伊丹十三賞 ― 第3回受賞記念講演会 採録

内田樹氏講演会 伊丹十三と「戦後精神」(5)

2011年11月29日 / 松山市総合コミニュティセンター キャメリアホール
講演者 : 内田樹氏(神戸女学院大学名誉教授 / 『内田樹の研究室』)
ご案内 : 宮本信子館長

 『ヨーロッパ退屈日記』というタイトルから想像すると、ヨーロッパにみられる文化的な質の高さ、自動車やファッションや料理の洗練を列挙しているかのように見えます。たしかに、それはきちんと紹介してある。でも、それは「返す刀で」、1960年代のわれわれの日本の、貧しさというよりは陋劣さ、醜悪さ、緩さ、自己規律のなさ、自己批判のなさを斬り捌いている。日本文化のだらしのなさに対して、伊丹十三はほとんど憎しみに近いものを感じている。そして、この日本人批判、日本文化批判を、当時の多くの読者は、「そうそう」と深く頷きながら読んでいた。そのことに僕は奇異の感を抱くのです。

 僕が『ヨーロッパ退屈日記』を初めて読んだのは、もう文庫版になっていましたから、70年代の終わり頃だと思います。僕はまだ二十代でした。そのときは、「ずいぶん激しく日本を批判する人だな」という印象を持ちました。もちろん、爽快感も覚えました。でも、その時点で、伊丹十三が取り上げている事例はすでに微妙に古くなっていた。
 ここで批判されているのは、高度成長期以前の貧しかった日本であって、それからあと、日本人は高度成長も経験してきたし、海外旅行にもどんどん出かけているし、国際化もしているし、英語も話せる人が増えたし、ブランド商品も入ってきたし、もう「これほど」ひどくはないだろうと思った。これは高度経済成長以前の、まだ貧しかった時代の日本について、伊丹十三という非常に尖鋭的な精神の人が捉えた「その頃の日本人」の醜さであって、歴史的過去に属する風俗である、と。だから、この本が書かれたあと、日本人は、そういう批判をしっかり受け止めて、もっとお洒落で、シックで、洗練された文化を創り上げて、もう外国から愚弄されたり侮られたりすることのない国民になっていくに違いないと、そういうふうな期待を持って読んでいた記憶があります。もう、だいぶ前の話だよね。十年前位はこうだったかもしれないけど、今はもう違うんじゃないかなあ…そう思って読んでいた記憶があります。
 でも、この講演のために最近改めて読み返してみると、1960年代の日本について書かれたこの批判はすべて今も有効なんです。そのことに驚きました。50年経っても、ここで辛辣に批判されている日本の「ミドル・クラス」的な貧乏臭さはまったく払拭されていない。
  ということは、この時に伊丹十三が批判していたのは、当時の日本が置かれていたある種の歴史的に特殊な事態ではなかったということです。歴史的条件に強いられた、敗戦国ゆえの後進性や貧しさや生活水準の低さや国際感覚の欠如を批判していたのではない。日本が仮に戦争に勝ったとしても、その後もついてまわったに違いない後進性や貧しさや国際感覚の鈍さを批判していた。日本人と日本文化に内在し血肉化している、根源的な惰弱、緩み、自己規律のなさに対して、自分自身の内臓に刃を突き立てるように、自己分析を試みた。僕はそんなふうに感じました。
 さきほど申し上げましたように、アメリカ人に対する伊丹十三の批判も、それと同じもののように思います。彼が批判しているのは、歴史的なアメリカの個別的な政策であったり、制度であったりするわけではないし、もちろん個別的なアメリカ人ではない。そうではなくて、アメリカ社会が内在している、無垢なほどの幼児性、不作法、自己中心性、屈託のない正義感、そういった変わることのない国民性格を標的にして、それに向けて厳しい筆誅を加えている。
 僕が最初に抱いた仮説は、この時期に彼が書いたものは、実は「一回ひねりの反米的言説」ではないかということでした。実は、伊丹十三は反米的な心情を隠蔽するために、あえて「ヨーロッパ」を迂回したのではないか。ヨーロッパはアメリカに対して、発生的には先行しています。アメリカよりも古く、アメリカよりも文化が高く、アメリカがそれに対して劣等感を持っている文化圏です。そのようなヨーロッパに直接アクセスすることで、アメリカに対するアドバンテージを手に入れる、そういう戦略ではないかと思ったのです。直接敵対するものを攻略するために、敵が「それだけには頭が上がらないもの」と直に繋がろうとするというのは、古典的な手口ですから。だから、伊丹十三もヨーロッパと直取引をすることで、アメリカを見下す視点を手に入れるという、迂回的な戦略を採用したのではないか、そう思ったのです。

講演会の様子

 この迂回戦略は別に珍しいものではありません。日猶同祖論という不思議な理説があります。「日本人とユダヤ人は同祖である」というとんでもない話です。明治末期に突然生まれたものですが、日本社会に深く根を下ろしていて、いまだに日猶同祖論を信じてる人、あるいは信じたがっている人は少なくありません。これは日本人とユダヤ人は同系列の民族であり、聖書に出てくる「東」というのはすべて日本のことを指しているとか、元寇のときの神風から日露戦争の勝利まで、エホバの恩寵はつねに選択的に日本列島の上に輝いているというタイプの議論です。
 日猶同祖論は明治末期に突然に出現したわけですけれども、論者全員に共通していることがあります。一つは少年期に外国人に就いて西洋的な学問を修め、キリスト教に入信し、アメリカ留学の経験があるということです。アメリカの大学で勉強して、学位を取って日本に帰ってきて、後進の青年たちの精神的・霊的な指導者になるべき人々が、相互の何の関連もなく、示し合わせたわけでもないのに、「日本人とユダヤ人は同祖である」という妄説を語り出した。ユダヤ人と日本人は、実は、同じ祖先から派生したものである。離散したユダヤ人の一部が古代に日本列島に渡来した。だから、日本文化の中にユダヤ教の教えは深く根を下ろしている、と。
 なぜ、そういうことを言い出したのか。ロジックは簡単です。ヨーロッパやアメリカでユダヤ人が受けている迫害と、この時期に日本人が帝国主義列強から受けている迫害にある種の同質性を感じ取ったからです。
 ユダヤ人が迫害されるのは、キリスト教徒に対して、文明史的に、霊性の歴史の上で、「長子権」を有しているからです。キリスト教はユダヤ教から派生してきた。派生してきた宗教が母胎宗教を罵倒するのは必然的なことです。
 でも、この「長子であるがゆえの迫害」というロジックは日本人には快いものに聞えた。というのは、そのロジックを使えば、世界に冠絶する文化的な高みにあるがゆえに、われわれ日本人はそれを羨む欧米諸国によって迫害されているという話になるからです。
 だから、これからは日本人はユダヤ人と協調して、帝国主義列強と戦い、彼らを屈服させ、彼らを睥睨する地位をめざさなければならない。そういう奇異な論が明治末年に登場してきて、一部に熱狂的な支持者を獲得しました。
 僕はこの論の立て方にはそれなりの説得力があると思います。日本人とユダヤ人が人種的に同根であるとか、日本文化の深層にユダヤ教があるというような主張は、科学的検証に堪えないのですが、それでもこの「物語」のうちには、何かしら日本人の心の琴線に触れるものがある。自分たちが国際社会の中において劣位にあるときに、直接の上位者として自分たちを見下してる国よりも、さらに歴史的に古く、さらに文化が高い国とわれわれは「一体」なのだという論を立てれば、わが身についての劣等感は一時的に緩和されるからです。

 ですから、『ヨーロッパ退屈日記』の伊丹十三は「ヨーロッパ」と「アメリカ」を対比させようとしているのではないかと僕は思ったわけです。
 アメリカがそこから派生してきた起源であり、アメリカ人自身も、自分たちの方が文化的に劣っているということを自覚しているような文化的優位者たるヨーロッパと直接に通じることによって、かつてわれわれの国を軍事的に屈服させ、今なお日本を「属国」として支配しているところの事実上の「宗主国」に対して、優位に立つのは無理としても、せめて同じラインに並ぼうとした。そういう戦略ではないか、と。
 現に、アメリカとヨーロッパの文化的深みの差について、『ヨーロッパ退屈日記』には印象深いエピソードが紹介されています。
 チャールトン・ヘストンは若い時から乗馬が趣味で、西部劇の端役をしている貧乏俳優時代から、いつかロンドンで本場の乗馬靴を買うのは若い時からの夢でした。そして、ロンドンに来たとき、ショーウィンドーにすばらしい乗馬靴を見つけて、店内に入りました。慇懃な店員からのさまざまな質問に答えて、採寸して、ようやく発注を済ませました。その後日談をヘストンはこう語ります。

「その乗馬靴だが、注文して半年もたった頃、思い出したように送って来たんだが、中にはいっている木型がどうしても取れない。多分、見えないところに螺子(ねじ)かなんかがあって外すようになっているんだろうと思って随分調べたんだが、とうとう判らなかった。だから、あれは木型のはいったまま、今でもちゃんとしまってあるよ。」(59頁)

 ハリウッドスターがロンドンの靴店の一店員に気後れしている様子がユーモラスに書かれています。ですから、伊丹十三たちがその話を聴いた後に「チャックはいい男だ、背広を着ると全く似合わないが、あんなにいい男はいない」(60頁)という好意的な人物評を行うのは流れとしては自然です。でも、それにこのような「同種のエピソード」が続くと、ニュアンスが変わってきます。

「それから誰かが、プロデューサーのマイク・ヴァシンスキーが、ロールス・ロイスを注文した時、扉の外につける御紋章はいかがいたしましょうか、と聞かれた話をして、――君も、ロールスを注文しに行く時は、あらかじめ答を用意していった方がいいよ――一座はしばらく沈黙におちいった。」(60頁)

 この二つのエピソードが並べられると、「ヨーロッパ文化圏で高額の商品を買うことはできるが、そのものが本来何のためのものかをほんとうは理解していない(だから使いこなすことができない)アメリカ人」という皮肉な像が浮かび上がってきます。
 ここにヨーロッパ文化という上位者を一つ噛ませることによって、アメリカの増上慢を「懲らしめる」という伊丹十三の戦略が僕は透けて見えたような気がしたのです。

講演会の様子

 「臥薪嘗胆、捲土重来」、そういう屈託した心情は、江藤淳にも吉本隆明にも、伊丹十三にも、出方は違っても、戦中派の知識人たちの中には共通してあるように思います。というのは、戦争に負けた国の国民たちが、戦後まず口にすべき言葉は、原理的には「次は負けない」という言葉のはずだからです。
 「今はしばらく苦しい思いをしているけれど、あともう少しがんばって、捲土重来を期すべし」。「次は負けない」というマインドでありさえすれば敗戦国民のモラルは決して劣化したりはしません。戦争は、すれば必ず勝つ国と負ける国が出る。敗戦国になる確率は50%です。歴史上のすべての社会集団は敗戦を経験している。百戦無敗なんていう国は存在しません。だから、負けたあとに、どうやって国を再建するのかという作業は、リアルかつプラクティカルな課題であって、別に妙にいじけたり、パセティックになったりするものじゃない。けれども、世界軍事史上、日本ほど負けていじけた国は珍しい。日本の負け方はちょっと尋常じゃありません。
 そのことが「おかしい」と多分、戦中派の人たちは心のどこかで感じていたのではないかと思います。戦争に負けるというのは、誤解を恐れずに言えば、よくある散文的な事実にすぎません。だから、負けたら、「なぜわれわれは負けたのか」についてリアルでクールな分析をすればいい。失敗から学んで、有意義な教訓をそこから引き出してゆけばいい。軍略のどこに問題があったのか、社会システムのどこに欠陥があったのか、社会倫理や宗教やイデオロギーのどこが機能不全だったのか。敗戦の原因を摘抉して、問題点を補正し、「次は負けない」ように国家制度を設計してゆく。それが、本来であれば、敗戦国の一番基本的なマインドなわけです。
 そのプロセスで「永世中立」とか「戦争放棄」という戦略が提言されるということも十分にありうる。「次は負けない」、「二度と負けない」ためには「二度と戦争をしない」というオプションはきわめて合理的なものだからです。でも、日本の戦後の平和主義というのはそういうものではありませんでした。「次は負けない」ために、敗戦をもたらした国家システムの瑕疵を徹底的に検証し、吟味した末に、振り絞るようにして選び取られた「戦争放棄」ではありません。「もうしません」と頭を下げることで罰を逃れようとしていたら、「もうしません」という「言質」を看板にして首から下げろと命令された。そういう「戦争放棄」です。だから、そこには深みのある思想がない。人間と国家の運命についての熟慮もない。
 戦中派のひとりとして、伊丹十三が納得のゆかなかったのはその点ではないかと思います。戦争に負けたことはしかたがない。でも、こんな負け方はないだろう。なぜ、もっときちんと負けられなかったのか。負けた日本社会の欠点を洗い出して、それを総点検し、改善すべきところは改善するということをしないのか。
 戦後の日本人の戦争についての歴史的総括というのは、きわめて単純で、「全部間違っていた」と「全部正しかった」のふたつしかありません。「よいところはよかったが、悪いところは悪かった」という、ごく合理的な判断を戦後の日本人は採ろうとしなかった。戦前の日本においても、こういう制度や、こういうルールは「よいもの」だった。だから、残さなければならない。これとこれは日本の国力を殺いだ「よくないもの」だったので、補正を要する。そういう一度クラッシュしたシステムを再起動するためのもっと「当たり前」のことを日本人はしませんでした。
 なぜ、当たり前のことができなかったのか。それは、「負け方があまりにもひどかった」からです。常軌を逸してひどい負け方をした。あまりにひどい負け方をしたので、戦前戦中の日本社会の中に、多少でも「生き延びるに耐えるもの」があるようには思えなかった。それほどひどい負け方をした。
 とにかく日本の伝統的な美質は洗いざらい捨てられた。それと同時に、日本をこのような歴史的大敗に導いたところの日本人の惰弱、無責任、自己規律のなさ、集団主義、付和雷同…そういう倫理的な質に関する踏み込んだ批判もやはりなされなかった。「一億層懺悔」というのはそういうことですね。「負けたことはわかった。もう逆らわない。だから、もうこれ以上は責めないでくれ」ということです。
 伊丹十三は、そのような戦後日本の精神的堕落を前にして、「誰もその仕事をする気がないなら、オレがやろう」と思った。僕はそんな気がするんです。大日本帝国敗戦の総括を単身で行おうとした。どのような日本人の国民性格の脆さが敗戦を導いたのか、それをどう補正すれば「次は負けない」ような日本を再建できるのか。それを誰も考えようとしないなら、オレがひとりで考える。伊丹十三はそう思ったのではないか。

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