記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2021.04.19 まえがき

皆さまは本を読むとき、「まえがき」は読まれますか?

「まえがき」は本編の前に書き添えられた文章で、伊丹さんの著書にも何冊かまえがきが書かれているものがあります。先日来られた伊丹さんのエッセイファンの女性が、最初に伊丹さんの著書を読もうと思ったきっかけがまえがきだったというお話をうかがいましたので、少しご紹介させていただきますね。

この女性が読まれたまえがきがこちら。『問いつめられたパパとママの本』(中公文庫)からご紹介します。

 一体これはなんの本だろう――そう思いながら本屋の店頭でこの頁を繰っていらっしゃる方があると思う。
 われわれ、だれしも本屋で本をパラパラめくりながら思うものです。
「どんなことが書いてあるのかな」
「おもしろいのかしら、ほんとうに」
「途中で飽きてほうり出すなんていやだもんなあ」
 そういう方に説明したいと思う。
 この本はおもしろい。いや、おもしろくなくては困るのです。
 この本を私は、生まれつき非科学的な人、つまりあなたのために書いた。
(中略)
 実用的にみるなら、また、この本は、ホラ、子供がよく親にいろんなことを訊くじゃありませんか、
「空ハナゼ青イノ?」
「オ月サマハ、ボクガ歩クトドウシテツイテクルノ?」
 そういう時に繙いていただきたい虎の巻でもある。
 子供の質問というのは、素朴で根源的であるだけに、難問であることが多いのであります。親のほうはハタと困ってしまう。
 そうして、こういう時の親の態度というのが大切なのですよ。実に大切だ。子供の心は染まりやすい。確信のない、ごまかしの返事をしたり、
「うるさいわねぇ。ママ、いま忙しいのよ、サ、いい子だからあっち行って遊んでらっしゃい」
 などと逃げをうつ。こういうことが積み重なると、折角の子供の好奇心の芽がどんどん摘みとられてしまって、遂には知識欲のまるで乏しい子供ができてしまう。そうなってしまってから、子供を塾なんぞへいれて、やいのやいの勉強しろったって、そりゃ子供が可哀そうだよ。向学心をひからびさせちゃったのはあなたなんだからね。

 子供の好奇心を、正しくいい方向に伸ばそうではありませんか。それは無限の可能性を秘めているみずみずしい知識の若木なのですから。
 そうして、そのためには――子供に問いつめられたパパとママよ、まずあなた自身が科学的な物の考え方を身につけるほかないと私は思う。知識に対する、憧れと畏れを身につけるほかないと私は思うのであります。

まさに本屋さんでこのまえがきを読み、購入を決めたとのこと。たしかに本編を読んでみたくなるまえがきですよね。お客様曰く「これを書いた人がどんな人か興味が湧いて」「どんなことが書かれているのかワクワクしながら頁をめくれそう」と思ったのが決め手だったそうです。

もうひとつ、『女たちよ!』(新潮文庫)のまえがきから一部ご紹介します。

 

 寿司屋で勘定を払う時、板の向こうにいる職人に金を渡すものではない。彼らは直接食べ物を扱っているのだから。このことを私は山口瞳さんにならった。
 包丁を持つ時には、柄のぎりぎり一杯前を握り、なおかつ人さし指を包丁の峰の上にのせるのが正しい。私はこのことを辻留さんにならった。
 そうして、正しく握った包丁で俎に向かう時、躰を斜にかまえて包丁を俎と直角に使う。これが俎に対して、また材料に対しての礼である。このことを私は築地の田村さんにならった。
(中略)
 と、いうようなわけで、私は役に立つことをいろいろと知っている。そうしてその役に立つことを普及もしている。がしかし、これらはすべて人から教わったことばかりだ。私自身は――ほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない。

本編とはまた違ったところから書き手である伊丹さんのお人柄や考え方が垣間みられるようなまえがきと、本編を読むと、よりその一冊が楽しめると思います。未読の方はぜひ読んでみてくださいね。

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今回はまえがきについて引用してご紹介しましたが、上記の『問いつめられたパパとママの本』や、『ヨーロッパ退屈日記』(新潮文庫)には、伊丹さんの書いた「あとがき」も載っていますので、ご興味のある方はそちらもご覧になってみてください。

20210419-2.jpgおまけ:中庭の桂は新緑のきれいな季節です

スタッフ:山岡