記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2024.09.30 ショップの陶器売り場

記念館便りをご覧の皆さま、こんにちは。
厳しい残暑が続いていますが、やっと朝晩涼しくなってまいりました。
とはいえ日中はまだまだ気温が高いので、気温差で体調を崩されないようご注意くださいね。

さて記念館のグッズショップでは箸置きや小皿などの陶器を販売していますが、この夏に種類が増えましたので、少しご紹介させていただきます。

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ショップの陶器売り場

取り扱っている陶器は、岡本ゆうさんが製作したものです。

岡本さんについておさらいしますと――岡本さんは島根県布志名焼舩木窯・舩木研兒氏に薫陶を受けられ、現在は神奈川県真鶴町で作陶されている陶芸家でいらっしゃいます。

子育てのために湯河原に引っ越した伊丹さん一家が、そこで染色家の岡本隆志さん・紘子さんご夫妻(岡本ゆうさんのご両親)と知り合い、以来ずっと家族ぐるみのお付き合いを続けているそうです。岡本さんが作る陶器を宮本館長も日々愛用していて、そのご縁から、「宮本館長のお気に入り」商品として記念館のショップに置かせていただいているんですよ。


そんな岡本さんの作る陶器は、淡い色のものはもちろん、濃い色のものも、どことなくやわらかくて温かみの感じられる作品ばかり。
ご自宅用だけでなく、贈り物としてお買い上げくださる方もいらっしゃいます。

8月に「そば猪口」「湯呑み」、そして「手付き小鉢」の色違いが新しく増えて、元からあった「小皿」「箸置き」「カップ」「杯」と合わせると、売り場は一層にぎやかになりました。

240930-4.jpgそば猪口(税込2,640円)

 

240930-3.jpg湯呑み(税込2,860円)


240930-2.jpg手付き小鉢(税込2,420円)
左が新しく増えた色です

ひとつひとつ手作りですから、同じ種類でもどことなく違っています。
販売は店頭でのみ行っていますので、ご来館の際はぜひご覧になってみてください。

スタッフ:山岡

2024.09.23 第16回伊丹十三賞 贈呈式を開催いたしました [2]

先週に引き続きまして、贈呈式の模様をお伝えいたします。

 

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いよいよ、受賞者・のんさんのスピーチです!

 

受賞者・のんさんのスピーチ

 

こんにちは、のんです。

 

この度は、本当に素晴らしい賞をいただき、心から、嬉しい気持ちでいっぱいです。

 

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私は、本当に無我夢中で「自分の想いを貫き通すぞ」という気持ちで活動してきました。

私は自信があるほうだと自負しているし、怖いもの知らずでもあると思うんですけど、どれだけ自信があっても、どれだけ褒めてもらえても、ずっと自分がやった表現を疑い続けていました。

そういう気持ちって皆さんあると思うんですけど、私にも、ふと「どうだったんだ」って地の底まで落ちちゃうことが、悩んじゃうことがあります。

そうやって立ち止まってしまった時に、これでいいんだ、自分のやりたいことを貫き通すんだって、背中を押してもらえる、支えになる、特別な賞をいただいたなというふうに感じてます。

 

そして、伊丹十三さんと重なるところがあるんだって言っていただけたのが、本当に、もう、嬉しすぎていま大興奮で――。

伊丹十三さんという方は様々な顔を持っていて、どの面でも唯一無二の表現を突き詰めた方だと思うんですが、私もそんなふうに自分の表現を突き詰めていけるようになれたらなと思います。

 

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もし、いま願い事が叶うなら、リアルタイムで伊丹十三体験をしたかったな、というふうに、切に思っています。

 

この度は、ほんとにこのような素敵な賞をいただき、ありがとうございます。

これからも、この賞に恥じぬよう、精進、挑戦をしていきたいと思います。

ありがとうございました。

 

宮本信子館長からのビデオメッセージ

 

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(☆)

 

のんさん。

のんちゃん、伊丹十三賞、受賞おめでとうございます。

 

選ばれたって、聞きましてね。

なんか、すごく私、しみじみとしてしまいました。

でも贈呈式に出席できなくて、

本当にもう、残念で仕方がありません。

 

のんちゃんとは、NHK『あまちゃん』の制作発表の時にはじめて会いましたね。

無口で、シャイで、本当にこの子、大丈夫かしらって私思ったんです。

それで、「この子をなんとしてでも守らなくては」「支えなくては」ってそう思いました。

そう決めました。

 

それから、長い、長い、苦しい時間、道があって

よく耐えて、頑張ったなあって思うんです。

でもそれを、そのことをバネにして

強く大きく成長しましたね。

 

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私は本当に、こんな素敵なことはないと思っています。

 

これからも体大切にしてね?

それから、もっともっと活躍して羽ばたいていってください。

私はずっと見守っています。

 

のんちゃん、あらためましておめでとうございました。

 

※宮本信子館長は、残念ながら贈呈式当日の出席が叶いませんでしたので、贈呈式ではのんさんへのビデオメッセージを上映いたしました。

 

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以上、贈呈式の様子をご紹介させていただきました。

 

のんさんは受賞者スピーチや、贈呈式後に行われた取材の際に、この度の受賞について「すごく嬉しいです」と何度もおっしゃっていて、祝辞や館長のビデオメッセージを噛み締めるように聞いておられたのがとても印象的でした。常に柔らかな笑顔でお話しをされており、のんさんが大変喜んでくださっているのが伝わって胸が温かくなるような時間となりました。

 

取材の質疑応答の中では、

 

「"のん"になるときに大事にしていたのは、自分の持っているものが死なないようにしたいという気持ちがすごく強くて――妥協できなくて、今に至ります。

色んな事があるけど、それでも面白がってくださる方がいたり、応援してくれる方がいたりして、迷ったり悩んだりすることもあるけど、自分だからこれがやれた、こういうことがやりたかったんだという風に思える表現を作れたことがたくさんあるので、その積み重ねを信じてやってきました」

 

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「私はまだまだ頑張っていかなければいけないと思っているんですけれども、唯一無二の表現を作っていきたい、突き進んでいきたいと思いました」

 

と、これまでの経験を経ての思いや、これからの活動に対する意欲を熱く語ってくださいました。ご来場の皆さまも、しみじみとのんさんの言葉に聞き入っておられました。

 

式典後には、お飲み物と軽食をご提供させていただきまして、ご歓談の時間を設けさせていただきました。のんさんはご来場の方々とにこやかにお話しされており、記念撮影などもされておりました。

 

s-_DSC4890.jpgお庭で撮影した集合写真

 

 

s-IMG_6600.jpgお祝いのお花を前に素敵な笑顔を見せてくださったのんさん

(☆)

 

 

のんさん、選考委員の皆さま、ご来場くださった皆さま、関係者の皆さまに厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございました。

 

のんさんは今後も映画やドラマ、イベントの登壇など様々なお仕事を予定されております。ぜひ、のんさんのオフィシャルサイトにて、のんさんのご活躍にご注目ください。

そして、今後とも、伊丹十三賞をよろしくお願いいたします。

 

写真撮影:池田晶紀さん(株式会社ゆかい

撮影協力:株式会社ほぼ日のみなさん

(☆印の写真のみ主催者撮影)

 

学芸員:橘さくら

 

2024.09.16 第16回伊丹十三賞 贈呈式を開催いたしました [1]

9月6日(金)、第16回伊丹十三賞をのんさんにお贈りする贈呈式を国際文化会館で開催いたしました。

16t_01_01.jpg左から、選考委員・周防正行さん、平松洋子さん、
受賞者・のんさん、選考委員・中村好文さん、南伸坊さん。

俳優・アーティストとしてご活躍中ののんさんへの授賞理由は

俳優、ミュージシャン、映画監督、アーティスト......困難を乗りこえ自由な表現に挑み続ける創作活動にたいして。

受賞者プロフィールや賞の概要はこちらをご覧ください。

残暑厳しい東京で、すがすがしい風に心を清められたかのような贈呈式でした。
今週来週と2回に分けてレポートいたします!

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祝辞 選考委員・平松洋子さん

のんさん――能年玲奈さん、このたびは賞を受けてくださってありがとうございます。
宮本信子さんはじめ、選考委員、そして、この賞に関わったすべての方たちが、本当に、大喜びして、のんさん、こちらも嬉しかったです。

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私がのんさんに初めて"出会った"のは、日本中の多くの方たちとまったく同じで、やはり、『あまちゃん』でした。

それで、リアルタイムで一度も見逃したことがないというのが私の自慢で――
(会場に)すごいでしょう?(笑)
それをずっと更新してきたのを、私は周りに自慢してきたんですね。

ところが、仕事で五島列島に行かなくちゃいけないことになって、移動などの事情から「ああ、私の記録が破られるぅーー」とガックリして、昼の放送の時間だと思いながら長崎と五島を結ぶ船に乗り込んだんです。そうしたら......
船の先頭の部分に小さい座敷があったんですね。その畳敷きの座敷で、なんと!『あまちゃん』がついてたんですよ!!(笑)
長崎に買い出しに行く人たちとか、島の方たちと一緒に船の座敷で『あまちゃん』を観ました。

ちょうどその頃、読売新聞の書評委員を小泉今日子さんと一緒にやっていて、しょっちゅう会う機会があったんです。(ドラマの中では)小泉さんと能年さんお二人がメインのときだったということもあって、船を降りてすぐ、小泉さんに連絡しました。「今日も見た」とショートメールで。

――それが、10年前ですよね。
10年経った今も、私たちが受けた輝きの印象、能年さんがまったく変わらずに輝きを失ってらっしゃらないっていうことは、これまでの10年間のいろいろなことを考えるに、なにか奇跡のようなことだなと思っています。

ただ、と言いますか――私は、今回の伊丹十三賞の選考にあたるまで、能年玲奈さんという存在と伊丹十三という存在を、重ね合わせて考えたことはありませんでした。

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今回いろいろなものを拝見したり、あらためて能年玲奈さんと"出会い直し"て、「伊丹十三という存在と能年さんはこんなに重なり合ってるんだ」ということにすごく驚いて――ご存知のように、伊丹十三さんは幼少の頃から、絵もそうですし多才にいろんなものを作ってらして、能年さんも中学生のときからバンド活動をやってらして。
そんなふうに、伊丹さんが持っている様々な顔は、能年さんが持ってらっしゃるものとこんなに重なるんだ、と、それはすごくびっくりしました。

それと、やっぱりひとつ。
恐れない――これまでの、あらかじめあった常識とか、目の前の困難とか、そういうものを恐れないという意味でお二人は同じなんだな、と思ったんです。

司会の玉置さん(伊丹十三記念館館長代行・伊丹プロダクション会長)は『お葬式』以来、すべての伊丹映画の製作をやってらしたので、今回、祝辞でお話しするにあたって、「ずっと側で見てらした玉置さんにとって、伊丹さんが乗り越えた困難の中で印象的だったのは何でしょうか」とお聞きしてみたんですね。

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玉置さんはいくつか挙げてくださったんですけれども、たとえば「モニター」。
それまでの映画では、カメラマンがひとつのカメラで(ファインダーを覗いて)撮っていたので、他のスタッフの方たちはカメラマンがどういう映像を撮っているのか見ることができなかったんです。
ところが伊丹さんはその映像をスタッフの方たちと共有するために、モニターを設置してスタッフの方たちが見ることができるようにした。
これはカメラマンの前田米造さんの多大なご理解があったから実現したと思います。

あるいは、グラフィックデザイナーや、スタイリストといった異業種の方々の起用。

自分がやりたいことを実現するために、それまでの映画界で常識とされてきたことを、恐れずにどんどん壊していかれたと思います。
『お葬式』が作られた1980年代にはそんな状況だったことでも、今では当たり前になっていることがたくさんあると思うんです。

そんなふうにして、自分がやりたいこと、自分はこれを形にしたいんだ、表現するんだ、っていうことを、まったく恐れることなしに進んでいらした。51歳になって初めて見つけた映画という表現で邁進していかれた。
そういうことを考えると、のんさんのこの10年間の中での歩み、お姿にすごく通じるものがあるなぁ、と思いました。

以前は考えていなかったことですが、「賞の対象としてではなく、ひとりの表現者として、伊丹十三さんと能年玲奈さんという存在はこんなにも重なるんだ」ということは、私自身にとってもすごく大きな発見でした。

この賞に関わらせていただいて、もう16年なんですけれども、伊丹十三というひとりの表現者、人間について、私、未だに分かってないような気がするんです。
でも、人間ってすごく複雑だと思うし、いろんな、こう、まとまりきらないものだと思うんですね。

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だから、そこで、ひとつの像にまとめこんで、「こういう人なんだ」と考えて理解したつもりになるのではなくて、やっぱりそのときそのときの作品――のんさんは歌も声優も脚本もやってらっしゃって――その中で力を注いでいらっしゃる姿を「何をやりたいんだろう!?」と見させていただくことの喜びがあるし、「能年玲奈さんってこういう人」とひとつにつづめてしまわなくていいな、って、そんなふうにも思っています。

ですから、伊丹さんはいろんなことをなさって映画監督は51歳からでしたけど、のんさんは30代。もう本当に、この先キラキラと可能性だけがあるような、そう思っています。

それから、のんさんは、やはり「作りたいものが外側にあるのではなくって、いつも、自分の中にある」――伊丹さんもいつもそれに忠実にものを作ってらっしゃったんだと思います。

なので、今後も、期待とか、希望とか、そういういろんなキラキラしたものを感じさせていただきながら、活動を見させていただきたいなと思っています。

正賞(盾)贈呈 選考委員・周防正行さん

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副賞(賞金)贈呈 選考委員・中村好文さん

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―― 来週に続きます ――


写真撮影:池田晶紀さん(株式会社ゆかい
撮影協力:株式会社ほぼ日のみなさん
(☆印の写真のみ主催者撮影)

学芸員:中野

2024.09.09 9月の伊丹十三記念館


記念館便りをご覧のみなさまこんにちは。

9月に入り、松山は暑さがやわらいできたように感じます。夏の間は雨の日以外、毎日おこなっている庭木への水遣りも、やっと終わりが見えてきたようです。

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さて、ニュース新聞等各社メディアでご覧になった方もいらっしゃるかもしれませんが、9月6日(金)、東京都港区の国際文化会館において第16回の伊丹十三賞の贈呈式が開催されました。


第16回の伊丹十三賞の受賞者は、俳優・アーティストとしてご活躍の、のんさんです。


式の詳細は、来週9月16日と再来週9月23日の記念館便りにてレポートさせていただきますので、今しばらくお待ちくださいませ。


それまでは是非ネットニュースなどもご覧ください。動画のニュースでは、のんさんのスピーチの一部を見ることもできました。伊丹さんに対する思いを一生懸命語っていらっしゃる姿に心を打たれました。


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というわけで、来週と再来週の記念館便りをお楽しみに!


また、今月の「毎月十三日の十三時は記念館で伊丹十三の映画を観よう!」今月は9月13日(金)の13時より、大人気『マルサの女2』の上映をおこないます。
是非お気軽にご来館ください。


スタッフ:川又

2024.09.02 打ち水

あっという間に9月に入りましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 

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8月の後半は台風の接近もありまして雨がたくさん降りましたが、前半はほとんど降らなかったように感じます。夕方、もうだいぶ陽が落ちているのに、全身汗みずくになりながら買い物に行く日も少なくありませんでした。今年もかなり厳しい夏だったように思います。

 

そんな暑い夕暮れ時に出かけたある日、ふと近所のあるお宅の方が庭の植木や花にシャワーホースで水をやっているのを見かけました。記念館でも夏の間は玄関前や中庭の植木に水をやっておりますので、水やりの大変さを思い出しながらその様子を遠くから眺めていました。

植物に水をやり終えた様子でしたが、その方は家の周りの道路にも水をまきはじめました。どうやら打ち水をしているようです。

実家がマンションであるせいか、打ち水を見ることはほとんどなかったため、「あぁ、久しぶりに打ち水なんて見たな」と少し驚きました。松山のご近所でもあまりやっているお宅を見かけない気がします。

買い物の帰り、先ほど打ち水をしていたお宅の前を通ると、濡れたアスファルトの匂いで打ち水の景色が思い出され、心なしか涼しくなったような気持ちになった夜でした。

 

さて、伊丹さんのエッセイの中にも打ち水の話が出てまいります。それが、『ぼくの伯父さん』に収録されております、「打ち水」です。

 

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矢口純さんの話。

 「まち」というのは、昔は、字でいえば「町」という字であったわけです。おでん屋もあれば、牛乳屋もあるし、また下駄屋もあるというふうで、つまり人の住むところであったト。で、祭りになれば、お御輿をかついで、隣の町内の若い衆にまけるなッてんで、親父でも、お花坊でも、みんな町内の若い衆に声援したりしてね、まとまってたわけですよ、町内がね。「駅の向うの北町内に負けるなッ」なんてナ、「南分会頑張れッ」とか、そういうものがあって、初めて町は愉しかったし、その町の風土みたいなものもあった。

 それが、近頃の町っていうのは、これは貸しビルなんだよナ、店屋ったって、主人も店員もどこからか通って来て、で、ビルのシャッターなんか開けたりなんかして、そして、サァ、イラッシャイなんて待ってやがる。

 つまりね、「町」という字の「まち」がね、今や「街」という、つまりストリートにね、なっているんじゃないかト。昔はね、たとえば夕方、娘のハナチャンやヒデコチャンが帰って来てね、で、お婆ちゃんにおやつを貰って、そして、店の前で縄跳びしたりカクレンボしたりして遊んでいて、で、御飯だよッていう頃には、お母さんだか主人だか、あるいは板サンだかが、打ち水をしてね、三つ、盛り塩をして、サァ今日はお客が何人来るだろうと待っているト。家族ぐるみでね、お客を待っているト。いうのが昔の町であり、店屋さんの感覚だったわけなんですよ。

 つまり打ち水なんてものはね、これは居ついた人が、心から、自分のスペースを、町を、大切にしてるからやるわけじゃないですか。ねェ。それが今や日本中全部ストリートになっちゃったト。町中が貸しビルになっちゃったト。人の住むところじゃなくなっちゃったト。だから従って打ち水しようなんて気持ちもなくなってしまったト。いやな世の中じゃございませんかト。いうのが私の考え方なんだよナ。

(『ぼくの伯父さん』より「打ち水」)

 

いかがでしたでしょうか。矢口純さんのお話しのようですので、全てが伊丹さん自身の考えではないかと思いますが、伊丹さんは子育ての為に自然豊かな湯河原に移り住んだ人であるため、「街」よりも「町」の方が好ましかったのだと考えられます。

 

あの夕方の打ち水は、庭の植木の水やりの延長だったのでしょう。しかし、そのお宅の前を通りすぎるたび、暑さのやわらいだ日をこのエッセイとともに思い出し、どこか優しい気持ちになれるのです。

 

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学芸員:橘