仕事となんか違うな、どこが違うのかな、ってずっと思ってたんです。
(お客様に)ちょっと宣伝しますと、今書店に並んでいる『考える人』でウェブの特集をしたんですね。そこで糸井さんにロングインタビューして、そのインタビューの最後のところで、「あ、そういうことだったのか」ってことを糸井さんがおっしゃったんです。基本的に『ほぼ日』でやっていることの核にあるものをことばにしていただいたらば、それを「『ここにいることがうれしい』っていうことに収斂していくことなんだ」っていうふうに糸井さんがおっしゃった。それは、すごく「なるほどな」って思ったんですけどね。「ここにいることがうれしい」ということばを、ウェブを使ったビジネスで、中心にすえている人は果たしてどれだけいるだろうかって、そのことはとても強く感じました。140万のアクセスというのは、そういう糸井さんの語られざることばを敏感にかぎつけている人たちの数なんじゃないかって、そう思ったんです。
もう時間が迫ってきてるんですけど、そのことをお話ししていただけますか?
糸井 「ここにいることがうれしい」…今もそうなんですけど、ぼくは今、「訊かれたからしゃべってる」っていうかたちをとってますが、しゃべりはじめたら嬉しいんですよ、やっぱり。
自分のことを分かってもらえるかもしれないと思いながらしゃべってるっていうのは非常に快感で、それはもう、学校に行きはじめて学校が面白い小学生がね、うちに帰ってきてから「今日ね~、ナントカちゃんがね~」って言ってるのと、ぼくが今しゃべってることは、基本的にはおんなじだと思うんですね。
でも、「ここにいることがうれしい」っていうふうに持っていく努力をしないと、「ここにいること」って、やっぱり、ずーっとつまんなくなるんですね。
で、「なんでここにいることがつまんなくなったんだっけ?」っていうのは、だいたい理由があるんですよ。
しておかなきゃいけなかったことをしてなかったとか、いろんな理由が無数にあると思うんですけど、どっかのところで「ここにいることがつらい」、っていうことを抜け出て、「ここにいることがうれしい」になってるんですね。ですから、他の人にもそう言ってもらいたい。
たとえば、ぼくはこの会場全部の中で、「ぼくはここにいることがうれしいです」っていうのを言えるんです。でも、この会場にいる人たちの、あるパーセントの人が、「ぼくはほんとにつらいです」って言ったら、ぼくは、ヒョロヒョロヒョロヒョロって、(テレビゲームの)「パックマン」みたいになっちゃうんです。
それは何かっていったら、やっぱり、他の人が「うれしい」って言ってくれることも含めて自分のうれしさだからだと思うんですよ。
今のは先取りして自分の意見を言いましたけど、会場のみなさんが、とってもあったかい人たちが、ぼくのことを好きでいてくれて、「あの糸井重里っていうヤツが来てくれた」…「来てくれた」って言い方してくれますよね、「もう、ウェルカム」って。
その人が、「ああ、よかった、チケットが抽選だったけど当たったぞ」、「こんないい場所座れたぞ」みたいなことでいるときに、ぼくが入ってきて、「ほんとに今日いやなんですよね」「ほんとに今日やりたくないんですよ…でも、やります!」って言ったら、ぼくのいやさが、客席にいる人の「ここにいることがうれしい」を一気に壊すじゃないですか。
ぼくはぼくで人のうれしさを壊せるし、客席にいる人もぼくのうれしさを壊せるし、こーんなに微妙なものなんですよ。ですから、「ここにいることがうれしい」っていうのは、僥倖(ぎょうこう)なんですね。
つまり、「今ここにいる時間」の「ここ」っていうのが、ものすごいラッキーのかたまりなんです。っていう状況を知っているから、ぼくはそれを、その…心から願える。
で、同時に、「ここにいることがつらい」っていうことが、自分をものすごくダメにするっていうことを、ぼくは恐れてるんですよね。
松家 今、糸井さんがおっしゃったように、インターネットっていう手段が出てくることによって、昔だったら資本金がないような若い人が、いろんなビジネスをネット上で始めてますよね。
そんなにいっぱい見てるわけじゃないんですけど、でもなんかやっぱり、明らかに糸井さんの『ほぼ日』の仕事となんか違うな、どこが違うのかな、ってずっと思ってたんです。
(お客様に)ちょっと宣伝しますと、今書店に並んでいる『考える人』でウェブの特集をしたんですね。そこで糸井さんにロングインタビューして、そのインタビューの最後のところで、「あ、そういうことだったのか」ってことを糸井さんがおっしゃったんです。基本的に『ほぼ日』でやっていることの核にあるものをことばにしていただいたらば、それを「『ここにいることがうれしい』っていうことに収斂していくことなんだ」っていうふうに糸井さんがおっしゃった。それは、すごく「なるほどな」って思ったんですけどね。「ここにいることがうれしい」ということばを、ウェブを使ったビジネスで、中心にすえている人は果たしてどれだけいるだろうかって、そのことはとても強く感じました。140万のアクセスというのは、そういう糸井さんの語られざることばを敏感にかぎつけている人たちの数なんじゃないかって、そう思ったんです。
もう時間が迫ってきてるんですけど、そのことをお話ししていただけますか?
糸井 「ここにいることがうれしい」…今もそうなんですけど、ぼくは今、「訊かれたからしゃべってる」っていうかたちをとってますが、しゃべりはじめたら嬉しいんですよ、やっぱり。
自分のことを分かってもらえるかもしれないと思いながらしゃべってるっていうのは非常に快感で、それはもう、学校に行きはじめて学校が面白い小学生がね、うちに帰ってきてから「今日ね~、ナントカちゃんがね~」って言ってるのと、ぼくが今しゃべってることは、基本的にはおんなじだと思うんですね。
でも、「ここにいることがうれしい」っていうふうに持っていく努力をしないと、「ここにいること」って、やっぱり、ずーっとつまんなくなるんですね。
で、「なんでここにいることがつまんなくなったんだっけ?」っていうのは、だいたい理由があるんですよ。
しておかなきゃいけなかったことをしてなかったとか、いろんな理由が無数にあると思うんですけど、どっかのところで「ここにいることがつらい」、っていうことを抜け出て、「ここにいることがうれしい」になってるんですね。ですから、他の人にもそう言ってもらいたい。
たとえば、ぼくはこの会場全部の中で、「ぼくはここにいることがうれしいです」っていうのを言えるんです。でも、この会場にいる人たちの、あるパーセントの人が、「ぼくはほんとにつらいです」って言ったら、ぼくは、ヒョロヒョロヒョロヒョロって、(テレビゲームの)「パックマン」みたいになっちゃうんです。
それは何かっていったら、やっぱり、他の人が「うれしい」って言ってくれることも含めて自分のうれしさだからだと思うんですよ。
今のは先取りして自分の意見を言いましたけど、会場のみなさんが、とってもあったかい人たちが、ぼくのことを好きでいてくれて、「あの糸井重里っていうヤツが来てくれた」…「来てくれた」って言い方してくれますよね、「もう、ウェルカム」って。
その人が、「ああ、よかった、チケットが抽選だったけど当たったぞ」、「こんないい場所座れたぞ」みたいなことでいるときに、ぼくが入ってきて、「ほんとに今日いやなんですよね」「ほんとに今日やりたくないんですよ…でも、やります!」って言ったら、ぼくのいやさが、客席にいる人の「ここにいることがうれしい」を一気に壊すじゃないですか。
ぼくはぼくで人のうれしさを壊せるし、客席にいる人もぼくのうれしさを壊せるし、こーんなに微妙なものなんですよ。ですから、「ここにいることがうれしい」っていうのは、僥倖(ぎょうこう)なんですね。
つまり、「今ここにいる時間」の「ここ」っていうのが、ものすごいラッキーのかたまりなんです。っていう状況を知っているから、ぼくはそれを、その…心から願える。
で、同時に、「ここにいることがつらい」っていうことが、自分をものすごくダメにするっていうことを、ぼくは恐れてるんですよね。
【さいごに】
松家 もう時間なんですが…さっきちょっとびっくりしたんですけど、糸井さんがその97年の11月にMacをお買いになったっておっしゃっていましたが、残念ながら伊丹さんがお亡くなりになったのは97年の12月なんですね。
だから、『ほぼ日』がスタートしたときっていうのは、伊丹さんはもうこの世にいらっしゃらなかった。でも、たぶん、伊丹さんはこういう新しいメディアとか、すごく興味をもって見た人に違いないので、インターネットっていうものも、相当、いろいろ面白がって楽しんで使ったに違いないと思っているんですね。そういう意味で言うと、やっぱり、第1回の伊丹十三賞を糸井さんが受賞したっていうのは、きっと伊丹さんも「あ、いい人選んでくれたな」っていうふうに思ってくださってるんじゃないかな、って思います。
糸井 うんー、んー…ありがとうございます。
(場内拍手)
松家 じゃあ今日は、時間がきてしまいましたので、ここまでというふうにさせていただきます。ありがとうございました。
糸井 ひとことだけいいですか?
あのー、今日の流れの中であれですけど、やっぱり、伊丹さんっていう方がいらっしゃって、独特の活躍をなさった方で、彼の軌跡がなければ、ぼくは今日ここでみなさんにお会いできなかった。
途中にこの賞をいただくっていうようなことが、大変光栄なこととしてあった。それをずーっとキープするために宮本信子さんって方がいらっしゃる。
さっきの「ここにいることがうれしい」っていう話とおんなじですけども、やっぱり、さまざまな僥倖のかたまりとして今のこの時間が過ごせたっていうことを、あのー、妙に生真面目になってちょっと恥ずかしいんですけど、あの、感謝します、ありがとうございました。
(場内拍手)
松家 もう時間なんですが…さっきちょっとびっくりしたんですけど、糸井さんがその97年の11月にMacをお買いになったっておっしゃっていましたが、残念ながら伊丹さんがお亡くなりになったのは97年の12月なんですね。
だから、『ほぼ日』がスタートしたときっていうのは、伊丹さんはもうこの世にいらっしゃらなかった。でも、たぶん、伊丹さんはこういう新しいメディアとか、すごく興味をもって見た人に違いないので、インターネットっていうものも、相当、いろいろ面白がって楽しんで使ったに違いないと思っているんですね。そういう意味で言うと、やっぱり、第1回の伊丹十三賞を糸井さんが受賞したっていうのは、きっと伊丹さんも「あ、いい人選んでくれたな」っていうふうに思ってくださってるんじゃないかな、って思います。
糸井 うんー、んー…ありがとうございます。
(場内拍手)
松家 じゃあ今日は、時間がきてしまいましたので、ここまでというふうにさせていただきます。ありがとうございました。
糸井 ひとことだけいいですか?
あのー、今日の流れの中であれですけど、やっぱり、伊丹さんっていう方がいらっしゃって、独特の活躍をなさった方で、彼の軌跡がなければ、ぼくは今日ここでみなさんにお会いできなかった。
途中にこの賞をいただくっていうようなことが、大変光栄なこととしてあった。それをずーっとキープするために宮本信子さんって方がいらっしゃる。
さっきの「ここにいることがうれしい」っていう話とおんなじですけども、やっぱり、さまざまな僥倖のかたまりとして今のこの時間が過ごせたっていうことを、あのー、妙に生真面目になってちょっと恥ずかしいんですけど、あの、感謝します、ありがとうございました。
(場内拍手)