記念館便り ― 記念館からみなさまへ

記念館便り

こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。

2021.03.08 アンソロジー

伊丹十三のエッセイを収録したアンソロジーが、2月、3月と立て続けに刊行されました。
作家の手料理』と『作家と猫』。どちらも平凡社からの刊行です。

『作家の手料理』のほうには「スパゲッティの正しい調理法」(『ヨーロッパ退屈日記』新潮文庫)、『作家と猫』には「わが思い出の猫猫」(『再び女たちよ!』新潮文庫)が、さまざまな作家の名エッセイとともに収録されています。

どちらも何かと取り上げていただくことの多いエッセイなので、伊丹十三の著書以外で読んだことあるよ、という方もいらっしゃるかもしれませんが、ごく一部を抜粋してご紹介しますと――

 これは断じてスパゲッティではないのです。これをスパゲッティだという人は、銀座あたりにあるアメリカ人目当てのスーヴェニア・ショップに行ってもらわねばならぬ。そして絹のキモノ・ドレスとかいうものを買っていただく。そして、それを着て、ハイ・ヒールで街を歩いてもらおうじゃないか。わたくしはそう思います。
 しからば、真のスパゲッティとはどういうものなのか。

 

「スパゲッティの正しい調理法」『ヨーロッパ退屈日記』(1965)より

 猫の意識において、猫という種族は人間とまったく対等の種族なのである。いや、ことによると、猫は自分を人間であると思っているのかも知れぬ。
そういえば時に猫は、はしゃぎまわる小児のようであり、時に猫は、哲学的な瞑想に耽る老人のようでもある。

 

「わが思い出の猫猫」『再び女たちよ!』(1972)より

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ところで、エッセイのアンソロジーというと、学生の頃に本屋さんでよく見かけた、作品社の『日本の名随筆』シリーズ(1982-99年刊行)を思い出します。
最近あまり見なくなったように思いますが、なにしろ本巻・別巻で全200巻の一大シリーズ、統一されたデザインで書棚にズラリと並ぶ光景、背表紙の編者名は大作家ばかり。それはそれは迫力がありました。

心惹かれながらついに一冊も買えなかったんですけど、そんなことも含めて懐かしく、また、「もしや...」と調べてみましたら、伊丹十三のエッセイ「猫」と「鯉コク」の2篇がこのシリーズに収録されていました。テーマはそれぞれ『猫』(編者:阿部昭さん)と『肴』(編者:池波正太郎さん)。
そしてさらに調べますと、伊丹万作のエッセイも2篇、市川崑さん編『顔』と、天野祐吉さん編『広告』にありました。
ああ、やっぱり、あの時、少しずつでも手に取っていたら、もう少し早く――ほんの数年ではあるけれど、もう少し早く、伊丹万作・十三父子の文章に出会えていたのに。

一冊も買えなかった理由を思い返してみるに、書棚に鎮座する巨大シリーズにおそれをなした、とか、大人の読み物に思えた、とか、単なる懐具合ということもありますが、たぶん、一番には「アンソロジーって、おいしいとこ取りのツマミ食いみたいじゃない? それってちょっと虫がよすぎない?」というような考えが邪魔をしていたのだと思います。
若さゆえの潔癖症、と言えば通りがいいかもしれませんが......なんと愚かで損な考えかと悔やまれます。(20年前にタイムスリップして、当時の自分をトッちめたいですね!)

幾年月が過ぎて今、伊丹十三とさまざまな作家のエッセイが編み込まれたアンソロジーを読んで感じるのは「友達の家に遊びに行って、友達のお母さんのごはんをご馳走になる」のと非常に近い気持ちです。
「まったく知らない材料や調理法にビックリ、とかはなかったんだけど、自分ちではやらないお料理がいろいろあって、ちょっと世界が広がった」というあの感じ。つまり、楽しいではありませんか!
そればかりか、巻末の出典情報なんかも熟読したりして「次に本屋さんに行ったらこれ買うぞ」と、楽しみが数珠つなぎになるではありませんか!

そういうわけで、アンソロジーもおすすめです。書店でお見かけになられましたら、ぜひお手に取ってみてくださいませ。

※伊丹十三記念館のグッズショップおよびオンラインショップでは販売しておりません。何卒ご了承ください。

学芸員:中野