記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2024.11.11 『お葬式』誕生40周年! その2

6月24日の投稿で「2024年は伊丹十三の監督デビュー作『お葬式』の制作・公開から40年のアニバーサリー・イヤー」とご紹介しました。

そしていよいよ、今週末の11月17日(日)は『お葬式』封切りから丸40年、「ハッピー・バースデー、『お葬式』!!」なのであります。("お葬式"の"バースデー"とは何とも妙な取り合わせですねぇ。)

ここでチョイと豆知識。
1984年10月、映画『お葬式』は、まだ一般公開されていなかったにもかかわらず、第8回山路ふみ子賞を獲得するという快挙を成し遂げています。
伊丹監督本人も「8月13日に完成してから、この一カ月くらい、ずっと試写をしていたので、公開されてるっていうことになったのかなぁ」(※)と若干戸惑った様子のコメントを発しましたが、前評判・期待値の高まる中、封切り日を迎えたのでした。

※1984年10月27日付毎日新聞より

さて、1億円強の制作費で完成した『お葬式』が"元"を取るには、上映用フィルムのプリント費用や宣伝費、映画館の取り分なども勘定に入れると、3億円分のお客さんを集めてやっとトントン。
このトントンのラインまでたどりつくためには、500人以上の客入りの映画館が10軒ある状況を6週間持続しなければならない、との試算(※)をしていたそうです。
そもそも上映予定館が10~14館と限られていた『お葬式』には、相当のハードルだったと言えるでしょう。

※『「お葬式」日記』p.319-320より。上映館と動員数の一覧表もp.321 に掲載されています

 

 

202406241_osoushiki diary.jpg『「お葬式」日記』(文藝春秋、1985年)
6月のクランクインから8月の湯布院映画祭までの詳細な記録と
構想から公開までを微に入り細に入り解説した監督インタビュー、
『お葬式』のシナリオで構成されています。古書でお求めください。

が、11月17日の土曜日に封切られるや、上映館には老若男女が詰めかけ連日長蛇の列。立ち見客があふれて扉が閉まらない映画館もあったとか。そして客足は衰えることなく"3億円のハードル"は年末までにクリア、年明けからは全国展開――最終的に12億円もの配給収入(※)を上げ、大ヒット作となりました。

※配給収入:各映画館は興行で得た収入(=観客の鑑賞料金、興行収入)から配給会社に上映料金を支払います。この配給会社の収入を配給収入と言い、かつては映画の興行成績の指標として用いられていました。(2000年以降、興行成績の指標には「興行収入」が用いられています)

この大入り・大ヒットには"口コミ"が大きく影響したそうですが、SNSに感想を投稿したり評価サイトに☆をつけたりといった方法がなかった1984年、人々は「これは面白い!」「ぜひ見て!」という思いをどうやってやり取りしていたのでしょうか......
1980年代の口コミ事情をあれこれと想像すると、誰でもウェブサイトに書き込めるのが当たり前になった現代よりも、情熱的なものを感じずにはいられません。

映画の出来の良し悪しに売れたコケたはあまり関係ないと考えていますが、『お葬式』のヒットに関しては、公開当時の観客の面白い映画を渇望する思い、熱気が伝わってくるので「ああ、その熱狂の場を経験したお客さんたちが羨ましいなぁ」とため息をつくばかりです。

20241111_osoushiki_bluray.jpg『お葬式』Blu-ray 税込5,170円
記念館グッズショップで販売しております!

そういうわけで、今年の11月17日、帰宅したら「40年前の映画館にいるつもり」に浸りながら『お葬式』をBlu-rayで鑑賞してみようと思います。
みなさまもぜひ。

学芸員:中野