記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2015.05.04 第7回伊丹十三賞の贈呈式を開催いたしました!

4月23日(木)、第7回伊丹十三賞を新井敏記さんにお贈りする「贈呈式」を開催いたしました。 

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会場の国際文化会館。毎年お世話になっております。
六本木ヒルズ森タワーが見えますねえ。

新井さんのご関係者のみなさま、そして、歴代受賞者、伊丹十三ゆかりの方々に当財団の関係者のみなさま、合わせて150名様を超える方々がにぎやかな集まりにしてくださいました。今回は、その贈呈式の模様をご報告いたします。

選考委員・中村好文さんの祝辞

 

新井敏記さん、このたびは、第7回伊丹十三賞受賞おめでとうございます。

伊丹十三賞は、イラストレーター、グラフィックデザイナー、俳優、エッセイスト、映画監督などなど、さまざまな分野で類まれな才能を発揮した伊丹十三の足跡と業績を称え、伊丹十三さんと同様に、さまざまな分野ですぐれた仕事をしている方にお贈りする賞です。

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今回は、雑誌編集者でノンフィクション作家でもある新井敏記さんに受けていただくことになりましたが、実を言いますと、伊丹十三さんが才能を発揮した様々な分野の中に、ちゃんと、雑誌編集者という項目も入っていますから、このたびの新井敏記さんは、伊丹十三賞にまさにぴったりの選択だったと思います。そういう意味では、どこからか「選考委員の面々、よくやった」という声が聞こえてきても悪くはない......ような、気がします。まだ聞こえてこないので(場内笑)、多分、パーティーの席で追い追い聞こえてくるんじゃないかと思います。

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「面々」の南伸坊さん、平松洋子さん、周防正行さん、そして宮本館長

わたくしごとになりますが、私が34、5歳の頃に、伊丹十三さんのお父さんで、映画監督だった伊丹万作さんの全集が筑摩書房というところから出版されました。(※1982年『伊丹万作全集』新装版)
一時期、私は、この全集が面白くて繰り返し読みふけっていたことがあります。そしてこの全集の中の昭和19年7月20日の日記の中で、私自身を励まし、勇気づけてくれる素敵な言葉に出会い、胸の奥に深く留めてきました。言ってみれば、私はその言葉を座右の銘にしてこれまで生きてきたことになります。せっかくですから、ここでその言葉をご紹介します。

 才能とは努力ではない。それは、一つの事を長い年月にわたって愛しつづけてあきない熱情である。

「静身静心録」伊丹万作全集 第2巻

この言葉こそ、新井さんの才能の中身を見事に言い当てたものだと思います。また、長年にわたる雑誌への取り組みとその成果に、ぴたりと重なり合うものだと思います。そしてこの言葉は、今回の新井さんの受賞に対する、またとない祝福の言葉になっていると思うのです。

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「束ねられた状態の紙がほんとに小さい頃から好きで、
高校時代、活版印刷屋に原稿を持ち込んで雑誌を自主制作したとき
印刷機の音、インクのにおいに心が躍った」という
新井さんのインタビュー記事を読んで
「この人は筋金入りの編集者だ」と確信し推挙した、と中村さん。

新井さん、紙の束に目を見張り、活版印刷機の音に胸をときめかせた少年の日から今日にいたるまで抱きつづけた雑誌への熱情をどうか衰えさせることなく、これからも、私たち読者の目を見開かせ、心を躍らせ、時には力強く鼓舞してくれる、すばらしい雑誌を出し続けてください。
このたびの新井敏記さんの伊丹十三賞受賞を心よりお祝い申しあげます。

――えっと、ここまでが......あいさつなんですけど、このあとちょっと付録があります。
最後に余談をひとつ。

新井さんに第7回の賞をお贈りしようと決めたときに、選考会の進行役をしてくださっている松家仁之さんがポツリともらされた言葉がとても印象的でした。


というのは、ある作家の方――有名な作家で『スイッチ』で何度か特集号も出してらっしゃる方なので、みなさんもよくご存じの方ですけれども、えー......その方が新井さんを評して語った言葉が傑作だったのです。えー......

 ――新井君は、"味方にまわすと"怖い人だ。

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神妙な面持ちから一転。
場内からも笑いが...あっ、拍手まで......

なんとなく新井さんのキャラクターとか、編集者としての辣腕ぶりというのを言い当てているような気がして、私は妙に納得してしまいました。
私は新井さんとは、つい先ほど控室でお目にかかるまで面識がありませんでしたけれども、今回のこの会が縁になって、もしも......味方についたりしたら......怖いことになるなぁ、と今はビクビクしています。(場内笑)
ここにいらっしゃる方も、新井敏記さんを味方につけるときはくれぐれもご用心ください。(場内笑)

受賞者スピーチ

今日はほんとうにありがとうございます。「味方にすると怖い男」の新井です(笑)。

3月の半ばぐらいに玉置さん(館長代行・財団理事長)から電話をいただいて、「伊丹十三賞というものがありまして......」という話をされたときに、「あ、また事務方の手伝いをやれっていうふうに言われるのかな?」と思って聞いていたら、「今回、賞を受けていただけますか?」とおっしゃったんですが、自分は今まであんまり経験したことがないので、間髪を入れず「はい」ってお答えしたんです。そしたら、玉置さんがもう一度「授賞を、受けていただけますか?」「はい」って念押しで(笑)。
それほど、僕にとっては賞というものは無縁でした。

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中学時代、親友が作文コンクールで県知事賞を受賞。
朝礼で表彰され、作文を立派に披露した親友の姿を見て嬉しくも違和感。
放課後の号令台に立って「ごっこ」を試みたことがおありだそうです。

今回、授賞の理由として、「『スイッチ』を30年続けてきたこと」という言葉をいただきました。
32、3年前、フジパシフィック音楽出版で働いていた友人から、新しく立ち上げるレーベルのPR誌をやらないかと言われて「やるやる!」と受けて、友人と考えていろいろ浮かんだ名前の中で「スイッチ」というのが妙に語呂がよくて、ちょっと調べたら、「変わる」とか、「しなやかな枝」とか、あと「根源」っていう意味があって、僕たちがこれから歩む音楽としても活字としてもふさわしいんじゃないかな、と思って『スイッチ』と名前をつけました。

そのときに、まだ、海のものとも山のものともつかないものに応援していただいたフジパシフィックにお礼を言いたいと同時に、8ページぐらいのタブロイドペーパーだった『スイッチ』をタダで配るのが嫌で、100円の定価をつけて本屋さんに持ってったんです。本屋さんは売れないから困るんですが、そのときある本屋さんのおやじさんに「絶対つぶすなよ」ってことを言われたんです。そのおやじさんの言葉は、僕の中でひとつの思いとして、「雑誌を長く続けなきゃいけない、長く続けないと雑誌というものはほとんどゴミになる」っていうのと同じぐらいすごく胸に残りました。

『スイッチ』は1990年に伊丹十三さんにインタビューさせていただいたんですが、そのとき伊丹さんはちょうど『あげまん』の公開のときで、「人の希望に寄り添うこと、自分の希望に寄り添って、そのふたつをすりあわせること」というのをお話しされたのが記憶に残っています。それは僕にとって、雑誌の編集の「これだ!」という思いを伝えるまたとない機会のひとつになったと思います。

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伊丹さんが20代の頃に携わった雑誌『漫画読本』で、輸入漫画の
「ブロンディ」や「意地悪爺さん」を5、6歳にしてご愛読!!

彼が1981年に創刊した『モノンクル』には、インタビューの見事な原稿が掲載されていて、「人に会って話を聞くこと」を伊丹さんに教わったような気がします。
『スイッチ』もインタビュー雑誌として30年経っていますが、その、「人の気持ちに寄り添う」ということを、今さらながらに、この賞を誉れとして、ある種の叱咤激励として受けました。

さっき中村好文さんから紹介のあった「ある作家」の方が、僕は15歳の頃から好きで、当時の日記には「その人になりたい」と書いてたんです。その人の文章からこれから自分が生きていくことへのすごく大きな励ましみたいなものを得たので、まず「その作家になりたい」というかたちがあって、と同時に「その作家がどういうことを考えてるのか、インタビューを通してひとりでも多くの読者に知って欲しい」という思いがあって、雑誌を続けています。

スイッチ・パブリッシングは、今、『スイッチ』(カルチャー雑誌)、『コヨーテ』(旅の雑誌)、『モンキー』(文芸雑誌)、と、3つの雑誌をやってるんですが、その変わらぬ思いの根幹として、人の気持ちに寄り添いながら......ときどき「味方にすると怖い」って言われるんですが、それともうひとつ、基本的に「ドロ舟に乗った気持ちで!」(場内爆笑)っていうのが僕のモットーなので、それを軸として、これからもがんばっていきたいと思います。
今日はありがとうございました。

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館長あいさつ

新井さん、ほんとうにおめでとうございます。
こんなにたくさんの、大勢のみなさまにいらしていただいて、お会いできて嬉しゅうございます。
『スイッチ』の創刊30周年のこの2015年、おめでたい年に伊丹十三賞が重なっているというのは、偶然だとは思いますが、ほんとに嬉しく思っております。

新井さん! すごくお若いと思うんですけど、ほんとにお体大切になさって、いっぱいいっぱい、たくさんたくさん、お仕事なさってください! 応援しております!

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カンパーイ!

館長の乾杯の音頭で、贈呈式は終了。つまり、お楽しみのパーティーの始まり~! なの・です・が......

主役の新井さんは、ご取材にお越しくださった記者のみなさんに、丁寧に、熱心に、語りかけるように、たっぷりと時間をかけてご対応くださっていました。

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(以下、新井さんのお背中を眺めながらのわたくしの回想です。)
思えば、カルチャー雑誌を意識的に手に取るようになった学生時代、大学生協や書店に並ぶ数多の雑誌の中で、『スイッチ』は「近所の(あるいはちょっとした遠縁の)おもろい兄ちゃん」のような存在でした。伊丹さんの雑誌が「ぼくのおじさん」(mon oncle)なら、『スイッチ』は「わたしの兄ちゃん」だったな、と。
たまに会うと、「お前、知ってるか、こんなおもろい人に会ったんだけどさ!」と、おもろい兄ちゃんがさらにおもろい人のことを語りだして、止まらないのなんの。「世の中は広くて面白いのだなあ」と相槌を打つうちに気付けば夜更けに――という具合に、雑誌の重みも構わずに夢中で読むうち、私の腕と肩はカチカチになったものでした。

という例え話を同世代の人にすると、みんな「分かるわ~」と頷いてくれるので、私はちょっと得意な気分でいたのですが、今回、新井さんとお仲間のみなさまにお目にかかって「この方々がみんなの"兄ちゃん"の正体なのね」と感慨深く、心の中で手を合わせた次第です。

150504switchpub3.jpg<↑ クリックで拡大表示されます ↑>
第1回受賞者・糸井重里さん、第3回受賞者・内田樹先生
お越しくださってとっても嬉しかったです。
スイッチ・パブリッシングのみなさんもありがとうございました!!

今年もまた「よい会でした」「楽しかった」とのお言葉をたくさん頂戴いたしましたが、お客様方にこそ、気さくであたたかくて愉快な集まりにしていただいている伊丹十三賞です。
年度明けのお忙しいウィークデーにご来場くださったみなさま、まことにありがとうございました。

そして、7回目ともなりますと、「今度の十三賞はどんなイベントにつながるのかな?」と今から楽しみにしてくださっている方も大勢いらっしゃることと思います。
企画発表まで......しばらく......そのまま楽しみに......お待ちくださいませ!

伊丹十三賞、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。

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【謝辞】
池田晶紀さん、「ほぼ日」のゆーないとさん、
笑顔あふれるお写真をたくさんご提供くださり
ありがとうございました!

学芸員:中野