

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。
2013.02.25 日本映画専門チャンネル「総力特集・伊丹十三」のお知らせ
ミナサーン、日本映画専門チャンネルの伊丹十三特集、ご覧くださってますか?昨年3月の「伊丹十三劇場」放送開始以来、伊丹十三の監督作品全10本に、新作ドキュメンタリー4本、夏には"幻"の名作ドキュメンタリー「天皇の世紀」全26話完全放送もありました。
2012年度をともにしてきた「伊丹十三劇場」も、3月の「総力特集・伊丹十三」でフィナーレとなります。三十路女のくたびれたこの心に(突然の私事で恐縮)、時には喝を入れ、時にはそっと寄り添いなぐさめてくれもした伊丹十三劇場。春は別れの季節と言いますが、さびしいですね、名残惜しいですね...
と、感傷に浸っている場合ではありません。
3月は今まで以上にすンごいことになりますから、決してお見逃しにならぬよう、声を大にしてお知らせ申しあげます! さあ、メモのご用意を!
監督作品「お葬式」「タンポポ」「マルサの女」「マルサの女2」「あげまん」「ミンボーの女」「大病人」「静かな生活」「スーパーの女」「マルタイの女」全部放送、さらに「伊丹十三劇場」のためのオリジナルドキュメンタリー「新13の顔を持つ男」その1からその4まで一挙放送、そしてあの名作の再放送「天皇の世紀」全26話で伊丹十三が時空を行き来し超絶リポート、極めつけには伊丹一三時代の監督作品短編映画「ゴムデッポウ」テレビ初放送~~~!! べべべん!!!
あらっ、ついお三味線が入ってしまいましたけれども、すごい密度ですよねぇ。
監督作品全10本
各作品とも、3月の1回限りの放送でおしまいとなります。どの作品もお見逃しなく!
ドキュメンタリー「新13の顔を持つ男」全4回一挙放送
「伊丹十三劇場」のために新しく制作されたオリジナルドキュメンタリー、昨年3月から3ヵ月に1本、1年で計4本制作・放送していただいた合計4本を、ひとつにまとめたうえに、新しい映像を追加するとのウワサを入手いたしました。豪華版!
「天皇の世紀」(全26話)一挙放送
昨年夏、39年ぶりに再放送された「天皇の世紀」。大佛次郎氏の史伝を原作とした、ドキュメンタリーの傑作、ふたたびの一挙放送です。(昨夏の記念館便りに視聴レポートを載せましたので、内容にについてはコチラやコチラでどうぞ)
「ゴムデッポウ」テレビ初放送
1962年、まだ伊丹一三と名乗っていた俳優時代に、親しい仲間たちと自主制作した短編映画の史上初テレビ放送!!「伊丹十三の"幻"の監督デビュー作」とも言われている作品で、ブルーレイBOXに特典映像として封入されていますが、単品でのソフト化はされていません。ぜひこの機会にご覧ください。(これを見るためだけにチャンネル加入してもモトが取れると思います。あ、でもせっかくですから他の作品も全部観て!)
どうです? もりだくさんでしょう?
あの、こういう特集放送ですとか、映画館での特集上映なんかのときにですね、よくあるのが、「ま、いっか、と軽い気持ちでスルーしたばっかりに激しく後悔する」という、あれでございます。「いずれ近いうちまたやるんだろ」なんて言って、まあ、ある可能性はなくはないのですが、しばらくない可能性のほうが大いにあるわけで、観たい観たいと焦がれて数年待つことになります。そうして、いざあるっていうときには諸事情によりあるいはウッカリミスにより見逃してしまって自分で自分を許せなくて地団駄壁パンチ卓袱台返し...というわけにもいかず(大人だからね!)人知れず枕を濡らしてフテ寝、ということになりがちです。過去のことになった放送予定表をネットで見てはためいきついたりしてね。
と、いうわけで、放送スケジュールをシッカリ押さえておかないと泣いちゃいますよ。録画したら一生の宝になること間違いなし、ハードディスクにタップリ空きを作り、3月に備えましょう!!(36時間分空けると全部録れると思います~。)べべべべん!!!
<オマケ>
「伊丹十三劇場」が始まって一年経つということは......日本映画専門チャンネルはBS放送開始一周年なんですね。(日本映画衛星放送様、おめでとうございます!)
日本映画専門チャンネルは契約の必要な有料チャンネルですが、BSで視聴できるようになってホントに便利、加入しやすくなったと思います。(チャンネル数が限られはしますけど。)
参考までに拙宅(BSアンテナつき賃貸)でかかった費用を申しあげますと、最初に新規加入料が2,940円かかったほかは、月々「スカパー!基本料」410円と日本映画専門チャンネルの視聴料525円の合計935円。これで、市販ソフトになっていない伊丹さんの作品のほかにも、日本映画がうーんと楽しめるのですから、おトクだと思いますヨ。 この機会にご加入のご検討を。
2013.02.18 春の足音
記念館便りをご覧のみなさま、こんにちは。
本日2月18日は、記念館から車で数分くらいのところにある伊豫豆比古命(いよずひこのみこと)神社で行われている、「椿まつり」の最終日です。旧暦正月7・8・9日に行われる大きなお祭りで、「椿まつり」「お椿さん」などの愛称で親しまれ、毎年たくさんの人で賑わっています。立ち並ぶ露店も見逃せません!子供の頃はねだる側、大人になってからはねだられる側になりましたが、これもまた楽しみのひとつだと思います。
ただ、特に夜などはまだまだ冷え込みますので、これから行かれるという方はどうぞあたたかくしてお出かけ下さいね。
「伊予路に春を呼ぶまつり」と言われる「椿まつり」。「椿まつりが終われば暖かくなる」という話をよく聞きますが、それもあってか、近頃色々なところで春の足音を感じるようになりました。私の場合、一番わかりやすいのは菜の花です。この時期は車で走っていても、歩いていても、電車に乗っていても、必ずどこかで黄色い一群を目にします。
でも、なんといっても今年の一番はじめの足音は、記念館前の川の土手に咲く菜の花でした。最近記念館に来られた方は、咲き始めた黄色い花を目にされたと思います。少しずつ、でも着実に土手の黄色が増えていく様子はとても春めいていて、満開になるのが本当に待ち遠しいです。
まだまだ寒い日が続きますが、特にお天気の良い日など、お散歩がてらどうぞ記念館へお越しになってください。
スタッフ:山岡
2013.02.11 伊丹さんの笑顔の写真
突然ですが、私が伊丹さんの写真の中で一番好きな写真をご紹介します。
「伊丹十三の本」の表紙にもなっている、写真家の浅井慎平さんが撮影された、伊丹さんとびきり笑顔のこちらの写真です。
伊丹さんは著書「女たちよ!男たちよ!子供たちよ!」の中でカメラマンに関して「写真の仕事をする人には意外に精神の硬直した人が多い」とか「実力のない者に限って注文が多い」とか結構辛い評価をしています。
たとえば、自宅での撮影の際には、散らかった机の上の書物を小綺麗に片付けたり、持参したバラを活けたりした上に、伊丹さんや家族にポーズや目線だけでなく、「向うの山の方でも指さしてください」などとまで指示してくるカメラマンがいたそうです。
彼らには「仕事のできない顔」がついているので、顔を見ただけでそれとわかるということを言っています。そんなカメラマンの注文には一切応じないことに決めたそうです。その理由は、そんな人とつきあうには、人生はあまりにも短いからだそうです。...。
そんなふうにカメラマンに対して辛口の伊丹さんではありますが、同著の中で浅井慎平さんのことは「尊敬するカメラマン」であると記しています。浅井慎平さん自身も、伊丹さん亡きあとのインタビューの中で、伊丹さん自身から浅井さんの写真について「浅井慎平の写真だからいい」と言われたことがあるとおっしゃっています。浅井さんという人間が撮ったのだから、いいに決まっている、という理論だそうです。浅井さんのことをすごく好きだったんだろうというのは他のインタビューなんかからも伝わってきます。例えば、六、七人のクルーでロケに行ったとき、浅井さんだけに持参したメザシを差し出して、無邪気に「シンペイさん、二人で食べよう」と言ってきたというエピソードなんかがあります。(浅井さんは他の人のことが気になって仕方なかったそうです。)
そんなふうに大好きだった浅井さんの前だからこそ、この写真のとびきりの笑顔が出たんだと思うと、納得です。
さてこの写真、伊丹十三記念館では展示室へ入ってすぐのところに展示しています。展示室へ入る自動扉は「すりガラス」になっていますが、よ~く見てみると、真ん中にすりガラスの加工が無い部分があり、そこから展示室の中が見えるようになっています。
正面から見ると、その部分からちょうど、この伊丹さんの笑顔の写真が見えるようになっています。
「記念館」というところに来て少し気構えている気持ちをホッと和ませてくれる、とてもいい写真だと思いますので、ご来館の際はこちらの写真の伊丹さんにお出迎えされて、リラックスした気持ちで中の展示をご覧頂けると幸いです。
スタッフ:川又
2013.02.04 『朱欒』より「咬菜餘譚」(2)
先週に続きまして、企画展に展示中の『朱欒』第6号(大正15年2月発行)より、「咬菜餘譚」のお話です。前回は、「大根を食べるとしみじみとした味わいの中に池大雅(いけの・たいが)を思い出し、大雅を観ると大根を思い出す」という日常生活で得た万作自身の実感と、「南畫(=南画=文人画)発祥の地である中国にも大雅ほどの画家は見当たらない」という賛辞が綴られた個所をご紹介いたしました。

続きを少しお読みください。
自分一個の私見に過ぎざるも、余は雪舟を好まぬ。大雅は是に引き替へ懐しき限りである。目下の所、山水を畫きては日の本に此の人一人と思ふ。無論大雅の作品の中に於ても徒に奇景絶勝を畫きしものは好まぬ。坦々たる平蕪の一角、土壌の一遇、数株の樹木、悠々たる流水、かくの如きものを無雑作に畫き流して彼は世界に絶品を残した。就中(なかんづく)、味ひて盡くる事なき思ひを宿すのは、其の線であり墨色である。
(中略)日本に於て、其の最高の標準を雪舟に求めなければならぬとすれば、自分は世評の如く、是を大雅堂の上位に君臨せしむるに異議を唱へざるを得ない。
大雅は生きて暖かく話し掛くれど、雪舟は冷く取りすまして居る。近き難いものが必しも崇高、幽妙であるとは定め難い。また崇高、幽妙なる性質を帯ぶるものが藝術價値に於て勝れたりと断言は出来ぬ。
余が雪舟にあきたらず思ふは、技法の固定から来るまんねりずむに最も多く負ふ。
もふ、一寸桁を外して呉れたならばと其の点惜しく思ふが常である。餘りにまとまり過ぎて居る。少しも捌けた所が無い。頑固一徹に繪とはかふ畫くものであると主張する。何れを観ても畫手本の様に堅苦しい。只一つ所謂枯れた味を出し切った点に於ては海内比を見ずと思ふ。此の一点に於ては或ひは大雅も彼に一歩を譲らねばなるまい。
明治後期の美術界において日陰に追いやられていた南画が、大正時代には再評価されて「新南画運動」という動きが起こった、ちょうどそんな頃でしたので、万作も、(日本美術の主流とされていた「北画」系の流れや、その源流とされる雪舟ではなく)南画に価値を見出すにあたっては、時代の風の影響を受けていたのかもしれません。
崇高さや霊妙さや技巧を「堅い」と嫌い、実感にもとづいて無雑作に表現されたものを好む点は、映画人となって以降の万作の仕事にも通じているな、と感じます。
さらに読み進んでまいりますと、かの有名な富岡鉄斎の名が出てきます。
鉄斎曾て(かつて)大雅を評して、學識乏しきが故に氣韻高からず、と言って、寧ろ、彼は(田能村)竹田の方を高く買って居た相である。是を聴いて余は鉄斎と言ふ男がいやに成った。其の維新当時の志士氣取りのゴーマン面が憎いのである。鉄斎いかに學識に富むと雖も(いへども)繪を比較すれば大雅の脚下を掠むるのみ。
大雅をセザンヌとすれば竹田はルノアールである。異質にして並行すと雖もルノアールをセザンヌの上位に置く事は畫家として慎む可きである。
鉄斎は江戸時代から大正時代に活躍し、その生き方も含めて「最後の文人画家」と称えられている日本美術界の巨人なのですが、万作からすると「学識はあっても分かってない」と。手厳しいですね。
(ちなみに、万作は田能村竹田が嫌いでこんなことを書いたわけではなさそうで、のちに東京新聞に書いた随筆の中で、「竹田の作品の中でも『舟中売章魚図』のよさは格別だ」と評価しています。)
この後、北画と南画の自然描写の違いと、池大雅がどのように成功しているのかが述べられて、最後はこのように結ばれています。
畫論に就いて、畫家の畫論を爲さむとするや眞剣ならざるべからず。創作家の筆を執ると異る所なし。紙上弄文の快をむさぼるは咎めず、行間、時有って諧謔を交ふる、亦妨げず。只徒に興に走りて空疎なる文字を行ふは愼むべきである。
(中略)濫りに異を樹つるは無益のわざである。内に特質あらば努めずとも持論おのづから備る筈である。他人の所説に異を樹つるを以て快となし、喧々ゴーゴーたるは政治家の爲す所であって畫家は執らず。
特色ある畫家は諸家の各説に黙従する能はざるは自明の理である。されど、かかる先入見を以て諸家の説に対し、先づ異説を案出せんと試るが如きは最も邪道である。
先輩の説に異を樹てんとするや、畫家は三考するを要する。無反省なる異説は愼む可きものの第一である。
画家であるがゆえの万作の自戒の念も大いに含まれているのだろう思うのですが、これを読んだ時「あらッ?」と思いました。
「咬菜餘譚」から16年、映画雑誌で担当したシナリオ評論を振り返って書いた随筆の中に、こんな言葉があるのです。
自分でしばらく批評をやってみて、今までわからなかった批評に関することが少しわかった気がした。その中で一番肝腎なことは、批評家というものは、他を批判すると同時に、それと同じ厳しさをもって、絶えず自己を批判していなければいけないということだった。それがないと批評は安易になり、無責任な大言壮語とあまり変わらないことになってしまう。(「洛北通信」『伊丹万作全集』第1巻)
このような万作の姿勢は、映画やシナリオに限らず、「戦争責任者の問題」のように日本社会について論じるときにも貫かれていました。
「映画監督として、評論家の言いたい放題に口惜しい思いをしてきたのだろうなぁ。砂を噛むような思いを経験したから、このような態度に行き着いたのだろうなぁ」と想像していたのですが、映画界に入って有名監督になる、つまり評論されるような存在になる前から、「畫論に就いて、畫家の畫論を爲さむとするや眞剣ならざるべからず」という批評態度であったこと、仲間内で回覧する文章であっても、絵画や画家を論じる際には「じゃあ自分はどうなんだ」という視点を持とうとしていたことが、この「咬菜餘譚」から知ることができます。
万作の万作らしさのルーツを見つけた思いがして、若かりし頃の万作と仲間たちが手作りしたこの『朱欒』をますます愛しく感じました。
この「咬菜餘譚」収録の『朱欒』6号は、企画展示室で開催中の「父と子」展でご覧いただけます。2月下旬に『朱欒』のほかの作品と入れ替える予定ですので、お早めにお楽しみください。
「ってゆうかザボンとブンタンって同じものなの!?え、ボンタンはブンタンなの!?」
というところから驚いたのはワタシだけでしょうか...
ここいらへんでは、さわやかでまるまるぷりぷりとした土佐文旦がもう出回っています。

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