記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2011.04.25 第3回伊丹十三賞の贈呈式を開催いたしました

すでにホームページでお知らせしておりますが、4月21日木曜日、東京の国際文化会館で第3回伊丹十三賞の受賞者を発表するとともに、贈呈式を開催いたしました。

1.伊丹十三賞と受賞者のご紹介

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「伊丹十三賞ってナーニ?」という方のために、ごくカンタンにご説明いたしますと、「伊丹十三が活躍した分野で、多くの方の知性に生き生きとした刺激を与える面白い仕事をなさっている方にお贈りする賞」でございます。

※詳しくはこちらをご覧ください↓
当館ホームページ内「伊丹十三賞概要
宮本信子Official Site内「タンポポだより

第1回は糸井重里さん、第2回はタモリさんにご受賞いただきました。
そして、第3回伊丹十三賞の受賞者は内田樹さんです。

「世の中の事象から、人がどう生きるかまで、ひらかれた思考とやわらかい言葉で日々発言し続ける、現代的で新しいスタイルの言論にたいして」が授賞理由です。

内田さんは神戸女学院大学文学部の教授として教鞭をお執りになりながら、ご専門のフランス現代思想、映画論、武道論はもちろんのこと、実に様々なテーマで日々ブログを更新、そしてそのブログを元に次々とご著書を発表なさって、多くの方を魅了し続けていらっしゃいます。この春ご退職なさって名誉教授になられましたが、「待ってました!」とばかりにあちこちからひっぱりだこで、ますますご多忙のご様子です。

世間を揺るがす大事件があると「あの人は今どう考えていらっしゃるのかな?」とたくさんの人々から意見を求められる方が時代時代でいらっしゃいますが、内田さんはまさしくその中のお一人です。最近では、入試カンニング問題、そして東日本大震災と原発事故に関するご寄稿文やコメントを新聞や雑誌、ウェブサイトでご覧になった方も多いのではないでしょうか。

そんな内田さんは伊丹さんの長年の大ファンでいらっしゃったそうで、受賞を大変喜んでくださいました。ありがたいことです、嬉しいことです。

2.贈呈式の模様

贈呈式では、選考委員を代表して、平松洋子さんが祝辞を寄せてくださいました。

「なぜ内田さんの発する言葉がひとを魅きつけるのか。そのこたえのひとつが、『ひらかれた思考とやわらかい言葉』です。思考というものは頭の中の回路に閉じられがちで、そこから発せられる言葉はとかく強ばりを伴いがちです。けれども、ひとに真にはたらきかけ、よりふかく届き、と同時に最も困難をきわめるのは『ひらかれた思考とやわらかい言葉』を持つことではないでしょうか。

去る3月、最終講義のなかでも、内田さんは繰り返し述べていらっしゃいます。『存在しないもの』とのかかわりなしに、我々は人間であることができない。つまり、すでに存在しないもういないもの、まだここにいないもの、現在においてその両方とかかわりあうことこそ思考するという行為の本質であり、対話の鍵である。この双方向へのひらきかたは、30数年におよび武道家としての身体の感受性の発見から体得なさったたまものと拝察いたします。だからこそ内田さんの言葉はやわらかく、ひとの思考、つまり身体そのものに届くのだと思います」

「こんにち、日本人は、日本は、どの道を、どのように選択し、どう歩いてゆくのか。生かされているものみなが自分自身に問い、考え、変化してゆく責務を負うています。まさにそのとき『伊丹十三賞』が出会ったのが内田樹さんでした。わたしたちが今おりますこの『国際文化会館』は、ながい歴史を背景に、前田國男、坂倉準三、吉村順三の三人の建築家によって1955年に建てられましたが、その後いったん存続が危ぶまれながらも保存され、ぶじ再生を果たした日本の建築物の財産ともいうべき存在です。その屋根の下で、こうして第3回『伊丹十三賞』をお渡しできることに、今後の日本の再生と回復に向けての光を見出しつつ、今回の選考の言葉とさせていただきます。」

内田さんは、「実はわたくし、20代の頃、もしかしたらそのちょっと前から、伊丹十三という人の大ファンでございまして—」と熱烈ファン歴をご披露くださいました。

大江健三郎さんの『日常生活の冒険』を読んで、伊丹さんをモデルにして造形された人物に魅かれたこと。会員限定の講演会に駆けつけて、受付の方を拝み倒して入れてもらい、アイドルを見るような思いで伊丹さんの姿を見つめたこと。伊丹さんが編集した雑誌『mon oncle(モノンクル)』を舐めるように読んだこと。伊丹さんの監督デビュー作『お葬式』を渋谷文化でご覧になったこと。もっとも尊敬する同時代のクリエイターであったこと...

少年時代にご自分のスタイルを形成する過程で伊丹さんから受けた影響のひとつとして、『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』の「恐怖の人」にまつわるこんな思い出をご披露くださいました。

「伊丹さんのところへやってきた取材の人が、撮影のときに帽子とサングラスを取るように言ったところ、伊丹さんが『取ってもいいけど、私はこのようなときに帽子をかぶってサングラスをするような人間として生きてきて、それで商売をしている。取っても構わないけど、私と家族の一生の面倒を見る覚悟があるのか』と言ったんだそうです。(場内笑)ぼくは、まだその頃若造だったもんで、ぼくのところにカメラマンが来ることは絶対ないと思っていたんですけど、いつか来る機会があったら言ってやろうと思ってました。(場内爆笑)」

「その後、実際、30代の途中からものを書くようになって、新聞に寄稿したりすることになったときに、とくに駆け出しのうちはクレームがつきまして、『こういう書き方をされちゃ困る』『直してくれ』と言われると、いつも思い出していたのはこの言葉なんです。『ぼくはこういうことを書くような人間で、場違いなこと、場合によっては、あるいは標準から離れたことを書くような人間であるということによってぼく自身なのであって、それをやめろと言うのであれば、あなたはぼくを一生食わせる気があるのか!』(場内大爆笑)とは言いませんでしたけど、内心思っていましたので、頑として抵抗して『じゃあもう書かない!』『もう書くな!』と大ゲンカした新聞も二社ほどございます...(取材の方々に)今日はいらしてるんでしょうか?(笑)」

雑誌『考える人』の「戦後日本の『考える人』100人100冊」という特集では、内田さんは、示されたリストの中から、大好きなクリエイターである手塚治虫さん、長谷川町子さん、伊丹さんの3人を選んで、その人たちが戦後の日本に与えた影響と業績について書いていらっしゃいますが、

「リストを見ながら『あ、この人!』と思ったときに、ぼくは伊丹十三という人に、強い、ずっと変わらない敬意と愛情を持っていたんだな、ということを実感しました。そういう人の名前を冠した賞をいただくことになりました。本当にうれしく思っています」とのお言葉を頂戴しました。

さて、贈呈式のしめくくり、われらが館長の挨拶には、勢いとパワーと喜びがみなぎっていました。
「内田さーーーん!!おめでとうございます!!」(大袈裟でなく、本当にこういう感じです。)内田さん、ご出席くださったご家族、ご友人、お仕事仲間のみなさま、内田さんを選んでくださった選考委員のみなさま、そしていつも伊丹さんと記念館を支えてくださっているみなさまへのお礼の言葉を述べた後、「カンパーイ!!!」の音頭でパーティーが始まりました。

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日本中が大きな不安に苛まれている状況ですが、贈呈式と祝賀パーティーには、100名を超える方がご出席くださり、あたたかくにぎやかな会にしてくださいました。

「あたたかくてにぎやか」...これほど伊丹十三賞にふさわしい雰囲気ありません。みなさま、ありがとうございました。(贈呈式につきましてはこちらもごらんください)


4.贈呈式までのこと

話は少しそれますが—東京で選考会が行われた日、受賞者決定の電話を私はじりじりと待っておりました。電話が鳴った瞬間に受話器を取ると、玉置理事長の声で「大丈夫!?」。何のことか分からないまま「へ?大丈夫ですけど...」と答えてしまいました。選考会の最中、内田さんが受賞者と決った瞬間に、3 月11日のあの大地震が起こっていたのです。(このことについては、祝辞の冒頭で平松さんもお話しくださいました。)私の故郷・岩手県宮古市も被災地となりました。
その少し前、友人たちが「岩手で地震だよ!」とメールをくれたので、慌てて電話をかけて両親と実家の無事は確認していましたが、このときはまだ「いつもよりちょっと強い地震」という程度にしか認識していませんでしたし、東京も含めた東日本全体が大変に揺れた地震だったことも知りませんでした。まして、あのような津波が来るとは思いもしませんでした。地震後の選考会場では理事長の携帯ワンセグが貴重な情報源となり、それで「ご両親は大丈夫!?」との電話だったというわけです。

津波に襲われた太平洋沿岸の惨状と原発事故の報道に、呆然とした状態で贈呈式の準備を進めなくてはならない毎日が始まりました。世間ではたくさんのイベントが中止になっているというニュースも聞こえてきました。
何とか贈呈式の日を迎えることができたのは、「主役の内田さんが受賞を喜んでくださっているのだから、ぜひとも開催しましょう!」という理事長の頼もしい言葉と、手紙やFAXに綴られた館長の思いのこもった文字、先回りしていろいろの作業を進めてくれた同僚たちの気遣いに、ぐいぐいと引っ張ってもらったおかげです。(ほんとうに「人間レッカー移動」状態でした。今もそうですが...。)

日々当館にお越しくださって「来てよかったです」とあたたかいご感想をお寄せくださるお客様方にも、大いに励ましていただきました。

贈呈式のにぎわいを眺めながら、実務の面でも精神面でも大いに力となってくれた同僚たちにこの場にいて欲しかったな、としみじみ思いました。館長?、理事長?、いつか全員出張させてくださいね?。

5.そして予告!

さて、秋には内田さんの講演会を松山で開催したいと考えております。みなさんどうぞお楽しみに。乞うご期待、ですよ!

学芸員:中野