伊丹十三賞 ― 第3回受賞記念講演会 採録

内田樹氏講演会 伊丹十三と「戦後精神」(4)

2011年11月29日 / 松山市総合コミニュティセンター キャメリアホール
講演者 : 内田樹氏(神戸女学院大学名誉教授 / 『内田樹の研究室』)
ご案内 : 宮本信子館長

 僕は江藤淳の仕事と伊丹十三の仕事を比べてみると、そこにひとつの共通点があるのではないかと思いました。
 『ヨーロッパ退屈日記』は、ご存知のとおり、1961年から62年にかけて、ニコラス・レイ監督の『北京の55日』(1963年)というハリウッド映画に、チャールトン・ヘストン、エヴァ・ガードナー、デヴィッド・ニーヴンなどと共演するためにロンドンに行くところから始まります。でも、エッセイは実は映画の話から始まるわけではありません。エッセイの冒頭はこの一行から始まります。

「イギリスふうお洒落、なんていう言葉を耳にしたことがあった、と思うのだが一体何をさしていったことなのだろう。今日、わたくしは、白いヘルメットにプリーツ・スカート、ハイ・ヒール、そして、これは一つ非常に洒落たつもりで、紫のストッキングをはいたという御婦人が、単車を乗り捨てて、教会へ入って行くのを目撃したのだが、どうですか」(伊丹十三、『ヨーロッパ退屈日記』、新潮文庫、2005年、12頁)

 映画の話が出てくるのは、ずっと後の34頁目。

「台本を渡される。
『北京籠城五十五日』の籠城十日目まで。
 前半、というところだろうが厚さ一寸くらいある。このままとれば全部で六時間くらいの映画ができるだろう。いい加減に読み飛ばしたが、わたくしの出番は前半ほとんどなし。」(34-35頁)

 『ヨーロッパ退屈日記』というエッセイを読んだ不用意な読者は、英語がよくできる日本の青年が、国際派俳優をめざしてオーディションを受け、ハリウッド映画で重要な役を獲得して、撮影現場でチャールトン・ヘストンやエヴァ・ガードナーと仕事をして、出演料でジャガーを買ったという、自慢話のようなものとして読むかもしれません。
 でも、僕はこのエッセイの中で伊丹十三が言い落していることの方がむしろ重要ではないかという気がするのです。
 『北京の55日』を観た人はここにはどれくらいおられるでしょう。まあ、若い人ではまず見た方はいないと思います。これは義和団事件を扱った映画です。義和団事件というのは、華北に興った義和団という拳法を使う団体の拳匪たちが1900年に「扶清滅洋(清朝を助けてヨーロッパ人を殺せ)」というスローガンを掲げて、北京に迫ったときに、西太后がそれに呼応したことによって起こった事件です。その時、各国の大使や領事たちが北京に閉じ込められ、55日間に渡って義和団の激しい攻勢に対してよく防戦して、各国の市民たちを守った。

講演会の様子

 映画自体は、チャールトン・ヘストン演ずるところのアメリカ軍のルイス少佐が大活躍をするという話になっている。でも、歴史的な事実から言うと、この『北京の55日』の北京攻防戦、北京攻城戦を担ったのは、実質的には日本軍なんです。
 日本陸軍の柴五郎砲兵中佐が、この北京包囲戦の事実上の指揮官であった。というのは、彼が率いた陸戦隊のメンバーが最も練度が高く、最も統制が取れていた部隊だったからです。彼らの活躍によって『北京の55日』の籠城戦は完遂された。
 そのとき陸戦隊の軍律の高さと勇猛さに感動した軍人出身の英国公使クロード・マクドナルドが、「日本という国は極東の島国であるけれども、兵の練度も極めて高く、規律も良く、また知的な人々によって構成されているのである。だから日本を植民地の対象にするような未開の島国と侮ってはいけない」ということを本国に具申した。のちに初代駐日イギリス大使となったこのマクドナルドの、高い日本軍評価に基づいて、1902年に大英帝国と近代化したばかりの極東の小国が同盟を結ぶという、世界史的にも異例な日英同盟が成立するのです。この日英同盟のおかげで、日露戦争におけるイギリスの有形無形の支援があり、それが日露戦争における日本の薄氷の勝利をもたらしたわけですから、この義和団事件における日本陸戦隊の働きは、日本人にとっては歴史的に記念すべき武勲なわけです。
 このとき陸戦隊を率いた柴五郎という人は、代表的明治人のひとりで、多くの評伝が書かれています。村上兵衛の『守城の人−明治人柴五郎大将の生涯』(1992年)や石光真人『ある明治人の記録−会津人柴五郎の遺書』(1971年)など、今でも柴五郎を顕彰する本は書店の棚から消えることがありません。
 柴五郎は会津の人です。幼少のため白虎隊に加われず、祖母、母、兄嫁、姉妹が自刃し、生き残った家族と下北半島の斗南藩に移り、そこで零下15度の、屋根もない壁もない小屋で、極寒の冬過ごすという壮絶な少年期を送ったあと、縁あって陸軍幼年学校に入り、やがて立身を遂げて、会津はもちろん賊軍とされた東北諸藩出身者で初めて陸軍大将になった人物です。岩手出身の原敬と並んで、戊辰戦争以後、新政府の冷遇ゆえに、久しく不遇のうちにあった明治の東北人たちの期待を一身に担った人物でした。
 柴五郎自身も、出自に対する強い責務の感覚を持っていました。賊軍とされて虐殺され、維新以後も「白河以北一山百文」と言われるほどに近代化から見捨てられた東北の士族を代表しなければならないとする気概がありました。明治政府に滅ぼされた会津の武士が、陸軍大将にまで登り詰めてゆく。自分の武勲によって、会津人に対する評価を改めさせてみせるという強烈な使命感に駆動されて軍歴を重ねていった人物です。そして、1945年、敗戦の年の暮れに割腹死する。明治を代表する武人です。伊丹十三が演じたのは、実はこの柴五郎の役なのです。
 しかし、この『ヨーロッパ退屈日記』には柴五郎についての記述が一行もありません。一行もない。それどころか、なぜ彼がこの役のオッファーを受けたのかについての説明さえない。読者は同じ本のその後の方では伊丹十三が『ロード・ジム』(1965年)のスクリーンテストを受けるために自費で行く話を読むことになります。役が決定するまでの映画界の実情について、役が決定するまでの緊張の日々を送ったという事情が書いてある。でも、『北京の55日』については、そのような記述はまったくありません。

講演会の様子

 なぜ、『ロード・ジム』のキャスティングについては長々と書いている伊丹十三が、『北京の55日』については何も書いていないのか。
 僕の仮説は、伊丹十三は柴五郎を日本人として演ずることに、一種の国民的な責務の感覚を覚えていたのではないか、というものです。
 柴五郎に象徴されるような、誇るに足る日本人、純良な日本人、12歳までの池内岳彦少年が「そのようなものでありたいと願っていた」ある種の理想形を代表するような日本人を演じたかったのではないか。
 でも、ここに柴五郎という人を演じるときの役作りの工夫とか、そのような日本人を演じることへの気負いのようなものが書き込まれていたら、『ヨーロッパ退屈日記』という作品はまったく違うものになってしまったと僕は思います。むしろ、作品として成立しなくなったのではないか。
 『ロード・ジム』で彼が演じたのは、ウォリスという東南アジアの村の青年です。この役を得るまでの過程については、台本を渡されたときから、監督リチャード・ブルックスによる演技指導について、スクリーン・テストについて、長い記述がある。それに比すると、柴五郎の役についての記述はほとんどゼロです。
 監督ニコラス・レイの最初の構想では、各々の国籍の役柄を、その国々の俳優によって各国語入り乱れてやるということでした。でも、英、米、仏、伊、独、露といった国々については俳優が揃ったけれど、主要な役である西太后以下の中国人三人のキャスティングに難渋した。しかたなく、中国人をイギリスの俳優が演じることになり、全編英語でやるということになった。そのキャスティング事情を紹介したあとに、伊丹十三はこう書いています。

「日本人が日本人をやる、というわたくしが、いわばニック最後の砦だったわけなのです。」(40頁)

 これだけです。ここにも、ほかの場所にも、役名さえ書かれていない。つまり、『ヨーロッパ退屈日記』の読者のうち、映画『北京の55日』を見ていない人たちは、この映画で伊丹十三が誰を演じたのかを知らされないのです。

 僕はこの言い落としは故意のものだと思います。言わないことに意味があるのではないかという気がします。柴五郎はたぶん伊丹十三が素直に敬意を抱くことの可能な、例外的な日本の武人でした。ですから、この役をキャスティングされたときに、何らかの感動を覚えなかったはずはない。でも、それについて一語も記さなかった。自分が誰の役を演じ、それはどんな人物であり、撮影の20年前にどんな死に方をした人物なのか、何も書かなかった。スパゲッティの茹で方やドライビングテクニックについてはトリビアの披瀝を惜しまない作家が、自分の演じた役については、一言も語らないということは、あきらかに均衡を逸しています。

 『北京の55日』という映画は、その歴史的な歪曲について、特に中国側から、つよい批判を浴びました。義和団を悪役にした勧善懲悪の物語になっているからですが、それだけではない。チャールトン・ヘストン率いるアメリカ軍人とデビッド・ニーヴンのイギリス公使が北京籠城戦を事実上統率し、最も勇敢に戦ったという話になっているけれど、これは歴史的事実ではない。そして、北京籠城戦の事実上の指揮官である柴五郎は、映画において、ほとんど見るべき働きをしません。スクリーンの中心には英米の俳優が立ち、伊丹十三が出るときは、スクリーンの端しか与えられない。だから、テレビ放映用にサイズが縮小されると、伊丹十三の出演シーンでは、声だけ聞えて顔が映らないということさえ起きました。このような不当な扱いに対して、伊丹十三が何の心理的屈託も感じなかったとは考えられません。

講演会の様子

 そう思って、『ヨーロッパ退屈日記』を読んでゆくと、微妙に含意のある文章があることに気づきます。一つは、主演のチャールトン・ヘストンについての記述です。
 チャールトン・ヘストンはこのとき『十戒』『ベン・ハー』『エル・シド』に主演した後ですから、トップ中のトップスターでした。でも、偉ぶらない、愉快で愛すべき人物であるという好意的な言及を伊丹十三は繰り返しています。
 ヘストンは、ご存じのように、俳優としてのほか、長く全米ライフル協会の会長をつとめ、2000年の大統領選挙でのジョージ・W・ブッシュ当選に貢献した人物ですけれど、若いときはリベラル派として人種差別主義と戦い、マルチン・ルーサー・キング牧師とワシントン大行進にも参加した。そういう弱者に配慮するリベラル派的な気質と、好戦的で自己中心的な「リアル・アメリカン」気質が同居している、ある意味できわめてアメリカ的な人物です。でも、伊丹十三は、そういうチャールトン・ヘストンのある種の無神経さにつよい嫌悪をも感じている。『ヨーロッパ退屈日記』には次のような記述がありますが、これはおそらくヘストンを念頭に置いて書かれたものだと僕は思います。

「普通の西洋人は、わたくしには、何かずっと酷薄な、武装した存在に感じられる。友だちづき合いをしていても、いつ、しらじらしいただの他人に変化してしまうかわからない。自分の権利が少しでも犯されそうになろうものなら、ただちに冷たい叱責をまなざしに浮かべて、激しく抗議してくるに違いない振幅の狭さが感じられて気が許せない。
 あるいはまた、普段ひどく無口で、はにかみやの大男が、突然、われわれアメリカ南部の白人が、過去においていかに黒人と美しい協調をなしとげてきたか、いかに黒人が現状に満足しているか、黒人問題などというものは、実際問題として南部には存在していない、という驚くべき発言を、アメリカ人独特の、身についた正義の身ぶりで愚かしくしゃべりたてるのである。
 これは我慢がならない。屈折のない心、含羞のない心、これは我慢がならない。」(74-75頁)

 チャールトン・ヘストンについての、それ以外の箇所での好意的な言及と、今の引用の最後の箇所に表われる激しい嫌悪感はあまりに対比的です。でも、僕はこれはどちらも伊丹十三の実感だろうと思います。『北京の55日』はそのシナリオからして、アメリカ人の愚かしい正義面とアジア蔑視が剥き出しになった、人種差別的な映画でした。でも、それは無意識のものであった。アメリカ人自身はアジア人を救ったつもりでいる。伊丹十三はこの善意でコーティングされた人種差別と自民族中心主義を痛みとして感じたはずです。でも、その個人的感想は深く秘され、抑圧された。それがあえて固有名をあげずに、個人的な瑕疵を非難するというかたちで噴き出してきたのが今の箇所だと思います。特に、その批判が人種差別的であるという事実に対してではなく、「屈折のない心」「含羞のない心」に向けられていることに僕は興味を引かれます。
 人間の歴史をふりかえるなら、戦争とか人種対立というのは「ふつうのこと」です。戦争に勝つものもいれば、負けるものもいる。たまたま軍事的・経済的・文化的優位ゆえに、他民族に対して差別的にふるまうことができるものがおり、差別されることを甘受しなければならないものがいる。歴史の流れが変われば、それぞれの立場が入れ替わる。逆転することもある。だから、戦争に勝ったり負けたり、経済的に優位であったり劣位であったりすることをあまり口うるさく言挙げすべきではない。伊丹十三はそういう構えで海外に出て行ったのだと思います。敗戦国日本の劣位は事実として静かに受け入れる。でも、それについて過剰な劣等感を持って、ことさらに自国の弱点や欠点を露悪的に語ったり、戦勝国の制度文物をありがたがったりすることはしない。日本には日本のすぐれた点があり、恥ずべき点がある。それをともに受け入れるのが伊丹十三のいう「屈折する心」だと思います。自国の誇るべき点を言挙げするときにも羞じらい、恥ずべき点を告白するときにも羞じらう。それが成熟した国民国家のメンバーとしてのあるべき態度ではないのか。そういうふうに考えていたのではないでしょうか。
 ただ、それは同世代の江藤淳にあったナショナリズムの感情とはちょっと手触りが違うような気がします。もう一つ屈折が深い。敗戦国民が、マッカーサーに「四等国」、「精神年齢12歳」と侮られたときの屈辱感に由来するアメリカに対する反感や敵意とはたぶん違う。それほどストレートな反感ではない。そうであれば、もう少し率直に書いてもよかったはずなんです。でも、そのへんのところは丁寧に書き分けてある。ニコラス・レイにしても、チャールトン・ヘストンにしても、個人的な欠点をあげつらうことを伊丹十三は自制しています。でも、「アメリカ人」というようなひとつの人種類型、国民性格を取り上げるとき、不意にきわめて辛辣な記述を行う。
 『ヨーロッパ退屈日記』を読んだ方はご記憶だと思うんですけれど、この本の中で厳しく批判されているものは二種類あるんです。ひとつは、アメリカ人が表現するような種類の、ある種の無神経さ、「屈折」と「含羞」の欠如。もう一つは、日本の「ミドルクラス」の醜悪さです。『ヨーロッパ退屈日記』のコンテンツから言うと、圧倒的にミドルクラス批判に大量の頁が割かれています。

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