池上彰氏講演会 テーマ「伝えるということ」(6)
2013年10月1日 / 松山市総合コミニュティセンター キャメリアホール
講演者 : 池上彰氏(ジャーナリスト、東京工業大学教授)
ご案内 : 宮本信子館長
それでは、「わかりやすい伝え方」とは何でしょうか。いろんな方法がありますが、一つ大事なことは、相手に「話の地図を渡す」ということです。
「話の地図」とは何でしょう。たとえば、みんなでテーマパークに遊びに行くとしましょう。「皆さん、このテーマパークで遊んでいただいて結構ですが、1時間後にここで集合しましょう」という時に、当然のことながら、テーマパークの案内図を前にするか、地図を配るわけですよね。ここが目的地(集合地点)、現在地はここです。
「いろんな遊具で自由に遊んで構わないんだけれども、何時何分に目的地に集合」という地図をあらかじめ渡しておけば、みんな、どうすればいいのかがわかりますよね。
わかりやすい説明というのは、そういう「話の地図」をあらかじめ相手に渡すということなんです。たとえば、「今から1時間半に渡ってお話をします。私が今日話をしようとするテーマは、これとこれとこれです」という風にまず言っておけば、「今から1時間こういう話があるんだな」ということがわかります。しかし、いきなり話し出してしまうと、「この人いったい何の話をするんだろう?」と聞く側は不安になりますよね。きちんと「こういう話をしますよ」と提示する。これが、相手に「話の地図を渡す」ということなんです。これだけで、「あの人の話はわかりやすい」ということになるんです。
以前、知り合いのお母さんからからこんな電話がありました。「子どもが自転車に乗って走っていたら、車にぶつけられたの!」私も良く知っている子どもさんのことですから、驚きまして、「え! 交通事故に遭った! で、どうなったの?」と言いましたら、こちらの質問はおかまいなしに、「自動車にぶつけられて、ひっくり返っちゃってね。私も呼ばれたから現場に行ったら、自動車の運転手が出てきて…」と続けます。「要するに、子どもがけがをしたのかしていないのか、早くそれを聞かせてよ!」とイライラしながら聞いていて、最終的に「まぁ、けがはしなかったんだけど」というわけです。「そこから言ってよ!」ということですよね。
たとえば、お父さんが疲れて家に帰ってきたところに、話したいことがいっぱいあるお母さんが、「こんなことがあったんだけど」と延々話します。お父さんはそのうちイライラして、「要するに何が言いたいんだよ」と言ってしまい、「私の話をちゃんと聞いてくれないの?」と夫婦喧嘩になる。家庭でよくあるパターンですね。この時、たとえばお母さんが、「今日こんなことがあったの。それについて説明するから、ちょっと聞いて」と言えば、お父さんも心の準備ができますよね。ほんの一言で随分変わる、ということがあります。
「要するにどういうことか」という結論を考えるんです。「人にこういう話をしたい」ということだけを考えて、いきなり話し始めると、とりとめもない話になって、最後の最後にようやく結論にたどりつくんですね。そうではなくて、「どういう風に話の流れを組み立てればいいのか」「そもそも何を言いたいのか」「要するに何を言いたいのか」をきちんと頭の中で考え抜くんです。「要するにこういうことなんです」という結論から話を始め、それに付随することを後から説明していくという形にすると、大変わかりやすい話になります。
「伝えたいこと」があります。それを、ただ何も考えないで話すのではなくて、「伝えたいことを相手に短時間できちんと説明するためには、どういう風に話を組み立てればよいか」ということを考えます。そうすると、話が相手に非常にわかりやすく伝わります。「話の地図を渡すためには、どのように話を組み立てていくか」ということを考えなければいけないということです。
もう一つ大事なことは、「伝えたいことは三つに絞る」ということです。不思議なんですよ、「今から伝えたいことが三つあります」と言うと、みんなとりあえず、「なんだろう?」と聞くんですね。ところが、「今から伝えたいことが六つあります」というと、「六つもあるのか」となります。なぜかと言うと、伝えたいことが五つとか六つだと、メモを取らなければいけないんですよ。ところが、伝えたいことが三つだと、メモしなくてもとりあえず覚えていられるんです。人間って不思議なものですよね。
もちろん、「伝えたいことはただ一つ」でもいいんですよ。あるいは「伝えたいことが二つあります」でもいい。けれども二つというと、「二つしかないのか」と思うんですね。三つと言うと、過不足ないんです。メモを取らずに聞いていられるし、それなりにいろんな内容があるとわかってもらえます。
NHKの記者時代に、文部省(現在の文部科学省)で教育改革の取材をしていました。当時、「臨時教育審議会」というのがありまして、会議後、必ず京都大学の元総長であった会長が記者会見をするんですね。記者会見では会議の議題やテーマが説明され、記者たちがメモを取ります。一つ二つ三つ…と説明をしていくのですが、三つ目の話が終わると、会長が、「それからあと何があった?」と言って、後ろの事務方を振り向くんですね。すると事務方が、「こんなことがありました」と言います。これは毎回のことで、三つ目までは空で言えるのに、そこから先になるとおぼろげになるんです。私たち記者は、「あの方の数字の概念は、3から上は『たくさん』なんだね」などと言っていたんですが、京都大学の元総長であってもそうなんです。三つならついていけるんだけど、四つ以上になると駄目なんですね。
わかりやすく、そしてなおかつ「たっぷり話を聞いたな」と思ってもらうためには、話を三つに絞りましょう。一生懸命、「三つに絞るにはどうしたらいいのか」を考えることによって、自分の話の内容を整理することができます。話を三つに絞ろうとする時に四つになってしまったら、無理にでも三つにします。この内容で、大事な柱を3本立てるとするとなんだろうか」と考えます。これが、実はとっても大事なことなんですね。
三つあるとなんとなく落ち着く、というのは不思議ですよね。たとえば、椅子もそうなんです。1本脚では立てるわけがない。2本脚だと前や後ろにひっくり返る。ところが、3本だと安定するんですね。4本だと、その内の1本が少しでも短かったりすると安定しないんですよ。4本脚の椅子よりも3本脚の椅子の方が安定するんです。不思議なものですね。3というのは、非常に不思議な数字です。「今から伝えるべきお話は三つあります」と言うと、みんながついて来られるということが、とても大事なことなんです。
さらにもう一つ大事なことは、「ある物事を説明する時に、別の物と比較して説明する」ということです。ある物事をいきなり説明しても全体像が見えてこない時に、「こういう物もあるのに対して、一方こういう物もある」という風に、全体像の中で位置づけをすると見えてくることがあります。
たとえば、選挙の結果、イランに新しい大統領が生まれました。これまでの反米的な大統領と、新大統領との違いを説明する中で、「イランにはイスラム教のシーア派が多い」という話が出てきたとします。そこで、「シーア派とは何か」を説明する時に、シーア派それ自体の説明だけをすると、聞き手は、「何となくわかったような、わからないような気持ち」になるんですね。その時に、「イスラム教には大きく分けて、信者の多いスンニ派と、それほど信者の多くないシーア派というのがあって、こことここがこう違うんだよ」と説明しますと、全体の中での位置づけがわかり、かなり見えてくるわけです。
ある物事、それだけを説明しようとするのではなく、その背景や比較対象となるもの、さらには全体像を説明した上で、その中身について説明をする。こういう説明の仕方をすると、非常にわかりやすくなります。
「わかりやすい伝え方」についてまとめます。「相手に話の地図を渡す」「話したいことを三つに絞る」そして、「比較対照し、全体の中での位置を示す」。この「三つ」が大切というわけですね。こうやって三つに絞ると、何となく納得していただけるという…人間の心理って不思議ですけれども、こういうことが実は大事なんではないかと思います。
いろんな物事を知れば知るほど、「自分は、わかっていないな」ということを感じます。大変有名な、良い言葉があります。「無知の知」という言葉です。「自分は物事を知らないということを知っている」。これは大事なことですね。何となく知っているつもりでいるけれども、実はよくわかっておらず、人に説明しようとした時にうまく説明できないということがあります。「知っているようでいて、実は自分はよく知らないんだ」という自覚を持つことができていれば、「勉強すればいい」ということがわかります。そういう、「無知の知」は大切です。私も、ニュースで解説するためにいろんなことを勉強するんですが、勉強すればするほど、「まだまだ勉強が足りないな、もっと知らなければいけないな」ということに気がつくことがあります。
もう一つ大切なことがあります。それは、「わかりやすい説明にも、思わぬ落とし穴がある」ということです。どういうことかと言うと、何かをわかりやすく説明しようとして、あまりにざっくりと物事を単純化してしまうと、結果的にニュアンスが違ったり、不正確になったりすることがあるんですね。それではいけません。
これを私はよく、大学生と大学院生とベテラン教授の説明にたとえることがあります。これも「3」段階ですね。大学生に「君が今どんなことを勉強しているのか、説明してくれない?」と言うと、「こういうことです」と、結構わかりやすく説明できるんですね。でもそれが正確な説明になっているかどうか、意外にわからないんです。同じことを研究している大学院生に、「どんなことを研究しているの?」と説明を求めると、大抵くどくてわかりにくいんですよ。聞いていると、イライラするんです。大学生の時は、何となく聞きかじってわかった気になっていても、大学院生になっていろんなことを調べると、自分の知識不足がわかります。その結果、ありとあらゆることを詰め込んで説明しようとして、くどくてわかりにくくなってしまうんです。
ところが、ベテランの大学教授ともなりますと、全体が見えています。全体が見えている中で「大事な物とそれほどでもない物」を区別することができます。枝葉の部分は落として、幹の部分だけきちんと説明すれば、みんなにわかってもらえるわけです。全体がわかっていますから、それだけに絞っても間違いではないということがわかります。そうすると、自信を持って、「これは要するにこういうことなんです」とざっくり説明ができるんですね。
学部の学生のわかりやすい説明と、ベテラン教授のわかりやすい説明は、一見似ているかもしれないけれど、似て非なるものなんです。わかりやすい説明をするためには、ベテラン教授の域に達することが理想です。何か物事を人に説明しようと考えたら、それについて徹底的に調べ、全体像がわかった上で話を組み立てて行くと、わかりやすい説明になります。でも、そのための勉強というのは、なかなか難しいんですね。
たとえば、「何かを知りたい」と思って調べるでしょう。本を読んで、「そういうことなのか。この話わかったぞ」と言うと、知り合いが、「その話ちょっと説明して」と言うので説明を始めます。すると途中で、「あれ?説明できない」ということありますよね。自分で理解したはずなのに、わかったはずなのに、説明ができない。「本当の意味ではわかっていなかった」ということを経験される方、意外にいらっしゃるんじゃないかと思うんです。
私も、『週刊こどもニュース』で子どもに説明するために、いろんなニュースを勉強して、そこで初めてわかったことがあります。あることについて、ただ「わかりたい」「知りたい」と思って勉強しても、なかなか自分のものとして身につきません。ところが、「この話をうちのおじいちゃんに(あるいは子どもたち)にわかるように説明するにはどうしたらいいんだろうか」という問題意識を持って勉強すると、これは身につくんですねぇ。アウトプット(誰に何を伝えたいのか)を意識してインプット(勉強)すると、どんどん入ってくるということがあります。たとえば学校の勉強で言うと、高校生が中学生の家庭教師になった気持ちで、「これを説明するにはどうしたらいいのかな?」と考えると、頭にすっと入ってくるということがありますね。皆さんも、ぜひ試みてください。「わかりやすい」ということはそういうことであります。