記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2012.03.12 だまされるものの罪

進学や就職で来月から新しい土地での生活が始まる方、家族が引っ越しをすることが決まった方は準備に忙しい時期でしょうか。
突然ではありますが、新生活の荷造りのリストの中に追加して頂きたいものがあります。
伊丹十三の父・伊丹万作著『伊丹万作エッセイ集』(ちくま学芸文庫/税込価格1,470円)です。といいますのもその中で有名な『戦争責任者の問題』を読んでいただきたいからであります。

伊丹万作はこのエッセイの中で当時の日本人の「上のほうからからだまされて戦争をしてしまった」という雰囲気に「だますものだけでは戦争は起こらない、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまった国民の文化的無気力、無反省、無責任などが悪の本体である」とくぎを刺しています。

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話は少し変わりますが大学で一人暮らしを始めてすぐに100万円(?!)近くするパソコンを営業されて契約してしまった人や、高額なエステの契約をしてしまった人、大学に入ってすぐに友達から影響された宗教活動にのめり込み、大学を辞めてしまった人、いろんな人を見て来ました。みなさんも似たような話を見たり聞いたりしたことがあろうかと思います。「だまされた」と言ってしまうと問題があることもありますが、どちらにしろ周りのものは心を痛めて見ていることしかできません。

このエッセイの中で伊丹万作は「だまされるものの罪」についてこんなふうに語っています。

 

「だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはいないのである。だまされたとさえいえば、いっさいの責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。
 だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からもくるのである。我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持っている。これは明らかに知能の不足を罪と認める思想にほかならぬ。つまり、だまされるということもまた一つの罪であり、昔から決していばっていいこととは、されていないのである。」

 

この文を読んでみなさんはだまされた人はかわいそうだと思いますか。だましたものだけが悪だと思いますか...


「国は私たちをだましていたんだ!」とか「あの人は悪い人にだまされて人が変わってしまった!」とかいろんな「だまされた」が潜んでいるこのご時世に、このエッセイを読んでおいて損はありません。個人的にはもう教科書に載せて欲しいと思うくらいです。
ちなみにこの「戦争責任者の問題」のエッセイは当館の企画展示室に全文を掲載しております。また「伊丹万作エッセイ集」は記念館グッズショップにて販売しています。ぜひどうぞ。

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スタッフ:川又