記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2022.01.24 観返し・読み返し

記念館便りをご覧の皆さま、こんにちは。

寒い日が続きますね。そんな中、記念館前を流れる川の土手には、菜の花が咲きはじめました。寒さに強い菜の花ならではです。色彩豊かとは言い難い時期ですので、明るい黄色が視界に入ると少しうれしくなります。

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さて、記念館にお越しくださるお客様の中には伊丹さんの映画を観たり著書を読んだりしたことのある方が多くいらっしゃるのですが、つい先日、「数十年ぶりに伊丹さんのエッセイを読み返したばかり」という方が来館されました。

はじめて読んだのは学生の頃だそう。当時も今回も楽しく読まれたそうなのですが、前回と今回とでは読後感がちょっと違っていたそうです。

例えば、下記に引用するような、車の運転や乗り物に関するエッセイを読み直して――

 

さて、いまさら申し上げることもあるまいが、自動車というものは危険物でもあります。これを扱うに当って、男たるもの、どんなに自分自身に厳しくあろうとも、厳しすぎるということはない。いわんや、いいかげんな気紛れや、でたらめは許せないのであります。
たとえば、運転のさいの履物一つにしても、最も運転しやすい、正しい履物を選ぶべきである。底革の滑りやすい靴や、脱げやすい草履で運転することは断じて許せないのであります。
これがすなわち「自動車の運転におけるヒューマニズム」というものである。
そうして、われわれは、巧みに運転する前に、品格と節度のある運転を志そうではないか。
交差点で自分の前が右折車なんかで塞がれると、すぐに隣の列へ割り込もうとする人がある。というよりもむしろ日本人の九十九パーセントまでが左様である。
思うに車の運転とは、自分自身との絶え間のない闘いであります。人に迷惑をかけてはならぬ、ということは誰でも知っている。知っていながら割り込むというのは、これはすなわち自制心の欠如というものである。
隣の列がどんどん流れてゆくと、もう矢も楯もたまらない。なんだか莫大に損をしているような気になってくる、つまりその瞬間なのだ、運転者の品性が決定するのは。こういう時に、甘んじてその場に踏みとどまっていられるだけの、強い意志の力と、人間としての品位を持つか持たないか。これが、よい運転者と悪い運転者との永遠の別れ道となるのである。

「スポーツ・カーの正しい運転法」『女たちよ!』(新潮文庫)より

自分で運転したことがなかった学生の頃と違って、実体験を伴って読むと、共感したり考えさせられたりした事柄が多かったのだとか。
また、数年前にヨーロッパ旅行に行ったあとに『ヨーロッパ退屈日記』を読み返したときも、初読の時とはまた違う面白さがあったそうです。
他にも、「子育て中やそれがひと段落した後で、伊丹さんの子育てや教育に関するエッセイ再読すると、改めて読み応えを感じます」と仰る別のお客様もいらっしゃいました。

だいぶ前に伊丹さんの映画や著書に触れた方は、その後いろいろ経験されたり立場や環境が変わったりしていると思いますので、観返してみる、読み返してみると、前とは違った印象を受けて面白いかもしれませんね。ご興味のある方はぜひお試しください。



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伊丹さんの著書

スタッフ:山岡