こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。
2017.04.24 第9回 伊丹十三賞 贈呈式を開催いたしました
第9回伊丹十三賞を星野源さんにお贈りする贈呈式を、国際文化会館で開催いたしました。
左から、選考委員・周防正行さん、宮本信子館長、
受賞者・星野源さん、選考委員・南伸坊さん、選考委員・中村好文さん
4月17日(月)。天気予報を見て、何日も前から心配していた空模様......松山空港からの午前の便で追い越した雨雲が、16時頃、東京へやってきてしまったのですが......
それでも、お足元の悪い中、たくさんの方がご来場くださって、伊丹十三賞を祝ってくださいました。とても嬉しかった一日をレポートさせていただきます。
お客様と取材の方々で満員です。
ステージが遠いこと......(☆)
すでに多くのメディアで詳しく報じていただいた贈呈式ですが、最後までどうぞお付き合いくださいませ。
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祝辞 選考委員・南伸坊さんより
第1回の贈呈式では、伊丹さん・糸井重里さんから若い人たちへたのしい連鎖が続いていくことを祝福してくださり、第5回の贈呈式では"本人術"で池上彰さんになったときのことを交えてご祝辞を述べてくださった南さん。さて今回は――
星野源さん、伊丹十三賞受賞おめでとうございます。そして、ありがとうございます。受賞してくださって、贈呈式にもご出席いただきました。
私たちは伊丹十三さんが大好きで、それは、伊丹さんの作るものがいつも新しくて、おもしろくて、たのしませてくださったからなのですが、その伊丹さんの仕事をいつまでも忘れてほしくないし、たのしんでほしい。そして、伊丹さんのことをずっとみなさんに覚えていてほしい、という気持ちで、この賞はスタートしたのでした。
星野さんは、伊丹さんの『タンポポ』(1985年)を「大好きです」と著書でふれられています。
『タンポポ』が大好きです。伊丹さんのエンターテインメントな作品が大好きです。でもその内側には異常なこだわりとラディカルな心がメラメラと燃えている感じがします。カッコいいです。(『働く男』より。単行本、マガジンハウス、2013年 / 文庫、文藝春秋、2015年)
と書かれています。うれしいです。
さらにうれしいことには、同じ本で、ハナ肇とクレージーキャッツについて、こんなふうにふれておられます。
クレージーキャッツの曲や映画を元にした『オヨビでない奴!』という、植木等さんも出ていたドラマを小学生のときにビデオに録って何度も何度も観てました。それがきっかけで中学生のときクレージーキャッツのCDを買い、それからどっぷり。そのドラマも、映画も、曲も、自分にとってバイブルです。(同じく『働く男』より)
とあります。私と、一緒です。(場内笑)
私も中学生のとき、植木等さんにめちゃくちゃ影響を受けました。
遠足のバスの中、まわってきたマイクで「スーダラ節」と「無責任一代男」を歌って大ウケしたんですが、一段落したところでバスガイドさんが「無責任は、いけませんね?」と一言入れたことにモーレツに腹が立ちました。「何も分かってない!」
中学生が受け取っていたのは、植木さんのたのしさでした。中学生が持っている真面目さや正義感と、そのたのしさはまったく矛盾していない。そのことがいちばん大事なことなのに。
大人になって、幸運にも、植木さんにお会いする機会がありました。私は急き込むように「私の本当の友達は、全員、植木さんに思想的影響を受けています」と言いました。植木さんは、すぐ「ああー、それはまことに責任を感じます」とおっしゃいました。隣で聞いていた桂文珍さんは大笑いでした。
でも、私は少し淋しかった。どれだけ植木さんにたのしませていただいたか。そのご恩をお伝えしたかったのに。もっと普通に「大ファンです」と言っとけばよかった、と後悔しました。
なぜ伊丹十三賞なのに、こんなに植木さんのことばっかり(場内笑)長々と話したのかというと、私はあまりにも植木さんが好きなので、プロアマを問わず、誰かが「スーダラ節」を歌っているのを聞くと、必ず不平を言っていました。「スーダラ節」は植木さんが歌わなくちゃあ、「スーダラ節」じゃないんだ! とまで思っていました。
私は、実は、音楽についてはまったく無教養なので、私が星野さんの音楽についてどのようなことを述べようと、まったく無意味なのですが、星野さんが「スーダラ節」を歌っているというのを聞いて、Youtube(場内笑)で探してみました。
南さんのお話のところどころに、とても自然に笑みをこぼす
星野さんの表情、とても嬉しく拝見しました。
驚きました。あの「スーダラ節」を、星野さんは、しんみり、歌っていました。
私は「この人は分かっているなあ!」と思いました。植木さんがこの曲を渡されたときにどれだけ悩んで、工夫をしたか。それを分かっている、と思いました。
そのあと、星野源さんがタモリさんと「スーダラ節」をクラボ......コラボ、言い慣れない言葉です(笑)、コラボした、という噂を聞いて、これもぜひ聴いてみたいと思って、必死に探しました。おじいさんだから、Youtubeとか、慣れない(場内笑)。
やっとたどり着いて、ビッックリしました。すごく、たのしい。「タモリを引き込んだ星野源が偉い!」と思ったところですが、これは呼び捨てです(笑)。
たのしい贈り物をくれる人を、私は尊敬します。
「芸術とは、たのしい記号である」と言ったのは、哲学者の鶴見俊輔さんです。
「伊丹さんのエンターテインメントな作品が大好きです」と言ったのは、星野源さんです。
星野さんのおっしゃりたかったのは、私の気持ちと一緒でしょう。
新刊の『いのちの車窓から』(KADOKAWA、2017年)、すばらしいです。『働く男』も『蘇える変態』(マガジンハウス、2014年)もよかった。けど、最新刊が最高です。
星野源さん、おめでとう。おめでとうございます。それから、ありがとうございます。
私は、この賞の第1回の受賞者、糸井重里さんにも同じあいさつをしました。
たのしい贈り物をくれる人に私は感謝します。
たのしいから。
正賞(盾)贈呈 選考委員・周防正行さんより
受賞していただいてありがとうございます。
選考委員はこれが初めてで、これひとつしかやっていないのですが、選考会で、この人に賞をもらっていただきたい、と決めたあと、『選考委員ってこんなにドキドキするものなのか』と。そして、喜んで賞を受けていただくと『選考委員ってこんなにも嬉しいものなのか』と。そういうことを教えてくれたのが伊丹十三賞です。
今回も、受賞していただいて、ありがとうございます。
これからも楽しみにしています。
副賞(賞金)贈呈 宮本館長より
受賞者スピーチ 星野源さんより
敬愛する植木等さんの話題、鶴見俊輔さんの名言も飛び出した南さんのご祝辞を受けて、星野さんは、ご自身のお仕事について、そして、伊丹十三とこのたびのご受賞について、どんなお話をお聞かせくださるのでしょうか――星野さん、お願いします!!
このたびは、素晴らしい賞をいただきまして、本当にありがとうございます。今、お話を聞いていて、ものすごく、心臓から、胸の内から感動させていただいております。
僕が小さい頃、たしか『マルサの女』(1987年)や『ミンボーの女』(1992年)がよくテレビで流れていて、それを観ていたんですが、20代の半ば頃に、もう一度観直してみたいなと思っていたら、ちょうどDVDボックスが出ました。
そのときが、大人になってからしっかり触れる伊丹さんの映画体験だったんですが、『タンポポ』(1985年)を観て、「なんておもしろいんだ」、「こんなにおもしろいんだ」と痛感して、そこから自分の中で伊丹さんブームが訪れ、エッセイを読んだり、映画を全部観たりしました。
その少しあとに出た『伊丹十三の本』(「考える人」編集部編、新潮社、2005年)も読んで、『13の顔を持つ男』(伊丹プロダクション・テレビマンユニオン、2007年)というDVDも観ました。てっきり映画監督だけだと思っていたんですが、本当にいろんな活動をされていることをそこで知って、すごくおもしろいなと思ったし、かっこいいなと思いました。
ちょっと話が長くなって申し訳ないんですが、自分は中学1年生の頃から演劇と音楽を始めて、高校3年生ぐらいに文章を書ける人間になりたいと思い、それぞれ勝手に活動を始めました。音楽と演技は学校の中で始めて、それがだんだんと仕事になり、そして文章は大人になってから始めて、それもだんだん仕事になりました。
その中で、芝居の現場に行くと「音楽の人でしょ」って言われ、そして、音楽の現場に行くと「芝居の人でしょ」と言われました。どの現場に行っても、あぶれてしまう感覚というか、自分の居場所というものがないなというふうに、ずっと思っていました。
それに加えて文章まで始めてしまったので、どこへ行っても「ひとつに絞らないの?」とか、「何が一番やりたいの?」と言っていただいたんですが、「植木等さんや、僕が小さい頃から憧れていた人たちは、あんなにいろんなことをやっているのに、なぜ、こんなにみんな、ひとつのものに絞ろう、絞ったほうが絶対にいい、って言うんだろう」と、個人的には感じていました。もちろん、二足の草鞋のように適当にやっていたのではだめだと思うんですが、どの仕事も本当に大好きで、「もう、こうしかできないな」って思っていたら、仕事になっていきました。
どこかのグループに属することに憧れてはいたんですけど、だいたいいつもちょっとはみ出してしまう。なんだかすごく淋しい思いをしていました。
そんな中、伊丹さんのいろんな顔を知ることによって「本当に好きなら、おもしろいと思ったことなら、何をやってもいいんだ」って思うようになりました。
受賞のときのコメントにも書いたように、伊丹さんが遠くから、ずーっと、灯台のように、サーチライトのように、灯りを照らしてくださっているんですけど、どうやってもそこには行けないようにできていて、僕の島と伊丹さんの島の間には大きな海が流れていて......それを追いかけようとした時期もあったんですが、その伊丹さんの活動を見ていて、だんだんと「そうじゃなくて、自分の場所を作れ。君は君の場所を作れ」と言われているような感覚がありました。
そして20代後半から、どこかに属するというよりも、「とにかく好きなこと、自分のやりたいことをやろう」、「一人前になりたい」、そういう気持ちでどの仕事もやっていたら、こんなに素晴らしい賞をいただくことができました。伊丹さんには「それが君の場所だよ」って言われているような気がして、すごく嬉しかったです。
僕が物心ついてから、伊丹さんが生でしゃべっているところをテレビ見た記憶はあんまりなくて、大人になってから、いろんなドキュメンタリーや番組などでしゃべっているのを拝見したり、エッセイの文を読んだりすることぐらいでしか、どんな人かを知ることはできなかったんですけど、作品を観ての伊丹さんの印象は「すごく自由な人だな」ということです。
伊丹さんは、自分の好きなものとか、おもしろいと思うことを、本当に素直に追い求めてる。突き詰めて、それをみんなに紹介したり実践することによって、周りの人がすごくたのしくなったり、日本という場所について、見ている人たちみんなが心を踊らせられたり、たのしいなと思ったり、気持ちがちょっと変わったりする。それってすごいことだなと思います。
そして、怒りや、憤りや、悲しみからも、自由だったような気がします。きっといろんなことがあったんだと思います。なのに、その怒りさえもおもしろいことに変えて、みんなに見せて、みんなが気分が悪くなるようなことではなくて、「すごくおもしろかった」っていう思いで劇場を出たりテレビのスイッチを切ったりする――そんな表現をする人はとてもとてもかっこいいと思います。僕は、そういう人にいつかなりたいな、とも思います。
先ほど(南伸坊さんから)お話のあった植木等さんも、とてもまじめな人で、「スーダラ節」を歌うのが本当は嫌だったけど、「あの歌詞は本当に人間の真理だから、堂々と歌っていいんだよ」とお父さんに言われて、歌うのを決意したと聞きました。植木さんは、そういうところも含めて、「自分は、本当はすごく明るい人間ではないけれど、たのしいものやおもしろいものを届けてもいいんだ」っていうふうに思わされたというか、「思っていいんだ」というふうにしてくれた、素晴らしい人です。
伊丹さんにも、植木さんにも、僕は直接お会いできなかったですけど、「そうやって自分が受け取ったものは、絶対に何らかの形でつながっていく」、「人は、死んでも、みんなが話題にしたり、つないでいったり、自分の栄養にして人に話したり表現したりすることによって、遺伝子はつながっていくものだ」と思っています。
僕も、そういう遺伝子を伊丹さんからもらっているので、自分の表現という形で、ちゃんと自分のフィルターを通した形で、つなげていけたらと思っております。
そして今日、『タンポポ』のドキュメンタリー(『伊丹十三の「タンポポ」撮影日記』、1986年)に出ていた玉置さん(公益財団法人ITM伊丹記念財団理事長、伊丹プロダクション社長)に初めてお会いして、宮本さんに「今度デート行きましょうね」と言っていただいて、なんというか、違う大陸だと思っていたんですけど、僕と伊丹さんの場所は本当に違う場所だと思っていたんですけど、こういう場所へ来させていただいて、直接お話しさせていただいて、「大陸は海の中でつながっていたな」と、すごく思います。
嬉しすぎて、今日はあまり寝れないと思います。このたびは受賞、本当に嬉しいです。ありがとうございました。
宮本館長よりご挨拶
星野さん。おめでとうございます。そして、ほんとうにありがとうございます。
星野さんが伊丹さんをよく知っていらして、そして、いろんなことを感じてくださってたっていうことをスピーチで伺って、まるで、本を読んでいるかのような、とても、すばらしいお言葉と、文章でした。
残念ながら、伊丹さんは、お若い人にはほとんど知られていません。例えば、領収書なんかをもらいますときに「伊丹プロダクション」と言いますと、その「伊丹」が若い方は書けない――「イトウの伊にジンタンの丹、というのはちょっと古いけど、タンチョウ(丹頂)ヅルの丹というともっと古いかしら」とそんなふうにも感じていて――「ああそうだ、世の中、時代っていうのは、こんなふうに進んで行くんだ」とは思っていましたけれども、今日、星野さんのお言葉をいただいて、まだ、知らない方にね、星野さんを介して、伊丹十三の人となりと、そして仕事を、少しずつでもいいから知っていただけたら、どんなに嬉しいかと思っています。
ほんとに、大きな大きな才能をお持ちの星野さんです。ますますのご活躍を......
......「今度、記念館にいらしてね、デートしましょうね!」ってさっき約束したのね、皆さんの前で。
いつ実現するか分かりませんけど、近いうちに。そんなこともありました。
ますますのご活躍を期待しております。ありがとうございます、おめでとうございました!
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――いかがでしたでしょうか?
南さん、星野さん、宮本館長の言葉を聞いていたら、これまでの受賞者の皆さんからいただいた言葉や、選考委員の皆さんの祝辞、伊丹十三賞で印象に残っていること、感じてきたことが一気に思い出されて、ご来場のお客様たちが記念撮影のために準備をしていらっしゃる頃には、私は、頭の中の言葉の渦潮にぼうっとなっていました。
今年の集合写真はお部屋の中で撮影しました。
ほぼ日のみなさん、ご誘導ありがとうございました!
第9回まで開催して、歴代受賞者の顔ぶれはどんどん多彩になっていっています。どなたもとても個性的。でも、皆さんが、ご自身について、伊丹十三について、語ってくださったこと、その言葉にあらわれているお仕事ぶりやお人柄のうちには、受賞者全員に(そして、すべての「たのしい贈り物をくれる人」に)つながる共通項をたくさん見つけることができるな、と感じています。
たとえば、第1回受賞者の糸井重里さんは、「ほぼ日刊イトイ新聞」のトップページに"Only is not lonely. +LOVE"という言葉を掲げていらっしゃいます。
今回、9人目の受賞者となった星野源さんのエッセイを読んだり曲を聴いたりしているとき、伊丹十三賞のことはあまり意識していませんでしたが、「"Only is not lonely. +LOVE"の心意気をお持ちだな」と感じていました。そして、ふと「あ、これまでの受賞者は、みなさんそうだ」と気付きました。
こんな嬉しい"因数分解"ができる賞になることを、第1回の頃は想像できていませんでした。
伊丹十三賞は「出会い」の賞です。
星野さんを通じて、たくさんの方が伊丹十三に出会ってくださったら嬉しく存じます。(初めてこのサイトにいらした方、ゆっくりしてってくださいね!)
そして、伊丹十三的な「たのしい」「おもしろい」の精神と、それを持つ方々を、この賞を通じて、広く紹介し続けたいと思います。
*************
さて、楽しい時間はあっという間ですね、お開きの時がやってきてしまいました。
館長~、お願いしまーーす! おっと、今年は三本締めですか!
かしこまりました、まいりましょうまいりましょう!
イヨ~ォ!!
ご来場くださった皆様、ご協力くださった皆様に、心よりお礼申しあげます。
今回も、ありがとうございました。
―― たくさんの、たのしい写真に感謝 ――
撮影:池田晶紀さん(株式会社ゆかい)
撮影協力:ほぼ日刊イトイ新聞乗組員のみなさん
(☆印の写真のみ主催者撮影)
学芸員:中野
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