記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2016.04.25 第8回伊丹十三賞 贈呈式を開催いたしました!

4月14日(木)、第8回伊丹十三賞を是枝裕和さんにお贈りする贈呈式を国際文化会館で開催いたしました。

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祝辞、受賞者スピーチを中心に、レポートさせていただきます。

祝辞 選考委員・周防正行さん

是枝さん、伊丹十三賞を受賞していただいて、ほんとうにありがとうございます。
委員のみなさんと一生懸命に議論をし、「この方に賞をいただいてほしい」と決めたときに、その方に受賞を喜んでいただけると、こんなにも嬉しいものかと。選考する側になって、自分が賞をいただいたときに持っていた気持ちとはこんなに違っていたのかと、選考委員になって初めて感じました。
我がことのように嬉しいんですね。「我がこと」なんですけどね、選んでるのは自分なので(笑)。ほんとうに嬉しいです。ありがとうございます。

08th_koreedasan_juries.jpg左から、選考委員・中村好文さん、周防正行さん、受賞者・是枝裕和さん、
伊丹十三記念館・宮本信子館長、選考委員・平松洋子さん、南伸坊さん

実は、伊丹十三賞発足の頃から「映画の分野でこの賞にふさわしい方を選ぶというのはできるのだろうか」と、プレッシャーでした。伊丹さんのやってこられた活動の中で、映画作品は特別な重みを持っていると思うんですけど、8回目にして初めて、映画監督の方に受賞していただくことになりました。
同業者ということもあって、4人の選考委員の中で、映画監督について一番厳しい目を向けていたのは僕じゃないかと思います。ようやく、自信をもって「この人がいい」と言えたのが、すごく嬉しかったです。だから、ひとつ荷が下りた感じです(笑)

08th_suosan.jpg是枝さんが大学を卒業してテレビマンユニオンに参加なさった頃、
伊丹映画のメイキングビデオやテレビドラマの監督として
同じテレビマンユニオンでお仕事をしていた周防さん。
当時抱いた「是枝さんといえば、非常に映画好きで真面目な好青年」
という印象は、今も変わらず続いているそうです。

映画監督として作品を発表される前からその存在を知っていて、監督した作品のほとんどを見ている監督は、実はそう多くはありません。その中でも、是枝さんは、いつも非常に気になる映画監督として、羨望も含め嫉妬も含め、ときに身内気分で「あぁ~、そこはそうするところじゃないのでは」とか思いながら(笑)、ずっと見ていました。いや、逆もあるんですよ、「ああっ、やられちゃった!」とドキッッとするようなことも多々ありました。

僕が、是枝さんについて強調したいのは、授賞理由にありましたように、現在の日本映画界において、映画作りの環境に正面から向き合って、自分が作りたい映画を作り続ける、その姿勢です。
僕自身も、自分の作りたいものを作り続けようという気持ちでやってきましたが、是枝さんの「自分の作りたいものを一生懸命作る」という姿勢が、やはり一番好きです。

伊丹十三さんは、今ほど日本映画の興行成績がよくなかった頃に、日本映画に対するイメージをガラリと変えて、日本映画の注目度をとても大きなものにしました。伊丹プロダクションは、その当時の独立プロにとって目指すべきひとつのかたちというものを示してくれたと思います。企画・宣伝・配給まで――配給会社と対等な力関係の中で、ご自分の作品を発表していく、そういう意味において、伊丹さんはあの時代に、僕らが目指すべきひとつのかたちを作りあげたと思います。

今の日本の映画界では、メジャー映画は一見活況を呈しているようですが、多様性が失われて、似たような企画が並んで、似たような配役と似たような宣伝で、ハッキリ言うと、大人の鑑賞にたえうるようなものが少ないな、と僕は思ってます。

その中で、是枝さんは映画制作へのアプローチをさまざまに工夫して、自らも制作会社を立ち上げて、意欲的に作品を発表し、また、表現するテーマによって、いろんなサイズの作品を作られています。また、プロデュースということに関しても、若い監督と一緒に意欲的に取り組まれていて、多様な表現を模索しつづけている姿勢がとてもすてきだなと思っています。
このように、今、是枝さんが示しているかたちが、多くの若い日本の映画人の、ひとつの目指すべきスタイルのひとつになってほしい。
もちろん作品の内容があってこそですが、「どう作り上げていくか」ということ、作家というよりは興行的なことも含めてご自分で考えていらっしゃるところが、伊丹十三賞に一番ふさわしいのではないかな、と僕は思いました。

それから、選考会のときには言いませんでしたが、是枝さんのお仕事ですごいなと思うのは、ウェッブサイトで、放送と公権力についてのお考えなどを、きちんと発信されてるんですね。今の時代にあって、是枝さんは、その原動力を「怒り」だとおっしゃっています。そのように表現者としてきちんと物を言うところも、すてきだなと思ってます。

ほんとうにおめでとうございます。そして、受賞してくださってほんとうにありがとうございました。

正賞(盾)贈呈 選考委員・中村好文さんより

08th_koreedasan_nakamurasan.jpg『海街diary』について、駅のホームですずちゃんが
「...行きますっ!」と言うところがお気に入りだという中村さん。
「あのシーン、あのせりふが、『海街diary』を象徴したんだと思います。
そういうすばらしいシーン、せりふのある映画はいいなあ、と思いました」。
ちょっぴり真似て「盾を...あげますっ!」と贈呈してくださいました。

副賞(賞金)贈呈 宮本館長より

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受賞者スピーチ

えーー......めったに緊張しないんです、僕。でも、なんでこんなに緊張するのかな。
やはりそれはですね、「伊丹十三」という名前が、僕にとっては特別大きな、意味のある名前であるっていうことが、すべての原因ですね。

08th_koreedasan.jpgアシスタントディレクター時代の周防さんとの出会いや
その後の交流について、是枝さんもエピソードをご披露くださいました。
監督第1作の『幻の光』(1995年)に反省ばかりこぼしていたら、
「映画監督は、ほんとは失敗したと思っていても
出てくれたキャストと関わってくれたスタッフのことを考えて
10年は失敗したとは言ってはいけない」とたしなめられ、
「監督は、作品を作ったことの責任をこのように取るものなんだな」と
長く印象に残ったそうです。

伊丹さんの名前に関して言うと、ふたつ、大きなものがあります。

ひとつはやはり『お葬式』。
『お葬式』という映画が公開されたとき(1984年)僕は大学生で、実は、初日の伊丹さんの舞台あいさつに駆けつけました。
そのときに、伊丹さんが「新しい日本映画を作る」――作品だけではなくて、「作り方を含めて新しいムーブメントを起こしていくんだ」っていう気概に満ちて、すごく輝いていました。当時ももちろん、いろんなかたちでいろんな映画が作られつづけていたと思うんですけど、大学生の自分にとって、魅力的な、ある指針になるような作り手というのはなかなか出にくい状況がありました。そのときに、伊丹さんが突破口を開いたことを、明らかに感じました。
その後、僕はストレートに映画に向かうという道を選びませんでしたが、伊丹さんがああいうかたちで日本の映画界に道を拓かれて――周防さんがおっしゃられたように「映画に監督がトータルにかかわっていく」というスタイルを見せていただいたことは、その後、自分も映画を作るようになってから、とてもいい目標になりました。

もうひとつは、テレビマンユニオンの今野勉さんが、伊丹さんと一緒に作られた、1970年代のさまざまなテレビ番組。

08th_tvu.jpgご来場くださったテレビマンユニオンのみなさん。
後列右から3人目が今野勉さんです。

『遠くへ行きたい』も『天皇の世紀』も、ドキュメンタリーとドラマを融合させるようなもので、カメラがまわっているその瞬間に起きた面白いことを、そこに立ち会ったスタッフ・キャストが反射神経と動体視力でどう面白がるか、それが結実したもの、もしくは、そのプロセスが番組になっていくというような、非常に新しい作品と作家の捉え方をした番組でした。70年代に伊丹さんとテレビマンユニオンが出会ってできたその作品、番組を、テレビマンユニオンに入ってから見直したことが、「テレビは面白い」「テレビにもっと深くかかわりたい」と思ったきっかけでした。

たぶん、漠然とですが、僕は、いつか映画監督になるための腰掛けとしてテレビマンユニオンに入ったような側面があったんですね。だから、アシスタントディレクターの仕事に身が入らずに、腰が据わらずに、半ば逃げてたとこがあったと思います。そういう時期に、テレビをほんとうに面白がっていて、映画にコンプレックスのない、70年代の伊丹さんたちのテレビ番組群に触れたことが、その後、僕がテレビマンユニオンに長く残り、自分なりに、あくまで自分なりに、ですけど、「テレビでできることは何なのか」、「テレビのオリジナリティというのはどこにあるのか」と考えていく――先ほどウェブでのコメントにも触れていただいて嬉しいですが、放送というのはどういうものなのかを自分が考えていく、大きな指針でありました。

そういうわけで、やはり、「伊丹十三」は、映画監督としてもテレビ人としても、自分にとって大きな目標であり、自分が向かっていく先を示してくれた名前です。
その名前がついた賞をいただくということが、たぶん、この緊張を生んでいます(笑)

そして、若い作り手たちと一緒に「分福(ぶんぶく)」という制作者のグループを作り、いろんなサポート、パートナーシップに支えられながら、何とかそこから映画を発信していく、監督が作りたいものを作っていく、そのためのチームを作っていく出発点を、と模索を始めました。今日、仲間がみんな来てくれてます。

08th_bunbuku1.jpg分福のみなさんもご来場ありがとうございました。
お若い! そしてイキイキしてます!!

授賞理由の中で、そういう志も含めて評価の対象にしていただけたことが、とても嬉しいです。
独立してまだ2年ちょっとなので、その活動をどういうふうに広げていくか、何を目指していくかというのはまだまだ手さぐりですが、今回の受賞が、これからの取り組みへの大きな励みになることは間違いないと思っております。

歴代の受賞した方たちの名前を見ますと、やはり背筋が伸びますし、今後自分がその賞に恥じないように――「あんな映画作っちゃって」と言われないように、オリジナリティある、自分が作りたいものを作りつづけていけるように、がんばりたいと思います。今日はどうもありがとうございました。

宮本館長ご挨拶

私は、勝手に、テレビマンユニオンのことは親戚みたいな気がしていまして、その中で育っていった是枝さんと、伊丹が一生懸命作っていた時代のテレビマンユニオンの、そういうご縁をね、すごく感じています。
ほんっとに伊丹さん、喜んでると思います。是枝監督、どうも、おめでとうございます! 

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「では、カンパ~イ!!」の館長の音頭でパーティーがはじまりましたところで、このレポートをお読みのみなさんに少々補足を――

お話の中に何度も登場しました「テレビマンユニオン」は、日本初の独立テレビプロダクションで、例えば......『遠くへ行きたい』や、『世界ふしぎ発見!』を作っているところです、とご説明すると、みなさんご存知、おなじみですね。
是枝さんは大学卒業後からこのテレビマンユニオン参加し、2014年に分福を立ち上げて独立されました。

伊丹十三について申しますと、『遠くへ行きたい』は、1971年からレポーターとして出演することでテレビの面白さに開眼し、『天皇の世紀』(73~74年)、『欧州から愛をこめて』(75年)、『古代への旅』(77年)など多くの番組に携わり、仕事の幅を大きく広げ、作り手としてのテーマを深めていくことになった、きっかけの番組です。
制作者のための「メンバーシップ」という独自の組織論にも共鳴して76年には準メンバーとして加わりました――というように、テレビマンユニオンは伊丹十三ともゆかりの深い会社なのです。

※テレビマンユニオンと伊丹十三の仕事については、記念館の常設展示室
DVD『13の顔を持つ男』、ガイドブックでもご紹介しています。

そういうわけで宮本館長が「親戚」と呼ぶ方々がたくさんお集まりくださいました。
是枝さんのお仲間のみなさま、それから、伊丹十三賞と財団をいつも支えてくださっている方々も、ご来場ありがとうございました。池田晶紀さん、「ほぼ日刊イトイ新聞」ゆーないとさん、あたたかいご撮影にお礼申しあげます。

さて、お名残り惜しゅうございますが......館長、恒例の一本締め、お願いします。

08th_iyoo.jpgいよ~ォ!

08th_pon.jpgポン!!

是枝裕和監督の最新作『海よりもまだ深く』は5月21日より全国公開です。楽しみですね。
日本映画専門チャンネルの「日曜邦画劇場」では、これから5月にかけて『海街diary』(2015年)と『歩いても 歩いても』(2008年)が放送されます。まだの方、ぜひご覧ください!

08th_plaque.jpg正賞の盾です

学芸員:中野