記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2023.05.22 伊丹十三とキリスト教絵画

先週、所用あって岩手に帰省してきました。5月の下旬を岩手で過ごすのはいつ以来でしょうか。

社会人になってからは年末年始の枯山・雪山の風景ばかり(と、夏の盛りの風景を何度か)眺めていたので、郷里とはいえこの季節の自然の景はもの珍しく、東北新幹線およびバスの車窓に飽かず張り付くこと数時間。

20230522_iwateji.JPG左奥の山の斜面に花を咲かせた桐の木が
...って、見えませんよね(笑)

南部アカマツの林、桐の花、川岸にたたずむキジ......一度のバス乗車で「県の木」「県の花」「県の鳥」の3点セットを拝むことができたのは初めてで、ちょっと感動的な旅路でありましたし、それらに加えて、新緑を携えた白樺の木立、藤の花のフサフサ、ヤマツツジの可憐な彩り、水が入って青空と雲を映す田んぼ、何もかもが清冽かつ素朴でまばゆく、北国の初夏を堪能いたしました。

さて、今回のわたくしの所用と申しますのは、東方正教会の「パニヒダ」のご祈祷を賜るためでありまして、仏教でいうところの法事、と考えていただけばよいと思われますが、"糖飯(とうはん)"なるものをこしらえて参祷者に供する、といったような独特の風習があり――

20230522_touhan.JPG母の力作。ご参祷の皆様からご好評を頂戴して
心から嬉しそうにしておりました。

聖堂の中で甘く味付けした餅米のご飯を食す――やはりどうにも不思議な気分になるものでしたけれども、「お彼岸におはぎを食べるようなものかなあ」とモグモグし、「キリスト教が日本に根付くまで、他国では麦を用いるというこの糖飯のように、あれこれの事柄について、風土に適した様々の工夫がなされたのだろうなあ」などと想像しつつ、イコノスタシスやイコンの数々、蜜蝋の蝋燭の炎と燭台の装飾をしばし鑑賞したのでありました。

キリスト教美術と伊丹十三といえば、こんな一文があります。

 ともかく、すべてよろしいわけでありますが、わけても、イタリーという国は古寺巡礼の国なのだ。絵と教会の国なのだ。
 (中略)行く先々に絵がある。壁画がある。ジオットがある、ダヴィンチがある、ミケランジェロがある、ラファエロ、フラ・アンジェリコ、ティシアン、ティントレットがある。ベスト・メンバー時代きたる! という感じではありませんか。
もっとも、私が一等好きな画家は上記の中にはなく、シモーネ・マルティーニ、ピエロ・デラ・フランチェスカ、ピサネロ、ジェンティーレ・ベリーニ、この四人であります。
 何ゆえ、この四人が好きかというに、いや、わたくしは、絵に関しては全くの素人でありますからして、わたくしのイタリー絵画論なぞは実にインチキきわまるものであるかもしれん。しかし、わたくしとしては、次のように信じているわけだ。
 そこで、何ゆえ、この四人が好きかというに、この四人は、実にいい顔を描く、ということが一つあるな。
いい顔が描けるか描けないかということは、この時代の画家にとっては決定的なことであると思うのです。当時の絵というのは、いわば叙事詩のようなものであるから、まず必要なものは、具体的な描写でしょう。
 次に、あるエピソードを、どういう道具立ての中で物語るかという、つまり視覚化するかという、微に入り細をうがつ想像力が必要になってくるね。
 その点、同じテーマをいろんな画家が描いている、たとえばキリストの降誕とか、受胎告知なんか、これは比べてみると実に面白い。受胎告知の場合、たいがい、マリヤさまが椅子にかけていらっしゃる。右か左に、ひざまずく天使を配し、どこかに必ず百合の花があるわけですが、基本的にはそうなのですが、これは実に千差万別だね。舞台が妙にガランとして、回廊みたいなところだったり、あるいは部屋の中だったり、それにまた、その天使の羽根の生え工合、あるいは衣裳、そうだ、シモーネ・マルティーニのでは、天使の衣裳がタータン・チェックみたいな布地だったなあ。あれなんか、当時としては、実にハイカラな、高級な生地だったのでしょうねえ。

 

「キリストさまたちとマリヤさまたち」

ヨーロッパ退屈日記』(1965年)より

ほぅ...大天使ガブリエルがチェック柄の衣を......と興味がわいて調べてみますと......『聖女マルガリータと聖アンサヌスのいる受胎告知』(1333年)に尋ね当たり......

思わず「あっ!」と声を上げました。



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伊丹エッセイのファンの中には「ピーン」ときた方もいらっしゃるのではないでしょうか。伊丹十三賞や記念館のグッズの意匠に用いている"あのエッセイの、あの挿絵"は、このシモーネ・マルティーニの作品を"引用"したものだったようですねえ。

20230522_papamama_tenshi.JPG「天使ハドウシテハダカナノ?」
『問いつめられたパパとママの本』(1968年)より

伊丹十三の著書に登場する人名や作品名をたどってみると、思いがけない発見や「ウム、たしかにイイ!」と嬉しくなるものとの出会いがあります。

「エッセイのその先」も、伊丹ワールドの延長としてぜひどうぞお楽しみください。

学芸員:中野