記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2026.09.21 第18回伊丹十三賞 贈呈式を開催いたしました [2]

先週に引き続きまして、贈呈式の模様をお伝えします。

選考委員・酒井順子さんからの祝辞、選考委員・周防正行さんからの正賞(盾)の贈呈の次は宮本館長からの副賞(賞金)の贈呈が行われました。

そして今回の受賞者・岸本佐知子さんからの受賞者スピーチへ続きます。

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副賞(賞金)贈呈 宮本信子館長

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受賞者・岸本佐知子さんのスピーチ

 

本日はこのようなお天気の中、お越しくださいまして本当にありがとうございます。

私は本当に人より秀でた才能ってほとんどない者なんですけど、ひとつだけ、これは絶対人に負けないということがありまして、それは、ここぞという時に雨を降らせる才能です(場内笑)。

聞くところによると、関東は災害級の大雨ということで本当に申し訳なく思っているんですけれども(場内笑)、ただ、晴れがましさと雨量は正比例するので、これは天からの祝福ではないかと、そのように嬉しく思っております。

この度は伊丹十三賞という素晴らしい賞をいただくことができて、本当に嬉しく思っております。選考委員の皆様、そして館長の宮本信子様、そして関係者の皆様、お集りの皆様、本当にありがとうございます。

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【伊丹さんの面白さは、目から鱗が落ちるような斬新なもの】

 

伊丹十三さんというと、十代二十代の頃の私にとっては、ふとこう目をあげるといろんなところで面白いことをやってらっしゃる――そういう特別な方でいらっしゃいました。
映画、テレビ、文筆、デザイン、雑誌、やることなすこと全て面白くて、しかもその面白さというのが、いままで誰もやったことがないような、「こんな角度の面白さがあったんだな」と目から鱗が落ちるような斬新なものでした。

 

例えば映画は、面白いのはもちろん、ある特殊な業界の裏事情になんか詳しくなっちゃう、そんなわくわく感がありました。それからエッセイも、砕けているのにだれてない、気障っぽいけど嫌味じゃない、毒を吐いてもどこか上品。文章ってこんなふうに書けるんだと、本当に驚きがありました。

 

そして翻訳です。先ほど酒井さんに仰っていただきましたが、伊丹さんはウイリアム・サローヤンの『パパ・ユーア クレイジー』という本を訳されたんですけれども、それを始めて読んだときは本当にぶったまげました。普通にこなれた日本語訳にする時は、主語とか人称代名詞を適当に省いて滑らかにするものなんですけど、伊丹さんはそれを一切なさらなかった。「僕の母と僕の妹が帰ってきて、僕の母が僕に言った」――そんなふうに訳されるんです。でも、あとがきを読んでわかったんですけれども、これにはちゃんと理由があって、「西洋の人間は自我が確立された人々であるから、なるべく主語とか人称代名詞を省かないようにして訳した」というふうに仰っていたんですね。それも本当に衝撃で、まねをするのは危険なんですけれども、こんなやり方があるのかと目から鱗が落ちました。

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【伊丹さんは、若い私たちに未知の素敵な世界の存在を教えてくれるかっこいい大人の代名詞のような方】

伊丹さんは「mononcle(モノンクル)」という雑誌を作られたんですけれども、まさに、伊丹さんは私のおじさん、若い私たちに未知の素敵な世界の存在を教えてくれる、そんなかっこいい大人の代名詞のような方でした。

それだからこそ、受賞の知らせをいただいたときに、とっても嬉しかったんですけれども、何かの間違いじゃないだろうか、もしかして今こうやって立ってるのも全部夢なんじゃないかと疑っているようなところがあります。

私は極端に呑み込みの悪い性質でして、なんでもかみ砕いてかみ砕いて、やっと理解できるタイプの人間です。なので、子供の頃に腑に落ちなかったり、理解できなかったりしたこと、例えば、「視界の中に自分の鼻が入ってくるのがなんか気になる」とか、「ちょんまげってものすごく異常な髪型じゃないか」とか(場内笑)、そういうことをいまだに乗り越え切れてなくて、そういうのを子供のころから順番に順番に考えていって、いまやっと頭の中身が10歳ぐらいの感じなんですね。

けれども、このような素敵な大人の伊丹さんの名前を冠した賞をいただいたので、これからはもうちょっとスピードアップして、80歳ぐらいまでには成人したいなと思っております(場内笑)。80歳までに20本歯を残そうという「8020運動」というのがあるんですけれども、私は「80歳までに20歳になる」(場内笑)、これを私の8020運動として精進していこうと思っております。

【恩人おふたりに感謝を】

最後になりますけれども、この場を借りて、私の恩人おふたりに感謝を捧げたいと思います。

おひとりは、私の翻訳の師匠の中田耕治先生です。中田先生は私に翻訳のいろはをたたきこんでくれた、本当に恩人なんですけれども、それはそれはおっかない先生でして、先生の授業はまさに虎の穴のようでした。

ですが、生徒思いの先生でもあって、時々謎めいたアドバイスのようなものをくださるんですね。私もいろんなことを教えていただいたんですけれど、そのひとつが「翻訳だけやってちゃだめだぞ。書く仕事もやりなさい」というものだったんですね。

その時は何を言われているのかわからなくて。でも、今になって思うと、私は本当に文章を書くのが苦手で、今までに150回ぐらいやめたいと思ってきたんですけれども、ずっと昔に先生に言われたその一言が楔のようにひっかかって、ぎりぎり辞めずにこられたんです。そのおかげで今こうしてここに立っていられるわけでして。今頃先生は天国で「そらみたことか」とガッツポーズをきめてらっしゃるのではないかと思います。

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もうひとりは、私のエッセイのスタイルを作ってくださった恩人なんですけれども、実は私はその人にお会いしたことがなくて、お顔も名前も、どこのどなたかも存じ上げません。

私がエッセイを書き始めた最初というのは、『翻訳の世界』という、翻訳専門の学習雑誌でした。とってもまじめな学習雑誌です。最初は、「翻訳ちょっといい話」みたいなことを書くつもりだったんですけど、依頼してくれた編集者が高校の仲良しだったせいで、ついつい甘えが出て、夜寝る寝床の中で一人しりとりが止まらないとか(場内笑)、ロールシャッハ・テストが全部骨盤に見えるとか、そんなことばっかり書いていました(場内笑)。

そうやって何回か連載してもまったく反響がなくて、だんだん心細くなって、やっぱり、「翻訳ちょっといい話」を書いたほうがいいのかな......みたいに思っていた矢先に、編集部に一本、苦情の電話が入ったそうなんです(場内笑)。その方は「おたくの雑誌に連載している岸本という奴のページ、あそこだけ全然ためにならないからなんとかしてくれ」というものです。それを聞いた時私はなぜか「わかった、もう一生ためになることなんて書いてやらない」と決意し(場内笑)、それからますます翻訳の「ほ」の字も出てこない、今みたいなものを書くようになってしまいました。

でもそのおかげでここに立つことができたので、名前も顔もわからない、今どうしてらっしゃるかもわからないその方に、心からの感謝をさせていただきたいと思います(場内笑)。

ありがとうございました(場内拍手)。

宮本信子館長のご挨拶

本日は、お忙しいところ贈呈式にいらしていただきまして、誠にありがとうございます。
岸本さん、おめでとうございます!

私、岸本さんの翻訳なさった『ダンシング・ガールズ』、拝読いたしました。これを読んだときに、一気に、本当にその世界に引き込まれました。引き込まれたと同時に、私は映像が浮かんできまして、なんと私が監督をして映画を撮っているような、そんな錯覚――とんでもない感覚になったのです。

こんなことはもう初めてでして。岸本さん、本当に不思議な感覚と錯覚で......私は監督までしてしまいました(場内笑)。本当に、ありがとうございました!(場内拍手)

では、乾杯をいたしたいと思います。岸本さんのますますのご活躍をお祈りして、そしてみなさまのご健康と身体健全、そして商売繁盛を重ねてお祈りしまして、乾杯をいたします!

カンパーイ!!(場内拍手)

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【※】左から、周防正行さん、宮本信子館長、岸本佐知子さん、
酒井順子さん、南伸坊さん



そして毎年恒例の全体写真は、金屏風の前で撮影しました。ご出席者が集まってパチリ!皆さま本当にいいお顔です!

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【※】

岸本さんが仰ったように当日東京は雨模様でしたが、会場内は晴れ晴れとした楽しい雰囲気に包まれ、笑顔の絶えない式典となりました。

改めまして岸本佐知子さん、選考委員の皆様、ご来場くださった皆様、関係者の皆様、本当にありがとうございました。

今後とも伊丹十三賞、そして伊丹十三記念館を、どうぞよろしくお願いいたします。

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【※】の写真は、撮影:池田晶紀さん(株式会社ゆかい)、
撮影協力:株式会社ほぼ日のみなさんです。

スタッフ:山岡

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