記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2020.03.09 印象深い文章

ささやかな場面を描いているのに、なぜか心に残って、ふとしたときに思い出す――そういう文章がありますよね。
伊丹さんのエッセイにも印象深い文章はたくさんありますが、わたしにとって「ささやかな場面を描いているのに、ふと思い出して読み返したくなるもの」のひとつが、こちらです。一部引用します。


" 石鹼に関する記憶をさらに溯(さかのぼ)れば、子供の頃の玩具(がんぐ)にセルロイドの舟というものがあった。あれはグリコのおまけだったかな。小指の先ほどの、小さなセルロイドの舟の玩具があった。
 鮮やかな空色や桃色のセルロイドの板を野球のホーム・プレートを長くした形に切って、尖(とが)ったほうが舳先(へさき)である。これに黄色のセルロイドで簡単な煙突や艦橋がついていた。この舟は樹(き)の脂(やに)で走った。舟尾に桜の木の脂をちょっぴりつけて水に浮かべると、脂が水の中へ弾(はじ)けるように溶けてゆく、その勢いで走るのであった。長い夏の昼下りを、四歳の私はセルロイドの舟で遊んで飽きるところがなかった。脂がなくなったときには、洗濯石鹼の小片をつける。舟の速力はとても桜の脂には及ばなかったが、それでも舟はよく走った。脂や石鹼が溶けて、水面が玉虫色に光る黄昏(たそがれ)の大海原を舟は走り廻るのであった。"

「石鹼についての覚え書」『女たちよ!』(1968年)より


読み返すたびに、鮮やかな描写に引き込まれ、まるで自分が体験したことであるかのような感覚につつまれます。印象深い文章を繰り返し読むのは、はじめての文章を読むのと同じように楽しい時間ですよね。

記念館にいらっしゃるお客様からも、「伊丹さんのエッセイの、あの一節が忘れられなくて」と、お話を聴かせていただくことがあります。皆さま、生き生きとした表情で語ってくださいます。
記念館のグッズショップでは伊丹さんの書籍も販売しておりますので、ご来館の際には、お手に取ってみてください。はじめての文章、なつかしい文章、それぞれにお楽しみいただけることと存じます。

20200309_01.jpgグッズショップ 書籍コーナー
オンラインショップでも一部の書籍を取り扱っています


また、常設展示室の「五 エッセイスト」コーナーでは、伊丹さんのエッセイストとしての顔をご紹介しています。

20200309_02.jpg常設展示室「五 エッセイスト」コーナー


直筆原稿などを展示していますので、こちらもぜひご覧くださいませ。

スタッフ:淺野