伊丹十三賞 ― 第8回受賞記念 是枝裕和×今野勉 対談採録

第8回「伊丹十三賞」受賞記念
是枝裕和×今野勉対談「伊丹十三とテレビ」採録(2)

2017年4月8日/伊丹十三記念館 カフェ・タンポポ
登壇者:是枝裕和氏(第8回伊丹十三賞受賞者/映画監督・テレビディレクター)
     今野勉氏(テレビ演出家・脚本家)
ご案内:宮本信子館長

是枝 現在放送されているドキュメンタリードラマを今野さんは手法としてあまり認めないと思いますけども、70年代以降、今野さんは単純な再現ドラマではないものを作られてますよね。『欧州から愛をこめて』では伊丹さんが戦時中に起きたことを中継していくスタイルを取っていますけど、『天皇の世紀』にも同じような手法があって、坂本龍馬と勝海舟をどうつなぐかという話を伊丹さんが解説する。それを始めたのは『天皇の世紀』が最初ですか?
今野 『天皇の世紀』が最初です。そもそも『天皇の世紀』をドキュメンタリー形式にするのは、原作者の大佛次郎さんの希望でもあったんです。僕がやったドキュメンタリー形式の『天皇の世紀』は第2部で、第1部はいろいろな映画監督が演出したドラマだったんですよ。制作・放送は大阪の朝日放送だった。第1部が終わってからの講演で、大佛さんが「今度はドキュメンタリーでやってほしい」と言った。ドラマだと、たとえば坂本龍馬なら坂本龍馬の生き生きした奔放な感じが出ないで、いわゆる時代劇になっちゃっているという思いがあったんじゃないかな。僕はその講演のテープを聞いて、大佛さんが何に不満だったかということがわかった気がしたんです。つまり、作る側が坂本龍馬みたいに自由でスケールが大きくないと、大佛次郎さんに応えるような番組はできないんだと。
是枝 じゃあ、第1部のドラマを反面教師にして進めた企画なんですね。
今野 ドキュメンタリー形式の方は2012年にBSで全26話を放映しましたけど、それではじめて見た人がびっくりした。
是枝 あれはびっくりするでしょうね。「パリの万国博覧会」でもやられてましたけど、現代の風景の中を侍が普通に歩いたり走ったりしてますよね。電柱とか今の建築を排除して排除して、かすかに残っているかつての風景の中を歩かせるよりも、よっぽど生々しい。あの手法を発見したのは誰なんですか?
今野 企画段階の話し合いでは、侍姿で現代のパリを歩くとパリっ子が振り返るだろうと思ったんですよ。僕も伊丹さんも。それで撮影してみたら、何回やっても誰も振り向かない(笑)。それではたと思ったのは、パリの人たちはこの程度の異様な姿を、もう100年も200年も前から見てるんじゃないかということ。パリには世界中から人が集まってくるわけだから、侍の姿ごときで驚くわけがないと気がついたわけ。だから、伊丹さんがそのことを汲んで、「振り向かないことに驚いた私たち」「間違ってた私たち」と、見事にナレーションにしているんですよ。
是枝 それは現場で発見したことですよね。伊丹十三記念館の資料室でパリ万博の回のナレーション原稿を拝見したんです。茶色い紙の裏に殴り書きされていました。あれは現場で伊丹さんが全部書いたんですか?

講演会の様子

今野 パリ万博には徳川幕府の使節団の他に、薩摩藩からも使節が行ったんです。外国人にとってはどっちが政府かわからなくて、日本人同士も揉めるんですよね。その話が原作にあります。伊丹さんが演じたのは幕府側の使節団です。それともう1人薩摩藩側の人間が必要だけど、日本から連れて行くと金がかかるので、パリにいる日本人からキャスティングしました。
是枝 現地調達ですね。
今野 音楽家かなにかで演技は素人だったけど、カツラをかぶせたら似合う。それで伊丹さんは、彼でも言える台詞と自分が言える台詞をその場で書き分けた。
もっと言うと、ドキュメンタリー『天皇の世紀』には台本がないんですよ。今のテレビ関係者に話すと、よくテレビ局が何をやるかわからない企画を毎回通したなと驚くんですよね。伊丹さんは例のごとく『遠くへ行きたい』で鍛えられたサービス精神と、現場で考えるということがいかに面白いのかということに気がついていて、僕が演出した第1回「福井の夜」から自由なスタイルでやりだしたわけですよ。原作のダイジェスト版みたいな構成台本はあったんですが、僕は第1回、第2回と自由にやった。それで『天皇の世紀』という番組の原型ができたんです。テレビ局側のプロデューサーが予想もしなかったような面白さが出てきて、これは台本を書いてしまったらできないことがわかった。朝日放送の役員だったエグゼクティブプロデューサーが、台本はいらないから自由にやっていいと言いだしたんです。伊丹さんやスタッフに対するすごい信頼ですね。パリ万博の回も現場で作っていて、台本がないんですよ。

是枝 『天皇の世紀』にはテレビマンユニオンの名前がどこにも出ませんが、あれは何か事情があったんですか? 裏番組との兼ね合いですか?
今野 いや、朝日放送から発注を受けた制作会社が実際に制作しているんですけど、その会社はドキュメンタリーを作ったことがなかった。みんなドラマの経験しかなくて、プロデューサーもそこから来た。それで、ドキュメンタリーだから毎回お金の使い方が違うわけです。俳優が演技をして俳優費が出る場合もあるし、俳優を1人も使わないで我々だけで現地に行って作る場合もある。そうやって毎回違うのが当然なんですけど、どうしてもプロデューサーには理解できなかったようなんです。俳優費はこれだけ、美術費はこれだけと毎回決まっているから、俳優費が上限を超えるとノーと言ってくる。
撮影が始まって間もなく、『天皇の世紀』全体の主人公である坂本龍馬をちょっといい俳優さんにやってもらうことになりました。当然俳優費が大きくなります。それにプロデューサーからノーが出たので僕と伊丹さんが頭にきて、制作会社のお偉いさんに「こんなことじゃできないから、プロデューサーを替えてくれ」と文句を言ったんですよ。伊丹さんは「これからテレビマンユニオンに全部やらせてほしい。名前は出さなくてもいいけどテレビマンユニオンで全部仕切る。形だけのプロデューサーでいい」とまで言って、黒木和雄さんとか蔵原惟繕さんといった他のディレクターたちも我々に同調した。つまり番組を作ってる途中で、演出陣が反旗を翻した。それで向こうが折れた。そのこともあって、台本はないし、予算さえ守ればどんな予算の使い方をしてもいいとなった。テレビマンユニオンの名前は出ないけど、自由な番組になったんです。何も戦わないうちから、「はい、自由にやってください」なんてことはないですよ。あの番組はそうやってできたんです。

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