こちらでは記念館の最新の情報や近況、そして学芸員やスタッフによる日々のちょっとした出来事など、あまり形を決めずに様々な事を掲載していきます。
2019.08.19 「ヤラセ」
毎週月曜日に更新しているこの記念館便り、今は3名のスタッフが順に担当していますので、3週間ごとに当番がまわってくるローテーションでやっています。
記念館について、伊丹さんについて、ご紹介したいことはあれこれとあるのですが、時の経つのが早すぎて、「アレッ、次もう自分の番じゃないの!」と慌てることが(私の場合)しばしばございます。
テキストを作成して、「さーて、これに感じのイイ写真を添えたらOK、今回は季節感のある写真がいいね!」なんていう段階まで進めたところで窓の外を見ると......お天気が悪かったり、日差しの向きが理想的でなかったり......そんなことで、折よく「感じのイイ」写真が撮れる状況でなかったりすることもまたしばしば。
ということで白状するのですが――
上の写真(2018年7月16日更新分)、実は、館の南側の芝生に落ちていたセミの抜け殻を、西側の桂の幹にくっつけて撮りました......"ヤラセ"だったんです、すみません......
更新された記念館便りを見た同僚の一人が「この写真イイですね~、ちょうどいいところに抜け殻がくっついてたもんですね!」と言ったときには、心臓が止まりかけました。(そしてすぐに自白しました。)
というような、程度の低い私のヤラセ写真の例を導入にして恐縮ですが、ズバリ「ヤラセ」というタイトルの伊丹エッセイがございます。
テレビの仕事に携わっている男と、別の男が「ヤラセとは何か」を語り合う形式のエッセイで、
・ドラマはヤラセに含まない
・では、演技のプロである俳優の日常生活のドキュメンタリーはヤラセか
・演出の都合に合わせて偽の自然を演じると俳優でも素人でもヤラセでは
というような話の後――
* * * * * * * * * * * * *
「じゃあ、台本のある例を出しましょ。農村から中継してる。アナウンサー歩いてくる。そこへさも偶然らしく――もちろん仕込んであるわけだけど、柿を積んだ耕耘機が通りかかる。運転してるのは農家の奥さんね、アナウンサー、コンニチワァ、かなんかでインタビュー始めるね、柿の話から柿狩りの話になる、と、柿狩りのフィルムが出たりする。要するに全部台本通りなのね。耕耘機のおばさんも、もちろんアシスタントのキューで登場したわけだな、こういうのは――」
「そりゃ、なんぼなんでもお粗末なんじゃない? そりゃ確かにヤラセだけど、それは下手すぎるよ、それじゃばれちゃいますよ」
「アレ、妙なこというねえ」
「どうして?」
「じゃあ、ばれなきゃいいって話? だってヤラセだってのはさ、ヤラセがばれてるから問題になってるんでしょ? ばれたらヤラセじゃなくなるわけ?」
「いや、そうじゃないけど、でもばれるってことに関連していうなら、程度のいいディレクターだと、ヤラセをわざとばらしちゃうって場合もあるでしょ。スタッフを映しちゃったり、カットっていったあとしばらくフィルム廻しておいてヤラセやってた人が本来のその人に戻るさまを捉えるとか」
「またあなた新しい問題持ち込んでる。手口を告白してるのはヤラセじゃないとすると、今度は、その告白がちゃんと伝わるかどうか、見てる人がちゃんと読みとってくれるかどうかが問題になってくるわけよ。そうすると、見る人によって、同じものがヤラセであったりなかったりすることになってくるわけだけど――」
「ウワァ、いらいらするねえ、じゃあ、あなたにとってヤラセって何ですか」
「私にとって? さあ何でしょうかねえ、結局私自身の問題としていうなら、僕はテレビを作る場合、人間関係を伝えたいと思うわけね、撮る人と撮られる人の人間関係、撮られる人と撮る人の人間関係、撮る人同士の人間関係、撮られる人同士の人間関係、そういうもろもろの人間関係とテレビを見る人との間に生じる人間関係、これを大切にしたいと思うわけだね。だから――結局私としては、自分自身がいかに自己及び他者と誠実に出会おうとしているか、ということ自体を通路として見ている人と出会いたいと思うわけですね」(後略)
「ヤラセ」『女たちよ!男たちよ!子供たちよ!』(1979年 文藝春秋)
※現在入手可能な書籍では『伊丹十三選集』第3巻に収録されています
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「撮る人と撮られる人」「撮られる人と撮る人」「撮る人同士」「撮られる人同士」「そういうもろもろの人間関係とテレビを見る人」の人間関係を大切にしたい――
作り手としての見解を記した文章ですから「見る人同士」ということはここには書かれていませんが、受け手の側である私たちにとっては「見る人同士の人間関係」も、当然、大切にしなければいけないな、とつながってきますよね。
表現されたものを他の人はどう受け止めているのか、いろんな立場があることを慮って、いろんな意見を取り入れられるようになりたいものです。
先ほど挙げたのは「テレビ」の「ヤラセ」についての文章ですけれども、近ごろ報じられる機会がどうも妙に増えてきた、「表現の自由」の問題に接するにつけ、「自分自身がいかに自己及び他者と誠実に出会おうとしているか、ということ自体を通路として見ている人と出会いたい」という考えを多くの人が持てたなら、防ぐことができた事態が多々あるのだろうな、と感じる今日この頃でもあります。
先日の雨の朝、記念館の黒い外壁に映えるカタツムリを発見し、
カメラを向けたら「にょきーーん!」と張り切ってくれたので
載せておきます。ヤラセではございません(笑)
気付けば8月も下旬。どなた様も、ヨイショヨイショと夏を乗り越えてこられたことと思います。あとひといき、油断せずにお過ごしくださいませ。
学芸員:中野
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