こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。
2026.06.22 包丁
6月も後半となりましたが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
梅雨真っ只中の松山では湿度が高くてじめじめとした日が続いております。天気も雨が降ったりやんだりとぐずついており、からりと晴れた日が恋しいです。
雨の日の記念館
濡れた葉っぱが綺麗です
松山では昨年よりも気温が低く、過ごしやすい日が続いておりましたが、私は季節の変わり目のせいか5月末に体調を崩し、花粉症の時のように副鼻腔炎を拗らせてしまいました。6月の下旬に入った今でも処方された薬を毎日飲んでおります。
体調が悪いと家の中のことをするのが億劫で、夫婦で長く風邪をこじらせたこともあり、5月から6月にかけて家事は最低限で良しという生活を送っておりました。特に食事は作ると片付けもしなくてはいけないため、お米だけ炊いてお惣菜を買ったり、お弁当を食べたり、外食したりと、かなり自炊はサボり気味でした。
本格的な自炊を復活させてふと気が付いたのは、調理器具が傷んできているということです。フライ返しが変形しまっていたり、菜箸がぼろぼろだったり、包丁が切りにくくなっていたり。
毎日使っていると「まあこれくらい」と使い続けてしまうですが、久しぶりにじっくりと見てみると、このままでは料理中に壊れてしまいそうだと反省しました。
これを機にいろいろと調理器具を見直していたのですが、2年近く使用している木製のまな板を見ていて、まな板の中央ばかりが傷つき、薄く削れていることに気が付きました。発見して咄嗟にこれは!と思い出したのがこちらのエッセイです。
たいていの家庭では俎は真ん中が窪んでいる。真ん中が窪んでいるから包丁と俎の間に隙間ができる。ざる蕎麦の薬味に葱を刻もうというような時には、だからいくら力をこめて刻んでも、一番下になった皮が切れないから、刻んでから持ち上げると、全部が一つなぎにつながっている。
ところが、料理屋の俎を見ると、まずたいてい、家庭とは逆にかすかな蒲鉾型に、外側が窪んでいるのですね。
私は、なるほど便利なものだな、使いやすいように、ああやって外側を削っておくわけだな、と思ったのであるが、これは間違いと知れた。以下は辻留さんのお話。
「ちがう、ちがう。そやないねん。ご家庭の俎が、真ん中が窪んでおりますのんは、あれは奥さんがたの包丁の持ち方が悪い。オイ、ちょっと俎と包丁持ってきてみい。包丁いいますのはな、ホレ、ごらんのようにここに重心があります。刃の、ほとんど柄に近いとこや。そやさかいに。この重心のとこで包丁を持つのが一番力の経済でっしゃろな。それをやネ、家庭の奥さまがたは、この柄の端っこを持たはって、刃の、こないな先のほうで切ってはりますやないか。こらあきまへんで。包丁は、このように持ちます」
辻留さんの包丁の持ち方をみると、たしかに包丁を重心のあたりで掴んだという実感と迫力がある。
こうするとどうしても俎の手前が使いやすくなり、いきおい、俎は蒲鉾型にへってゆく道理と見えた。
「ことにやね、お刺身を切るような場合にはね、この包丁の、重心あたりから、一番先まで、このカーヴを百パーセント使いますねん。刺身包丁の刃の根のほうを使おおもたら、そら包丁握ってる手はどうしても俎の外へ出んならん。手が俎の上にあったんでは、包丁を、このように手前に引きます時、指がひっかかって、こら、かなんがな。そやさかいに、お刺身は、このように俎の手前に置いて、包丁握ってる手が俎の外へ出るようにして切りますねん。これ、こう、スウーッと。な?
この刃は見事な曲線してますやろ。この曲線を端から端までフルに利用せなもったいないがな。ほれ、スウーッと。このようにして切られましたお刺身は、細胞がグチャアと押しつぶされてへん。細胞が生きとるねん。そやさかい、切り口がきれいやがな。そやさかい、おいしいがな」
(『女たちよ!』より「包丁の正しい持ち方」)
『女たちよ!』
ひとり暮らしを始めた際、この伊丹さんのエッセイを読んでから、包丁を持つときは刃の柄に近いところを握り、人差し指を包丁の背の部分にのせて、重心を取るように努めてきました。
ですが、どうにも下手くそなのか、力を入れ過ぎてしまっているのか、硬いものなどを切り続けているうちに人差し指の腹に包丁の背の跡がついてしまうのです。赤くなるし次第に痛みは出てくるしで、気が付けば包丁の柄は普通に握っており、一回で切り分けられなかった野菜などは包丁の先の方で切っていました。
努力はあまり実らず、まな板は真ん中に無数の傷がある。一人で使っていたわけではないのですが、やはり私が一番使っているので、これは私の使い方の癖によるもの。
そこでどうしたものかとあらためてエッセイを読みなおしてみて、重心を気にするあまり、身体の向きについてなどは頭から抜けていたことに気が付きました。エッセイのとおりに包丁を持ちながらも、包丁を正面に向けて持っています。野菜を刻むときは真上からストンと刃を落としており、お肉や魚を切る時も、刃の全体を使うことに意識が向かっておりません。これは余計な力をかけているというもの。実家に住んでいた頃をよくよく思い出すと、母も体を斜に構えて包丁を扱っていたような。
さっそく、エッセイを読みかえしたその夜に胡瓜を細切りにいたしましたが、体全体の動きも意識してみると、力があまり必要なかったのです。上手く包丁を扱えていなかったのだなあと、あらためて感じました。

エッセイ「包丁の正しい持ち方」の挿絵になっているイラスト原画は
企画展『伊丹十三の「食べたり、呑んだり、作ったり。」』にて展示中です
なお、家で使用している包丁は家具量販店で買ったお値段がかなり優しいもので、切れ味に難があるという点も、切る時に余計な力が入る理由のひとつの気がします。幼い頃に母が言っていた、「切れない包丁の方が力を入れ過ぎて怪我をするのよ」という言葉が今になって思い起こされます。
最近は展示室をとおるたびに、企画展『伊丹十三の「食べたり、呑んだり、作ったり。」』にて展示されている、伊丹さんが愛用していた包丁を羨ましく眺めております。
あまり手の込んだ料理を作ることはないのですが、やっぱり良い包丁が欲しい今日この頃です。
伊丹さんが愛用していた包丁
こちらも企画展示室でご覧いただけます
学芸員:橘
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