こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。
2009.12.28 2009年から2010年へ
皆様 こんにちは
早いもので今年も残すところ、あと4日となりました。
記念館は本日28日が仕事納めとなります。
行く年2009年を振り返りますと世間では流行語大賞となった「政権交代」が大きかったですね。
ちなみにこの流行語大賞では1987年に「マルサ」が新語部門金賞を受賞しております。
記念館としては第1回伊丹十三賞受賞者、糸井重里さんのトークショーを松山にて開催したこと、
また、10月には来館者数が2007年5月の開館から8万人を越え、県内・県外・海外からも多くのお客さまにいらしていただきました。
宮本館長考案の十三饅頭は全国的に広まりつつありますが、記念館の中にありますCafeタンポポも口コミで広がり、
「みかんの飲み比べができるんですよね?」
など、嬉しいお声をいただいております。
来る2010年、記念館はさらにパワーアップしていきます。第2回伊丹十三賞(映像・ビジュアル部門)の発表もあります。そして、3周年も迎える年となりますので、お客様の目線に立ってさらに創意と工夫を重ねていきたいと思います。
2010年は1月2日(土)10時より開館いたします。
年始はどこへいこうかな?とお悩み中の方はぜひ松山へ、
伊丹十三記念館へお立ち寄りください。
「13の顔を持つ男
伊丹十三」がお待ちしております。
記念館だよりをご愛読くださっている皆さま、
ご来館いただきましたお客様、
輝かしい新年を元気にお迎えになられますことをお祈りし、
いま一度、心からお礼を申しあげます。
今年1年、本当にありがとうございました。
スタッフ:種岡
写真左上:大人気メニュー「チーズケーキ・記念館の形をしたチョコレートケーキ・十三饅頭」
写真右上:愛媛県内にありそうでないと評判の「愛媛みかんジュース3種飲みくらべ」
写真右下:笑顔でお迎えしております。「13の顔を持つ男
伊丹十三」
2009.12.20 1986年11月26日、花月園競輪場でのこと
年が明けてひと月経てば、愛媛にやって来て丸2年になります。
愛媛で出会ったことばのなかで、いちばんのお気に入りは「チャンガラ」。ブッ散らかった状態を指すことばで、「ごちゃごちゃ」した感じと「ひっくり返した」ような感じが音でよく表されていると思います。なにせ、初めて聞いたときから「『チャンガラ』?何それ?」という疑問も抱かずに、すんなりと理解できましたから。
2009年も残すところ10日。私の机の上はまさしく「チャンガラ」です。年末の大掃除ということで、スタッフで手分けしてあちこちの清掃・整理に着手していますが、机の上だけは手をつける気になれません。これを片付けたら、同じぐらいに「チャンガラ」な私の人生も少しは片付くかなぁ...机が先か人生が先か...と考えると、永遠に片付かないような気分になってしまい途方にくれています。(余計なことを考えずに黙々と片付ければいいのに。)みなさまは、つつがなく年の瀬をお過ごしでしょうか?
ところで、横浜市鶴見区にある花月園競輪場での競輪が今年度いっぱいで廃止になるそうです。今月のはじめにニュースで知りました。花月園競輪場といえば『マルサの女』(1987年)のクライマックスのロケ地です。
マルサのガサ入れで権藤(山崎努)の脱税が明らかになった6ヶ月後、権藤が亮子(宮本信子)を訪問、誰もいない競輪場の観客席で隠し口座のありかを告げて去る...シーン123から125のロケが花月園競輪場で行われたのは1986年11月26日。曇ってはいるものの地平線近くの空は晴れていて、いい画が撮れそうな予感に伊丹監督も興奮したようです。
ロケ地に向かう車の中から東の空を遠望するに、地平線の空、やや赤味を帯び、雲の切れ工合がまことに面白い。車の中で走り出したいくらいに気がせく。(『「マルサの女」日記』より)
というわけで、メインスタンドの最上段から、海沿いの工業地帯が見える東側の遠景をバックにふたりが会話するシーンが撮影されました。薄紅色から青みがかったグレーへの雲のグラデーションがきれいです。
昼の休憩を取っている頃から東の空が暗くなり、今度は西の空が好調に。権藤との会話の亮子のリアクションや、権藤が血で暗誦番号をハンカチに書きつけるところは、この西の空を背景に撮影されました。
そして、権藤が去り、亮子がひとりで見つめる、凄みのある色と光の背景も西の空です。
この頃西の空ただならぬ気配。雲割れ、ビーム生じてたたずまい朝の空をはるかに上廻る。チャンスは今だ。自然現象に待ったはない。直ちに、亮子と権藤のわかれにとりかかる。(同じく『「マルサの女」日記』より)
その日その時に花月園競輪場付近で起こった自然現象と、それに瞬時に反応したスタッフのみなさんの力量、それから宮本さんと山崎さんの演技によってできたすばらしい映像には、何度観ても引き込まれます。本多俊之さんのハードでミステリアスなテーマ曲も、この映画のしめくくりを盛り上げています。
これらの数シーンの撮影で精魂尽きた伊丹監督は、帰宅するなり棒のように倒れて、そのまま2時間ほど眠ってしまったとか...そんなエピソードも頷けるほど、強烈な衝撃と余韻を残す幕切れです。
『マルサの女』ラストシーンのロケハン資料、撮影予定表、伊丹監督による絵コンテは、企画展「メイキング・オブ『マルサの女』」でご覧いただけます。
学芸員:中野
2009.12.14 愛媛県松山市東石井1丁目にある2つの建物
記念館だよりをご覧のみなさんこんにちは。
年末でお忙しい時期かと思いますが、いかがお過ごしでしょうか?
先日伊丹十三記念館にとある大手の住宅メーカーの方が取材に来られました。
その会社の社内報に記念館を載せて下さるそうです。
みなさんご存知のとおり伊丹十三記念館を設計をされたのは建築家の中村好文さんです。
記念館には全国各地から中村さんの建築を見に来られる方が多くいらっしゃいます。
・一眼レフカメラを持っていらっしゃる。
・なかなか建物の中に入って来られず、外観の写真を熱心に撮っていらっしゃる。
・ご来館されるなり壁や柱などに触れる。
・展示室にお入りになるよりも先に受付や中庭などでお写真を撮られる。
・メジャーを取り出し、中庭のベンチの長さなどを計られる。
といった特徴を持っていらっしゃる方が多く、すぐに建築のお仕事をされている方であるとわかります。
話はちょっと逸れますが、私は建物を建てる仕事に大変憧れがあります。
「ものを作る仕事」自体に憧れがあるのですが、その中でも家を作る仕事をされている方には、特にいいな?羨ましいな?と思います。
自分の仕事が形になるっていいですよね。
ちなみに、伊丹十三記念館の隣には松山名菓「一六タルト」で有名な「一六本舗」をはじめとする「ITMグループ」の本社ビルがあります。この建物を設計されたのは、こちらも大変有名な建築家でいらっしゃる伊東豊雄さんです。
先日熱心に記念館の建築をご覧になっていた50歳代くらいの男性のグループがいらっしゃいました。
建築のお仕事をされている方だったのだと思いますが、このITMグループの本社ビルの話をすると「えっ!!伊東豊雄!!どこどこ??」とみなさん揃って記念館から駆け出していかれました。
大人になって駆け出すほど興味が湧くことがあるってステキなことですね。
それが自分の仕事に関することであるのなら、なおさらです。
スタッフ:川又
写真:ITMグループ 本社ビル
2009.12.07 夜泣き
みなさんこんにちは!お元気ですか?木山です。以前、『鯛めし』の事を記念館だよりに紹介したら、何人かのお客様に「あのお店はどこですか?」と聞かれ、ある方はプリントアウトまでして持ってきてくださって、ひとり言のように書いていたけど、読んでくれている人がいるんだぁ?と感動しました。今、読んでくださっているあなた、本当にありがとうございます。
早いもので、産休を終え、仕事復帰して5ヶ月が過ぎ、娘も1歳5ヶ月になろうとしています。赤ちゃんの頃は、あまり夜泣きもせず、なんて親孝行な子だ、なんておもっていたのですが、いつの頃からか夜泣きがはじまり、それがなかなか治まらず、母子共に寝不足の日々が続きました。
「何か原因があるのかな?」「どうやったらなおるのかな?」と考えながらも、「まぁ、いつかは落ち着くだろう」と思っていたところ、ふと、伊丹さんがエッセイの中で子育てについて書いてたなと思い出し読み返してみました。 『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』(1979年 文藝春秋社)は育児について色々かかれており、とても読みやすく、私の好きな1冊でもあります。子供ができてから読むとますます興味深かったり、なるほどと思ったり、それでいて思わずふきだしてしまうようなおもしろい内容になっています。 ちょうど、「夜泣き」という題名のエッセイがあり、次男の万平さんの夜泣きに伊丹さんが悩まされていた事が書かれていますが、これがまさに娘と同じなのです。
まだ話すことのできない娘は、「泣く」という行為で何かを訴えてきているのですが、夜中に起こされた私はモウロウとしながら、オムツを替えたり、ミルクをあげたり、抱っこしてみたり、しかし「違うよ?」と言わんばかりに、更に大きく泣き、ジタバタします。うちの娘は座ったままの抱っこでは納得せず、ちゃんと立ってゆ?らゆ?らと揺らしてやらないと泣きわめきます。気に入らないと近くにある物を放り投げて、怒りをアピールします。 そんな時、伊丹さんの「夜泣き」を読み返し、ハッとしました。
私は、突然、何かが判ったように思った。(中略)「つまり、コミュニケイションの不足だったのだ。(中略)マンペンの、さまざまな内容を持ったであろう訴えが「夜泣き」という一つの言葉によって引っくくられた瞬間、さまざまな訴えとして見えなくなり、訴えが見えぬ以上、泣き叫ぶマンペンは、ただ「夜泣きするマンペン」にしか過ぎず、この「夜泣きするマンペン」が親の否定的な態度ーマンペンを疎んじ、マンペンから逃げ、マンペンに対して心を閉ざしてしまうような心のあり方を引き出し、この心のあり方が更にマンペンの不安を増幅し従ってマンペンはますます泣き叫び、泣き叫ぶがゆえに親には更にそれが訴えとして見えにくくなる、という悪循環に陥っていたのではないかー
『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』より
その後伊丹さんは夫婦で話し合い、毎日長男の万作さんを寝かせてから一時間、万平さんとお話をすると決め、それを日課にしたそうです。すると、驚くことにその日から万平さんの夜泣きはとまったそうです。
思えば、仕事復帰して、真剣に娘と向き合っていなかったなと。かまってあげる時間が減った分、一緒にいる時間は精一杯内容の濃い時間にしなくてはと、休みの日はいろんなところに行って、一緒にいろんなことを感じたり、保育園の帰り道は「今日は何してあそんだの?」「今日は何が食べたい?」などと一方通行ですが、たくさん話しかけたり、歌を歌ったりコミュニケーションを増やしています。そんな日が続き、毎晩3,4回起きていたのが、今は1,2回に減り徐々になおってきているのかなといった感じです。 これからも伊丹流子育てを参考に、コミュニケーションを増やしながら、自分らしく子育てに励み子供と一緒に成長していけたらなと思っています。
『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』は現在は絶版になっていますが、当館オリジナルの「伊丹十三記念館ガイドブック」の中で、内容の一部を紹介しています。
スタッフ:木山
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