記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2025.01.13 パンダ年と青い空

皆様こんにちは、ウン度目の年女・中野です。

幼少の砌――3歳か4歳ぐらいだったでしょうか――「なんでワタシはヘビ年って決まってるの? ヘビ年なんてヤダ! "パンダ年"になるぅ~」と駄々をこね、家族を苦笑爆笑させたことがございまして、今なお中野家における語り種となっております。

想像するに「ヘビ=怖いし気持ち悪い」「パンダ=かわいい」という幼児らしい安直な思考から飛び出したひとことだったのでしょうが、家族に理解してもらえないうえに笑われる理由が分からず、ひたすらに恥ずかしく悲しく悔しかったことを鮮明に覚えています。

20250113_diary.jpg今では「いやいや、ヘビってカッコいいじゃん」と
思っている私の今年の手帳はもちろんヘビ柄です。

このように、幼児というのは発想に枷がないため何を言い出すか分かったものではなく、周囲の大人、殊に両親を「ギョッ」「ハッ」とさせる存在である、というのは昭和も令和も変わらぬ家庭の風景だろうと思います。

そして、年を重ねてみるといつの間にやら親との立場が逆転していて、今度は自分が「ギョッ」「ハッ」とさせられる側になっている――これもまた人の世の"あるある"でありましょう。


「ところで、空ってなんで青いんだっけ?」

と母から問いかけられたのは、昨年末から元日にかけての帰省中、わが故郷・三陸の青い青い冬の空に見とれて「美しいなぁ、三陸のキリッとした空気ゆえの青さだなぁ」と感慨に浸っていたときでありました。

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「空はなぜ青いの?」という質問、尋ねられて答えに窮する代表例ですよね。

「せっかくいい気分でいた今、それについて説明するのはめんどくさすぎる...」とチラッと思いはしたのですけれど、実はこれ、伊丹エッセイの読者であれば「よくぞ聞いてくれました!」なネタなのであります。

1968年に刊行されたエッセイ集『問いつめられたパパとママの本』は、「無限の可能性を秘めた子供の好奇心の芽を摘むことなく、正しくいい方向に伸ばすため、大人は科学的な物の考え方、知識に対する憧れと畏れを身につけましょう」という信念に貫かれた一冊で、いわば"子育て中の方のための想定問答集"。
これを紐解きますと、ドンピシャリ、「空ハナゼ青イノ?」と題された項があるのです。

勝利を確信した私が、心の中でガッツポーズをキメながら『問いつめられたパパとママの本』で読み識った答えをひととおり述べ、「以上、ご納得いただけましたでしょ~うか?」と母の顔を覗き込みましたところ――

「えーっと、分かったような、分かんないような......」

予想外の敗北感にうなだれる結果となってしまいましたが、まあ、私の説明も整然としたものではなかったので、(半分くらいは)致し方ありますまい。

さて、では、空はなぜ青いのでしょうか、伊丹センセイにご解説いただきましょう。

 光というものは一種の波でありますが、波には波長というものがある。波長とは、波が高くなって低くなってまたくなる、その山の頂上から頂上までの長さではありますが、赤、だいだい、黄、緑、青、あい、すみれ、七つのひかりのうち、赤いほうほど波長が長い。いや、長いといっても一ミリの千分の一よりまだ小さいような規模での話でありますが、ともかく赤い光のほうが波長が長く、青のほうが短いのです。そうして、太陽光線が空気の中を通過する時、波長の長いもの、つまり赤い光ほど空気の分子によって散乱させられることが少なく、すなわち遠くまで達するのであります。

(中略)するとどうなるか。太陽から出た光は四方八方に向かって遠くまでまっすぐに進むのですから、つまり別の言葉をかりていえば散らばってしまうのですから、私が空を仰いださいに、私に割り当てられた赤い光というのはごくわずかであるということになる。極端なことをいうなら、太陽からまっすぐ私の方に向かって進んできた分だけが私の目にはいる。
 ところが青い光のほうは、空気の分子によって散乱させられるから、つまりこれは青い光を専門にはねかえす小さな鏡が空一面に散らばっているようなもので、それゆえ空のあらゆる隅々から青い光が私の方へ集まってくる。すなわち絶対多数決で空は青く見えるのであります。

 

「空ハナゼ青イノ?」『問いつめられたパパとママの本』(中央公論社、1968年)より

いかがでしょう?
「うん、ちょっとまだよく分かんない」と感じる方のために、続きを少し。これならば分かり易いこと請け合いです。

そこで坊やに説明してください。
「あのね、お日さまからはね、赤い光と黄色い光と青い光が出てるのよ。赤い光と黄色い光はさきに行っちゃったんだけど、青い光だけがお空で道草して遊んでるの。わかった? 坊や」

――子のないわたくしではありますが、目の前の幼児に何かしらの疑問や悩みを示されたときは「そんなこと知らなくても生きていけるよ」「大人になったら分かるよ」などと逃げを打つことなしに、そのときの自分が理に適っていると思える説明をして(答えられない場合にはせめて「一緒に調べてみよ!」と誘って)、彼らの好奇心の芽を育むお手伝いをしたいものだなぁ、と感じた、2025年の年頭でありました。

皆様の2025年、伊丹十三記念館の2025年、よい一年になりますように。

学芸員 : 中野

2025.01.06 伊丹家のお正月料理


記念館便りをご覧のみなさま、あけましておめでとうございます。2025年も伊丹十三記念館をどうぞよろしくお願いいたします。


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1月2日更新の宮本信子館長の記念館便りはご覧になられましたでしょうか。まだの方は是非ご覧ください。

2025.01.02記念館便り 館長・宮本信子から新年のご挨拶



さて、みなさまお正月はいかがお過ごしになられましたでしょうか。おせちやお雑煮などのお正月料理をお召し上がりになられましたでしょうか。


ご家庭それぞれに「ならでは」のお正月料理があると思いますが、伊丹十三さんのお宅ではなんと、「チーズフォンデュ」がお正月料理の一つだったそうです。


『わが家の正月料理が決定した。一つはフォンデュ。スイス料理である。簡単にいうなら、煮立てた白葡萄酒でチーズを溶かしちぎったフランスパンをつけては食べる、というだけの素朴な料理である。発明したのは牛飼いだろう。こいつが滅法うまい。寒い夜親しい友とこれを囲んで、プツプツ煮立つやつをパンにからめとっては口に運ぶと、腹の底から生きる力が沸いてくる。厳格なる自然食主義者の私も、この魅力には抗し難い。ベルンに五日滞在したときは、五日連続でフォンデュを食った。最後の夜などは二人前のフォンデュを食べおわってまだ足りず、さらに二人前注文して、ついにはそれも平らげてしまった。それほど「力」のある料理なのだ、フォンデュというのは。
 だから、そのフォンデュを、東京のとあるスーパーの片隅に発見したときの私の喜びをお察し願いたい。いやア、おどろいたですねエ、あったんですよアナタ、フォンデュが。タイガー印とかいって二人前九百円というインスタント・フォンデュを私は発見してしまったのである。早速買い求めて試験してみると、こいつはイケル!スイスで食べるのと全く変わらない。「正月の料理はこれ」と、直ちに決定し、二十箱注文したら、嬉しいじゃありませんか、年末のせいか、九百円のフォンデュが七百四十円に値下げという、まるでボタ餅で、ほっぺたをなでられるような話なんだなア。』

―出展「正月料理」(『伊丹十三の台所』つるとはな)-




フォンデュへの愛と、東京でフォンデュを見つけたときの嬉しさが伝わってきますね。
伊丹家ではフォンデュのほかにも「粕汁」もお正月料理のひとつだったそうです。
詳しくは「伊丹十三の台所」【つるとはな・定価2,600円(税別)】をご覧ください。お正月料理のほかにも伊丹さんや伊丹家の「食」にまつわる情報が満載です。是非。



スタッフ:川又

2025.01.02 館長・宮本信子から新年のご挨拶

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日々是好日!


心からそうなってほしいと思っております。

何があっても超然としている。


ドシッ!  ドカッ!


いつも笑って私は生きていきたいと思う~~。

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皆様の御来館をスタッフ一同、お待ち申し上げております。


今年も宜しくお願い申し上げます。


館長 宮本信子