記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2024.09.02 打ち水

あっという間に9月に入りましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 

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8月の後半は台風の接近もありまして雨がたくさん降りましたが、前半はほとんど降らなかったように感じます。夕方、もうだいぶ陽が落ちているのに、全身汗みずくになりながら買い物に行く日も少なくありませんでした。今年もかなり厳しい夏だったように思います。

 

そんな暑い夕暮れ時に出かけたある日、ふと近所のあるお宅の方が庭の植木や花にシャワーホースで水をやっているのを見かけました。記念館でも夏の間は玄関前や中庭の植木に水をやっておりますので、水やりの大変さを思い出しながらその様子を遠くから眺めていました。

植物に水をやり終えた様子でしたが、その方は家の周りの道路にも水をまきはじめました。どうやら打ち水をしているようです。

実家がマンションであるせいか、打ち水を見ることはほとんどなかったため、「あぁ、久しぶりに打ち水なんて見たな」と少し驚きました。松山のご近所でもあまりやっているお宅を見かけない気がします。

買い物の帰り、先ほど打ち水をしていたお宅の前を通ると、濡れたアスファルトの匂いで打ち水の景色が思い出され、心なしか涼しくなったような気持ちになった夜でした。

 

さて、伊丹さんのエッセイの中にも打ち水の話が出てまいります。それが、『ぼくの伯父さん』に収録されております、「打ち水」です。

 

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矢口純さんの話。

 「まち」というのは、昔は、字でいえば「町」という字であったわけです。おでん屋もあれば、牛乳屋もあるし、また下駄屋もあるというふうで、つまり人の住むところであったト。で、祭りになれば、お御輿をかついで、隣の町内の若い衆にまけるなッてんで、親父でも、お花坊でも、みんな町内の若い衆に声援したりしてね、まとまってたわけですよ、町内がね。「駅の向うの北町内に負けるなッ」なんてナ、「南分会頑張れッ」とか、そういうものがあって、初めて町は愉しかったし、その町の風土みたいなものもあった。

 それが、近頃の町っていうのは、これは貸しビルなんだよナ、店屋ったって、主人も店員もどこからか通って来て、で、ビルのシャッターなんか開けたりなんかして、そして、サァ、イラッシャイなんて待ってやがる。

 つまりね、「町」という字の「まち」がね、今や「街」という、つまりストリートにね、なっているんじゃないかト。昔はね、たとえば夕方、娘のハナチャンやヒデコチャンが帰って来てね、で、お婆ちゃんにおやつを貰って、そして、店の前で縄跳びしたりカクレンボしたりして遊んでいて、で、御飯だよッていう頃には、お母さんだか主人だか、あるいは板サンだかが、打ち水をしてね、三つ、盛り塩をして、サァ今日はお客が何人来るだろうと待っているト。家族ぐるみでね、お客を待っているト。いうのが昔の町であり、店屋さんの感覚だったわけなんですよ。

 つまり打ち水なんてものはね、これは居ついた人が、心から、自分のスペースを、町を、大切にしてるからやるわけじゃないですか。ねェ。それが今や日本中全部ストリートになっちゃったト。町中が貸しビルになっちゃったト。人の住むところじゃなくなっちゃったト。だから従って打ち水しようなんて気持ちもなくなってしまったト。いやな世の中じゃございませんかト。いうのが私の考え方なんだよナ。

(『ぼくの伯父さん』より「打ち水」)

 

いかがでしたでしょうか。矢口純さんのお話しのようですので、全てが伊丹さん自身の考えではないかと思いますが、伊丹さんは子育ての為に自然豊かな湯河原に移り住んだ人であるため、「街」よりも「町」の方が好ましかったのだと考えられます。

 

あの夕方の打ち水は、庭の植木の水やりの延長だったのでしょう。しかし、そのお宅の前を通りすぎるたび、暑さのやわらいだ日をこのエッセイとともに思い出し、どこか優しい気持ちになれるのです。

 

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学芸員:橘