記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2024.09.16 第16回伊丹十三賞 贈呈式を開催いたしました [1]

9月6日(金)、第16回伊丹十三賞をのんさんにお贈りする贈呈式を国際文化会館で開催いたしました。

16t_01_01.jpg左から、選考委員・周防正行さん、平松洋子さん、
受賞者・のんさん、選考委員・中村好文さん、南伸坊さん。

俳優・アーティストとしてご活躍中ののんさんへの授賞理由は

俳優、ミュージシャン、映画監督、アーティスト......困難を乗りこえ自由な表現に挑み続ける創作活動にたいして。

受賞者プロフィールや賞の概要はこちらをご覧ください。

残暑厳しい東京で、すがすがしい風に心を清められたかのような贈呈式でした。
今週来週と2回に分けてレポートいたします!

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祝辞 選考委員・平松洋子さん

のんさん――能年玲奈さん、このたびは賞を受けてくださってありがとうございます。
宮本信子さんはじめ、選考委員、そして、この賞に関わったすべての方たちが、本当に、大喜びして、のんさん、こちらも嬉しかったです。

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私がのんさんに初めて"出会った"のは、日本中の多くの方たちとまったく同じで、やはり、『あまちゃん』でした。

それで、リアルタイムで一度も見逃したことがないというのが私の自慢で――
(会場に)すごいでしょう?(笑)
それをずっと更新してきたのを、私は周りに自慢してきたんですね。

ところが、仕事で五島列島に行かなくちゃいけないことになって、移動などの事情から「ああ、私の記録が破られるぅーー」とガックリして、昼の放送の時間だと思いながら長崎と五島を結ぶ船に乗り込んだんです。そうしたら......
船の先頭の部分に小さい座敷があったんですね。その畳敷きの座敷で、なんと!『あまちゃん』がついてたんですよ!!(笑)
長崎に買い出しに行く人たちとか、島の方たちと一緒に船の座敷で『あまちゃん』を観ました。

ちょうどその頃、読売新聞の書評委員を小泉今日子さんと一緒にやっていて、しょっちゅう会う機会があったんです。(ドラマの中では)小泉さんと能年さんお二人がメインのときだったということもあって、船を降りてすぐ、小泉さんに連絡しました。「今日も見た」とショートメールで。

――それが、10年前ですよね。
10年経った今も、私たちが受けた輝きの印象、能年さんがまったく変わらずに輝きを失ってらっしゃらないっていうことは、これまでの10年間のいろいろなことを考えるに、なにか奇跡のようなことだなと思っています。

ただ、と言いますか――私は、今回の伊丹十三賞の選考にあたるまで、能年玲奈さんという存在と伊丹十三という存在を、重ね合わせて考えたことはありませんでした。

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今回いろいろなものを拝見したり、あらためて能年玲奈さんと"出会い直し"て、「伊丹十三という存在と能年さんはこんなに重なり合ってるんだ」ということにすごく驚いて――ご存知のように、伊丹十三さんは幼少の頃から、絵もそうですし多才にいろんなものを作ってらして、能年さんも中学生のときからバンド活動をやってらして。
そんなふうに、伊丹さんが持っている様々な顔は、能年さんが持ってらっしゃるものとこんなに重なるんだ、と、それはすごくびっくりしました。

それと、やっぱりひとつ。
恐れない――これまでの、あらかじめあった常識とか、目の前の困難とか、そういうものを恐れないという意味でお二人は同じなんだな、と思ったんです。

司会の玉置さん(伊丹十三記念館館長代行・伊丹プロダクション会長)は『お葬式』以来、すべての伊丹映画の製作をやってらしたので、今回、祝辞でお話しするにあたって、「ずっと側で見てらした玉置さんにとって、伊丹さんが乗り越えた困難の中で印象的だったのは何でしょうか」とお聞きしてみたんですね。

16t_01_04.jpg(☆)

玉置さんはいくつか挙げてくださったんですけれども、たとえば「モニター」。
それまでの映画では、カメラマンがひとつのカメラで(ファインダーを覗いて)撮っていたので、他のスタッフの方たちはカメラマンがどういう映像を撮っているのか見ることができなかったんです。
ところが伊丹さんはその映像をスタッフの方たちと共有するために、モニターを設置してスタッフの方たちが見ることができるようにした。
これはカメラマンの前田米造さんの多大なご理解があったから実現したと思います。

あるいは、グラフィックデザイナーや、スタイリストといった異業種の方々の起用。

自分がやりたいことを実現するために、それまでの映画界で常識とされてきたことを、恐れずにどんどん壊していかれたと思います。
『お葬式』が作られた1980年代にはそんな状況だったことでも、今では当たり前になっていることがたくさんあると思うんです。

そんなふうにして、自分がやりたいこと、自分はこれを形にしたいんだ、表現するんだ、っていうことを、まったく恐れることなしに進んでいらした。51歳になって初めて見つけた映画という表現で邁進していかれた。
そういうことを考えると、のんさんのこの10年間の中での歩み、お姿にすごく通じるものがあるなぁ、と思いました。

以前は考えていなかったことですが、「賞の対象としてではなく、ひとりの表現者として、伊丹十三さんと能年玲奈さんという存在はこんなにも重なるんだ」ということは、私自身にとってもすごく大きな発見でした。

この賞に関わらせていただいて、もう16年なんですけれども、伊丹十三というひとりの表現者、人間について、私、未だに分かってないような気がするんです。
でも、人間ってすごく複雑だと思うし、いろんな、こう、まとまりきらないものだと思うんですね。

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だから、そこで、ひとつの像にまとめこんで、「こういう人なんだ」と考えて理解したつもりになるのではなくて、やっぱりそのときそのときの作品――のんさんは歌も声優も脚本もやってらっしゃって――その中で力を注いでいらっしゃる姿を「何をやりたいんだろう!?」と見させていただくことの喜びがあるし、「能年玲奈さんってこういう人」とひとつにつづめてしまわなくていいな、って、そんなふうにも思っています。

ですから、伊丹さんはいろんなことをなさって映画監督は51歳からでしたけど、のんさんは30代。もう本当に、この先キラキラと可能性だけがあるような、そう思っています。

それから、のんさんは、やはり「作りたいものが外側にあるのではなくって、いつも、自分の中にある」――伊丹さんもいつもそれに忠実にものを作ってらっしゃったんだと思います。

なので、今後も、期待とか、希望とか、そういういろんなキラキラしたものを感じさせていただきながら、活動を見させていただきたいなと思っています。

正賞(盾)贈呈 選考委員・周防正行さん

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副賞(賞金)贈呈 選考委員・中村好文さん

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―― 来週に続きます ――


写真撮影:池田晶紀さん(株式会社ゆかい
撮影協力:株式会社ほぼ日のみなさん
(☆印の写真のみ主催者撮影)

学芸員:中野