

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。
2025.04.14 公徳心
4月も半ばとなり、春らんまんという様子の日々ですが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
記念館では桂の葉がどんどん芽吹いてきました。中庭ではタンポポが咲き、しばらく春を楽しむことが出来そうです。
さて、少し前の話になるのですが、今年の2月に長年応援しているアーティストのライブのために福岡県の博多に行ってまいりました。今回はかなり大きな会場での開催で、会場は約4万人が収容されると予想されており、初めて会場に足を踏み入れた時にあまりの広さに素っ頓狂な声をあげてしまうくらいに広い会場でした。老若男女問わず、様々なライブのグッズを身に着けてライブを楽しんでいる人々の満足そうな顔が印象的な1日でした。こんなに多くの人が、このアーティストのために集まったのだと思うと、10年前に行った観客が700人だった頃の小さなライブハウスの頃がなんだか懐かしく思い起こされます。
たくさんの人がアーティストを応援することで、大きな会場を回るツアーに参加できるようになったのは大変嬉しいのですが、ライブに参加する人が急激に増え、それに伴って大きな会場になればなるほど、小規模な会場では見なかったようなトラブルが増えました。チケットの転売、撮影禁止の場所での撮影、列への横入り、会場周辺での迷惑行為、アーティストの母校や自宅付近で記念撮影など――。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」じゃないですけれども、どうにも集まる人が増えると「禁止されているけどやっている人いるし」「誰も見ていないし」とばかりに、周りに迷惑がかかることをする人が増えるのは大変心苦しいことです。
ライブに限らず、社会の中で生活を営んでいく上で、人間は公徳心が必要であるといえるでしょう。公徳心とは、社会生活における道徳を重んずる心です。伊丹さんがエッセイの中で詳しく書いてくださっておりますので、こちらをご覧ください。
公徳心というのはなんであるかと申しますに、客観的である、ということでしょうね、まず。
(中略)
つまり、他人の眼で自分をながめることのできる人、これがすなわち客観的であるということだ。こういう人は、たとえば不愉快なことがあっても、ブスッとフクレたりしないもんですね。フクレッつらというのが人目にはごくごくみにくいものだということを知っているからで、それゆえさらに一歩を進めるなら、客観性は観察力と想像力によってささえられ、つちかわれている、といってもよろしいかと思う。
つまり、先がヨメる、ということが大事な点でありまして、たとえば会合に幼児を連れてゆく。幼児がむずがって泣き出す。人人はみんな不機嫌になる。しかも露骨にイヤな顔もできないから、慰めてくれたり、子供をあやすのを手伝ってくれたりするだろう、と、まあそういうぐあいに先をヨミまして、そういう迷惑を人に与える権利は自分にはない、従って幼児は断じてきょうの会合にはつれてゆくまい、と決める。これが客観性ということなのですね。
それゆえ、公徳心とは客観的に物を見ることのできる能力であって、この能力は観察力と想像力によって生みだされる、ということになりますから、従って、引っくりかえしていうなら、公徳心の欠如とは、客観性、観察力、想像力の欠如である、ということになるわけだ。
つまり「公徳道徳」と呼ばれるものが世の中にはありますわね。これはだれだって知っている。知っているということだけはみんな知ってるのだけど、これを厳密に守る人というのはまず百人に一人もいないでしょう。
つまり想像力が足りないんだなあ。たとえば、いま花見のシーズンである。島崎敏樹先生がいつか書いておられましたが、昔、花見にいって一枝の花を折ることは「風流」であった。いま「ドッと繰り出す行楽客」が一斉に花を折ったらいったいどういうことになるか。すなわち風流は過去のものであって、現代に生きるわれわれは風流に対する見解を変えねばならぬ、という論旨であったかと思う。こういうふうに想像力を使ってくださいよ。みなさん。わかりきったことじゃないの、あまりにも。みんなが花を折ったらどうなるか、みんなが紙くずを捨てたらどうなるか。いまさら書くことすらバカバカしいよ。次元が低すぎるよ、まったく。
さて、公徳心において重要なことがもう一つありました。想像力を駆使して先をヨンだ。こういうことをしたら人に迷惑がかかりそうだということがヨメた。しかしヨメただけじゃしようがないね。ヨンだ以上断固として踏みとどまるだけの強さ、すなわち自制心というものが是非とも必要になってくる。
まあ、オレ一人くらい、いいじゃないか。人が見ていないからまあいいやな。みんなやってることだ。オレ一人バカ正直にしたってはじまらない、なんていうのは全部ダメだよ。
自分には、どんなに厳しくしたって厳しすぎるということはない。人間所詮自分の外へ出られるもんじゃないのです。どうしても天動説の徒なんだよ、われらは。
以上、公徳心について知るところを述べてみました。あとは実行のみ!
(『ぼくの伯父さん』より「"ひとりぐらい"は禁物」)
『ぼくの伯父さん』
記念館のグッズショップ、オンラインショップでお買い求めいただけます。
私は人がたくさん集まる場所に行くたびに、この公徳心について考えます。
特にライブでは、開催日はほぼ1日中ライブのグッズを身に着けて行動するので、見る人が見れば一目でそのアーティストのライブに来たことが分かるのです。宿泊するホテル、付近のコンビニや飲食店、そしてライブ会場。自分が立ち寄るすべての場所で、自分一人が軽率な行動をしたせいでアーティストの印象が悪くなり、酷いときにはアーティストが会場を借りられなくなったらと考えると気が気ではありません。だからこそ、普段よりも公共のマナーを意識して、ライブに行くことにしております。
普段生活をしていると、なかなか公徳心を意識して行動することも少ないです。しかし、周りの方が当たり前のように公徳心を持ってくださっているからこそ、快適に生活が出来ていることを忘れずにいたいものです。
暖かくなり、ゴールデンウィークも近づいて旅行される方も多くいらっしゃると思います。その際にはぜひ、伊丹さんのエッセイを思い出していただけますと幸いです。
学芸員:橘