伊丹十三賞 ― 第6回受賞記念トークショー採録

リリー・フランキー × 周防正行 トークショー
テーマ「いかにしてリリー・フランキーになったのか」(2)

2014年11月12日/松山市総合コミュニティセンター キャメリアホール
登壇者:リリー・フランキー氏(イラストレーター、作家、俳優など)
     周防正行氏(映画監督)
ご案内:宮本信子館長

(リリーさんと周防監督、舞台のソファーに座りながら)

リリー この椅子は、映画『お葬式』で使われていた椅子らしくて。由緒ある椅子をわざわざ……。
周防 そうなんですよ。 さっきもね、伊丹十三記念館へお邪魔したんですけど。あらためて伊丹さんのおしゃれな――というとなんか軽く聞こえちゃうんですけど、ほんとにハイセンスな世界に触れてきて。置いてあるもの置いてあるものに、すべて品というか味があって。そこに座らせていただいて、今日は。
リリー 伊丹十三賞をいただきまして。それで今日ここに呼んでいただいて。
だいたい、ぼくもぼんやりしてるというか厚かましいんで、賞を貰っても、「ああ、ありがとうございます」みたいな感じなんですけど、さすがにこの賞ばかりはちょっとこう、身に余るというか。
だいたい他のものは、「何かの映画に出て、何かを貰う」っていう、作品が取っている部分が多いので、「他の方のお力もあって」みたいなことですけど。これは、何かの作品じゃなくて――と言われると。
今日も、(記念館で)あらためて伊丹さんのお仕事を見せてもらったら、精度の高さとか、美しさとかに、「ちょっと恐れ多いな」と思いつつ……うん。

周防 今お話にありましたけど、一応伊丹十三賞は、その年――今年の春に受賞していただいたんですけど――その前の年、去年のお仕事の中で、きちんと目立ったものというか、面白いものがあった方で。
だけど、第6回なんですけど、それぞれ振り返ってみると「その年のその作品」だけではなくて、「その人が、それまでどういうことをどういうふうにやってきたのか」っていう、そこに、こだわっている賞でもあるんです。
そういう意味では、今リリーさんがおっしゃったように、「その作品」だけでなく「その人」ということがすごく大事な賞なんだな、というふうに思ってます。

リリー 恐縮です……。
周防 で、とりあえずひとこと言ってから始めたいんですけど。
4人の選考委員でいつも選ばせていただいているんですが、当然、それぞれにいろんな思いがあったんですけど、ぼくがリリーさんを「伊丹十三賞にふさわしいな」、というふうに思う一番大きなところはですね、ぼくは映画監督をやってますけど、「リリー・フランキーさんをキャスティングできるような作品を、これから先、撮れるんだろうか?」って思ったんです。
そんなことを考えたこともなくて。要するに、誰か俳優さんを見て、「ぼくはこの人と将来仕事をするのかな、しないのかな」それは漠然と思うことはあっても、「この人に出演を頼めるような世界をぼくは用意できるだろうか」なんて考えた初めての人が、リリー・フランキーさんでした。

リリー いやいやそんな、めっそうもない。最近ぼく、ホームレスの役ばっかりなんですよね。
周防 (笑)だから、リリーさんにぼくがいつか出演をお願いすることがあるとしたら、それは、ぼくが今までやってきたものとは違う、もう一つ違う世界を押し広げて、違うところに足を踏み込んだときじゃないのかな。
それくらい「俳優としての魅力」っていうんですかね、今まで感じたことのない魅力をリリーさんの中に見て。ぼくの中では、それが「リリーさんに伊丹十三賞を受賞していただきたいな」と思った一番の大きな理由でした。

リリー そんな、周防監督みたいに、そういうふうに言ってくださる方のほうが少なくて。
例えば「お前、何屋かわかんないのに、なんで映画の現場に来てんだ」みたいなことを考えてる人が、だいたい9割5分くらいなわけじゃないですか。その中で、「この人はそういう目でオレを見てるな」っていうのがよくわかるんですけど。
でもそういうときに、本当にどこかでいつも伊丹さんのことを、ずっと学生の頃から憧れてましたから。イラストレーターでもあり、コラムニストでもあり、テレビの仕事をこなし、デザイナーでもあり、そしてお芝居をし、そして映画を撮りっていう、そういう仕事の仕方というか、表現の仕方に憧れてましたから。
だからこういう賞をいただくというのは、なんか今まで考えてたことを肯定していただけたようで、すごく嬉しいですし。そして今日、あらためて記念館でいろいろ作品を見せてもらうと、まだ全然自分のやってる仕事の精度が低いなっていうか。
ぼく、一番思ったのが、伊丹さんが外国から宮本さんにお手紙を出されてる、そのお手紙があったんですけど。ホテルの便せんから、ホテルの中のイラストを便箋にびっちり丁寧に描いて、「トランクの中でオーデコロンがこぼれてしまって」みたいな話から、「ぼくは毎日手紙を書くので、あなたも書いてください。手紙の書き方はこうです」――すごく丁寧に手紙が書かれてるんです。
そしてまた次の手紙には、「あなたからの手紙が来ないので張りがないです」っていうことを、またイラスト入りで丁寧に書かれていて。ラブレターっぽいのに洒脱なというか、洒落がきいていて。旅先から手紙を書くのに、こんなに丁寧にイラストも描いて。すべての伊丹さんの作品に通底していることは、プライベートでもやっぱりそうだったんだなっていうので……。

周防 ぜひ、皆さんも伊丹十三記念館にいらしていただいて。いらしたことが「まだない」っていう人います?――あ、挙げにくいほう言っちゃった(場内笑)。ぜひ、いらしてください。
リリー 挙げにくいと思ったら、あそこのご婦人はすっと手を挙げられて……(場内笑)。
でも本当に。ぼく初めて行って、伊丹さんの映画だったり伊丹さんの作品は、自分の生きてきた原体験で。「あ、この映画のときああしてた」とか、「この本読んでたときああだった」っていうのを振り返ることもできるし。
またすごくいい空間でね。なんか、お茶を飲むだけでも立ち寄っていただきたいです。

講演会の様子

周防 今日は一応ですね、このトークショーのタイトルを「いかにしてリリー・フランキーになったのか」。
――このトークショーの話があったときに、何かタイトルをと言われて思いついたんですけど、これ本当に謎で。単純な意味で「リリー・フランキーっていう名前はなんでつけたんですか?」っていうところもありますが、さっきもリリーさんご本人がおっしゃっていたように、「こいつ一体何者なんだ」と、たぶんそう思われると思うんですよ。

リリー そうなんですよね。
周防 でも、こんなふうにも言えると思うんです。リリー・フランキーさんは「リリー・フランキー」という名前をつけたことで、結果として「リリー・フランキーであること」という唯一無二の仕事を生きることができるようになったのではないかと――
リリー 一番最初に本を出し始めた頃――20年くらい前とか――は、だいたいぼくの本って、八重洲ブックセンターとか大人が行く本屋では「外国人図書」のとこにあったんですよ(場内笑)。そこにあるとラッキーなのは、意外と外国人図書って、端から売れないものが集めてあるから、返本されにくいっていうことで。「ラッキーだな」って思ってたんですけど(場内笑)。 
周防 (笑)最初にね、お伺いしたいんですけど、「リリー・フランキーは本名ですか?」って聞かれたことあります?
リリー いやでも、昔はありましたよ。「外人のおばさんだと思ってた」って言われることがあって(場内笑)。で、「みんながそう思ってるんだったらいいや」って、2冊目に著者近影で、知らない黒人のおじさんの写真を入れたんですよね(場内笑)。そしたら「あの人、黒人だったんだ」ってことになってたみたいですけど(場内笑)。
周防 (笑)楽しいですね(場内笑)。
「いかにして、こういう人になってしまったのか」っていうのを、1時間ちょっとありますので、伺っていこうと思うんですけど。

リリー でも、ちょっと松山は「文学の町」っていうか、ものを書いたりする人間には、ちょっとなんか「敷居が高い」というか。そういうところで自分の話をするのは、恐縮ですね。
周防 (笑)いやいや、ぜひ。
リリー 監督もあれじゃないですか、『がんばっていきまっしょい』の製作されたときに、松山ですよね。
周防 はい。
――ま、今日は置いといて(笑)、ぼくは置いといてください(場内笑)。

リリー なんか監督、「オレの話を聞くな」って、さっきからずっと楽屋で言うんですよ(笑)。
周防 今日は、「聞き手としての自分の能力を見たい」っていうのもあるんで(場内笑)。
リリー (笑)ぼくも、この間の夏まで『ワンダフルライフ』っていう番組で、毎回自分よりも何十歳も上の方のお話を伺って。人の話聞くの大変ですね。
周防 (笑)大変です。
リリー 冗談も言えないですもんね。もうね、人の話聞いてると、例えば年配の方とかは、「そろそろこの収録に飽きてるな」とか、「オレの話が届いてないな」っていうのがすごくわかるんですよ、なんか(場内笑)。
周防 今も、もう既に自分で綿密につくってきたシナリオをかなり逸脱してるんで、焦りはじめてます(場内笑)。
リリー (笑)さっき、「小学生の時から順を追って話しますよ」って言われたのを、オレが随分違う話に(笑)。
周防 じゃあ、ちょっと予定の線路に戻させていただいて……。

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