伊丹十三賞 ― 第5回受賞記念講演会 採録

池上彰氏講演会 テーマ「伝えるということ」(5)

2013年10月1日 / 松山市総合コミニュティセンター キャメリアホール
講演者 : 池上彰氏(ジャーナリスト、東京工業大学教授)
ご案内 : 宮本信子館長

 大変長い前説になってしまったんですが、実は現在、東京工業大学の教授として、学生への授業もやっております。どうして東京工業大学の授業をやるようになったのかといいますと、やはり2011年の3月がきっかけでした。

 原子力発電所の事故がありました。専門家の方々がテレビに出てきて解説しますよね。ところがあの解説、一般の視聴者にとってちんぷんかんぷんなんですね。専門用語が次々に出てきますが、きちんとした専門用語の解説がないまま進んでいきます。たとえば、ニュース中に東京電力の記者会見が入ります。たくさん専門用語が出てきて、よくわかりません。その後、今度は原子力安全・保安院の記者会見が続きます。これもまた、よくわからないことを言っています。そしてスタジオに戻ってくると、キャスターがそれについて何にも触れないまま、「では次に」と進めていくわけです。

 これはどうしてなのでしょうか。内輪の話をしますと、キャスターの人たちも専門家ではありませんから、そういった記者会見の内容がちんぷんかんぷんなんです。けれども「よくわかりませんでした」と言うわけにはいかず、さもわかっているかのような顔をします。うっかりコメントして間違えてもいけないから、何もコメントしないで「では次に」となってしまいます。結果的に、何のことかわからないまま、視聴者が取り残されていくわけです。

 人間の心理とは不思議なもので、「何がなんだかわからない」というのが一番不安なんです。たとえば原子力発電所の事故が起きた時に、「何に気をつけなければいけないのか」がわかれば、もちろん怖いけれども、「こういう時にどうすればいいか」はわかります。ところが、説明がわからず、「何がなんだかわからない」。これが一番不安なんですね。「これではいけない。とにかくこれは何とかしなければ」と思いました。

 専門家の人たちは、いつも専門家同士で話をしているから、「一般の人にとって、何がわからないのか」がわからない状態になっていて、結局わかりやすい説明ができません。どうもコミュニケーション能力に欠けるところが、理科系の専門家の人たちにはあるのではないでしょうか。文化系は文化系で、科学的な知識に疎く、専門的なことがわかりません。「確率何%」と言われても、「それがどういう意味なのかがわからない」ということになります。日本の社会は、高校の「文化系・理科系のクラス分け」に始まり、はっきりと文化系と理科系が分かれてしまいますよね。「これは、人間社会として健全なことではないのではないか。文化系の人にもそれなりの科学的な知識が必要で、理科系の人は専門的なことをわからない人に伝えていく力が必要、つまり『文理融合』といったことが必要なのではないか」と感じていたんです。

講演会の様子

 ちょうどその頃、東京工業大学から「お会いしたい」という話がありました。「東京工業大学の学生は、理科系の学生としては大変優秀ですが、どうもコミュニケーション能力に欠けるきらいがあります。テレビのレギュラーを降りて時間が出来たそうですから、理科系のエリートたちに、文化系・社会科学的な常識や、コミュニケーション能力をつける授業をしていただけませんか」というお話でした。

 ふと気がつきました。「そういえば、菅直人という人は東京工業大学の卒業生だったな」(場内笑)。「要するに菅直人のような卒業生を出さないようにするということですか?」と聞いたら(場内笑)、東工大の先生方、さすがに肯定はしませんでしたけど、否定もしなかったということでありましてね。「本当に優秀な人たちでも、やっぱり、社会の中でみんなにきちんと伝えていく力をつけることが大事なのか」と思いました。

 それと同時に、還暦を過ぎたあたりから、「一回りしたわけだから、これから先は、なんらかの形で社会への恩返しをしなければならないな」と思うようになってきたんです。

 社会への恩返しとして、何ができるでしょうか。大したことができるわけでもなく、何の能力があるわけでもありません。けれども、少なくとも私は、これまでいろんなことを勉強することができました。それはもちろん両親が大学に行かせてくれたからであり、両親に感謝しています。しかしそれだけではありません。日本の社会に大学教育を受けられる制度があり、多くの人がきちんとした教育を受けられるような仕組みになっていたからです。言ってみれば、私はその日本の社会のおかげで大学教育を受けることができたのではないでしょうか。それならば、「社会によって育てられた私が、教育という場で社会にお返しをする。これからの若い世代に、自分のいろんな知識を伝えていく」。これも一つの恩返しなのかなという想いがあって、東京工業大学教授の仕事をお受けしたということなんです。

 そして今、東京工業大学で、学部の学生に「戦後の現代史(世界の現代史・日本の現代史)」、さらには「さまざまなニュースの背景にどんなことがあるのか」といった授業をしています。

 最初のうちは、もの珍しさからでしょう、大勢の学生が来たんです。教室に入りきらなくなった結果、抽選で3分の1しか来られないという状態でした。3,000人を超える応募者の中から競争率3倍を勝ち抜いて講演会に来られた、今日の皆さん方と同じですね。東工大の学生も、そういう状態で来たのですが、私、実はこう見えて大変厳しいんです。ビシビシと悪い成績をつけまして、どんどん落としたんです。

 レポートを書かせて採点をしたら、3分の1の学生が単位を落とすということになりそうで、「これはちょっとやりすぎだろう」と思ったわけです。

 合格最低点が60点ですから、「55点の学生に5点下駄を履かせて、60点にすればいいだろう」と思い、私のティーチングアシスタントである東工大の大学院生に、「こういうわけだから、ちょっと5点下駄を履かせて計算し直して」と言いましたら、「いや、それは不公平です」と言って怒るんですね。「55点の人を60点にしたら、元々55点の人と60点の人が同じ評価になってしまうじゃないですか。差をつけなければいけないでしょう。55点の人に下駄を履かせるというわけにはいきません。標準偏差を出して、標準偏差を右にずらせばいいんですよ」…さすが東工大の大学院生ですよね(場内笑)。考えることが違うんです。

 点数を全部コンピューターに入れて二次方程式を作り、あっという間に標準偏差のグラフを出して、「これを右にちょっとずらしましょう。こうなると25%が落ちるという計算になりますが」と言います。私は「それでいいや」(場内笑)。そういう形で25%の学生を落としました。途端に後期から履修希望者が激減をしたということがありました(場内笑)。学生の数が激減したおかげで、採点がだいぶ楽になったということであります。

 間もなく秋の授業が始まります。最初の授業で、「とにかくみんな落ちるからね」と厳しく言って、履修希望者を減らそうと考えております。今年の春にも、「去年、25%の学生が単位を落としたのだから、生半可な気持ちでは受けないように。大変厳しいから、それでも良ければ取りなさい」と言ったら、それでも来た学生がそれなりにいたんですね。そして、今年の前期に採点をしたら、また25%が落ちることになりましてね。「25%はちょっと落とし過ぎだよなぁ。もう一度標準偏差ずらして」と先程のティーチングアシスタントに言いましたら、「20%を落とすという計算式ができますが」と。「よしそれでいいや」ということで、また20%落としてしまいました…。

 そんなことをしながらも、「何がいったいわかりやすい説明なのか、わかりやすく物事を伝えるとはどういうことなのか」ということを、大学生たちに少しでもわかってもらえるようにしたいなぁと考えています。

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