記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2023.09.25 『ガクゲイイン中野靖子の冒険』

9月17日(土)午後2時過ぎ、専修大学神田校舎10号館6階10061号室。


かつてない緊張に打ち震えつつ「松山の伊丹十三記念館からまいりました中野と申します」とご挨拶し、40人を超える方々、それから、尊敬してやまない演出家の今野勉さん――数々の傑作ドキュメンタリー番組で伊丹さんと仕事を共にした"盟友"今野さん――の前で、幅広い分野で活躍した伊丹さんの仕事に関するお話を始めました。

※ 今野勉さんについてはこちらもぜひ!

一体何事かと言いますと、
日本映像学会第10回ドキュメンタリー・ドラマ研究会
今野勉著『テレビマン伊丹十三の冒険』出版記念 テレビメディアと伊丹十三
という、大変にめでたく、この上なく有難い会で「伊丹十三の仕事」をテーマに講演する機会を頂戴したのです。なんと光栄なことでしょうか。

20230925_ddken_0.jpg慣れぬPowerPointでド真剣に作ったタイトルです

研究会は三部構成で、
・第一部
 上映『欧州より愛を込めて』『遠くへ行きたい 伊那谷の冬』『天皇の世紀 福井の夜』
・第二部
 講演「伊丹十三の仕事」(中野)
・第三部
 パネルセッション
 (今野勉さん・コメンテーター/法政大 藤田真文教授・中野、司会/静岡大 丸山友美講師)

 

と午前中から夕方までたっぷり。とっても贅沢なプログラムでありました。

今野勉さん&伊丹さんによる傑作テレビ番組の映像・講演・討論・質疑で、今野さんのご新著と作品への理解をより深めましょう、という集まりであったわけ、です、が......

白状いたしますれば、講演のご依頼をいただいた当初、「こっ、こここ今野さんの前で伊丹さんについて語る...ってこと...です...よね......ワタシにはそんな根性ありません! どうしたらいいんですかどうしたらいいんですか~~~」と半ベソで同僚たちに泣きついたものです。
(私が今野さんの大ファンであることを知っている同僚たちは「よかったじゃないですか~」「楽しんできてください!」と笑顔で励ましてくれました。でも、内心では「どうせ引き受けるんだから黙って受け入れればいいのに」と呆れていたにちがいありません。みなさんいつもごめんなさい。)

それやこれやの最中にも「割り当てられた1時間で『伊丹十三の仕事』をどのようにお伝えすることができるだろうか」と考え始めていたのですが、思案した末の結論は「当然ながら"全てを順に詳細に"は無理」ということ。"ナントカの考え休むに似たり"、まさに至言ですね。

そこで、まず、伊丹さんの経歴の中で現在最も知られているであろう「映画監督としての仕事」からご紹介することにしました。脚本監督作品10本の特徴を一番に挙げるとするなら「日本人論」であります。
その点をご説明した後、「映画監督という職業にいたるまでの経緯」と「伊丹十三の日本人論はどのように形成されていったのか」についてお話ししていく、というのが本論の構成。

ポイントにしようと私が考えたのは、3点。
「幅広い活動の理由」「テレビとの出会い」「父・伊丹万作の存在」、です。

20230925_ddken_1.JPG講演中のわたくし。
テレビ・メディア研究者や学生さんが多く集まった会場には
ITM伊丹記念財団役員の方々、お久しぶりの方々のお姿も――

【1】映画監督デビューまでにデザイン・エッセイ・テレビドキュメンタリー・テレビCM・精神分析、と幅広い表現活動を経た伊丹十三ですが、「多才」「何でもできる人」とひとことにと語られることには、長い間、違和感がありました。
その違和感の元を"逆転"させて「時代や年齢に応じて浮かんだ問題意識をテーマとする時、最善の創造活動を実現するためにテーマに適した表現方法・分野を常に模索していた(その結果が多分野にわたる活躍となった)」と捉え直してみると、それぞれの分野における伊丹十三の創意工夫と収穫がより顕著に見えてくるように思われます、ということを、伊丹さんの経歴を概観しながらひもといていきました。

【2】それから「ドキュメンタリー番組のロケで多くの旅を経験したことによって、独自の日本人と日本人社会の歴史への認識を深めていき、また、今野さんをはじめとするテレビマンユニオンの方々との番組作りの場でジャンルの枷を超える自由な表現を学んだ」というお話。
これを、直筆のナレーション原稿やメモなどの番組制作資料、単行本に収録されなかったエッセイとともにご紹介できたのは、記念館ができたときに伊丹さんの直筆資料をご寄贈くださった今野さん、"とにかく物を捨てずに取っておく人"(宮本館長談)だった伊丹さんのおかげであります。

【3】そして最後に、「テレビでの活躍後、精神分析を学び、遅咲きの映画監督となった背景には、"まわり道をせざるを得なかった事情"があった」ことにもふれさせていただきました。
"まわり道"の根底には、父・伊丹万作を少年期に喪ったこと、その父が偉大な映画人であったことに由来する憎しみに近い感情、内面での父との葛藤があったと考えています。その秘めた苦しみに気付いた伊丹十三は、日本人である自身の内に根付いた問題の解明の道を精神分析に求め、学びに励んで乗り越えるにいたったのですが、心の中の父と和解するに至るとともに、創造活動の柔軟性もより高まっていきました。そうした流れがあり、1984年、51歳で映画監督デビューを果たし――最終的には父の功績を顕彰するに至った――という経緯を、新聞や雑誌インタビューでの発言、伊丹万作五十回忌でのスピーチなどなどをもとに詳しくお伝え――
――したかったのですが、終盤はかなり駆け足でまとめさせていただくことになってしまい、それなのに持ち時間を超過してしまい、ご聴講の皆様、研究会の皆様には大変失礼いたしました。

(研究会参加者で「ここのところ、もっと詳しく説明して欲しかった」と思ってくださった方がいらしたなら、ぜひ記念館HP内のこちらのページやこちらのページをご参照くださいませ)

と、いうようなことを考えての私の講演は、拙い話しぶりと覚束ない運びで終ってしまいましたが、このたびの研究会を機に考えたこと・経験させていただいたことは、私にとってはまたとない冒険でありました。

20230925_kuromon.JPG冒険ついでに研究会会場の専修大学のシンボル"黒門"をパチリ。
(朝日直撃で赤っぽい色味になっていますが実際はもっと黒いんですよ!)
1885年の神田移転から1903年までの明治時代の「専修学校」の正門で、
創立130周年を記念して2010年に復元されたものだそうです。

そして今、『テレビマン伊丹十三の冒険』を再び手に取り、「今野さんたちや伊丹さんが愛する"自由"とはどういうものだろう」と考え続けています。

力尽くで舌鋒鋭く闘って勝ち取る自由もありましょうが――

「当たり前」の発想レベルが"ジャンルの枷の内側"にある人は不自由なまま。
自分たちが伝えたいことをよりよく伝える表現のため、そして受け手のため、"ジャンルの枷"をヒョイとはずし、さまざまな条件や状況に応じて新しい「当たり前」を当たり前のように発想できる人たちは自由でいられる。

きっとそういう"軽やか"な自由ということなのだろうな。
それは私のような者にも可能だろうか。
などなど、考えに耽りながら、やっと秋めいてきた松山で空を眺める今日この頃です。

最初こそドキュメンタリーのロケに戸惑った伊丹さんが徐々に勘どころを獲得し、水を得た魚のように躍動し、ついには羽根まで生やして羽ばたくかのように日本人と日本人社会の歴史を自在に捉えることができるようになっていった――その過程は記念館の『旅の時代』展でご紹介したところでもありますが、今野さんの『テレビマン伊丹十三の冒険』では、ご記憶・ご経験・資料に基づいてさらに克明に記述されていて、ジャンルを問わず自由を求める人々へのヒントに満ちています。自由をめぐる痛快冒険譚、未読の方はぜひぜひお手に取ってみてください。


(叙事詩的に最初から通して読んで面白く、かつ、どこから読んでも面白くてツマミ読みをも許してくれるのが、この本のすごいところ。学術書の気難しさはどこにもありません。どなた様でもどうぞお気軽に!とお勧めいたします。)

すばらしいご本を世に送り出し、研究会のパネルセッションでは惜しみなくお話をお聞かせくださった今野さん、お声をかけてくださった研究会メンバーの皆様、ご参加くださった皆様、本当にありがとうございました。

20230925_ddken_2.JPGパネルセッションにて、幸福感にひたりながら今野さんに質問中のわたくし(右奥)。
左から、司会の丸山友美先生、今野勉さん、コメンテーター藤田真文先生。
藤田先生、丸山先生の丹念なご準備ぶりも、大変勉強になりました。

学芸員:中野

2023.09.18 第15回伊丹十三賞の贈呈式を開催いたしました【その2】

先週に引き続きまして、贈呈式の模様をお伝えいたします。

 

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選考委員である南伸坊さんの祝辞に続きまして、正賞の盾と、副賞の賞金100万円の贈呈が行われました。

 

正賞(盾)の贈呈 選考委員・中村好文さんより

 

 

 

s-_DSC9548.jpgタキシードに身を包んだ三谷さんの横で、

中村さんは「服装のバランスがちょっと悪かったかな~って思うんですけれども」と

会場の笑いを誘いました。

歴代の受賞者の中でも蝶ネクタイは三谷さんが初めてでした、という会話も。

 

 

 

副賞(賞金)の贈呈 宮本信子館長より

 

s-_DSC9558.jpg「おめでとうございます」「ありがとうございます」と言葉を交わし、

館長の茶目っ気たっぷりな「落とさないように」の言葉で和やかな雰囲気に。

 

 

そして、受賞者・三谷幸喜さんのスピーチです!

 

受賞者・三谷幸喜さんのスピーチ

 

 

s-_DSC9568.jpgスピーチを行う三谷幸喜さん

 

●伊丹さんとの出会い

30年以上前になると思うんですけれども、赤坂にすごく美味しいドライカレーとかぼちゃプリンのお店がありまして、そこに僕は何回か通っていたんですが、そのお店の隅っこのテーブルでいつも書き物をされていたのが伊丹十三さんでした。

 

僕は伊丹さんのエッセイも大好きだったし、映画もすごくファンだったので、これはちょっと挨拶しなきゃいけないと思いまして。全く面識は当然ないんですけれども、伊丹さんのところに行って、僕はまだ大学生だったと思うんですけれどもご挨拶させていただいて「映画の大ファンです」って話をしました。

 

伊丹さんは、こんな訳も分からない若輩者が突然話しかけてきて、たぶん驚かれたんだろうと思うんだけれども、すごく優しく接してくださって「どうもありがとう。ところで、僕の映画のどういうところが好きなの?」っていうふうに言われました。

 

そこまで考えてなかったので(場内笑)すごく焦ったのを覚えています。

 

伊丹さんは、僕らのような下の世代の若い人間の言葉にも、すごく耳を傾けてくれる方でした。

 

●伊丹さんとのエピソード

 

『ショー・マスト・ゴー・オン』という舞台をやったときに、伊丹さんが宮本さんと来てくださって、終わった後に食事がしたいとおっしゃってくださって中華料理をご馳走になりました。

 

すごく面白かったと、この作品のどこがこんなにおもしろいのかということを、とくとくと話してくださって...僕は当然緊張していたんで、全く耳に入ってこなかったというのを覚えております。(場内笑)

 

それから『ラヂオの時間』という初めて僕が映画を作ったときにも、伊丹さんは現場に足を運んでくださって僕の横でずっと見てくださっていました。伊丹さんがおっしゃっていたのは「映画というのはスクリーンに映っているものが全てなんだ。だから君はずっとモニターだけを観ていなさい」そういうふうに伊丹さんは教えてくださいました。

 

伊丹さんのお家にも何度かうかがって、まだ完成していない伊丹さんの映画を、粗編集の状態だったんですが、見せていただいて「感想を言いなさい」というふうに。

 

そう言えるもんじゃないんですけれども...(笑) 思ったことを話しました。

 

本当に伊丹さんは人の話をとてもよく聞いてくださる方だったなというふうに思います。

 

s-_DSC9576.jpg 

 

●大河ドラマでの足利義昭役

 

それから月日がたって大河ドラマの『功名が辻』という作品があったのですが、僕は足利義昭の役で出演しております。

 

大石静さんが本を書かれて、大石さんの推薦だったんですけれども、なんで役者でもない僕が足利義昭をやったかというと伊丹十三さんがやっぱり大河ドラマの『国盗り物語』という作品で足利義昭をやっていたんですよ。

 

僕はその義昭がもう大好きで。小学生のころだったんですね、僕が見たの。義昭といえばそれからもう伊丹さんしか考えられないくらい、それぐらいもうジャストフィットしたキャスティングで。だからその同じ役をやるということがすごく嬉しくて。

 

しかもその『功名が辻』というのは司馬遼太郎さんが原作で、伊丹さんがやられた『国盗り物語』も司馬遼太郎さんが原作で。

台本を読むとですね、伊丹さんが言ったセリフと同じようなセリフが出てくるんですよ。

 

これはもう伊丹ファンとしてはやらない訳にはいかないと思って引き受けたんですけれども。

 

撮影の時にですね、「信長は何をやっておるのだ」というセリフがあるんですね。足利義昭は信長に対してすごく敵意を持っているシーンで...。まぁ、二人に何があったかはちょっと皆さんには、個人的に調べてもらって(場内笑)はしょりますけれども。

 

「信長は何をやっておるのだ」というセリフを僕は言ったんですけれども。

本番でNGが出まして、プロデューサーがやってきて「三谷さん、いま"のぶながは"とおっしゃっていたんですが"のながは"にしてください」と。ちょっとアクセントが違うらしいんですね。

 

「分かりました」と言ったんですけれども、僕の中では『国盗り物語』では、伊丹さんは絶対"のぶながは"って言ってたんですけれども。

 

「"のぶながは"何をやっておるのだ」。

 

だから伊丹ファンとしては"のながは"って言いたくないんですよ。

""にアクセントをどうしても付けたくないんで、ちょっと抵抗しまして。

 

一応またテイク2になったときにも「"のぶながは"何をやっておるのだ」って言ったらまたブーってなって。(場内笑)

 

「ごめんなさい、今また"のぶながは"って言ったんですけれども、"のながは"でお願いします。時代考証的にも"のなが"じゃないとダメなんです。」というふうに言われたんですが、僕は「いや伊丹さんはたぶん"のぶながは"って言ってたんで」と言いたいんですけれどもちょっと言える感じじゃなくて。(場内笑)

 

伊丹さんは全然スタッフでもなんでもないんで、我慢しなきゃいけなくて。でもテイク3になったときにまた「"のぶながは"何をやっておるのだ」。またブーッとなりまして、「お願いですから、"のなが"で...」(場内笑)

 

で、もう伊丹さんに心の中で「ごめんなさい」って謝りつつ、心では"のぶなが"と言いながら"のなが"と言う、そういう難しい手法を取りまして、その場を切り抜けたというのを覚えております。

 

僕は伊丹さんが大好きです。だから、伊丹さんの名前のついたこの賞をいただけて本当に嬉しいです。ありがとうございます。

 

今僕は映画を4年ぶりに撮っています。現場ではモニターを見てそこから目を離さないようにしています。若いスタッフには必ず耳を傾けるようにしています。

伊丹さん、どうもありがとうございました。

(場内拍手)

 

宮本信子館長のご挨拶

 

今日はお暑い中大勢のお客様にいらしていただきまして、本当にありがとうございます。

もう昔々の話なんですけど、伊丹さんはある時期、三谷さんと本当に濃密な時間を過ごしました。若くて才能のある三谷さんから刺激を受けて、そしてものすごく楽しそうに嬉しそうに話していた姿を私、覚えております。

 

それからもう何十年経ちました。

 

 

s-_DSC9601.jpgご挨拶をする宮本信子館長

 

 

今日は、この賞のおかげで三谷さんとまた再会することが出来て、伊丹さんも本当に喜んでいると思います。三谷さんおめでとうございました。(場内拍手)

 

記念館にいらしたら、伊丹さんの家みたいなものですので、ぜひ遊びにいらしてください。そしたら、なんて伊丹さんは嬉しいんだろうなぁって思います。

ありがとうございます。

 

では、第15回伊丹十三賞、三谷幸喜さま、これからのますますのご活躍をお祈りいたしまして、そして何度も言っても良いです、おめでとうございますと乾杯をしたいと思います。

 

乾杯!(乾杯後、場内拍手)

 

 

s-_DSC9622.jpgかんぱーい!

 

s-_DSC9630.jpg笑顔で乾杯をする三谷さんと宮本館長

 

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以上、贈呈式の様子をご紹介させていただきました。

 

s-_DSC9672.jpg左から周防正行さん、南伸坊さん、宮本信子館長、

三谷幸喜さん、平松洋子さん、中村好文さん

 

三谷さんのスピーチの間、会場で何度も笑いが起こり、ご来場の皆さまはとても楽しそうにスピーチを聞いていらっしゃいました。伊丹さんとの出会いやエピソードについてお話しくださり、伊丹さんのことを本当に大好きでいてくださっていることが伝わってくる温かいスピーチでした。この度の受賞を大変喜んでくださっているのがひしひしと感じられる時間となりました。

式典後には、ノンアルコールのお飲み物をご提供させていただきまして、ご歓談の時間を設けさせていただきました。和やかな雰囲気で皆さま歓談のお時間を過ごしておられました。

 

s-IMG_1930.jpgご歓談の時間での1枚。

三谷幸喜さん、第1回受賞者・糸井重里さん、第14回受賞者・小池一子さん

選考委員の皆さま、宮本信子館長

皆さまとっても良い笑顔です!

 

s-_DSC9719.jpgお庭で撮影した集合写真

 

三谷さん、選考委員の皆さま、ご来場くださった皆さま、YouTube配信にてご覧くださった皆さま、関係者の皆さまに厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。

 

スピーチでもお話がありましたとおり、三谷さんは最新映画作品の撮影をしている最中とのこと、これからの三谷さんのご活躍にもぜひご注目ください。

そして、今後とも、伊丹十三賞をよろしくお願いいたします。

 

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今回の記念館便りの写真は、撮影:池田晶紀さん(株式会社ゆかい)、

撮影協力:株式会社ほぼ日のみなさんです。

 

学芸員:橘さくら

2023.09.11 第15回伊丹十三賞 贈呈式を開催いたしました【その1】

各メディアで報じていただきましたのでご存知の方も多いと思いますが、去る9月1日(金)、国際文化会館で伊丹十三賞の贈呈式を開催いたしました。

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贈呈式直前のステージ

 

20230911-b.jpg会場入り口


第15回を数える伊丹十三賞の受賞者は、脚本家・三谷幸喜さんです(プロフィールや受賞者コメントなどの詳細はこちらをご覧ください)。

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三谷幸喜さん

記念館便りでは、今週と来週の2回に分けて贈呈式の様子をレポートさせていただきます。

 

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贈呈式は、進行役を務める玉置泰館長代行の挨拶に始まり、この度の受賞者・三谷さんと受賞理由が紹介されました。その受賞理由は

「つねに企みをもちながら、脚本、演出、エッセイ、コメンテーターなどの仕事に取り組み、独自の境地を切り拓いた予測不能の才能にたいして。」です。

続いて選考委員の4名と宮本信子館長の紹介があり、選考委員のおひとり・南伸坊さんから祝辞が贈られました。

祝辞・選考委員の南伸坊さんより

三谷さん、伊丹十三賞おめでとうございます。そしてありがとうございます。これでまた、伊丹十三賞がさらにひと回り大きくなりました。

私は三谷さんに、これまでもいろいろなシチュエーションで笑わせていただきました。私は笑うことが大好きなので、笑わせてくれる人が大好きです。

ドラマで、エッセイで、インタビューや対談の受け答えで、テレビのコメンテーターとして。あるいは映画の宣伝のときでさえ、三谷さんは、どんなときにも工夫して必ず面白いことを言って笑わせてくださいます。

素晴らしい! ――ことです。(場内笑)

20230911-a.jpg

祝辞を贈る南伸坊さん

 

笑うっていうのはなんでこんなに楽しいのか。面白いっていうのはどういうことなのでしょうか。

私たちは、わかりきった話はつまらないです。同じ冗談を続けて何度もされると少しムッとします。かといって、難しくて立派なわからない話も面白くないです。
わからないからです。

私たちはどんなときに面白いと思い、笑うでしょうか。私が思うには、すでにわかっていると思っていたことが覆されるときだと思います。言い換えると、わかっていたことをわかり直したときに脳みそが喜ぶのではないか。わかっていたことをわかり直して、深くわかる。笑っているとき、私たちは何らかの発見をしているのではないでしょうか。その喜びが、笑いになっているのではないか、と私は思います。

「我々はごくくだらないことで笑っている」と思う方もおられるでしょう。「ごくくだらないことは、発見ではないだろう」と、私は思いません。
「なんだかよくわからないことでも我々は笑う」と思う方もおられるでしょう。「なんだかよくわからないのでは、そもそも発見ではないだろう」と、私は思いません。

すぐにはわからない発見が我々にはあると思います。むしろ、もっともらしくて誰もがすぐ了解できるようなことではない、よくわからない発見が、少しずつ積み重なっていく――ようなことがあるのではないか。だから私は、どんな " くうだらない " ような笑いの話も、実は何らかの発見を伴っているのではないかと考えているのです。


_DSC9518.jpg" 笑うこと " について話す南さん【※】


とにかく私たちは笑うことが大好きで、笑わせてくれる人が大好きです。三谷さん、これからも、みんなを、私を笑わせてください。よろしくお願いいたします。(場内笑)

伊丹さんもきっと喜んでおられると、私は思います。
おめでとうございます。(場内拍手)


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南さんの祝辞を、ところどころ「ウン、ウン」と頷きながら熱心に聞いておられた三谷さん。

「笑わせてくれる人が大好き」という、祝辞の中に2回登場したこの " 笑わせてくれる人 " である三谷さんは、続く受賞者スピーチでユーモアあふれるお話を披露してくださいました。
そんな三谷さんのスピーチ等々、続きは来週をお楽しみに!

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【※】の写真は、撮影:池田晶紀さん(株式会社ゆかい)、
撮影協力:株式会社ほぼ日のみなさんです。

スタッフ:山岡

2023.09.04 新しい理髪師

残暑とは名ばかりの大変暑い日が続いておりますが皆さまはいかがお過ごしでしょうか。

 

記念館では夏休みの間、お子様連れのご家族や、久しぶりに松山に帰省された親戚同士、ご旅行でのグループなど、たくさんの方がご来館くださり、皆さまが新しい企画展示を楽しんでくださいました。

 

さて、記念館にはオリジナルグッズを販売しているショップがございます。新しい企画展示が始まりまして、「最近、なんだかこれが売れるな...」と思いましたのが、ゴム印です。中でも、"新しい理髪師"のゴム印を特に見るようになりました。

"新しい理髪師"とは、書籍『女たちよ!』の中にある「鬚を剃った魚の話」の挿絵で、猫が剃刀をといでいるところを描いたものです。

 

s-DSC_5039.jpg新しい理髪師のゴム印

 

人気のあるエッセイですが、何故最近お客様がよくお買い上げくださるのだろうかと不思議に思っておりましたところ、とあるお客様が「展示室の中で見て気に入ったんです」とお話しくださいました。

たしかに、こちらの挿絵は企画展示室で原画をご覧いただくことができます。壁面のプリントには白いエプロンをして椅子に座っている魚がプリントされています。もともとユニークな絵を描く伊丹さんですが、その中でも特に皆さまの目に止まり、気に入っていただけるようです。

 

s-DSC_5042.jpg「鬚を剃った魚の話」挿絵原画

 

 

s-DSC_5043.jpg壁面プリントの白いエプロンをした魚

 

 

イラストを気に入っていただけた方にはぜひ、エッセイも読んでいただきたい!

ということで、「鬚を剃った魚の話」から、こちらの挿絵について書かれている箇所をご紹介させていただきます。

 

 

 ある時、彼がごく不思議そうな顔で、これはなんだという。見ると手に「削り節」の箱を持っている。

 つまりそれは固く干しかためたマッカレルを機械で削ったものさ、と説明すると彼はいきなり気が狂ったように笑い出した。

「だって、この箱には鬚を剃った魚と書いてあるぜ」

 そういってますます笑い転げるのである。私も仕方なく少し笑ったが、つまりこういうことなのだ。

英語で、鉋の削り屑を「シェイヴィング」という。鉋で削ることを「シェイヴ」という。それ故に――と鰹節屋の大学生の息子は考えたに違いないのだ――削られた魚は「シェイヴド・フィッシュ」であるに違いない、と。

語学において三段論法を適用する過ちはここにある。「シェイヴド・フィッシュ」はあくまでも鬚を剃った魚であって「削り節」にはならない。

強いていえば「フィッシュ・シェイヴイング」でもあろうか。これでも魚の鬚剃り、という印象を免れない。

「シェイヴド・フィッシュ」は彼によほど強い印象を与えたに違いない。彼は私に「シェイヴド・フィッシュ」の絵を描いてくれと子供のようにせがむのであった。

 仕方なく、私は大きな魚が白いエプロンをして理髪店の椅子にかけている絵を描いてやった。魚は小さな眼で天井のほうを見ている。あるいはうたた寝をしているのかも知れぬ。そうして手前のほうには白い上っ張りを着て、鼻のまわりが妙に黒い、顔の長い猫が革砥で剃刀をといでいるのだ。

 なんとなく不吉な気配のみなぎる、気味の悪い絵ができあがった。彼は大いに喜んで、この絵に「新しい理髪師」という題をつけた。

(『女たちよ!』より「鬚を剃った魚の話」p42-44)

 

削り節の箱に書かれた「シェイヴド・フィッシュ」から生まれたエッセイと挿絵、お楽しみいただけましたでしょうか。挿絵の原画は新企画展にて展示されておりますのでぜひご来館の際にはご注目ください。

また、冒頭にご紹介させていただきましたゴム印はオンラインショップでも取り扱っております。その他にも絵柄がたくさんございますのでお好きなものを見つけてみてください。

 

去る9月1日に東京・国際文化会館にて第15回伊丹十三賞の贈呈式を開催いたしました。

式典の模様のレポートは、来週・再来週の2週に分けて更新させていただきます。

お楽しみに!

 

 

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学芸員:橘さくら