第8回「伊丹十三賞」受賞記念
是枝裕和×今野勉対談「伊丹十三とテレビ」採録(4)
2017年4月8日/伊丹十三記念館 カフェ・タンポポ
登壇者:是枝裕和氏(第8回伊丹十三賞受賞者/映画監督・テレビディレクター)
今野勉氏(テレビ演出家・脚本家)
ご案内:宮本信子館長
是枝 僕は今でこそ面白がって言ってますけど、自分がテレビ番組ではじめて取材ディレクターをやったときには、やってもらったことを隠して放送しちゃってるんですよ。だから逆に、全部ばらした方が面白いしやさしさなんだというのに、自分がたどり着かなかったことが悔しくてしょうがないんです。
僕は本当に使えないADの時代が3年続いて、ようやくディレクターになったんです。『地球ZIGZAG』というレギュラー番組で、素人の大学生を連れてホームステイとかのいろいろな経験をして帰ってくる。鬼のように怖かったプロデューサーの白井博さんになんとか認めて欲しいというのもありました。そういうプレッシャーの中でスリランカに行ったんです。「うちのカレーが日本一おいしい」と言っている牛乳屋の息子をスリランカに連れて行って、市場でカレーを作って食べさせるという話でした。バーモントカレーとジャワカレーのルウを使って、彼の家で作っている牛乳を入れるだけなんですよね。カレーの本場でおいしいと言われるわけがないと思っていたから、市場でカレーを現地の人に食べさせて、「不味い。これはカレーじゃない」と言われて、唐辛子農家にホームステイして本場のカレーを食べて帰ってくる、という設定だったんです。
今野 そういう筋を作ったわけだ。
是枝 そうしないと番組にならないと思って筋を作っちゃったんです。先輩たちからも、「『地球ZIGZAG』はチャレンジがあって挫折があって、教訓があって感動があって、別れがあって帰ってくるんだ」と言われていて、そんなもの1週間でどうやるんだと思ってましたが、やらないとディレクターとして認めてもらえない。またADに逆戻りだと思ったから、ちゃんと筋書きを書いてホームステイ先も決めて行った。それで市場でカレーを作って振る舞ったら、スリランカ人が「うまいうまい」と褒めて、1時間も経たないうちに売り切れちゃった(笑)。今から考えたら、うまいうまいと1時間で売り切れたのがドキュメンタリーで、それこそが撮るべきものだったんだけど、そのときは気づきませんでした。
それで頭を抱えてコーディネーターに相談したら、その場に肉を食べられない人がいたんです。「ベジタリアンだからこれは食べられないんだ」と言ってるのをそのまま撮らせてもらって、「おいしくない」と言われた流れにしちゃった。まあ、やらせですよね。そうしたら現場にいたカメラマンに怒られたんです。「これが撮りたいんだったら、なにも朝から仕込みに半日かけてカレーを作って食べさせてというのを撮る必要がないじゃないか。お前はこんなものが撮りたいのか」と言われて、ショックを受けました。
最後に手がけた「香港飲茶修業」という回では、大学生を香港に連れて行って、現地のレストランに弟子入りさせたんです。ところがその子があまりに礼儀知らずで挨拶もできないし、仕事も真面目にできないものだから、修業先の厨房のチーフに「出ていってくれ」と追い出されちゃったんです。僕はそれをそのまま撮っていました。そしたら、その子は番組なりの演出だと思っちゃったんです。この番組はこういう演出をするもので、表で待っていると中からチーフが来て「お前、もう一回頑張ってみるか?」と言ってくれる筋書きなんだろうと。だけど僕は仕込んでないから、何も起きない。しかも、そのまま帰ってきちゃった。要するに「挫折しました」という番組になったんです。僕はプロデューサーに「こういう回があってもいいはずだ」と言い張ったんですよ。そしたら、「そんな隊員を連れて行った番組の責任がある、本人の将来のためにならないからこれは放送しない」と言われました。プロデューサーの判断も今から考えると正しかったような気もするんですけど、結局ボツを出して僕は番組を離れたという経緯があるんです。その時期に僕は、今野さんの番組をテレビマンユニオンの社内で相当見てるんですよね。長くなりましたけど、そんな経緯があって僕は1本目で躓いちゃったんです。
今野 しかし、僕はどうして挫折しないのかな(笑)。
是枝 そうなんですよ。本当にうらやましい。今野さんを見ていると、何でこんなに楽しそうにものを作ってるんだろうといつも思うんです。もしかすると裏で素振りをしているのかもしれないですけど、試合に出てくるときはいつも軽やかで楽しそうじゃないですか。それに、今野さんは怒らないですよね。
今野 怒ることもありますよ。ずっと後に3時間ドラマをやったときには、俳優さんを怒ったことがある。3時間ドラマの主役をやるくらいだから、もちろんそこそこうまい人ですよ。ランプかなにかの油がこぼれて燃えるシーンがあって、当然燃えるような仕掛けをしているわけです。ところが、どうせ本番じゃないからと思ったのかな、リハーサルのときにいいかげんな消し方をした。撮る側には炎がどれくらいで消えるのかとか、いろいろなことがわからないじゃない。そういうこともわからないかと思って、僕は注意どころか「こうやってやるんだ!」と、火を消す布をバシバシぶつけちゃった。みんなが遠のいていくような勢いで。
是枝 引かれちゃった。
今野 そういうことはあった。たまには怒るんです。
是枝 伊丹さんと現場で意見が対立して喧嘩したことはあるんですか。
今野 喧嘩というのはないですね。意見が対立してどっちがいい、こっちがいいというやりとりはしょっちゅうでしたけど。あと、失敗したときの対策もよく考えました。『天皇の世紀』でもやりました。京都の市電のあるルートの電車に乗ると、走行ルートに次々と歴史的な建物があって、ある事件に関連する一連の建物がずっと見えるんです。市電の中から建物を中継しながら事件がわかるという構成を2人で考え出して、よしと乗客の少ない一番電車に乗ったわけですよ。ところが市電は遅いから、ひとつひとつの建物を回るのに時間がかかるんです。伊丹さんも喋っているうちに間延びしているとわかって、僕も終わった途端にこの方法は駄目だと解った。
どうしたかというと、市電から実況した映像をそのまま使ってそこに伊丹さんの別のナレーションをかぶせた。「最初に撮ったこの映像は間延びしてまったく使えませんでした」とやったんです。発想が間違えていたんだから、間違えていたことをそのまま言おうと。そして何が映っていようと関係なしに、次々に「ここでこういうことが起こった」と必要なナレーションを入れていった。間違えた喋りを消さないで、その上に伊丹さんのもうひとつの声が流れていく。失敗と本当に言いたかったことを両方出したんです。
是枝 そうすると面白いと思ったのはいつですか。戻ってきてからか、それとも現地で決めたのか。
今野 現地で決めないともう一回早朝に撮影しなきゃいけない。その暇はない。映像はこのまま生かして失敗しました、というナレーションで乗りきろうとなった。その判断は伊丹さんも僕も結構早いんだよね。
是枝 普通はNGとして捨てるところがむしろ面白いかもしれないという発想は、『遠くへ行きたい』の今野さんの回には随所にありますよね。「遠い海へ来てしまった!」でカメラアシスタントが映るのも、他のディレクターたちの回にはあまり出てこないですよね。
今野 ああいう風に正面切ってスタッフを画面に出したのは、あの回が初めてだと思います。カメラ助手とアシスタントディレクターが、吉村昭さんの小説にある、死にに行く少年たちを演じる構成を考えたんですよ。何でかというと、彼ら自身が小説に描かれたような若者なんです。スタッフの若者がADやカメラ助手の仕事をしながら演じると、小説の中の少年と同じ時代に生きてるんだよという共感を得られるじゃないですか。
たとえば遠くの坂道をカメラ助手とアシスタントディレクターが少年の役を演じて下りてくる場面があるんですよ。彼らの雰囲気は、ほんとに現代の若者です。その様子を撮影しているカメラ脇には伊丹さんがいて、画面には映ってないんですよ。でも、「おーい、なんか絞りがおかしいってさ!」と、カメラ助手の子に声をかけるんです。そうするとカメラ助手はびっくりして、演技をやめてカメラを調べに飛んでくるんですよ。それをカメラはずっと撮影してる。慌てて飛んできてカメラの絞りを調べる顔が映るわけだけど、そこで「というわけでもう一回」と伊丹さんが言うのね。そうすると、スタッフがそのまま役者をやっていることがもろに見える。そういうシーンをわざと考えて作るんですよ。
今野 そうです。カメラマンも巻き込んで「あいつらはなにも知らないで若者を演じながら下りてくるけど、カメラの絞りがおかしいって言うと絶対飛んでくるから」と見込んでいて、実際にその通りになった。そういう面白がり方のアイデアが伊丹さんはうまいし、相手にばれないように言えるんだよね。伊丹さんが演技していることにスタッフが気がつかない。それも才能のうちじゃないかな。
是枝 あと、白樺湖で人工的に霧を作る回がありますよね。
今野 白樺湖は霧で有名だから霧を撮るという回ですけど、スモークを出す装置をわざわざ持っていって、霧が出ないからとスタッフがスモークを焚く場面をわざと見せておく。それで、今度は逆に本当の霧を、何の説明もしないで見せるんですよね。見てる方はそれまでさんざん嘘の霧を見せられてるから、視聴者は本当の霧なのか嘘の霧なのかわからなくなってくる。画面に映っているものが本物なのか偽物なのか皆さんわからないでしょうとなって、「本当って何だ」というメッセージが現れるんです。
是枝 そんな風に、番組自体がテレビでものを伝えることに対して批評性を持ってますよね。自分たちが関わっているテレビで伝えることに対する批評性を、エンターテインメントとして見せてくる。今野さんと伊丹さんが組んで作られたものは基本的にすべて、旅番組なら旅番組の、ドキュメンタリードラマならドラマの批評になっていて、そこが古びないところだと思うんです。
今野 映画もそうだろうけど、テレビ番組は基本的にどこかで嘘をついてるんですよね。たとえば『遠くへ行きたい』は常に一人旅風に映ってるけど、実はスタッフが一緒に旅してるんですよと言った方がいいという気持ちは、伊丹さんも僕もどこかにある。「遠い海へ来てしまった!」ではたまたまスタッフが演じたから映ったけど、同時にこれだけの人間が一人旅の後ろにいるんですよというのを何気なく開示しているんです。「どんなに自然に見えても、番組というのはどこか作り物なんです」というメッセージを言っておいた方が、単なる面白さだけじゃなくて、見る人の目がその分高くなる。逆に言えば、そうした受け手がいないと非常にシンプルな番組しか作れなくなる。どう考えたって、批評性を持った視聴者がいた方がいいわけですよ。そういう人たちを育てるのが僕らの使命じゃないかというのがチラッとあった。単に批評するだけじゃなくて、味方にするためにそういう考えを作っちゃうんです。そんな考えはやさしさでもあるんです。1970年代の話ですけどね。
是枝 ちょっと専門的なことになるかもしれませんが、僕はいま、60年代から70年代にかけてのテレビドキュメンタリー的なものを見せたりする授業を大学でやっているんです。1970年を越えたぐらいで、旅番組なら旅番組を、ドラマならドラマを番組の中で批評していくことが起き始める気がするんです。もしかするともうちょっと早くから始まってるのかもしれませんが。
たとえば久世光彦さんがドラマをドラマとして批評していく。もう1人、萩本欽一がテレビの笑いをスタジオから外へ開いていく。今野さんと伊丹さんが旅番組を含めたドキュメンタリーというものを、自己批評的にどんどん自由に自由に外側に崩していく。技術の進歩と相まってだと思いますけど、ジャンルを越境するというのはこの三者がやった仕事だと思います。今はドラマはドラマ、バラエティはバラエティ、ドキュメンタリーはドキュメンタリーと、ジャンルに分かれて固定化している気がします。70年代に入ったこの時期に今野さんが取り組まれているときは、その境界線はもっと曖昧に捉えられていたんでしょうか。
今野 僕らの仕事にはいろいろ理論があるけど、どこかで才能が非常に大きな比重を占めているんですよ。欽ちゃんにしても伊丹さんにしても、やっぱり独特の才能があるわけですよね。僕は『欧州から愛をこめて』で伊丹さんに実況中継役をやってもらいましたよね。でも、アナウンサーがあの実況をやったら、ただの無機的なあるいは熱狂的なアナウンスになっちゃうんです。伊丹さんが普通の人みたいに、「ええと、ここはいま昭和20年の何月だと思ってください」と戸惑いながら言う。戦争から30年ぐらい経って、街の様子は全部変わっている。30年前の本当の街を探してそこで再現するのも大変です。本当に事件の起きた場所があって、30年後でまったく様子が変わっているけれど、「事件が起きたのはこの場所だ」という本当のことだけは言うしかない。そこでドラマをやって、違っている部分を「今は昭和20年だと思ってください」と説明する。予算の中で伝えようとするとそう中継する方法でしか歴史的な事実を伝えることはできないと思ったんです。しかも、伊丹さんがいたからその方法を考えられた。