こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。
2026.08.17 車窓
8月も半ばとなりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
先日、数年ぶりにご来館くださったというお客様が、「中庭の木がとても大きくなっていてとても驚きました。」とお話しくださいました。
今年は5月から6月の葉が芽吹く時期にたくさん雨が降りましたので、中庭の桂をはじめとした木々が随分伸びたように感じます。暑い日が続いておりますが、木々はとても元気です。

昨年の4月から運転をはじめて1年と少し経ちましたが、最近の移動の足はもっぱら車となってまいりました。岡山へもひとりで運転して帰るなど長距離運転も頻繁にするようになりましたので、近畿地方くらいまでなら家族での移動はほぼ車です。
そんな車での移動が当たり前になった今日この頃なのですが、先日、実に約1年ぶりに四国―岡山間を走る特急しおかぜに乗る機会がありました。移動中に読む本を忘れてしまい、手持ち無沙汰に外を眺めていたのですが、車窓からの景色がとても面白く感じました。
ここ1年、帰省は車移動でしたので、あまり代わり映えのしない景色が続く高速道路の運転がほとんどで、移動中に景色を楽しむことが減っていたのだなあと気付きました。
岡山から松山までの乗車時間は約3時間。岡山の街中を抜け、瀬戸大橋を渡り、香川を抜けて愛媛まで、山や住宅街や瀬戸内海を眺めました。時折、車窓から気になった建物や工場を地図アプリで調べたりと、とても充実した時間が過ごせました。
物心ついた頃から、父方の実家に帰るのに特急列車を利用していましたが、小さいころは乗り物酔いしやすい体質だったので、酔い止めを飲んでも酔ってしまうことが多く、「寝れるなら寝ていた方が良い」とほぼ寝て過ごしていました。
大人になってあまり乗り物酔いしなくなってからも、「移動中は寝るもの」と体が覚えてしまっているのか、列車で寝てしまうことがほとんどなので、移動中の景色はこんなに面白かったんだな、と再発見することができた旅となりました。
瀬戸大橋を渡っている時の車窓からの景色
さて、『ぼくの伯父さん』に収録されたエッセイ「新幹線」にて、伊丹さんは次のように書いております。
新幹線の東京―大阪間がたまらなく好きなのである。列車に乗る時は常に地図を携帯し、走っている間中首っ引きで風景に当たる。
「ホラ、次に鉄橋が来るぞ、ホラ、来た来た。これを渡るとトンネルがあるはずだ、ホーラ、トンネルに入った。トンネルを抜けると――エート、左側に東海道本線が見えるはずだが――オッ、ホーラ、ホラホラ、あれが東海道本線」などと地図と景色を忙しく見くらべ、地図と景色が一致していれば、まことに納得がいって喜ばしく、そうして、地図と景色は当然のことながら一致しているから、私はもう東海道をホクホクと納得のしっ放しでアッという間に大阪に到着するのが常なのである。
実にわれながら単純にして幼稚であると思う。この、納得の喜びにふけっている時の私は、おそらく小学生程度の知能に戻っているに違いない。
しかし――
しかしですね、開きなおって考えるに、これは感動しないあなたの方が間違っているのではあるまいか。すべての情報に対して受け身になっている現代人の病に、あなたもとりつかれてはいないか。
新幹線で東京―大阪間を突っ走るというのは、本来想像を絶する経験であるはずだ。東京、神奈川、静岡、愛知、岐阜、滋賀、京都、大阪の各都道府県のたたずまいが、眼前にパノラマの如く展開するのである。蜜柑畑あり、青い海あり、富士山あり、茶畑あり、田舎風景あり、大都会あり、大きな河だけを拾ってみても、富士川、安倍川、大井川、天竜川、木曽川、長良川、揖斐川と、実に大スター級の河川が、それぞれの営みを宿しつつ、飛ぶが如くに去来するのである。ことにも列車が大垣を過ぎ、左右の山が次第にせばまって、ついに関ヶ原に突入するあたりの緊迫感、そうして、トンネルを抜けるとたちまち風景は一転し、右の車窓に伊吹山の奇怪な山容をながめつつ、琵琶湖東岸のさびしい田園を一気に南下する変化の妙、実にくめども尽きぬ興趣ではないか。
これほど壮大なドラマが眼前に展開しているのだ。なぜみんなもっと驚かぬ。週刊誌など読んでる場合じゃないでしょう。目をカッと見開き、膝をハタと打って、「オウ、あれは!」「これはしたり!」「ウーム、意外また意外」などとわめきちらしたらどんなものか。感嘆のどよめきを乗せて列車は走るべきである、と私は思う。
(『ぼくの伯父さん』より「新幹線」)
『ぼくの伯父さん』
いかがでしたでしょうか。
まだまだ夏休み期間、そして夏が過ぎれば秋の行楽シーズンになってまいります。皆さまも旅の移動途中で地図を片手に車窓からの景色を楽しんでみるのはいかがでしょうか。そして、旅のお供に伊丹さんのエッセイもぜひお持ちください。
学芸員:橘
2026.08.10 アキラ役に立つ、の巻。
このようなことをこの場で申しあげるのはいかがなものかと思いつつ――
記念館便りを書こうとして何にも思い浮かばない、ということが時々あります。
「う~~ん」とヘヴィに考えてみても、敢えてライトに「えっとーー」と考えてみても、何かが脳に兆す気配なし。
バットを振ったところでボールに当たる気がしない、というよりも、バットの振り方さえ忘れてしまったような気分に陥って、風邪でもないのに脂汗が流れて背筋がゾクゾクします。
(今がまさにそれです。)
あれやこれやの用事に追われたり、人間や洗濯機炊飯器電子レンジ等々に呼ばれたりすると「それどころじゃないんだよ~」と思う一方で、こういう時は、現実逃避的に気がまぎれてしまうんですよね。取り組むべき課題から目をそらさんがために、いつも以上に雑事に勤しんでいるフシも。そうして睡魔がやって来て、一日が終わる、と。
「明日、考えよう」「寝て起きたら何か思いつくだろう」を何日か繰り返していると、自分の中のアイツと目が合うんですなぁ。『日本世間噺大系』に登場する、アキラ。

アキラというのは、結婚記念日だというのに仕事と偽り"新しい女"とのデートにうつつをぬかしてしまう、実に実にいかんともしがたい男なのでありまして――
もともとアキラは物事を深く考えるたちではない。アキラに必要なのは一寸先がバラ色であることだけで、そのためには現在がいかに惨めであろうと、バラ色のもう一つその先に暗黒が待ち受けていようと知ったことではない、先のことは先のこと、何とかなるさと多寡をくくるのが常であった。
幼年期のアキラは、厳格な父親に、叱られどうし(原文ママ)で育った。しかも悪いことに、アキラは、自分が何故叱られているかを一度たりとも理解することがなかったのである。父親の怒りはアキラにとって理不尽な嵐にしか過ぎなかった。結果として、遂には叱られることにも殴られることにも不感無覚になり、いかに父親が怒ろうが、ただただ嵐の通り過ぎるのを待つという心理的枠組ができ上がってしまったのである。
これがいまだに尾を引いて、アキラは人生における困難に決してまともに立ち向かおうとしない。いざとなれば自分の殻に閉じ籠って嵐の過ぎるのを待てばよい。なんとかなるさ、嵐はいつか過ぎ去って行く――これがアキラの唯一の人生哲学であった。
(中略)アキラは、家へ帰った時に待ち受けているものを思う。この程度の楽しみの代償としては壊れたものが大き過ぎたようにも思う――が、まア何とかなるだろう――
「結婚記念日」『日本世間噺大系』(文藝春秋、1976年)より
※現在は新潮文庫
こんなアキラが修羅場に陥り「進退谷(きわ)ま」って、さてどうするかっていうと、何もしないんです。本っっ当に何もしないんですよ。
ドラマが起きないというか、アキラがアキラであるがゆえにドラマの起きようがないというか。
「人生における困難に決してまともに立ち向かおうとしない」
「いざとなれば自分の殻に閉じ籠って嵐の過ぎるのを待てばよい」
「なんとかなるさ、嵐はいつか過ぎ去って行く」
あちゃ~、言いたかないけど、すごく分かる...
生育環境は全然違うのに、結局わたしも似たような人間に仕上がってる...
と、ウッカリ共感してしまっているもんで、自分の分身を見る思いでガッカリしちゃうんですよね。
「ちょっとアキラ!」と。
「アンタが何かしてくれなくちゃ、アタシも記念館便り書ける気がしないじゃん!」と。
こんな遣る瀬ない読書があるでしょうか。
曰く言い難い気分で新潮文庫の『日本世間噺大系』を机に伏せると、裏表紙の作品解説が目にとまりました。

「エッセイスト伊丹十三がどこかで見聞きした、あまりにもリアルで身につまされる味わい深いエッセイも多数収録」
――うまいこと勧めるもんだなぁ、さすが新潮文庫。ホント、身につまされすぎて地面にメリ込みそうですよ。
(と、深い感心に浸りきった数分後、アキラで何か書けそうな気がしてきました。史上初めて、アキラが役に立ったケースではないかと思います。)
身につまされる読書、遣る瀬ない読書は「嫌いじゃないよ」という方、結構いらっしゃるのではないかと想像いたします。夏休みの一冊に『日本世間噺大系』をぜひ。
学芸員 : 中野
2026.08.03 オリジナルTシャツ
記念館便りをご覧の皆さま、こんにちは。
各地で厳しい暑さが続いています。くれぐれも無理をせずに、水分、塩分を適切に取るなど体調にはお気をつけてお過ごしください。
暑さにもめげずに、中庭では毎朝セミが大合唱です
さてそんな暑さもあってか、記念館のショップでは、Tシャツを手に取られる方が増えてまいりました。
Tシャツ売り場
記念館ショップで販売しているTシャツの特徴は、なんといっても、伊丹さんが描いたイラストがプリントされたオリジナル商品ということです!
イラストレーターの「顔」も持っていた伊丹さんが、自身のエッセイの挿絵として描いたイラストを使用しています。
プリントされているイラストは3種類で、色違いを合わせると5種類のTシャツがありますので、それぞれ写真と一緒にご紹介しますね。
一つ目のイラストは「スパゲッティを巻くスペースを作る」というもの。
著書『ヨーロッパ退屈日記』掲載のエッセイ「スパゲッティの正しい食べ方」の挿絵です。色は赤と黒の2展開です。

二つ目のイラストは「二日酔いの虫」。
著書『女たちよ!』の同タイトルのエッセイの挿絵で、「二日酔の虫」を引っ張り出す様子が描かれています。色は2展開で、白と黒があります。

そして三つ目は猫のイラストです。
著書『問いつめられたパパとママの本』のエッセイ「ネコノ眼ハナゼ光ルノ?」で描かれた猫が、3匹並んでいます。写真では分かり辛いのですが、色はネイビーで、線の色は濃い緑色です。

全て伊丹さんのエッセイの挿絵ということもあって、伊丹エッセイのファンの方にもおすすめですよ。また、イラストを気に入られた方でエッセイ未読の方は、ぜひ読んでみてくださいね。
ショップ店頭はもちろん、オンラインショップでも取り扱い中ですので、ご興味のある方はぜひご覧ください。
スタッフ:山岡
記念館便り BACK NUMBER
- ●2026年08月
- ●2026年07月
- ●2026年06月
- ●2026年05月
- ●2026年04月
- ●2026年03月
- ●2026年02月
- ●2026年01月
- ●2025年の記事一覧
- ●2024年の記事一覧
- ●2023年の記事一覧
- ●2022年の記事一覧
- ●2021年の記事一覧
- ●2020年の記事一覧
- ●2019年の記事一覧
- ●2018年の記事一覧
- ●2017年の記事一覧
- ●2016年の記事一覧
- ●2015年の記事一覧
- ●2014年の記事一覧
- ●2013年の記事一覧
- ●2012年の記事一覧
- ●2011年の記事一覧
- ●2010年の記事一覧
- ●2009年の記事一覧
- ●2008年の記事一覧
- ●2007年の記事一覧

